時系列的に最新話のかなり先に当たる話なので、直前の話とのつながりがないことに注意してください。いつか追いついたら話数を整理します。
2018年、4月。
新年度を迎え、通常の教育機関や企業などでは新体制が発足するなど慌ただしく動くのが常だが、この呪術高専では若干事情が異なる。
呪力を知覚・運用できる能力は完全に遺伝と本人の素質によるもので、かつ名門出身者は呪術高専に行かずに家で教育を受ける傾向にある。結果として高専入学者は何かしらの「ワケ」があって十分な呪術教育を受けられない術者の受け皿としての役割を持つ。
そもそも1学年の人数が多くて5人程度と極めて少数であることも合わせ、決まった入学時期があまり意味を持たず、年中バラバラと入学してくる傾向にあることから、むしろこの時期の1年生はほとんど活動していない。
現に、京都校側は新入生3名が既に揃っているが、東京校では1名、それも当初から1年担当の五条悟が個人的に面倒を見ていた伏黒恵のみということで、悟は事実上担任無しに近い状態となっている。
また、この数年で呪術界内部の組織編制が大きく変わったことにより、呪術界にも「働き方改革」の波が到来していた。
呪術界はホワイト化、とまでは言えないが、かつてのように労働基準監督署も真っ青の長時間労働を強いられることは少なくなった。徹夜での勤務があれば代休が取れるようになり、長期の任務明けには休暇が認められたり、補助監督にも有給休暇の概念が生まれたり。
すべては、ここ数年で台頭した空閑家の惣領、空閑徹の働きによるところが大きかった。
五条悟に次ぐ特記戦力として、彼らは日本を二分した。高速瞬間移動が可能な五条悟が僻地や立ち入りの難しい場所の呪霊を、組織だった行動や市街戦を得意とする徹が都市部の呪霊を対処する分業体制が整った。入れ替わり立ち代わりで呪霊を祓い続けた結果、高レベル呪霊の発見から討伐まで平均12時間を切る即応体制を確立。脅威度不明の案件や一級レベル案件を片っ端から潰していったことで、高位術師の殉職が劇的に減少した。
また、空閑徹の提言により一級試験要綱に「領域対策技の所持」が義務化。試験が難化した一方で、空閑家出資により対抗策を持たない1級被推薦者には旧シン・陰流の幹部構成員による教育課程が行われる仕組みが整った。教育課程は既に1級の術師で領域対策がない者も無料で受講可能であり、現在急ピッチで簡易領域の習得が進められている。
さらに、空閑家後援のもと井口楓一級術師を筆頭とする高専ネットロア部門が全国の都市伝説や怪談話を調べ上げ、呪霊の出現・存在を予測し先んじて調査・攻撃する史上初の攻性組織が稼働。立ち上げ時の「仮称:ひさるき様」を筆頭に、数々の忘れられた高位呪霊や土地神の討伐に成功している。
これらの施策により、呪術界は起きる被害に後手後手で対処するしかなかった時代とは見違えた。
空閑徹・五条悟両名により仕事の絶対量が減り、浮いたリソースを教育や休養、先制攻撃に回せるようになり、基盤が強固になることで殉職が減り、離職者も減ることでさらに余裕が生まれ……という正のスパイラルが生まれているのである。
本来なら、五条悟が自ら育てた精鋭によって数十年かけて実現されるはずだった改革が、空閑徹という予想外の戦力によって大幅に加速していた。
結果として、高専教員である五条たちは、生徒の出揃う6月ごろまでに一時的に閑散期が生まれるようになっていた。
――だがこの日、新たな事件が生まれることで、歌姫の華麗なゴールデンウィークの予定は全て消し飛ぶこととなった。
「僕ね、今度空閑と戦うことになったんだ」
五条悟の爆弾発言を前に、文字通り呪術界がひっくり返った。
五条家は事実上、悟のワンマンチームである。当主の悟が言う事は絶対で、御三家の一角が総力を挙げて彼をサポートする。
ゆえに彼の発言は重い。呪術界の最高権力の一角が、彼ひとりの発言によって動くのだ。普段の軽薄な物言いは、むしろ真面目に捉えられてしまった時動くものの大きさを理解しているが故である。
その悟をして、この発言は一線を越えていると言えた。
「あんた遂に……」
「あー違う違う。戦争ってことじゃなくてね、んまあそう、決闘?」
「……一応聞いてあげるけど、誰と誰の?」
「僕と、空閑徹」
「結局戦争じゃないのそれ!」
対戦相手となる空閑徹は、九州の名門・空閑家の総領(跡取り)である。既に次期当主指名も済んでいて、何より彼は、齢17にして五条悟に次ぐ呪術界ナンバーツーの実力者だ。
ここ数年で空閑家が躍進と呼べる急成長を遂げたのは、ひとえに天才児・空閑徹の活躍によるものだった。これにより、今や空閑家は元来の地方名家としての立場を飛び越え、単独で御三家に次ぐ家格へと到達しつつある。
――そして同時に、徹はまだ17歳。ついこの間、先ほどから突っ込みを入れ続けている歌姫の元で3年生を迎えたばかりの京都校生徒であった。
それと戦うということは、東京と京都の高専対決であり、教員と生徒の対決でもあり、何より五条家と空閑家という家同士の対決でもある。それは、呪術界全体を2つに割っての対戦ともなりえることを、歌姫は否応なく理解させられた。
「まぁまぁそんなキレないでよ。小ジワ増えるよ?」
「あんたが! そんな案件!! 持ち込むからよ!!!」
新年度を迎えたことで両校の連携のための打ち合わせに東京校を訪れている。両校校長が不在で代理役として呼び出されたのが運の尽き、まさかこんな爆弾を投げ込まれるとは思わなかったとばかりに噛みついている。
「でも空閑の方が申し入れて来たんだよ?」
流石の悟も話が進まないと考えたか、とっておきのカードを切ることにした。
嘘ではない。この戦いは空閑徹の発案のもと家を通じて申し入れされたもので、猛反対する一族の人間を無視して「面白そう!」と飛びついたのが悟の立場だったのだ。
「いやいや、空閑はあんたと違って真面目なんだからね? 名前を借りて信憑性を上げようったって」
「はいこれ、直筆の果たし状。このご時世に超達筆だよね、ウケる」
「???????」
「お、バグった。おもろ」
空閑徹の名が記された「果たし状」――悟が面白がってそう呼んでいるだけで、中身は丁寧な試合の申し入れだし、表紙に果たし状と書いてある訳でもない――を広げて見せると、それが徹の字だと理解できてしまった歌姫の脳は、いよいよ処理能力を超えた。
背景に宇宙を背負った猫のような味わい深い表情で硬直した歌姫をつついたり自撮りしたりひとしきり楽しんだ悟だったが、結局状況を全く理解させられていないことに気付く。
一応、悟なりに仁義を切るつもりで歌姫に話を通した訳で、このままでは話を通したとは言えないだろう。
「空閑め……さてはこうなるの分かってて僕に対応投げたな?」
なお、悟はこのことを「徹が歌姫への連絡を怠った」と認識しているが、徹はもうしばらく伏せた状態で水面下の交渉をする予定だったし、その旨をきちんと悟に伝達していたことを追記しておく。
◆ ◆ ◆
――何も、思いつきで決まった訳ではない。元々、空閑徹にはこの模擬戦のビジョンがあった。
2018年4月は、運命の「原作」が開始される年度。
6月には虎杖が転入し、10月には宵祭りと渋谷事変。11月には死滅回游。その後のことを徹は知らないが、年末には新宿決戦が行われ、虎杖が2年に上がる前に全ての決着がつく。
ジャンプ漫画特有の過密スケジュールで原作が進行する関係上、一度「流れ」が始まれば、もはや介入の可能性は最小限だ。その場その場で覚醒できるのは主人公だけで、徹のような一般人――少なくとも、徹自身はそう考えている――にとってはそれまでに積み上げて来たものが全てだと理解している。これまでのがむしゃらな訓練や生き急ぐような戦歴は、"ここ"に間に合わせるためのものだ。
この先は、ここまでに準備したものを少しずつ切り崩して出来事に対処していくことになる。手札が無くなる前に元凶を潰せれば徹の勝利、そうでなければ敗北。
この戦いは、いわば原作開始を前にした人生の総決算だ。自分がどのくらい積み上げられたか。それを理解し、また周囲に理解させ、今後の動向を決めるための最後の仕上げとして、五条悟との最強決定戦を申し込む。
事前にそれを告げられた家の面々は反対したが、最終的には押しきった。
五条悟が了承するという確信はあった。彼はそういう催しが好きだし、何より自分に比肩しうる存在が生まれることをずっと待っている。
あるいは、五条悟をたった一人の怪物にさせないための戦いでもある。原作の呪術界はかなりの部分が悟頼りで、そこを黒幕に突かれたのだ。彼の意識改革と、そして意識を改革させられるだけの実力を、徹は「人類代表」として見せつける必要がある。
五条の手元にも乙骨はいるが、彼が悟のところにたどり着くにはまだ時間がかかる。
今「彼」に一番近いのは、やはり徹だ。
◆ ◆ ◆
(株)空閑興業、福岡本社オフィス。
空閑家の呪霊関連事業や不動産管理などの金の流れを企業化した警備会社で、呪術界に流れた金を表社会に流通させるための資金洗浄の役割も果たしている。
巧妙な分社化と非上場、一族の人間と資産管理会社による株式の独占、そして一切広告を出さず社員の大半がコネ採用という秘密主義的業態のため、地元民でもかなり詳しく調べないと存在にすら気づけない無名の金満企業群だ。一部の就活生や事情通などには「九州屈指の大資産家である空閑一族が立ち上げた資産管理会社・警備会社」として認知されていて、また一部では都市伝説的にヤクザの資金洗浄企業扱いされることもある。
その性質上、実態としてはペーパーカンパニーというか、見かけと中身が大幅に乖離している企業であるが、企業である以上事務仕事というのは存在するので、「らしい」オフィスもない訳ではない。ここはそのうちの一カ所、西鉄の福岡(天神)駅にほど近い一等地のビルだ。
一棟まるごといくつかの不動産業者や管理会社を経由して空閑家が保有しているビルで、各フロアで屋号が違うので一見すると普通の雑居ビルだが、その実空閑家本邸より福岡市に置いた方が都合のいい業務をまとめて管理している事実上の自社ビルであった。
ここはその中でもメディアとの折衝やSNSの監視、政府との情報統制のすり合わせなど、デジタル・アナログ両面での情報操作を取り纏める部門。呪霊絡みのシノギが非常に多い社内では異色の、ある種の諜報部として活動している部署だ。
九州全土の支部・諜報員から上がってくる情報を精査などを行っているメンツが、ここ数週間は別の業務で大忙しとなっていた。
「若殿、お疲れ様です!」
「お疲れ様です!!」
このオフィスを管理している部長がハキハキと出迎えると、同フロアで仕事をしていたスーツ姿の社員たちが業務を中断して立ち上がり、その場で来訪者――空閑徹の方を向いて深々と一礼した。2018年とは思えない光景……と言う訳でもない。経営一族の権力が強い会社では、今でもこのような光景は時々見ることができるし、空閑家もその例に漏れない。
このような場で雇われている人間の多くは、地元で呪術師の一族に生まれながらも呪力を持って生まれなかった者たちだ。呪術界の常識を分かっている人間というのは、呪力の有り無しに関わらず一定の需要があるものである。
「あーいいよいいよ。部長以外は仕事に戻ってくれ」
徹も慣れたもので、最敬礼で微動だにしない社員たちをすぐに解放する。声がかかるまではずっと頭を下げたままな彼らを思うなら、出来るだけ早く自由にしていいと言ってやる必要があるのだ。
「で、部長。状況は?」
「順調です。冥冥殿の協力もありまして、ダークウェブ上の映像ネットワークやカラスを使った招待状の送付が続けられています。最終的な視聴者は全世界で概ね3万人程度になることが推定されます」
彼らは現在、一級術師冥冥の協力・監修のもと、来る大一番の興業化のために動いていた。
空閑徹は五条悟に勝負を挑むに当たり、会場を空閑家側でセッティングすることを要望、悟はこれを了承している。
そこで空閑家の取った方策が、呪術を知る各国上層部や富裕層、世界中の呪術師たちを対象に試合を中継するというもの。
「折角最強決定戦をやるんですから、世界中の人に証人になってもらいましょうよ」という徹の提案を爆笑しながら快諾した五条は、各方面の文句を握り潰して「試合」の環境を整備。
さらに興行化に際してのアドバイザーに冥冥を雇用し、世界中の富裕層や政府高官などの呪力の存在を知っている人間を対象にPPV(ペイ・パー・ビュー)と賭博を開帳。試合の様子は両者の身体に付けた小型カメラと、これまたカメラを装着した冥冥のカラスによって中継されることが決まっている。高専関係者と御三家の呪術師たちには関係者席として専用の中継会場が用意された。
当然ながら、この暴挙は呪術の秘匿への挑戦であり、呪術総監部は顔を真っ赤にしている一方で、既に呪術界の権勢を二分する勢力へと成長を遂げた彼らを止められる者など、最早存在していなかった。
何より。
『良いじゃないか。御前試合とはまた違った趣がある。私からも少し手助けさせてもらおう』
普段は不倶戴天の敵であるはずの「あの男」は、何より面白さを追求する者として、この催しを推進する立場にある。そのことが幸いしてか、総監部の母体となる加茂家の動きが極端に鈍く、悟たちが想像していたよりずっとスムーズに模擬戦の日取りが組まれるに至った。
◆ ◆ ◆
2018年 5月6日(日)。
多くの企業や官公庁などでゴールデンウィーク最終日と位置付けられるこの日、呪術史上最大の決闘が行われようとしていた。
決戦の場には、東京高専の地下最深部、薨星宮が選ばれた。
史上最強クラスの二人の戦いである。余波への警戒はもちろん、民間の計測器に余計な影響を与えて核実験を疑われでもしたら面倒極まりないということで、周囲への影響が皆無で破壊されても再生が容易なこの場が選定されたのだ。なお、諸々の手続きは五条悟(というより、五条家)が行っているが、星漿体が現れたのでもないのに薨星宮が解放される異例の事態となったのは、ひそかに手を回した「あの男」によるところが大きい。
ともかく、2人は50メートルほどの間隔をあけて並び立った。
人間同士の立ち合いとしては距離を取りすぎにも思える。だが彼らにとって、ここは至近距離だ。
「逃げずに来たね」
現代最強の呪術師、五条悟。彼にとって装備品の類は邪魔でしかなく、今日もシャツと袴のようなズボンだけの簡素な装いだ。普段との違いは、最初から目隠しを取って、蒼く輝く六眼が露わになっていることだけ。
「自分から挑んでおいて、逃げはしませんよ」
空閑家初代の再来、空閑徹。軽装の悟とは対照的に、腰には野太刀――特注の現代刀「斬艦刀」――を佩き、バンカラ風に改造された高専制服のあちこちに刃物を隠し持っている。
「最終確認です。"この勝負において、故意の対戦相手の殺害を禁じる"。この縛りをお互いに掛けます」
「別になくてもいーけどね」
「勘弁してください。相打ちにでもなったらどうすんですか」
それはそう、と納得しながら「縛り」に同意する五条。
これで全ての準備が整った。
「初撃は譲るよ。そっちがチャレンジャーだから」
泰然と構える悟に、気負いはない。
だが、油断もない。
少なくとも、ナメたまま圧倒できるレベルの相手ではないと、徹のことを認めているらしかった。
「では、遠慮なく」
徹は既に、秘薬による感覚器のブーストを済ませている。
構えを取ると、音もなく懐やズボンのポケット等からいくつものナイフが滑り出し、悟を取り囲むように浮遊する。
デスマッチではない性質上、極ノ番「辻斬御免」は使えない。
ゆえに、最初の一発に選んだのは、シンプルな一撃。
居合抜きの一閃を見て、何かを感じ取った悟はほんのわずかに身体を反らす。
直後、悟が元居た場所は「飛ぶ斬撃」によってえぐり取られ、悟の前髪がほんの少し切れ、はらりと落ちた。
「――へぇ」
領域展延。
本来、身体を覆うように展開するはずのそれを、身体から離れた攻撃手段にも展開する。
五条悟にも再現できていない、空閑徹のオリジナルのひとつだった。
「余裕こいてるようなら今ので勝負付けようと思ったんですけどね」
澄ました顔で告げる徹を前に、五条悟は目の前の相手の格を引き上げた。