TBSサンモニ出演のジャーナリストが自民支持者を「劣等民族」 立民・米山氏「差別的」
立憲民主党の米山隆一衆院議員は16日、X(旧ツイッター)で、ある日本人ジャーナリストが自民党支持者について「劣等民族」などと表現したとして、「『劣等民族』など…
https://www.sankei.com/article/20240917-EQ4JQNU7CRBQNO67YXH4RW25TQ/
立憲民主党の米山隆一衆院議員は16日、X(旧ツイッター)で、ある日本人ジャーナリストが自民党支持者について「劣等民族」などと表現したことを念頭に、「『劣等民族』などと言う考え方は何であれ極めて差別的で、決してリベラルなありようではありません」とした
ジャーナリストの青木理氏が14日配信の動画投稿サイト「ユーチューブ」の番組で、ジャーナリストの津田大介氏と対談し、「人々はなぜ自民党に投票し続けるのか」との問いに対し、「一言で終わりそう。劣等民族だから」と述べ、2人で笑い合った。
青木氏は元共同通信社の記者。TBSの報道番組「サンデーモーニング」などでコメンテーターとして活動している。
ニセ「左翼」暴力集団
ニセ「左翼」暴力集団 - Wikipedia
この項目では、日本共産党用語について説明しています。そのように呼称される団体については「 日本の新左翼 」をご覧ください。 ニセ「左翼」暴力集団 (ニセさよくぼうりょくしゅうだん)とは、1955年7月の 日本共産党第6回全国協議会 (6全協)における 51年綱領 による 暴力革命唯一論路線 からの転換への反発で、日本共産党支持から離脱して暴力革命路線を継続した 日本の新左翼 ・新左翼党派を指す日本共産党による独自用語。日本共産党用語であり、日本共産党派の人々に使用されている [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] 。「日本の新左翼」にもトロツキー・トロツキストに批判的な人もいたが、日本共産党は「日本の新左翼」全体に「トロツキスト」と烙印を押していた [ 3 ] 。マスコミでは「新左翼」とそのまま呼称することもあるが [ 4 ] [ 5 ] 、「極左」「過激派」「 極左 過激派 」との呼称も用いる [ 5 ] [ 6 ] 。 警察 では「過激派」だけでなく、「 極左暴力集団 」との呼称も用いられている [ 2 ] [ 3 ] 。 日本共産党を含む コミンテルン 系譜の各国の 共産党 は、ソ連( スターリン )の指導を受ける共産党と対立する共産主義者に対し、「トロツキスト」・「 修正主義 」 [ 7 ] ・「左翼日和見主義者」 [ 8 ] などの用語で批判していた。そのため、 1930年代 以降は日本共産党と対立する共産主義者は「 トロツキスト 」または「 トロツキスト暴力集団 」などが使用されていたが、 スターリン批判 以降は「トロツキー」への批判が弱まったことで、1980年代後半以降から日本共産党は新左翼に対するの呼称として「 ニセ『左翼』暴力集団 」や「 ニセ『左翼』集団 」という表現を主に使用している [ 9 ] 。 1950年から旧ソ連からの干渉で党が分裂し、党内主流派となった所感派が、旧ソ連や 中華人民共和国 と連携し、1951年に 51年綱領 を採択し、暴力革命唯一論を取った 火炎ビン闘争 など過激な活動を行った。そのため、日本国民の信頼を失い、1949年に 35人 いた日本共産党の衆議院議員は、 1952年10月の衆院選 で公認候補が全員落選する事態になった [ 2 ] [ 10 ] 。そのため、党内主流派が入れ代わり、国際派が主導権を握った日本共産党は、1955年の第6回全国協議会で、武装闘争路線を「誤りのうちもっとも大きなものは 極左冒険主義 である」と自己批判した。しかし、1955年以降も暴力革命路線継続を訴える人々が日本共産党から離脱し、新左翼となった [ 2 ] 。 1980年代 以降の日本共産党は、以前まで「トロツキスト」と呼んで批判していた 新左翼の党派や集団 (例えば 革命的共産主義者同盟全国委員会 (中核派)や 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派 (革マル派)、 革命的労働者協会 (革労協))に対して、「ニセ「左翼」暴力集団」との用語を使用するようになった。日本共産党は、これらは日本共産党に打撃を与える目的で「共産主義」を偽装する暴力集団であり、権力が影で支援している( 「ニセ『左翼』泳がせ論」 )、と主張している [ 11 ] 。 1980年代半ばまで、日本の マルクス主義 陣営は 、 日本社会党左派 ( 労農派マルクス主義 ) 、 日本共産党 、 新左翼 の3つのグループが存在し、互いに競い合っていた [ 3 ] 。 日本共産党の51年綱領による暴力革命唯一論路線転換以降の「新左翼」への批判的呼称 [ 編集 ] 1950年 に日本共産党内部で分裂した「 所感派 」と「 国際派 」が互いを「トロツキスト」と罵り合っていた。所感派が党の主導権を獲得し、1951年に 51年綱領 を掲げ、日本共産党は暴力革命唯一論路線を取ることを決定し、各地でテロを行った。これは従来の投票層を含めた世論の支持を大幅に減らし、選挙で公認候補が全員落選する事態となった。そのため、 昭和30年(1955年) 7月の 第6回全国協議会 (6全協)で日本共産党が武装闘争方針の放棄を決議した。しかし、日本共産党の路線転換に反発し、暴力革命唯一論を支持する人々は 新左翼 と呼ばれるようになった [ 2 ] 。60年 安保闘争 時は、決してトロツキーの思想の影響下にあったわけではなかった 共産主義者同盟 および 全学連 を「 極左冒険主義 のトロツキスト集団」と非難していた。また、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系= 反スターリン主義 」を標榜する 革マル派 、 中核派 、さらにトロツキズムのみならず レーニン主義 すら否定する 解放派 まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。「トロツキスト」は、口語では(新左翼党派構成員を指して)「トロ」と略されて、下部党員や 民主青年同盟 員の間で一般的に使用されていた。 1980年代 、日本共産党は 不破哲三 の著作『スターリンと大国主義』( 新日本出版社 、 1982年)でレフ・トロツキーの「 ロシア革命 への一定の貢献を認めるようになったため、新左翼党派を指す「トロツキスト暴力集団」から新たに「 ニセ「左翼」暴力集団 」と呼称するようになった。日本共産党が「ニセ『左翼』暴力集団」と名指しするのは、現在でも暴力的な活動を肯定・あるいは行っている中核派、革マル派、 革労協 各派なと新左翼と呼ばれているグループで、現在は暴力を放棄し穏健な活動をしている 第四インターナショナル統一書記局 系各派に対しては、「暴力」の語を外して「ニセ『左翼』集団」としている [ 12 ] 。 日本共産党による類似用語には、「反党脱党者(グループ)」(「 日中友好協会 脱走派」など)や、共産党に批判的な市民運動に対する「反共市民主義」もしくは「 反共 市民運動 」、「中国盲従反党集団」「 毛沢東 盲従集団」( 毛沢東主義 派)、「反党修正主義集団」(親 ソ連 派、 構造改革 派など)、「 金日成 盲従集団」(親 朝鮮労働党 派)などがあるが、これらの用語は現在ではほとんど使用されることはなくなった。 他方、新左翼側も「反革命日共」「スターリニスト日共」「日共スターリン主義」(反スターリン主義党派)、「修正主義・日『共』集団」「宮修(宮本修正主義)」(毛沢東主義党派)などの蔑称を用いている。『共』及び『共産』に括弧(原文では 鉤括弧 )を付けるのは、「日本共産党は共産主義党派ではない」という意味を込めてのものである。 また、他党派間による類似の用語には、コミンテルンによる 社会ファシズム論 、革マル派による「権力謀略論」や「権力の走狗論」、中核派による「ファシスト・カクマル」 [ 13 ] や「 KK連合 」、革労協による「 社会帝国主義 」論、 労働の解放をめざす労働者党 による「 国家資本主義 」論などがある。 日本共産党からひとまとめに「ニセモノ」とされている新左翼党派の日本共産党への態度はまちまちである。中核派、革マル派は全面対決姿勢を採っている。革マル派は機関紙「解放」で毎号のごとく日本共産党を激しく攻撃、批判の急先鋒である。中核派も極めて批判的であるが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%80%8C%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%80%8D%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E9%9B%86%E5%9B%A3
暴力革命路線継続した日本の新左翼・新左翼党派を指す日本共産党による独自用語。
中核派、革マル派は全面対決姿勢を採っている。革マル派は機関紙「解放」で毎号のごとく日本共産党を激しく攻撃、批判の急先鋒である。
閲覧数:33回 ·
回答者の紹介
コンテンツの閲覧数: 92.2万回今月: 1.4万回
1件のスペースでアクティブ
参加日: 2020年12月