<100年の残響 昭和のうた物語>(1)
「昭和100年」。来年は、その節目となる。大戦をはさみ、焼け跡から高度経済成長を経てバブル景気の中で終焉(しゅうえん)した激動の昭和とはどんな時代だったのか。多くの人の耳に残る、あの歌の物語を通して、今に伝えるメッセージを、月に1回探っていく。初回は、「リンゴの唄」について。
「昭和100年」。来年は、その節目となる。大戦をはさみ、焼け跡から高度経済成長を経てバブル景気の中で終焉(しゅうえん)した激動の昭和とはどんな時代だったのか。多くの人の耳に残る、あの歌の物語を通して、今に伝えるメッセージを、月に1回探っていく。初回は、「リンゴの唄」について。
「赤いリンゴに唇よせて…」。誰もが知る「リンゴの唄」の出だしだ。しかし「最初に渡された歌詞は違っていた」という証言がある。この曲を歌った並木路子さん(1921~2001年)が残した言葉だ。
日本歌手協会理事長で並木さんと親交の深かった合田道人さんが聞いている。渡された1番の歌詞は。
「リンゴ畑の香りにむせて 泣けてもくるよな喜びを 若さにぬれてる リンゴの瞳 乙女の希望が光ってる リンゴ可愛(かわい)や…」
「リンゴの唄」が世に出たのは、戦後間もない1945年10月に公開された映画「そよかぜ」の主題歌としてだ。この映画の中では「リンゴ畑の…」が3番の詞として歌われている。
「並木さん自身は戦後の復興を考えると『泣けてもくるよな』という出だしの方がしっくりくると言っていました。でも作曲の万城目(まんじょうめ)正先生が、1番は『赤い…』の方が良いというので差し替わったと明かしてくれました」(合田さん)
映画公開から2カ月後のレコード制作では「リンゴ畑の…」のフレーズは削除され、現在の音源としては幻の詞となっている。
一方で、作詞のサトウハチローさんは音楽雑誌の取材で、自分の書いた1番は、現在の2番「あの娘よい子だ 気立てのよい娘…」だったと回想している。その上で「万ちゃん(万城目さん)が(赤いリンゴに…を)1番にしたのだ。いま思えば、これでよかった」と語った。
並木さんとサトウさんの証言に食い違いはあるが、出だしをどうするかで試行錯誤があったのだろう。確かなのは、本来1番ではなかった「赤い…」が万城目さんの強い要望で、歌い出しになったことだ。
「万城目先生は、この歌は明るくなくてはいけないと考えていた。そのためには、口を大きく開ける母音の『ア』で歌い出す方がいい。並木さんは先生から、そう聞いたそうです。それに、『赤いリンゴ…』のフレーズは『だまって見ている青い空』と続く。色が鮮やかなんです。暗闇のようだった戦争...
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