今日は何もない素晴らしい一日でした
「……い…………あお……葵、起きなさい」
「う、うぅーん……あだっ!?」
目覚まし時計の代わりに振り下ろされた手刀で、朝の目覚めを迎える。
カーテンの隙間から覗き込む日の光は良好だ、今日も一日晴天が続くことが見受けられる。
代わりにお母さんの表情はよろしくはない、電子タバコを片手にあきれ顔で私を見下ろしていた。
「お、おはようごじゃます……」
「珍しく寝ぼけてたわね、いつもより遅い目覚めだけど」
「うそぉ!? 遅刻じゃないですか、もっと早く起こしてくださいよ!」
「私は自分の娘を信じていたのよ」
「この年で背負うには過ぎた期待です!!」
目覚まし時計は不運にも電池が切れたのか、針は12時過ぎで止まっていた。
慌てて机横のランドセルを掴み、階段を駆け下りる。 今なら急げば始業時間には間に合うはずだ。
「お母さん、朝ご飯は!?」
「私が作っていると思う?」
「ですよね!! じゃあ食パンとジャムだけでも……?」
……お母さんの料理の腕は壊滅的だ、私が生まれた時から改善の見込みは一切ない。
ならお父さんと別居している今、朝食は誰が作っていたのだろうか?
「……ぼうっとしてる時間あるのかしら」
「ああ、そうです! 学校!!」
「いってらっしゃい、雪が積もってるから滑らないように」
「行ってきまーす!!」
適当にジャムを塗ったパンを口に詰め、防寒具を揃えて急ぎ玄関を飛び出す。
学校まで片道15分、全力で走れば10分以内に到着できる。
寝過ごした時間を考えればそれでもギリギリだが、全力を尽くす価値はあるはずだ。
「Hey、サムライガール! 珍しいネ、こんな時間に会うなんてサ」
「おはようございます、コルト。 あなたはもう少し焦った方がいいですよ……!」
家を飛び出してすぐに出会ったのは、雪玉を作って遊んでいる遅刻常習犯のコルトだ。
いつも始業ベルにギリギリ間に合うか間に合わないかというスリルある登校を続ける彼女と今出会うという事は、それだけ危機的状況という事になる。
「まあまあ、急いだって仕方ないヨ? たまには一緒に叱られるのも悪くないんじゃないカナ?」
「私は今日にいたるまでっ! 無遅刻無欠席を誇って来たんですっ! わずかでも望みがある限り諦めません、コルトも一緒に走りますよ!!」
「ウワーッ!? ちょっと、私まで巻き込まないでほしいヨ!!」
この期に及んでのんきに歩き続けるコルトの背を押しながら、通学路をひた走る。
幸いにも私の努力は報われ、校門を抜けて教室に滑り込んだのは始業ベルの10秒前だった。
――――――――…………
――――……
――…
「お、おはよう葵ちゃん……珍しい、ね?」
「おはようございます、詩織さん……あやうく一生の不覚でしたよ……」
「付き合わされたこっちの身にもなってほしいよネ……明日は筋肉痛だヨ……」
「そんな年じゃないだろうボクたちは、午後から体育もあるんだぞ」
何とか遅刻を回避した一時限後の休憩時間、机の周りに自然と集まったのはいつもの面子だ。
詩織さんに古村さん、隣の机で私と同じく突っ伏してるコルトも含めて仲良し4人組。
いつもと変わらない……はずなのに、何となく違和感を覚えるのは何故だろうか。
「……詩織さん、今日って誰か欠席していましたか?」
「ふぇ……? いや、誰も休んでない……と思うけど?」
「うへぇ、今日の給食プリンなのにそれじゃ余りが出ないヨ!」
「葵、なにか気になることがあるのかい?」
「いや……まだ寝ぼけているのでしょうか」
教室を見渡しても、欠けた席は一つもない。 なのに胸に積もる違和感は拭えないままだ。
本当にこれで全員だろうか? 私にはもっと行くべき場所があったような……
「……サムライガール? どしたのカナ、具合悪い?」
「コルト……私達って何故集まるようになったんでしたっけ」
「What's? そりゃもちろん――――――……あれ、なんだったカナ?」
私達は皆、互いに気心知れた親友と呼べる相手だ。 間違いはない。
だがその始まりはいつだったのだろう、思い出そうとするほど頭の中にはモヤがかかる。
「葵、顔色が悪いけど大丈夫か? 体調が悪いなら無理せず保健室まで連れて行くよ」
「いえ、大丈夫です……やはり寝ぼけているようですね、私」
――――――――…………
――――……
――…
『―――歴史的な震災から10年の月日が流れました、長い間立ち入りが禁止されていた東京では、復興が進み……』
「……ただいま帰りました」
「あら、おかえりなさい。 友達と遊んでくると思ったけど」
「なんとなくそんな気分じゃなかったんです、今日は早めに休みますね……」
放課後、まっすぐ家へ帰るとお母さんが見ていたニュース番組が何となく目に入った。
私が生まれる前に起きた大きな震災から立ち直った東京が、復興の一歩を踏み出すという感動的なシーンだ。
「あれから10年なんて早いわね、あんたは知らないだろうけど大変だったのよ」
「…………そうですね」
頭の奥がジクリと痛む、まるで私に何かを伝えたいかのように。
私は本当に何かを忘れているだけなのだろうか、それともすべてはただの思い込みなのだろうか。
「手洗いうがいはしなさいよ、おやつは冷蔵庫の中にあるから」
「おやつは宿題片付けてからにしますよ、それと夕飯は……」
「いつもどおり出前にしましょう、丼もので良い?」
「……ええ、そうですね」
曖昧な返事だけを残し、おぼつかない足取りで階段を上がる。
自分の部屋は二階の突き当りだ、ランドセルを片付けたら手洗いうがい、そのあとに宿題を片付けよう。
しかしそんな意志とは裏腹に、私の腕は階段を上ってすぐの扉を開けていた。
「…………けほっ」
扉を開けた風圧で舞った埃に咳き込む、ここはただの物置として使っている部屋だ。
山積みの段ボールや、冬場には使わない家電などが適当に積まれていた。
暖房も届かない閉め切った部屋の寒気に息が白くなる。
ほとんど無意識だった、なぜ自分はこの部屋の扉を開けたのだろう。
疑問を重ねるほどに頭の中のモヤは増えていく、頭痛も増してきた。
「…………風邪でも引きましたかね」
扉を閉める寸前、ふと積み重なる段ボールの奥に置かれた机に目が留まる。
誰も使っていないはずの机の上には、なぜか埃一つ被っていない白い花のコサージュが置かれていた。
なぜそんなものがあるのか、考えようとするほどに頭の中のもやは増えていく。
形容しがたい感情に苛まれた私は、我慢できずに扉を閉じ、その違和感を考えないようにしてしまった。