女性の「怖い」が社会を壊す
現代日本においては女性の男性に対する「怖い」は、社会からあらゆる配慮を引き出せる魔法の言葉である。実際東京大学は「女子学生は満員電車が怖いから」ということで女子学生限定の家賃補助を開始し、東京科学大学は「女子学生は男子学生が多くて怖いだろうから」ということで女子枠や女性専用休憩室を用意し、企業でも「女性はオートロック住宅じゃないと怖いだろうから」ということで家賃補助を多くしたり、行政も「女性の労働における怖いを軽減したらお金あげる」と女性活躍推進助成金を始めている。
こうした「怖い」は上記のような公的領域だけでなく私的領域に対しても有効であり、女性は「怖い」を口実に「デート後に連絡ぶっちされてもソレは怖がらせた男性側に責任がある」「エレベーターで男性と2人きりになるのは怖いから男性は女性がいたらエレベーターから降りるべき」「男性が隣に座ると怖いから男性は女性の隣に座るべきではない」と男性に様々な配慮を要求している。
防犯観点でエレベーターで二人きりにならないようにすることの正当性が、また証明されました。もちろん強要するつもりはありませんが、男性側にも配慮をお願いしたいところです。特に駆け込みで割り込むのは、デリカシーに欠けた行為であると自覚していただきたいです。https://t.co/eF9CELZbuN https://t.co/nz3YUEDeRi pic.twitter.com/AzIhjOAKlc
— 新藤加菜🐶港区議会議員🇯🇵無所属 (@kanashindo) August 24, 2025
このように性暴力が歴史的な低水準に達するほど、女性が性暴力を理由に様々な配慮を要求し、性暴力の定義を拡大し始めるのは実は人類史においては既に何度か通った道だ。その代表例が米国の歴史において人種的抑圧の道具として機能した「黒人レイプ神話」である。というかいつの時代も、ある属性への差別や排除は常に「脅威となる他者」の構築、それに伴う「脆弱な集団」の保護という訴え、そして解決策としての「隔離の導入」という形で行われてきた。まずは黒人レイプ神話についておさらいしよう。
女性の「怖い」で殺された黒人達
南北戦争後の時代は南部白人社会にとって深刻な社会的、政治的、経済的混乱の時代であった。奴隷制の廃止は、それまでの人種的ヒエラルキーを解体し、黒人男性を労働市場における競争相手、そして政治的アクターとして登場させた。このような状況下で生まれたのが「白人女性に欲望を抱く、過剰に性的な捕食者としての黒人男性」という物語だ。1915年に公開された米国初の長編映画である「国民の創生(Birth of a Nation)」は、奴隷制解放により黒人は白人女性に求婚しまくるようになり、遂には白人女性を自殺に追いやってしまう。これに激怒した白人達は白い布を被ってKKKを組織して黒人男性をリンチしたり殺したりして、南部の混乱を収拾するという話である。黒人レイプ神話がどういうものでどの程度受容されたかは、この映画の筋書きと世界的大ヒットが答えだ。
このレイプ神話は自然発生的な集団ヒステリーではなく、意図的に構築され、武器として利用されたイデオロギーであった。この神話は白人による支配を3重の意味で達成する目的を持っていた。すなわち黒人男性を支配し、黒人女性への性的アクセスを維持し、そして自らの性欲を満たす為だ。白人男性は悪しき黒人男性をボコして白人の女性を気を惹き、白人女性はボコされる黒人男性を見て披愛妄想と負の性欲を満たす…黒人男性は彼等の大人のオモチャとしても利用されていたのだ。
まず単純な事実としてKKK構成員はモテた。そもそも1920年代のKKKのスローガンは「白人女性の保護」である。そして彼等は女性の「怖い」を号令にリンチ対象を無制限に増やしていき、アフリカ系アメリカ人だけでなくカトリック教徒、ユダヤ人、移民全体にまで拡大した。これらの集団すべてが、白人女性の身体的・道徳的純潔に対する脅威として結びつけられたのである。
このレトリックは生々しい性欲を1見すると高潔で騎士道的な「聖戦」へと昇華させる強力な装置であった 。クランのメンバーは、自らを憎しみに満ちた攻撃者としてではなく、自らの家庭、家族、そして文明そのものを守る正義の擁護者として認識することが出来た。女性の保護という大義名分は、リンチや放火、拷問といったあらゆる暴力行為を正当化するための究極の口実となった。彼らの暴力は、もはや単なる犯罪ではなく、神聖な義務の遂行と見なされた。クランのパレードで掲げられた「純粋な女性を守れ(Pure Womanhood)」といった旗は、このイデオロギー…男性の騎士道と女性の「私にだけ優しい(比喩抜きで)殺人鬼が欲しい」という性欲が運動の中心にあったことを明確に示している。
https://americainclass.org/sources/becomingmodern/divisions/text1/colcommentaryklan.pdf
こうした活動に女性は当然上の口も下の口も湿らせた。「Women of the Ku Klux Klan」は1923年6月10日にアーカンソー州リトルロックで公式に設立された文字通りの「女性バージョンのKKK」である。WKKKの成長は驚異的であった。設立からわずか数ヶ月で、組織は会員数25万人を公称し、全米48州すべてに支部を設立したと主張した。最盛期には会員数は50万人に達したと推定されている。女性が彼等に如何にお熱であったか?は説明不要だ。
彼女達はリンチや放火には直接的に関与しなかった。しかし彼女達は単に男性KKKの補助的な存在では決してない。むしろ彼女達は「影の操り手」としてKKKの思想を浸透させるうえで極めて強力な役割を果たしていた。WKKKは、リンチのような直接的な暴力にはほとんど関与しなかったが、その代わりに以下の様な形で社会に多大な影響を与えた。
・政治的な影響力:
反KKKの政治家に関する悪い噂を流したり、KKKを支持する候補者を応援したりした。
・社会への浸透:
慈善活動や地域のイベントを通じて、KKKの価値観をコミュニティに広めた。
・女性へのアピール:
当時、新たに選挙権を得た白人女性に対し、「女性の権利向上」を訴えかけることでメンバーを増やした。
・黒人男性の悪い噂:
クレーグルズと呼ばれる活動員はKKK支持がそれほどではない地域を訪ねると、白人女性に向けて黒人男性を警戒するように呼び掛けた
特に1番最後の「クレーグルズ」に関しては注目すべき点が沢山ある。クレーグルズは「klan」と「eagle」を組み合わせた造語であり、プロの有給勧誘員またはオルガナイザーを意味する。彼女達はKKKの新会員が支払う10$の入会金の1部を歩合として受け取ることが許されていた。彼女達の主要戦略はブロックリクルートメント…既存の組織やグループを丸ごと勧誘する手法であった。WKKKのクレーグルは、プロテスタント教会の婦人会、フェミニスト団体、Ladies of the Invisible Eyeのような愛国的な女性団体を標的とし吸収していった。その吸収方法は主に「黒人や移民に対する警告喚起」と「虚偽告発」の2種類である。
クレーグルは最初は地域の振興会…ピクニック、フェスティバル、カーニバル、そして「アメリカニズム」をテーマにしたページェントなどを開催し、家族連れを惹き付けた。こうした催しは表立って「黒人男性をリンチせよ!」と叫ばないものの、「娘さんは可愛いので気を付けて」「あそこの夜道で女性が襲われた」「黒人に襲われた時はいつでも頼って」等と相手を気遣う・心配する体で黒人男性に対する偏見を埋め込んだ。そしてこうした地域は、それまで黒人や移民と仲良く…とまでは行かずとも表立って問題が起きてなかったのに、女性の不安感が増していき、そういった事件が報告されるようになっていく。
勿論こうした悪意を隠した巧みな手法であっても、その欺瞞を指摘し、またKKKの活動を弾劾するものもいた。また黒人男性を庇う者、クレーグルが来てから急に性被害報告が多発した不自然さを指摘する者も当然いた。彼女達がこうした批判者を黙らすのに使った手段が虚偽告発だ。
クレーグルはこうした反発に対し「毒殺部隊(poison squads)」とも呼ばれる噂のネットワークを組織し、KKKの敵と見なされた政治家や地域住民の評判を貶めた。黒人男性を庇う者には「黒人と1緒に私を強姦しようとした!」と告発し、組織の指導者なら「あそこのメンバーは性的倒錯してる!」と訴え、カトリックの神父なら脱走した修道女を装って「教会で強姦され命からがら逃げてきた」と訴えた。なかでもカトリック神父に関する虚偽告発は講演旅行まで行ったことが記録に残されている(KKKはプロテスタントの団体である)。
https://www.amazon.co.jp/-/en/Kathleen-M-Blee/dp/0520072634
クレーグルの真の影響は、単に会員を登録させたことにあるのではない。その本質は、地域社会の中に「自己増殖する憎悪のインフラ」を構築した点にある。個人の勧誘は線形的な成長しか生まないが、「ブロックリクルートメント」はネットワーク全体を吸収し、指数関数的な成長をもたらす。ピクニックや慈善活動といった社会的なイベントは、組織の存在を日常に溶け込ませ、そのイデオロギーを許容可能、更には魅力的に見せる。これにより新規参入の障壁が著しく低下する。そして黒人男性への警告喚起や虚偽告発は、クランの世界観への同調を促し、異論を罰する強制システムを創り出す。つまりクレーグルは単に名簿に名前を加えていたのではなく、クランのイデオロギーを町の社会的、経済的、政治的な基盤そのものに織り込んでいたのである。彼女たちは教会を勧誘センターに、食料品の買い物を経済戦争の1環に、そして近所の噂話を政治的な武器に変えた。この社会への深い統合こそがWKKKの影響力が組織自体の衰退後も長く、そして広範囲に及んだ理由を説明している。
またリンチに直接的に加担しなかったが、KKKをより過激な暴力活動へと扇動したのも女性である。
リンチに対する表立った最も衝撃的な弁護はフェミニスト活動家によるものだった。というより当時は幾ら黒人差別が酷かったとはいえ、表社会で堂々と「リンチは正当!」と訴えようものなら社会的死は免れない。というより、だからこそKKKは白い布を被って身元を隠さなければならなかった。しかし女性は違う。女性は男性と違い「怖い」を理由に堂々と黒人に対してヘイトスピーチを行うことが半ば黙認されていた。例えばジョージア州選出の長年の下院議員ウィリアム・ハレル・フェルトンの妻であり政治的パートナーであったレベッカ・アン・ラティマー・フェルトンは、進歩主義時代の最も著名で高く評価された女性の権利活動家の1人で女性参政権、同1賃金、その他多くのフェミニスト運動の提唱者であり、1922年にはジョージア州選出の上院議員に1日限りの任命を受け、米国上院議員となった初の女性となった社会的地位の非常に高い女性である。その米国でもトップクラスの社会的地位と影響力を有する彼女はリンチを声高に主張した。
「罪に対する10字軍を組織するのに10分な宗教が説教壇になく、犯罪を速やかに処罰するのに10分な正義が裁判所になく、無実と美徳を保護するのに10分な男らしさが国に無い時、女性の最も大切な財産を貪欲な人間(有色人種)という獣から守るためにリンチが必要なら、私はリンチしろと叫ぶ。必要なら週に1000回でも」
(When there is not enough religion in the pulpit to organize a crusade against sin; nor justice in the court house to promptly punish crime; nor manhood enough in the nation to put a sheltering arm about innocence and virtue—if it needs lynching to protect woman’s dearest possession form the ravening human beasts—then I say lynch, a thousand times a week if necessary.)
彼女達が如何にKKKにメロついていたのか?如何にリンチを黄色い声をあげて扇動してたか?は、所謂「私人逮捕系配信者」の登場で現代でも容易に想像がつくモノになってしまった。
こうした風潮を終わらせた…正確にはまだ続いているのだが、とりあえずある程度落ち着かせたのがアイダ・B・ウェルズとエメット・ティルであった。
ジャーナリストであったアイダ・B・ウェルズは、新聞記事や統計を用いてリンチ事件を体系的に調査・記録し、レイプという口実がいかに欺瞞に満ちたものであるかを暴いた。彼女のパンフレット『南部の恐怖』や『赤い記録』は、この人種的暴力に対する痛烈な告発であり、如何に白人女性が出し得技感覚で性被害の虚偽告発を行うかを知らしめた。
そして女性に口笛を吹いた(とされる)事を理由に凄惨なリンチ殺人を受けて死んだ14歳のエメット・ティルの写真が全世界報道された事で、黒人差別に関する風向きは変わっていく。詳しくはコチラ
特権の為に作られる性被害
女性の「怖い」は令和における日本でも相変わらずに差別のツールとして機能している。女性が男性に対して使う論理は決まっていつも次のようなものになる。「タイプXの犯罪の多くは、人口統計Yの人々によって犯されている」という主張(真偽は問わない)を取り上げ、この主張から「人口統計Yの人々がXの責任を負う」と推論するよう求めるのだ。
これと男性の女性に対する性暴力の結びつきが如何に強力であるか?は想像に難しくない。例えば2001年にイスラム系組織アルカイダによって911で知られる同時多発テロが起きた際、英国国民党は冷静に「全てのイスラム人が危険なわけではない」と主張し、イスラム系の人々に早まった言動をしないよう国民に呼びかけた。
しかしパキスタン人を中心とするギャングが、英国の幾つかの街で10代の少女を性的搾取し、当局があまり熱心に調査していなかったことが明らかになった際は彼等を「イスラム教徒レイプギャング(Muslim rape gangs)」と名称をつけ、国民に早まった行動をするように呼び掛けた。女性に対する性暴力は、他のどんな問題よりも感情を煽り、暴徒化を促す温床となることは否定しようがない。
勿論運動家や活動家、そして特権を要求する女性個人がこんな強力な武器に手を伸ばさないわけがない。フェミニストは自分の利益を拡大させる為に、性暴力を2次的な目的を達成するための手段として利用し始めた。実際ジェンダー学における女性問題の名称の変遷がソレを物語っている。最初期に「女性に対する暴力(Violence against women)」とされた問題は、次に「ジェンダーに基づく暴力(gender-based violence)」に名称が変わり、今は「性とジェンダーに基づく暴力(sexual and gender-based violence)」となっているのだ。
日本におけるレイプは右肩下がりの傾向にある。1方で猥褻は急増したり急落したりと極端な変化を描いている。この理由は猥褻は裁判によって新たな「犯罪」が誕生する事にある。
そして2023年に不同意性交等罪により新しいレイプが作られた結果、レイプ件数は2022年1655件から2023年2723件に急増し2024年には3936件に達した。狭義の性暴力が歴史的な低水準に達する1方で、女性達は性暴力の定義を拡大し続けているのだ。
https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/boryoku/siryo/pdf/bo126-s-4.pdf
また性暴力を盛松や嘘松で水増ししてもいる。
ハッキリ言ってしまえば、彼女達は性暴力を心から愛し求めているのだ。勿論物理的な苦痛や精神的な屈辱そのものを欲しているわけではない(ここに関しては後述)。彼女たちが渇望しているのは、性暴力の「被害者」という地位に付随する、絶大なる社会的権力と道徳的優位性である。性被害の訴えは、現代社会において最も強力な武器の1つと化した。それはあらゆる反論を封殺し、相手を社会的に抹殺し、そして自らには無限の配慮と特権をもたらす「聖なる剣」なのだ。
近代の魔女狩りとしての「痴漢冤罪」と「#MeToo」
この「聖なる剣」が如何に無慈悲に振るわれるか、その惨状を最もよく表しているのが「痴漢冤罪」の問題である。満員電車という密閉空間において、女性の「痴漢です」という1言は、事実上の確定判決として機能する。その言葉が発せられた瞬間、周囲の「正義の市民」は思考を停止し、男性を犯罪者として断定し、捕縛という名の私的リンチに参加する。法廷で無罪を勝ち取るには、絶望的な時間と費用、そして社会的信用の失墜という取り返しのつかない代償を払わねばならない。男性が自衛のためにできることは、両手を上げる、女性のいない車両を選ぶといった、あたかも自らが潜在的な加害者であることを認めるかのような屈辱的な行動のみである。これはかつて黒人男性が白人女性とすれ違う際に道を譲り、目を伏せることを強いられたのと何が違うというのだろうか?
更にこの構造はSNSの登場によって「#MeToo」運動という形で全世界的に拡張された。告発はもはや密室や法廷で行われるものではなく、全世界に向けてリアルタイムで発信されるようになった。1度「加害者」として名前が挙がれば、その情報の真偽が検証される前に、その人物は職を失い、家庭を壊され、社会から抹殺される。これはまさにKKKが噂と暴力で黒人コミュニティを支配した手法のデジタル版である。「毒殺部隊(poison squads)」は今やインフルエンサーや、それに同調する匿名の群衆へと姿を変えた。
「保護」の名の下に行われる男性の奴隷化
この1連の動きが目指す最終的な社会像は最早「女性優遇」等という生易しいものではない。それは「保護」という名の支配であり、男性の「奴隷化」である。
空間的隔離:
「女性専用」の空間は、住居、車両、休憩室にとどまらず、今やあらゆる領域に拡大しつつある。これは、男性を「不潔で危険な存在」として社会の主要な空間から排除し、隔離する動きに他ならない。かつての「白人専用(Whites Only)」の看板が、「女性専用(Women Only)」に置き換わっただけである。
経済的搾取:
女性活躍推進助成金や、女性限定の家賃補助といった制度は、男性が納めた税金や、男性が生み出した企業の利益を原資として、女性に再分配するシステムである。男性は自らを危険視し、排除する社会構造を維持する為に経済的に奉仕することを強制されている。
精神的支配:
男性は常に、自らの言動が女性を「怖がらせ」ないか?「不快に」させないか?という自己検閲を強いられる。視線、言葉遣い、物理的な距離、その全てが告発の対象となりうる。この絶え間ない緊張は男性から自発性と尊厳を奪い、女性の感情を最優先に行動するようプログラミングする精神的な首輪となる。
このように、現代日本における女性の「怖い」という言葉は、かつてレベッカ・フェルトンがリンチを煽動した言葉と全く同じ機能を果たしている。それは1見すると弱者の保護を訴える高潔な叫びのように聞こえるが、その本質は、特定の属性(現代では男性)に対する憎悪を煽り、社会的暴力を正当化し、自らの権益を確立するためのプロパガンダである。
女性の「怖い」は無垢な感情の吐露ではなく、男性という「他者」を社会的に抹殺し、自らの権益を最大化するための、冷徹な計算に基づいた宣戦布告なのである。
しかしエメット・ティルの写真がリンチの凶暴性を暴いたように、2022年から解禁されたフェミニスト研究によって女性が如何に性暴力を欲望してるか?が解明されつつある。女性の「怖い」は上述のように、女性にとって莫大な利益をもたらすが、それとは別にこうした動きは所謂「負の性欲」と「披愛妄想」によって駆動されること、そしてどのような脳がこのような認知を作り上げるか?また忍耐が脳の構造を変えるか?が明らかになってきたのだ。
「負の性欲」の解体
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購入者のコメント
10読むたびに現下の事態を直視せざるを得ず、絶望感の溢れる良い記事である。
文中にあるアディクションに関連した話だが、例えばアルコール中毒者に言われるがままにお酌したら、当然依存症は悪化し、それに伴う暴力などもエスカレートしてしまう。
このように濫用行為や虐待(英語だとまとめて「アビューズ」の一語である)を幇助してしまう者をイネイブラーと言うが、今の日本は国を挙げて女性の権力濫用をイネイブリングしているのであり、いまそのような権力を甘受している我々は、ある意味で共犯者ですらあるのだ。
自己承認の欠如や自己愛傾向など部品は知っていたけれ統合的な話が読めて楽しかったです!
以前、フェミは○ンポを入れたら治るという話が出回りましたが、これも他者からの強力な承認と解釈できそうです。
発生数からして異常な形質というわけでもないのかもしれません。これをどう飼い慣らして家畜化するのかが課題となるのでしょうね
実に興味深い内容でした。
日本における日本人男性は米国における黒人男性よりも人口に占める割合が大きいので、本文のような女性の性質が男性の間に広まれば数の力で女性を適正な待遇に戻すことは可能かもしれませんね。
いずれ世界的にフェミニズムへのバックラッシュが起きることでしょう。さもなくば、人類は滅ぶ。
絡み合う因子同士の関係が立体的に総覧できる良記事でした。
これに対抗するにはまず人間観の刷新が必要なのかな。
一つの人格が特定の時に一つの感情を持っている。
このシンプルな人間理解は社会を円滑に回す省力化にはなりますが、
女の「怖い」には同時に複数の快楽が付随することを発想できない。
女が怖いと騒ぐのは自己愛を満たすための儀式だ、
くらいは早いところ一般常識になってもらいたいですね。