最近の提督達、シール好き過ぎじゃない?への続き

こちらの続き。


前回の記事では言及できなかった「じゃあどうすればいいのか?」という部分について

あの記事ではシール勢に改心を求める形で締めていましたが、最後に書いたように特に意味があるとは思っていません。それで変われる人間はあそこまで拗れたりしないでしょ。
(実際、今回のシール集め問題に対する反応を見ていると、アレな集団に近い人ほどまるで自分達が善良な人間であるかのような反応をしている傾向が見られていてなんだかなあと。)


前回は論旨がブレるので敢えて触れませんでしたが、せっかくなので今回は「シール偏重の空気感への対抗策」について少し掘り下げてみたいと思います。


シールの功罪


前回の記事ではすっかり抜け落ちていた部分、「このシール偏重の空気を退けるにはどうすればいいのか?」という本題の話をする前に、まずは言及しておきたいことがあります。それは、「シールは悪い文化なのか?」という点です。

これについて結論から述べておくと、僕はシールを配ること自体は悪いことだとは思っていません。したがってシール勢(シールを集めることに執心する人達)への対抗策として真っ先に思い浮かぶであろう、「そもそもシールなんか無くしてしまえ」という意見に対しては消極的に反対の立場を取ります。それはやるなら最終手段くらいにしておきたい。

あの記事に対する反対寄りの意見としてよく見られたのが、「楽しみ方は人それぞれ」「自分はマイペースに集めているしそういう楽しみ方があってもいい」というものですが、これについては僕も同意します。常識的な範囲であればイベントを楽しみつつシールを集めるというのも問題なくできると思います。
僕はシール集め自体を否定しているのではなく、それに執着するあまり無自覚に敬意のない言動をしている人達やそれ以外を楽しむことが疎かになっている人達を馬鹿にしているだけです。



先般はシールがあることによって生じる問題点について述べました。公平を期すため、今回はシールが持つ功罪の”功”の部分にスポットライトを当ててみたいと思います。


シールによって生じる縁


何だかんだ言ってシールの話題は汎用性が非常に高いです。僕らは艦これという共通言語を持ってはいますが、年に2回程度やるイベント期間中でも無い限り、ぶっちゃけ平時のプレイで話すことなんてあんまりないでしょう。それ以前にゲーム自体はもう引退した人やAC専門の人だっています。
僕らはいうほど艦これの話題で盛り上がれない。


その点、シールは共通の話題としてかなり優秀です。リアイベやカレー機関に行けばだいたい皆に配られているし、ランダムなので人によって所有状況が異なります。僕もよくやるんですが、カレー機関でシールが配られて少し経ったくらいに「シールどんなの出ましたー?」とでも話しかければ初対面でもそれなりに会話が成立します。
言うなれば、リアイベ界隈においてシールは天気の話題くらいの位置づけにあるといってよいでしょう。

※ちなみに、僕が日常会話で天気の話を振るのは「ちょっと今からお話しませんか?」くらいの意であって別に本気で今日の天気の話がしたいわけではないのだけど、そこで今日の気温や降水量について嬉々として語り出す、みたいなことをやってくるのがカレー機関でよく遭遇するシール勢だったりする。オタク君さあ……。


さらに、シールはお互いに交換することもできます。自分の所有物をやり取りするというのは相手との心理的距離感を縮めるにはきわめて有効です。しかもそれで相手から感謝されちゃったりもする。シールは初対面でアイスブレイクを図る際の強力なコミュニケーションツールになり得ると考えています。

このように、一応シール自体は活用しがいのある要素も秘めており、こと内向的な人(僕含む)が多いオタク系界隈においては有用な側面の方が強いと思います。それに、他のリアイベ系オタクジャンルでこういったことをやってるコンテンツってあまり聞かないですし。
(アズレンが秋葉原とコラボしたときにコラボ店がシールを配ってたのを見たくらい)

まあ別に無くてもいいんですけど、せっかくの艦これ独自色の強い要素を安易に潰すのはあまり良い手ではないと思う次第です。


余談ですが、シールが前述のような効用を発揮するのは皆が個人ではシールをコンプできないことが前提となります。個人でコンプできるなら交換する動機も無くなるので当然ですよね。

特にカレー機関では、本来は一枚だった元絵を複数枚に分割してシールにする通称「エクゾディア」や、図柄の背景や拡大率を変えただけで実質同じ絵の「差分」と呼ばれるシールがよく出されています。
こういったシールが出される傾向について(主にシール勢を中心に)批判的に語られることも多いのですが、上記の前提を踏まえて考えるとそのようなシールを混ぜて水増しすることに一定の合理性があることが分かりますね。


さらに余談として、例の舞鶴シール配布制限令に対するシールガチ勢からのアンサーの一部に「差分があるせいで余計に通わなきゃいけなくなる(から差分出すのはやめて)」という論旨がありました。僕に言わせれば、この発言の根底にある「シールがコンプできないのはおかしい」という思考のほうがおかしい。



シール税という名の累進課税


あの記事でも少し言及していましたが、経済的な面でいえばシール周回している人達のほうが経済的な貢献度は高いです。少なくとも、同じコラボ店を3周したり神戸牛のステーキを3皿頼む人達は、僕の3倍はお店にお金を落としていることになります。
そういう意味ではシールをいっぱい集めてる人ほど運営にお金を寄付しているわけで、言うなればシールへの欲求に応じて課税される累進課税みたいなものです。(個人的には宝くじを馬鹿への税金と呼ぶのに近いなあと思います。)



そこで、実際彼らがどれくらい利益に貢献しているのか気になったのでちょっと試算してみたいと思います。
まず、以下のサイトを使ってシールの値段を見積もってみましょう。


素材はフィルム素材、用紙は透明、70×70mmサイズで白色印刷あり、枚数は10000枚で発注します。

※枚数については、カレー機関で一人あたり平均10枚配ると仮定して席数16なので1回あたり配る枚数は160枚。お店の2階も使える前提だと平日は7回、土日は10回ずつあり、シークエンスを2週間開催した場合は平日6日土日4日で計68回あるので、160×68=10800 枚と概算しています


さて見積もりの結果は、10000枚発注して98600円。
シール1枚当たりの単価は10円切るくらいですね。

ただ、絵柄の違うシールをまとめて発注できるか分からないので、シールを20種類として各500枚ずつ刷る場合も計算してみます。

結果は500枚で12640円。単価約25円ですね。

これを4枚つけるだけで2000円のステーキがバカバカ売れるんだからまあ、その……マーケティングの妙を感じます(オブラート)

※数字があまりにも生々しかったので予防線を張っておくと、他のいくつかのサイトでシール・ステッカー類の価格表を調べてみたところ、材質や印刷方法、受注会社によっても結構ばらつきがありそうです。なので概ね10~100円くらいじゃないのかなあと。


次に、これが商品の値段としてどれくらい加算されているかという点です。カレー機関は個性的なメニューが多いため他店と値段を比較するのは難しいのですが、ここでは一例としてウーロン茶で考えてみましょう。

一般に、カフェや居酒屋で出されるウーロン茶の値段はせいぜい300円前後だと思います。一方、カレー機関のウーロン茶(+シール1枚)は470円。上記で計算したシール原価を差し引いても150~160円程度は上乗せされている計算になります。ほぼ1.5倍。税率約33%ってウーロン茶なのに酒税くらいの税金かかってんのな。

以上の結果からも、やはりシールがコンテンツに与える経済効果は無視できないものと考えられます。


そして、ここで述べておきたいのは、こうしたメリットについては遠回しに僕らも恩恵を受けているという点です。シールを求めていっぱいお金を払ってくれる高額納税者がいるからこそコンテンツが維持されているわけですし、それによって生まれるライブや舞台を僕らは楽しんでいるわけです(これはシールに限らずグッズなんかもそうですが)。
もしシールを出さなくなれば、その分の収益を補填するためにカレー機関やライブのチケット代などの比例税を上げることになるため、低額納税者の負担が増えることになります。それはせいぜい数百円程度の話でしょうけど、シールに興味ないリアイベ参加者も、シール勢とはうっすら共犯者になっているといえます。



シール偏重に対する解決策


では本題の解決策について。
これについて運営側からシステム的に解決するのであれば、「シールの種類を減らす」あるいは「一度に配るシールの種類を増やす」が一つの解にはなるとは思います。簡単にシールがコンプできるようになれば周回するメリットも減りますし、より多くの人がコンプできるようになればコンプすることの優越感も減り、そもそものコンプ意欲を減らすことにも繋がります。

一方で、前述したようにシールはコンプしづらいことに有用性があるため、この辺りのトレードオフのバランスが難しいところだと思います。
また、シール勢は人気の高い艦娘のシールを交換用として蓄えようとする習性があるため、配られるシールの種類によっては周回を防げないという懸念もあります。(少なくとも、交換用と称して人気が高い艦(時雨、榛名、ゴトランド.etc)のシールを何枚もキープしようとしている人はこれまでのリアイベで何度も目撃しています。)


そして一番大きな問題は、そもそもこれまでの傾向としてシールの種類は増加傾向にあるということです。
例えば、以前のカレー機関はシールの種類=Sequense数となっており、11th Sequeceから20th Sequenceにかけてシールの種類が11種類→20種類とほぼ2倍に増えています。21th Sequenceで一旦リセットされて種類が減ったものの、それから多少の増減はしながらやはり種類は増えていき、結局、最近では20種類前後で落ち着いています。また、2022年呉コラボで配布されたシールは22種類でしたが、2024年の呉コラボは57種類でした。多すぎんだろ……。しかも2025年2月のディナーショーの時にさらに追加されています。

畢竟、システム的な解決は運営が動かないとどうしようもないこと、そしてその運営はむしろシールの種類を増やそうとしていることから、この解決策は理屈の上では成立するけど机上の空論というか、あまり意味のない議論のように思います。



もう一つの解決策


結局のところ、こういった空気を変えようとしたら参加者各人がボトムアップ的に解決していくしかないと思います。つまり、おかしな言動について指弾し、咎めていくこと。しっかりと馬鹿にしていくことが必要だと考えています。
彼らがああいうダサい行動を取るのは自己満足、あるいは仲間内で称賛されたいという心理的メリットがあるからであり、そこにそれ以上の冷たい視線を浴びせ、冷や水をぶっかけることでそれ以上のデメリットをぶつけていくのが効果があるんではないかと感じています。

特に、知人や同じグループ内でおかしな言動をする人がいたらちゃんと指摘してあげてください。仮にその場の空気が悪くなったとしてもダサい言動をダサいと指摘することはむしろ優しさだと思います。お前は友人が結婚式に私服で参加するsyamuみたいになってええんか?


今回の反響を見ている中で、『カレー機関が出たら外にいた人にシールを見せるように言われた挙句、「大したもの持ってないねw」と言われた』『カレー機関でガチ勢が大量注文して残したあげく周りとシールを交換しようとしていた』等々のエピソードが見られていて、自分だけじゃなかったんだなあと安心したところでした。こうした行為を皆が表立って問題視する空気感があるうちは同様の行為はできないだろうし、この空気を維持することが大事じゃないかと思います。結局、空気には空気しか勝てない。


個人的にはとある方(酔っ払い)がポストしていた

もちろん!コラボ先で十分楽しんでる!って言い分はわかるよ!わかるんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ただ、身内で明らかに一般常識に照らし合わして駄目やろおおおおおおおおおおおお! って人はお互いに注意しようぜ! 幸せのコツや!

というのが一番端的に僕の言いたいことを表しているなと思いました。

もの凄く当たり前でつまらなくて曖昧な結論になってしまうのだけど、結局のところ普通とか一般常識みたいなものが一番の解決策なんだと思います。「ダサい」という感覚、大事。



立てろ


ここで終わるのはあまりにもおもんないので少しだけ敢えて逆張り意見を述べたいと思います。

前回の内容についてたくさんの反響があり、上述したような似たような体験談や同意する旨の意見がたくさん見られました。最初の記事で書いたようにこの話を問題視する人はほとんど見たことがなかったため結構な驚きだったのですが、皆さんはそういった体験談や意見をこれまで表明したことはありましたでしょうか?

今回の件について言及するうえで「こういうこと言うとアンチ認定されるけど」「あまりこういうこと言いたくないけど」みたいな枕詞が見られたのですが、「シール貰えないから〇〇の店には行くのやめたw」みたいな発言はデカい声で言えてそれに対する反対意見は言いよどんでしまうっておかしくないですか?普通逆だろ。

というか、仮にアンチ認定されたり界隈からハブられたりしたところでそいつらに何ができるん?どうせ仲間内でゴニョゴニョ言うかお気持ちポエム投稿して終わりじゃないですか?別にビビる要素ないと思います。


また、上で書いたようにシール勢のような熱心なお布施をする人達とそれ以外の人達は多少なりとも共犯関係にあります。望む望まざるに関わらず、リアイベに参加する以上は彼らから有形無形の恩恵を受けることは避けられない構造になっています。


であるならば、『彼らのことを内心では苦々しく思いつつも口をつぐみ、でもちゃっかり彼らからの恩恵は授かる』あるいは『普段は彼らからのメリットを享受しておきながら、あるきっかけで叩けそうな流れが出てきた途端に「実は自分も前々から思っててさ~」みたいなこと言い出す』というようなスタンスも、それはそれでちょっとダサいのではと思います。


何も言わないでそのままその恩恵(とその共犯によるちょっとの罪悪感)を抱えてもらうか、もしくは周りの目に関係なく悪いものは悪いとしっかり声を上げて指摘していくかのどちらかの方がまだ筋は通ると思います。

少なくともその二択なら後者のほうがマシだと考えたのが、最初の記事の終わりに書いた一節です。
どちらを選んでも悪いとは思いませんが、できれば多くの人が僕と同じ選択肢を選んでくれると嬉しいです。


あなたの中指は何のためにある?


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