オーディオ装置の末路 | 狭山与太郎のどですかでん

オーディオ装置の末路

テーマ:オーディオ

先日誰かのブログか新聞のコラムか失念してしまいましたが、高価なオーディオ装置が粗大ごみとして向かいの家の前に捨てられていたという記事が掲載されていました。

その記事の内容から推察するとおそらくスピーカーは米JBL製、アンプは米マッキントッシュ製ではないかと思われます。

5~60年ほど前はマニア垂涎 憧れの的とも言われていた装置です。

今でもヤフオクに出品すればおそらく高値で売れたことでしょう。

その記事によると捨て主の祖父が長年愛用していたが亡くなったので処分したとのこと。

残された家族に使用する人もなく邪魔なだけなので捨てたということなのですが、その筆者が引き取るべく交渉していた矢先にごみ収集車が来て目の前でばらばらにされて持って行かれたとのこと。

悔しさが文章に滲みでていました。

おそらく全国いたるところで同じようなことが起きているのではないでしょうか。

どんな立派な装置でも貴重なものであってもその価値が分からない人にとっては単なる粗大ごみでしかありません。

おそらくそれがプレミアムがついて高値で売れることを知っても、金銭に目がない人かまめな人でもない限り、興味もない人にとってはオークションに出品することすら面倒なことに違いありません。

 

今は亡き剣豪小説で有名な五味康佑は大のオーディオマニアでもありオーディオ評論家の草分けでもありました。

彼が愛用していたのは英国タンノイ社製オートグラフというバカでかい高価なスピーカーで日本への輸入第一号機と言われています。

彼亡きあと遺族の計らいでそのオーディオ装置は練馬区に寄贈され数年かけて調整された後現在一般に公開され定期的に視聴会を開催しているとのことです。

https://jtaniguchi.com/%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%BA%B7%E7%A5%90%E6%B0%8F%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA/

希望者殺到の様子で毎回抽選となっているようです。

因みに、彼は片方の耳がほとんど聞こえなかったという話もあります。

装置も金に糸目をつけない高級品の寄せ集めですが、オーディオファンの間からは邪道と言われ異端児扱いされていました。

その他にも「オーディオ評論家」なる人はたくさんいました。

映画評論家の荻昌弘とか菅野沖彦 瀬川冬樹なんて人もいましたが大体はお金持ちの道楽がこうじて兼業していた人たちです。

そうして所有している装置はほとんどが高価な海外製。

そのうち次第に日本でもオーディオ専業メーカーや家電メーカーが力をつけ多くの音響製品を生産販売するようになりオーディオという新しい市場が発達し隆盛を極めます。

それにつれて多くの専門雑誌が本屋さんの店頭に並びオーディオ評論家なるものが登場します。

あまりに多くの似たような製品が世に出回ったために購入の際の参考となる各社の新製品の紹介や評価記事を掲載したのです。

オーディオ製品は外観だけでは判断がつかないし、かといって安物や中級製品は販売店で実際に音を聞くことはできないという事情に乗じたわけです。

そうしてほとんどの評論家はメーカーと癒着し提灯記事を書いて持ちつ持たれつの関係を作ります。

そうしてこのような商業主義に毒されたような評論家たちは大体が酒好きで毎日のようにメーカーの広報担当と夜の銀座に繰り出し小遣いを稼ぐという図式が出来上がりました。

ですから体を壊し早世した評論家もいらっしゃいました。

当時オーディオ評論家の中に高城 重躬という人がおり、いろいろな雑誌で新譜レコードの録音評などを書いていました。

ピアノ演奏家を目指していたこともありピアノにも造詣が深く色々な本も執筆していました。

他のオーディオ評論家たちと違い音楽の演奏そのものにも非常に造詣の深い方で、五味康佑とは違って非常に論理的科学的でファンも多かったのです。

彼は都立深沢高校の校長先生でそれまでは数学の教師でもありましたが、他の評論家とは違ってコマーシャリズムとは全く無縁の人でした。

アンプはすべて自作。

ホーンスピーカーの世界的権威でもあり、自宅のオールホーンシステムは当時大変な話題となりました。

私も一度でいいからその音を聞きたいと思ったものです。

彼は約20年ほど前に亡くなりましたがその後オーディオシステムはどうなったのかと思っていたらwikipediaには

自宅は「高城重躬記念館」として公開されていたが、現在では取り壊されている。

と書かれています。

ではその装置はどうなったのかと思って調べたらユニット毎にバラされてオークションにかけられたとのことです。

https://ameblo.jp/k-kichi/entry-10674041071.html

 

どこかの誰かによって生きながらえていると思うと救われる気がします。

最高級のオーディオ装置はいわば生き物みたいなもの。

それが高級な装置であればあるほど微妙で繊細でさらには使用すればしたで消耗劣化していきますから定期的なメンテナンスが必要です。

ただ放置しておいただけでも劣化します。

よっぽど詳しいそれなりの人がこまめに管理していかない限り生前の状態を保つことは不可能です。

記念館ですからおそらく実際に音を出したわけでもなくそのまま展示してあっただけなのでしょう。

音が出ないオーディオ装置ではしゃれにもならないのでやむなく解体されてオークションで売られてしまったのだろうと思われます。

何しろほとんどが特注品ですから高城信者にとっては貴重なお宝。

 

現在オーディオマニアなる人が日本に一体どれだけいるのかわかりませんが、オーディオ専業メーカーはほとんど姿を消し、家電メーカーも撤退したことを考えれば非常にニッチな市場であることは推測できます。

昔は機器を作ること自体趣味の分野でしたが現在では自作は真空管以外困難な状態。

もともとオーディオ機器は音楽を聴くための手段であって目的ではありません。

今から40年ほど前の住宅ブームの時には新築の家のリビングルームには必ず立派なステレオセットが鎮座していたものでしたが、ほとんどの家庭で聞く曲はといえば歌謡曲や演歌が主流。

今も昔もクラシック音楽を聴く家庭なんて殆どありません。

次第に立派なオーディオ装置は必要ないことに気が付き、そのうちヘッドホンステレオが普及し、音楽も家族みんなで聞くような時代ではなくなり次第に売れなくなってオーディオ産業は衰退します。

考えてみればみんながみんな立派なオーディオ装置を求めること自体が異常であって正常な状態に戻っただけのことなのです。

そもそも日本の住宅事情ではヘッドホンステレオの方が理にかなっているのです。

結局オーディオはお金持ちの趣味道楽に先祖返りしたということなのでしょう。

 

というわけで、立派な音響装置を所有している人たちの多くは今や70過ぎのおじいさんばかり。

あと10年もしたら日本中のごみ処理場はステレオセットやオーディオ装置でいっぱいになるのではないでしょうか。

そもそも老齢になると聴力も衰え集中力も持久力もなくなりますから長時間のクラシック音楽など聴いてられません。

でも投資した金額を考えるとむやみに捨てられないという人が多いのではないでしょうか。

で、結局遺族には宝の持ち腐れ。負の遺産として残るだけというわけです。

何しろ高級になればなるほど重くてでかいというのが厄介の種で、遺族にとっては多少の値が付いたとしても早く処分してしまいたい衝動に駆られるのはやむを得ないことなのでしょう。