鳴神 葵のはじまり ④
「……おい……あお……葵、聞こえるか!?」
「う……っ……」
揺すられる衝撃に起こされると、私の顔を覗き込む七篠さんと目が合った。
頭が痛い、不甲斐ない事にどうやら気絶していたようだ。
「悪い、上手く守れなかった。 怪我はないか?」
「平気、です……なにが起きたんですか……?」
「わからない、だが魔物の仕業だとは思う」
どうやらここは百貨店内のスタッフルームらしい、薄暗い室内にはロッカーやワークデスクなどが配置されている。
部屋の隅には迷子だった女の子が体育座りで震えている、酷く怯えているようだが怪我はないようで安心した。
「突然床を突き破って木が生えて来たんだ、触手みたいに枝を伸ばして外は酷いもんだ」
「……そうですか」
気を失う寸前の映像を思い出す、鋭い枝が私に向けて伸びる瞬間を。
変身すらせずにあんな刺突を受けていたら間違いなく重傷を負っていただろう。
だが私の体には傷一つも――――
「――――ちょっと待ってください……誰の血ですか、これ」
「……平気だよ、ただのかすり傷だ」
私の服にはべったりと赤黒いものがこびりついている、だがこれは自分の血ではない。
そうだ、違和感があった。 私はあの至近距離でなぜ怪我一つなく生還できたのか。
改めて七篠さんを見れば、彼の腹部にはじわりと赤いシミが広がっていた。
「あなた、それは……私を庇ったんですか……!?」
「大丈夫だ、まだ動ける。 血だってすぐに止まるさ」
嘘だ、傷口は貫通している。 それにこの出血量は既に命に関わるレベルだ。
それでも私達が見ている手前、気丈に振る舞ってみせる彼の笑顔が、お父さんの姿と重なって見えた。
私が斬ってしまい、血の海に沈むお父さんの姿と。
「葵……葵? 大丈夫か?」
「は―――ハ――――ハァ―――……!!」
震えが止まらない、呼吸が苦しい。 駄目だ、私は二度と間違えないと決めたのに。
こんなことでは強い魔法少女ではいられない。
「七、篠……さ……わたし、わた、……むぐっ!?」
高まる動悸を必死に抑えようとする私、その顔を七篠さんが両手で挟んでぐねぐねとこねくり回した。
「はい、吸ってー、吐いてー、もう一回吸ってー。 大丈夫大丈夫、そう悲観するな。 なんとかなるって、最後の晩餐があんな飯じゃ嫌だもんな」
「むぐぐぐぐ……ぷはぁ! 何するんですかこんな時に!?」
「よし、気分は落ち着いたか?」
突拍子もなくもみくちゃにされ、パニックになりかけていた情緒もどこかへ吹き飛んでしまった。
不覚にも七篠さんに助けられた……が、この人は重傷を負ったこの状況でどうしてそこまで冷静でいられるのか。
「葵、呼吸を整えてからでいい、立てるな?」
「ば、バカにしないでください! それに私よりあなたですよ、止血は!?」
「応急キットを見つけたんだ、服の下に包帯巻いてる。 だけど駄目だな、葵はその子を連れて逃げてくれ」
「何を言って……」
すると、背後のドアから何か重たいものがぶつかったような音が響く。
それも一度や二度だけではない。 何度も激しい衝撃音を鳴らす扉は、蝶番が今にもはじけ飛びそうだ。
「ごめん、あの木は血の臭いを追ってきてるらしい。 たぶん俺のせいで嗅ぎつけられた」
「だったらなおさら置いていけない! そんな血塗れで何ができるつもりですか!?」
「囮になれる」
……顔色一つ変えず、一瞬も迷わない即答を返したことに絶句した。
ああそうか、この人は冷静なんかじゃない。 最初から狂っていたのか。
「大丈夫、そこの非常口から外に出られるはずだ。 ちょっと心配だけど君はしっかりした子だ、2人で逃げられるな?」
「……あなたは、どうするつもりですか?」
「そこの扉が破られた瞬間に隙間を抜けてみるよ、もう少し粘ったら魔法少女が助けに来るかもしれない」
「だったら私が……!」
私が――――どうするつもりだ?
魔法少女の正体は絶対のタヴー、緊急事態とはいえそう容易く明かすわけにはいかない。
握りしめたストラップを引き抜くことができない。 もし私の正体が知られてしまったら、魔法局はこの人と少女をどうするだろう。
「……そろそろ扉も限界だな、あとは頼む」
「待っ……!」
限界まで歪んだ扉がバキリと倒れ、その奥から悍ましく蠢く無数の枝がゆっくりと侵入する。
その瞬間、七篠さんは迷わずに扉と枝の隙間に身体をねじ込み、半ば無理矢理に通路へ飛び出した。
「行け! 俺は大丈夫だから気にするな!!」
「っ……必ず生きてください! すぐに魔法少女がやってきます!!」
一秒の迷いが、今度こそ彼の命を取り返しのつかないものに変えてしまう。
震える少女の手を取り、ぼんやりとライトで照らされた非常口の扉を開く。
駆け出す足はもどかしいほどに遅い、魔法少女ならばこの程度の階段など一息で飛び降りられるのに。
少女を避難させ、中に戻るまでどれほど時間がかかる? 最初から正体など隠さずに変身していれば良かったのではないか?
脳内に駆け巡る“たられば”を振り払い、自分が選んだ選択肢を最短で駆け抜けるべく錆くさい鉄階段を下りる。
頼むから生きていてくれ、私はもう後悔なんてしたくない。