Early Bird

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Early Bird
@41isyoichi
中高で英語を教え、大学で英語科教育法と受験英語指導研究を講じてます。教員研修会講師。文科省高校検定教科書 FLEX (増進堂)執筆者。NHKラジオテキスト英文法コラム元執筆者。『英語教育』(大修館書店)など専門誌へ寄稿多数。共著に『夢をかなえる英文法 ユメブン1』(アルク)。未来塾()主宰。
Joined December 2017

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[THREAD] 私は、生徒たちに教える過程で目について気になったり、生徒たちから出された疑問点につき調べたり考えたりした事柄を、都度、まとめています。それをツイートで共有させていただき、他の方々のお役に少しでも立てば、との思いで続けております。授業や生徒たちから教えられている思いです☺️
ネイティブスピーカーが文法を知らなくても話せるのは鳥が物理学を知らなくても飛べるのと同じだ、という表現は言い得て妙だと思います。
以前、言語学者の金田一秀穂氏がある雑誌で述べていらした。読み返す度、巧みな比喩だと思う😳 「人が世の中のものを見て言葉にする場合、語彙はデジタルカメラの画素数と考えればいい。同じ風景を撮影する場合、200万画素よりも500万画素のデジカメの方が、より正確に、より美しく表現できます。」→
1890年代にドイツの専門家が着手して125年。ようやく「文字R」まで来た。しかも難しい語の多い「Q」と「N」は手つかずだ。「編集に携わる多くの専門家は、自分が完成を目の当たりにすることはないだろうと思っている」ー 言葉も出ない…壮絶な事業。執念の完成を強く祈りたい。
現在でこそ英語は国際語と言われるほど強力な言語だが、たった400年前には、英語には文法書1冊なく、綴り字はめちゃくちゃ、語彙は貧弱だとして、英語は野蛮な言語として大陸の人たちに軽蔑されていた。大陸の人たちだけでなく、イギリスの識者も母国語(つまり英語)に対する劣等感に悩まされていた。
命令文に please を付けるのは、「話し手」の利益になる場合です。したがって、 ・Please take three pills after each meal. などは不自然、というのも、食後に薬を飲むのは「聞き手」の利益だからなのですね。この場合、please なしで次のように言います。 ・Take three pills after each meal.
p. が page を示すのに対し、pages は pp. になる。l. が line を表すのに対し、lines は ll. になる。このように頭文字を重ねるのは、その名詞の複数を示すラテン語の略字の習慣による。その他、section が § に対し sections は §§、paragraph が ¶ に対し、paragraphs は ¶¶ なのにも注意したい。
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→「語彙もそれと全く同じです。1万の語彙よりも3万の語彙を持っている方が、はるかに精密に、正確に言わんとすることを伝えられます。」 日経ビジネスアソシエ 2007年9月4日号
人の話している言葉や内容が「さっぱりわからない」ことをチンプンカンプンと言いますが、英語では It's all Greek to me. (私にとってはギリシャ語だ) と表します。ふと思い立ち、他の言語でどう言うかを添付画像にまとめてみました。
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以前、言語学者の金田一秀穂氏がある雑誌で述べていらした。巧みな比喩だと思う😳 『人が世の中のものを見て言葉にする場合、語彙はデジタルカメラの画素数と考えればいい。同じ風景を撮影する場合、200万画素よりも500万画素のデジカメの方が、より正確に、より美しく表現できます。」→
以前、言語学者の金田一秀穂氏がある雑誌で述べていらした。巧みな比喩だと思う😳 「人が世の中のものを見て言葉にする場合、語彙はデジタルカメラの画素数と考えればいい。同じ風景を撮影する場合、200万画素よりも500万画素のデジカメの方が、より正確に、より美しく表現できます。」→
外国語を学ぶ際、学習者は本質的に新しい表現を生み出すことはほぼできませんから、コロケーションやセットフレーズ、イディオムや構文を暗記していつでも繰り出せるようにしておくことが重要、のちに大きな力になります。『英語コロケーション辞典』(ジャパンタイムズ)が一覧性があって便利です。
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随所に日本語との比較あり、話し言葉で書かれているのも親しみやすい。文強勢とイントネーションに紙幅の約半分が充てられているのが嬉しい。俗耳に入りやすいキャッチーなフレーズが帯に踊るが、必要な原理や仕組みの説明はきちんと記されている。しっかりした中身の、配慮の隅々まで行き届いた好著😊
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実用語学にも長け、ドイツ語の教授に人生を捧げた関口存男が残した言葉、本当に深い…😳
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接続詞の or が other の縮約形だと知ったときは本当に驚きました😳 (添付画像、左手は大修館書店『スタンダード英語語源辞典』(p.356) から、右手は研究社『英語語源辞典』(p.996) より採らせていただきました。)
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一説によると、英語で coast は「陸上から見ての海岸線」を、shore は「海上から見ての海岸線」を、それぞれ意味し互いに対応するといいます。これは同じ絶壁でも「下から見上げる絶壁」は cliff で、「上から見下ろす絶壁」は precipice と言われるのに似ていて、たいへん興味深いと感じます😳
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単語と単語の間には特別な「相性」がある。こうした慣用的な結びつきをコロケーション(collocation)と呼ぶが、これを正しく学ぶことは英語らしい英語を書く(話す)上で大切だ。単語を覚える際にどんな単語と結びつき「連語」を構成するか意識していくと後に大きな力になる。添付画像の書籍、おススメ😊
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had to は「何々しなければならなかった」の意だが、多くは「何々しなければならなかったので、そうした」の意まで含む表現だ。よって、「昨日早く起きないといけなかったけど、起きなかった」という日本語を次のように英訳すると不自然になる。 ? I had to get up early yesterday, but I didn't.
盲点かも⚠️ 「大人になったら何になりたい」に if を使うことはできない。if を使うと「大人にならない可能性がある」ことを暗示してしまうからです。こういうときは when を用いて表します。
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語彙を豊かにすれば、綴り字を統一すれば、何より規範的な文法を手にすれば、それまでの言語的劣等感から抜け出すことができるのではと彼らは考えた。こうして16世紀以降、イギリスで散発的に文法書が書かれ始める。200年ほど試行錯誤の時期が続き、18世紀後半の約40年間に英語は急速に安定を迎える。
こちら、いわゆる五文型の「原型」が英国で誕生・発達・消滅した経緯と、いわゆる五文型の日本における本格的な導入・普及の経緯、日本における本格的な導入・普及に大きな役割を果たした存在、また学習指導要領への導入に歴史に関する論考。
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盲点かも⚠️ 家を買うのを止めた (断念した)」という日本語を英訳する際、まだ買うという行動はとっていませんので (✕)I gave up buying a house. とは言えません。 (◯)I gave up the idea of buying a house. などと表現します。けっこうこの誤りは多いので注意が必要です。
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英語では「まともなこと」が表現できない。この「まともなこと」というのは、古典文学が表現しているような知性を指す。イギリスの島で再び古典文化が花開くルネサンス以降、イギリスの識者たちは英語もラテン語のような雄弁な言語になってほしいと考え始めた。
[THREAD] 慶應大学の堀田隆一先生が運営されている「hellog~英語史ブログ」は日頃から多くを学ばせていただいているウェブサイトです。時・条件の副詞節における will の不使用について、以前開放されていた質疑応答欄でのやりとりに興味を引かれました。
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成功する人の「マジックワード」で、まいとし教え子に伝えている内容ですが、高校生に限らず、何かを学ぼうとしている人たち全般に伝えたいポイントです。このマジックワードを自ら言えるかで事態は本当に大きく変わっていくと実感しています。
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盲点かも⚠️ must を使って表せるのは「いま現在」の状態に関する話し手の確信です。「これから先」の予測は表せない点に注意。
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より正確に、より早く英文を読めるようになるには、文法的、意味的に複雑な文に出会った際、正確な文構造に基づいて適切に文意をとれる力が不可欠。文構造を正確に把握し、指示された部分については適切な日本語で和訳できる力を磨いてほしいとの思いで『英文読解の透視図』を一括採用したことがある。
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生徒の英語学習のある段階で、既習の単語を用いて語形成の大略の説明を与えることは、将来の英語学習に有益だと感じます。英語の経験を重ねていくうちに自然に身についていくのが単語の知識ですが、その形式を明示的な形で示し、指導しておけば、その効率はより大になると考えています。
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現在でこそ英語は国際語と言われるほど強力な言語だが、たった400年前には、英語には文法書1冊なく、綴り字はめちゃくちゃ、語彙は貧弱だとして、英語は野蛮な言語として大陸の人たちに軽蔑されていた。大陸の人たちだけでなく、イギリスの識者も母国語(つまり英語)に対する劣等感に悩まされていた。