自衛官候補生とはどんな制度か――背景にある自衛隊内の凄まじい実態!
●6月14日、陸自・日野覆道射撃場で起こった、自衛官候補生による銃乱射事件は、図らずも自衛隊の実態――自衛官候補生の実態の一部を明るみに出した。だが、その自衛官候補生を含む、自衛官の任用制度の実態、ひいては勤務・営内環境の実態については、一般の人々は、ほとんど知らない。
ここでは、拙著『自衛隊 この国営ブラック企業』(社会批評社・2014年発行)の一部を引用して、その実状をお知らせしたい。
自衛隊は元祖「ブラック企業」だった
―― 再任拒否・残業代拒否ばかりか訓練死―自殺が常態化(同書第3章から)
一般隊員は「契約社員」
バブル崩壊以後の日本経済の衰退化の中で、もっとも厳しい環境に置かれたのが、働く人たちだ。終身雇用制度はとうの昔に崩れ、今や労働者は非正規雇用として働く人が多くなり、そのほとんどが契約社員・派遣社員・パート・アルバイトなどである。最近では、これに加えて「限定正社員」などというものまで出てくる。日本企業は、労働者をどこまで使い捨てにするつもりなのか?
ところが、よく考えると、この日本企業の労働者の使い捨てともいえる雇用形態を、何十年も前に先取りしているのが自衛隊であったことは、あまり知られていない。つまり、元祖「ブラック企業」=自衛隊から、企業は学んだのではないか?
例えば「契約社員」という雇用形態である。これは今、日本の企業のほとんどが導入している雇用制度であり、「原則1年以内に期間を限定して雇用、契約期間終了で使用者側が再契約しない限り退職」するというものである。いわゆる「雇い止め」だ。
知られているように、自衛隊が最も多く採用しているのが「一般隊員」で、「任期制自衛官」とも言われている。これは従来は、陸自2年間、海空自3年間の雇用期限があり、当局が「再任用」しない限り「雇用契約は終了」するというものだ。
つまり、民間の「契約社員」制度の元祖が、この自衛隊の任期制隊員であったわけだ。この制度が導入されたのは、戦後の警察予備隊創設後だが(徴兵制の2年間を基準として)、もともとの導入の要因は、「戦力としての若年隊員の絶えざる確保」であるから、基本的には、景気変動による「雇用調整弁」として労働力を確保(契約社員など)するという、企業のあり方と同じ考えだ(もっとも、自衛隊法では、労働基本法・労働基準法等は全て適用除外と規定)。
ところが、さすがに最近のブラック企業への国民的批判が広がる中で、民間では、「無期労働契約」への転換がなされている(2013年4月1日から)。これは、企業の「雇い止め」による契約更新の拒否という雇用不安に対して、その不安解消が目的で改正されたという。労働者の働いた期間が、通算5年を超える場合、「無期契約」への転換が可能になったのである(その5年前に契約拒否されるという不安もあるがー)。
さて、自衛官募集に当たる地本(地連)の担当官たちが、入隊予定の青年たちに「任期制隊員でも、さらに2年の契約が更新されるから心配ない、曹昇進への道も開かれている」という甘い言葉で勧誘しているのは有名な話だ。これが「地本に騙されて入った」という隊員たちの嘆きのもとになっている。
確かに、よほどの成績不良でない限り、2年間だけの再任は行われているが、それ以上(2任期以上)の継続任用はほとんどなくなっているのが現実だ。部隊長などは、それ以上自衛隊の残りたいのであれば、陸海空曹になれというが、もちろん、後に述べるように、陸海空曹への昇進もかなり難しくなっているのだ。
自衛隊の「任期制自衛官」は、民間企業が見習う「元祖ブラック企業」のモデル的雇用形態であったが、ここにきて自衛隊はまた、民間よりもさらにひどくなった雇用形態を導入している。それが「自衛官候補生」という制度だ。この制度の導入は、最近2010年度から始まったが、今までの一般隊員の雇用と違い、入隊後、新隊員たちは定員外の要員として、階級は与えられず、給与も低い。そして、3カ月後(前期教育終了)に、初めて階級が与えられ、自衛官になるというものだ(したがって、陸自任期制隊員の任期は、1年9カ月、海空隊員の任期は2年9カ月に変更)。
これは、言い換えると、特殊な「パート」「アルバイト」の導入といえる。従来の6カ月間の「条件付き採用」とも違うものだ。したがって、この期間のクビは自由だし、「不良分子」の排除も自由だろう。また、身分が保証されていないから、この期間訓練中にケガしたり、障がいを負ったとしても何の補償もない。おそらく、民間企業は、この自衛隊の雇用状況を見て、導入を検討するに違いない。「社員候補生」として。
自衛隊が「元祖ブラック企業」であるというのは、この短い任用期間の問題だけではない。「若年定年制」という、一昔時代の定年制を今なおを保持していることもそうだ。防衛省では、これを「自衛隊は、精強さを保つため、若年定年制および任期制という制度を採用しており、多くの自衛官が50歳代半ばおよび20歳代半ばで退職する」と弁明している。現在の一般社会では考えられないほどの若さでの定年だ。この自衛隊の「若年定年制」を手本にしたのが、企業の50代以上の「リストラ」の始まりではなかったのか? 具体的にこれをみて見よう。
任期制隊員は、2任期を限度として契約終了(拒否)されるから定年はない。曹以上の定年は、3曹は53歳、1曹から1尉までは54歳、2~3佐は55歳、1佐は56歳、将官は60歳だ。
大多数が定年の53~55歳と言えば、民間では言わば働き盛りだし、子どもたちも高校や大学に在学している人も多い。住宅ローンさえ残っているだろう。だが、この年齢で彼らは、定年退職だ。この後は、自衛隊当局が「就職援護」を行うというのだが、高級幹部は軍需産業などに「天下り」という役得があるが、佐官以下の隊員たちにはその道はない。せいぜい、警備会社に就職できれば良い方だ。しかし、そこでも先の「自衛官の本音」にあるように、自衛隊出身者は「非常識で、威張ってばかりで使いにくい」として、敬遠されるのがオチである。
(注 現在の自衛隊で陸海空曹への昇進が難しくなっているのは、以前と異なり、曹―下士官の過剰人員を抱えていることによる。2009年度で見ると、自衛官の現員22万8千人[充足率92%]で、内訳は幹部約4万2千人[同96%]、准尉9千人[同97%]、曹13万7千人[同100・8%]、士4・5万人[同74%]。このうち女性自衛官は、1万1千人。参考に、約40年前の階級別人員は、おおよそ幹部3・3万人、曹9・3万人、士10万7千人で、「将校・下士官対兵士」の比率が「1・2対1」であった。現在は「将校・下士官対兵士」の比率は、「4対1」である。つまり、驚くべき下士官層の肥大化であるが、これはピラミット型の人的構成を必要とする国家総力戦型の「徴兵制」を導入する場合、あらかじめ下級指揮官が確保され、緊急動員に役立つと言われている。)
残業代なしの24時間勤務態勢
民間では、この10年以上前から月に100~180時間を超える残業を強いられて、過労死する労働者が増大している。この非人間的な長時間の残業にも、ほとんど残業代が支払われない「サービス残業」であるということだ。企業は、どこまで働く人を犠牲にするというのか。憤りを覚えるのは筆者だけではないと思う。
ところが、この残業代さえも支払われない労働形態の元祖もまた、自衛隊の「労働形態」をマネしていると思われる。これを自衛隊では、「24時間の勤務態勢」と称している。「称している」というのは、自衛隊の諸法令の中に、この「24時間勤務態勢」を規定している内容が厳格いえば見当たらないからだ。例えば、自衛隊法第54条には、「隊員は、何時でも職務に従事することのできる態勢になければならない」と規定している。
これを隊内教育では、「24時間勤務態勢」「常時勤務態勢」(陸自幹部候補生学校『服務』)と教えているのであるが、見ての通り、法令には24時間勤務などの文言はない。この規定は、明らかに災害派遣・防衛出動などの非常時を想定しての規定だ。ところが、体よくこの自衛隊法の文言を拡大解釈して、24時間の「サービス残業」を強いるのだ。
自衛隊の訓練・演習などは、数日間、ときには1週間以上に及ぶ。この間、隊員たちは、時には仮眠するだけの状況もあり、文字通り24時間勤務だ。もっとも、このような演習だけでなく、日常の勤務でも土日を含む週の半分を勤務する「当直」や、24時間勤務の「警衛」などに就く。これらも基本的にサービス残業、というかサービス勤務というわけだ(警衛勤務には雀の涙ほどの手当がある)。
超過勤務手当も、夜間勤務手当も、休日勤務手当もないのに、自衛隊は、隊員の給料はこの分(24時間勤務)を見込んで支給されていると強弁する。しかし、その割には給与がいいとは決して言えない。特に土日や休日においても一定の「待機要員」(3分の1)を保持する陸自では、この態勢は下級隊員の強い不満の源だ。営内に「居住義務」のある独身の若い隊員たちは、土日の休みの日でさえ、「待機態勢下」で、街へ遊びに行くこともできない日々が続くからだ。
仕事も生活も監獄並みの拘束
しかし、民間の会社がいかにブラック企業だとしても、土日や休日にまで出勤させる企業はそう多くない。自衛隊の、この24時間勤務態勢下の長時間の「拘束」には、驚くだろう。しかし、これに驚いてはいけない。
この「サービス残業」などの長時間の拘束に加えて、若い独身隊員たちは「営舎内居住義務」(自衛隊法施行規則第51条)という規則の下で、勤務時間以外も自衛隊内の営内班(内務班)に拘束されるのだ。つまり、民間で言えば、仕事が終わっても家に帰ることもできないということだ。もちろん、これは独身の隊員たちだけで、妻帯者(営外居住者)は帰宅できる。これは、あまりにも不公平な規則(勤務態勢)であるが、自衛隊ではこれを当然のこととしている。
この営内班が、いじめ・パワハラの温床であることは繰り返えさないが、数人の狭い部屋で、先輩に当たる上官と起居を共にし、「パシリ」までやらされるのだ。
そして、この営舎内での居住義務のある隊員たち(正確には、全ての曹士隊員にはこの義務がある。が、通常、30歳以上の曹で、結婚している者は「許可」を受けて営舎外居住が許される)が外出するには、部屋長→班長→先任→中隊長という順序を経ての「外出許可」が必要だ。つまり、自衛隊の中(柵の中)から街へ出るには、「許可」が必要だということだ。この外出の中で、日帰り外出には階級ごとの「門限」が設けられ、また外泊する外出(特外=特別外出)にも、士長以下の隊員には回数制限が設けられているというわけだ。まるで、中学生以下の子どもたちのようである!
ところで、この外出や特外の制限だが、2003年までは一時的に撤廃されていた。これは「輝号計画」と称して、1990年前後から始まったものだ。この計画においては、新隊員過程の終了後には、全隊員の外出も外泊もすべて自由になった。それどころか、これに加えてプライバシーがまったくなかった営内班に、2段ベッドの廃止や、パーティションで区切った4~5人部屋までつくられたのだ(職住分離措置)。
この「輝号計画」は、自衛隊という存在が一般社会から隔絶し、入隊してくる青年たちが、「営内班的拘束」(24時間勤務態勢)に拒絶を示していた状況下、ある意味で必然的かつ当然の措置であった。だが、この「輝号計画」は、その後、防衛省当局によっていとも簡単に廃止されてしまった。
その理由は、不祥事の多発という口実だ。当局は、「昔のような大部屋の営内班で、班長などから日常的に指導をうけ、集団的団体生活することが軍隊には必要だ。不祥事を起こすのは『個室化』した部屋に居住し、プライバシーを認めすぎたからだ」(「防衛庁第1回人事関係施策等検討会議・フォローアップ会議合同会議議事録」2003年)という。このまったくズレた、転倒した考えが、自衛隊の上層部を支配しているといってもよい。
さて、この「営舎内居住義務」下での若い隊員たちの生活だが、その意味からして必然的に、結婚した隊員といえども、夫婦が隊外の自宅に一緒に住むことは許可されない。つまり、毎回、「外出・外泊許可証」を受けなければならないということだ。
ちなみに、日本国憲法は「婚姻の自由」を認めているから、隊員の結婚は自由だ。しかし、夫婦が同居することは許されない、というのだ。だから、自衛隊では、「婚姻が自由」とは言えない。また、外国人との結婚は、部隊長の「承認」を得なければならないとされている。今どき、外国人との結婚に国が介在するというのもひどいものだが、自衛隊では結婚のみか、隊員の外国旅行でさえも部隊長の「承認」が必要なのだ。その理由を防衛省は、以下のようにいう。
「防衛省・自衛隊においては、公務員として政治的行為が制限されており、いつ、いかなる場所においても政治的に中立な立場であることを自覚しておかなければなりません。特に、部外者による働きかけ等に注意する必要があります。(中略)たとえ渡航目的が観光であっても、渡航先でうっかり情報保全に関する事項を露呈したり、また、情報漏えいの働きかけが行われるおそれがあるので、渡航する職員は注意しなければなりません」
防衛省・自衛隊が何を恐れているのが定かではないが、いずれにしても、日本国民が普段に海外に旅行する時代、承認=許可が必要というのでは、外出・外泊の制限と合わせると、自衛隊はまるで「監獄」同様の存在になり果てているのではないだろうか。
隊員たちは、自分たちを「篭の鳥」と蔑むのだが、ますます「シャバ」(自衛隊ではそう呼ぶ)から遠く隔てた存在になってしまったのか?
訓練・リンチによる死と殉職
最近、マスメディアの中で当たり前のジャーナリズム精神を発揮しているのが、地方紙を除くと東京新聞以外にはなくなっているが、この東京新聞が最近、驚くほどのスクープを発表している(2014年7月6日付)。
報道によると、自衛官の「教育訓練中」の死亡事故が、「消防士の3倍、警察官の7倍以上」になるという。これを具体的に2004年度から2014年5月までの期間で見ると、自衛官の教育訓練に絡む死亡事故は計62件発生、同じ時期での警察官の死亡事故は9件、消防士は04度から12年度で10件あったという。この年平均の事故件数を、各組織の定員で割った事故率で計算すると、記述のように自衛官の死亡事故数は、消防士の3倍などになるのだ。
さて、防衛省による教育訓練中の事故の内訳だが、47件が陸自、9件が海自、6件が空自ということだが、この事故原因には大きな問題が潜んでいる。死亡事故には、海自の「潜水訓練中」の事故や空自の「捜索訓練中」の事故という、武装集団である自衛隊に伴う事故も見受けられる。
ところが、この「教育訓練中」の事故の約半数が、「持続走訓練中」の死亡という驚愕する実態が出ているのだ。例えば、「第5施設団の1等陸尉が持続走訓練中に意識不明となり死亡」(2013年7月30日)などで、「持続走訓練中の意識不明・死亡」が繰り返されている。「持続走」とは、言うまでもないが、持久走、長距離走のことであり、陸自では「武装」しての長距離走が行われている。
さて、この状況から明らかになるのは、消防や警察に比べて自衛隊の「緊急救命措置」のまったくの不十分性であり、現場指揮官の「医学的知識」の圧倒的不足である。と同時に、筆者の経験からすれば、持続走訓練中に倒れた隊員に対して、救命措置を優先するのではなく、「根性論」で対応しようとする風潮だ。
「指導」と「パワハラ」の区別が付かないように、自衛隊はここでも「医療的措置」と「厳しい訓練」との区別がつかないのである。つまり、旧日本軍の精神主義に未だに囚われている、それを引き継いでいるということだ。
ところで、この防衛省の教育訓練中の死亡事故には、海自の「特別警備隊」での「格闘訓練中の死亡事故」も含まれているが、これなど「教育訓練中の死亡」ではなく、暴行による殺人だ。同じ「徒手格闘訓練中」の死亡事故は、陸自でも起きているが(北海道の「命の雫」裁判・遺族の勝訴)、これも暴行による殺人である(後述)。
こういう暴行による殺人の被害者を、自衛隊が「殉職者」として処置しているかどうか不明だが、自衛隊においては「任務遂行中」の殉職者はきわめて多い。ある意味では、「ブラック企業」さえ遥かに及ばない危険な職場である。
東京・市ヶ谷台の防衛省内には、メモリアル・ゾーンという区域があり、そこには自衛隊殉職者の慰霊碑が設置されている。毎年の殉職者は、遺族を招いて慰霊祭が執り行われるが、2013年には、9柱(陸5柱・海3柱・防衛医大1柱)の顕彰がなされている。創設以来の自衛隊の殉職者は、1840柱(陸1010柱・海402柱・空403柱・その他25柱)である。 この戦後の殉職者数は、年平均にすれば、約27柱ということになる。もっとも多い時期には、1年に約40人前後が殉職していたが、それに比べると最近は少なくなってはいるかもしれない。
先に、消防士・警察官との、訓練中の死亡事故の比較を行ってきたので、この殉職者の比較も見てみよう。
警察官の殉職者は、統計で分かる2003年から2006年までには、年に3~5柱、戦後では、計217柱である。消防士は、年によって大きな差異があり、最近では、2008年5柱、2009年7柱、2010年8柱である(戦後の統計は不明)。なお、消防士の殉職は、2004年には23柱で、東日本大震災では、それ以上の殉職者(消防団を含めて)が出ていることはよく知られている。
これを見ると、もっとも危険な職業は、消防士ということになるが、その消防士でさえ、最近の統計では、自衛隊ほど殉職者はいなくなっている。自衛隊と警察官との比較で言えば、自衛隊は警察官のおおよそ9倍も危険な職業ということになる。しかも、訳の分からない、というよりも、人命軽視で発生する「教育訓練中の死亡」や、暴行による死亡(殺人)が最も多い職場なのである。
自殺者の増大を放置する防衛省
前記の教育訓練中の死亡事故や殉職と異なり、ここ10年以上の自衛隊の自殺者の爆発的増大については、社会的に周知の事実となっている。ところが、このような重大な「社会的問題」になっているにも関わらず、防衛省・自衛隊は一貫してこの深刻な事態を放置していることだ。これには、自衛隊員を含めて多くの人々が強い疑問を覚えるに違いない。
重大なのは、防衛省・自衛隊が、単に無責任に放置しているというのではないことだ。彼らには、まったく解決することができない、解決能力がないということなのだ。ここが、今の自衛隊をめぐる最大の問題なのである。まずは、この自殺の統計から確認しよう。数字ばかりで読みづらいことを勘弁願いたい。
自衛官のこの12年間の自殺者(自衛官のみの数字、自衛隊員=防衛省職員は入っていない)は、以下のようになっている。
2001年59人、2002年78人、2003年75人、2004年94人、2005年93人、2006年93人、2007年83人、2008年76人、2009年80人、2010年83人、2011年86人、2012年83人(例えば09年の防衛省職員などの自殺者は、6人で自衛隊員全体の自殺者としては86人であり、05年・06年は全体で自殺者は、101人)。
この自殺者の陸海空別の統計では、例えば2007年は、陸自48人、海自23人、空自12人で、海自の増加が目立っている。また、年齢別の統計では、20代から40代の、比較的若年層が突出しているのが、この自殺者の特徴だ(2012年では、20代から40代までが72人、50代以上が7人の計79人)。階級別では、3尉以下の階級が圧倒的多数を占め、曹(下士官)がもっとも多い(2012年では49人)。もっとも、先の階級別人員で見たように、現在の自衛隊はこの曹が実員では一番多いから、それに比例して曹の自殺者が多いということになる。しかし、この中間管理職とも言える曹クラスの自殺率は、実員に比較しても多すぎる。
さて、こうした自衛隊の自殺者の統計は、よく国民の自殺率(10万人あたりの自殺者数)と比較される。これは知られているように、一般国民の約27・0人(03年)に対して自衛隊は約39・4人で、約1・5倍だ。しかも、繰り返すが国民の自殺者が、60代以上の高齢者が多いのに比較して、自衛官の自殺者は若年者に多いということだ。
自衛隊は、若年層中心の組織である。隊員の定年も50代半ばであるから、本来は国民の場合よりも自殺者は少なくなってもおかしくない。しかも、現在の日本国民のほとんどは、新自由主義経済化の、リストラや倒産の危機にさらされているから、自殺者が年間3万人前後と増大している。しかし、この社会状況下(不況にも関係ない)でも自衛隊の場合、身分も給与も安定しており、経済的要因があるとは考えられない。にもかかわらず、なぜ自衛官の自殺者がここまで広がっているのか?
防衛省では、かつてその内訳を開示したことがあったが、それによると、自殺の理由は、「病苦」2人、「借財」24人 、「家庭」6人、「職務」10人「その他・不明」36人となっている(02年度の計78人の内訳)。
この数字を見て、読者は驚くだろう。借財や病苦は分かるが、「職務」という訳の分からないものに加えて「その他・不明」が半数にも上っているのだ。しかし、「その他・不明」とは何のことなのか? おそらく、ほとんどの自殺者は遺書などを残しているから、部隊が普通の調査さえ行っていれば、「不明」ということはあり得ない。政府は、この問題を国会で以下のように答弁している。
「正直申し上げて、この自殺が減りません。……原因は何だということですが、……その他不明が多い。このその他不明をきちんと確認する必要があります。今の時点では特定できていません」(03年参議院外交防衛委員会での石破茂防衛庁長官[当時])
「防衛省としては、一般に、自殺はさまざまな要因が複合的に影響し合って発生するものであり、個々の原因について特定することが困難な場合も多いと考えている」(07年防衛省の国会答弁)
政府・防衛省首脳の、何とも呆れる言明が今の自衛隊の危機をさらけ出している。しかし、防衛省・自衛隊の首脳らは、本当にこの「その他・不明」の原因を知らないのか? 筆者は、2006年に執筆した『自衛隊そのトランスフォーメーション』という書籍の中で、当局は本当はこれを知っている、しかし、それを自衛隊内外に公表することを単に恐れているだけだ、と書いた。
つまり、この書籍においても断言したように、自衛隊内で自殺者が出た場合、初動捜査においては、自衛隊の警察である警務隊が捜査するが、本来は現地部隊とは「独立した機関」とした設置されている警務隊が、当該部隊長などへの「訴追」を恐れて、自殺原因の隠蔽に手を貸しているということだ。
言うまでもないが、隊員たちが自殺に追い込まれていくには、そのほとんどの背景や原因に上官のいじめやパワハラ、あるいは私的制裁などの暴力(見てきたように、実際はこの組み合わせ)が生じている。この執拗ないじめにしても、パワハラにしても、明らかに刑事的責任を問われるべきものであり、法的には、警務隊などはこの加害者への刑事処分を下さねばならない。この場合、加害者は、当該の部隊長や連隊長などの上級指揮官も多く含まれる(指導監督責任を含む)。
したがって、自衛隊の自殺問題の解決には、当然にもこの自衛隊の上級部隊・指揮官への刑事的・行政的処分という決断がともなうのである。まさしくこれをおそれて、全ての自衛隊の部隊が、自殺原因の隠蔽に走っているのだ。
一般に「自殺」とされる事件は、仮に遺書があったとしても「他殺」が疑われるのは、刑事事件の基本である。このため、一般国民の自殺については、警察の厳密な死亡原因の鑑定が行われているのが常識だ。ところが、自衛隊内の自殺について、警務隊がこの死亡原因の鑑定を行ったということは聞いたことがない。つまり、警務隊は、重大な殺人事件に至るかも知れない事態を完全に放置しているということだ。
仮に、殺人に至らなくとも、いじめやパワハラがともなう自殺には、執拗な精神的・肉体的暴力が生じていることは明らかである。つまり、刑事的処分が問われるものが多いのだ。警務隊は、このような違法行為を完全に見逃していることから、率直に言って、今やその組織を解体して外部の捜査機関に委ねるべきだと思う。
ところで、先述の海自横須賀の護衛艦内自殺事件(2014年9月1日)では、このパワハラで初めて警務隊が捜査を始めたという。
「海上自衛隊横須賀地方総監部は1日、海自の護衛艦で今年初め、乗組員の30歳代の男性隊員が上司のいじめを苦にして自殺したと発表した。上司の男性1等海曹(42)は、海自横須賀警務隊の調べに対し、暴行を認めており、同警務隊は2日にも、1等海曹を暴行などの疑いで書類送検する。
発表によると、隊員は、1曹に私物の携帯電話を隠されたり、殴るなどの暴行を受けたりする日常的ないじめを受け、艦内で首つり自殺した。同警務隊は、同僚の証言などから、1曹のいじめが原因と断定。隊員の遺族に謝罪したという」(「読売新聞」2014年9月2日付)
この新聞によると、海自横須賀警務隊は、この加害者の後藤1曹を近く暴行などの容疑で書類送検すると報道されている。
しかし、記事にもあるように、この1曹のいじめ・パワハラは、2013年7月ころから執拗に始まり、しかもほとんどの隊員がこれを目撃しておりながら(35人が目撃)、艦長らの幹部がこれを長期間にわたり黙認していたのだ。この結果が、今年初め(当局発表は、自殺の日時さえ隠蔽)の3曹の自殺である。
このいじめ・パワハラでの、自衛隊初の刑事処分という動きは、本来は歓迎すべきことなのだが、事件全体の隠蔽をはじめ、警務隊がやむなく訴追に踏み切るという側面が否めない(加害者が1曹という階級だから訴追!)。したがって、繰り返し述べてきたが、自衛隊の自殺問題の解決にはまったく影響がないと言わねばならない。
それにしても、3曹で30代の年齢の下士官が、「小学生」のようないじめ・パワハラを日常的にうけ、これを艦内の多数の隊員が目撃しながら放置しているというのは、つまり、ここまでの公然たるいじめ・パワハラを放置するとは、なんという「組織体」なのだろうか。
イラク派兵と自殺者増大
見てきたように、自衛隊の自殺者の急激な増加が、自衛隊の海外展開と軌を一にして始まっていることも注目すべきだ。2004~2006年には、自衛隊員としての自殺者は100人台に達した。この増大した自殺者の中には、知られているように、イラク帰還の自衛官たちも多く含まれている。
イラクに派兵された自衛官は、5年間に陸空で延べ約1万人、日本に帰還後、このうち28人が自殺したことが明らかになっている。このイラクから帰還した自衛官の自殺率は、10万人当たりの「自殺率」でいうと、先の自衛官の年間自殺率の約3・5倍、国民の自殺率換算では、なんと5~6倍に当たるのだ。なぜ彼らは、こうも多く自ら命を絶ったのか?
ある自殺した隊員の母親は、こう語っている。
「任務は宿営地の警備だったそうです。『ジープの上で銃を構え、どこから何が飛んでくるか分からない。おっかなかった。怖かった、神経を使った』って。夜は交代で警備をしていたようだが、『交代しても寝れない状態だった』と言っていました。
息子は帰国後にカウンセリングを受けましたが、精神状態は安定しなかったですね。『おかしいんじゃ、カウンセリングって。命を大事にしろというのが逆に聞こえる。自死しろと言われているのと同じに聞こえてきた』と話してました」(「NHKクローズアップ現代」2014年4月18日放送)
その数日後に隊員は死を選んだ。
また、イラクからの帰還後、精神に不調を訴え、自ら命をたった40代の隊員の妻は、こう語っている。
「生きていてもらいたいと思って主人をサポートしてきました。苦しいですね。亡くなった人の何十倍もの人が苦しんでいるわけで、自衛隊の活動が広がろうとしているなかで、隊員が直面している現実をもっと知って欲しいです」(同)
イラクに派遣された医師の調査によると、隊員4千人を対象にした心理テストでは、睡眠障害や精神不安を訴えている隊員が1割を数え、3割に達した部隊もあったという。つまり、イラクに派兵された自衛官たちの多数が、戦場体験によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負ったということだ。
第2次大戦後、長年にわたり絶えざる戦争を繰り返えしてきた米軍は、アフガン戦争・イラク戦争でも、このPTSDによる障がいが増大していることで知られている。そして、文化の違いから自殺者は少ないと言われていた米兵の中でも、自殺者は増大する一方だ。
米陸軍の発表によると、現役陸軍兵士の自殺者は、02年72人、03年94人、04年65人であったが、07年115人、08年128人、09年162人、10年156人と一挙に三桁以上に増大した。もっとも、米陸軍の人員は、約140万人であるから、自殺率からいうと自衛隊ほど高くない(例の自殺率では、08年で9・14人)。
しかし、この数字には、イラクから帰還した退役軍人は入っていない。ある統計によると、延べ220万人のイラク帰還兵の中で、自殺者は年間6千500人という数字がある(TBSニュース23、2011年9月13日放送)。この帰還兵の中の、おおよそ2割がPTSDに苦しんでいるという。米軍の兵士向けの「退役自殺ホットライン」には、40万件の相談が寄せられているが、しかし、財政難に苦しむアメリカ政府もまた、これらの自殺やPTSDに苦しむ兵士たちを放置しているのだ。
自衛官だけに課せられた賭命義務
すでに、教育訓練中の死亡事故や殉職者について、警察官・消防士との比較を見てきたが、この警察官などと自衛官は、職務の厳しさや武力を使用するという意味では、同じように見える。しかし、警察官などと自衛官が根本的に異なるのは、自衛官が日本で唯一、「命を賭ける義務」(賭命義務という)を任務として与えられている組織だということだ。仕事で「命まで賭けなければならない職業」、これが自衛隊だ。このことは実際、社会的にはあまり知られていない。知られていないからこそ、気楽に青年たちは入隊を志願してくるかも知れない。全ての自衛官は、入隊時に以下の「宣誓」を読み上げ、署名・捺印しなければならない(自衛隊法第52条・53条「服務の宣誓」、自衛隊法施行規則第39条)。
宣 誓
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。
この宣誓は、自衛隊法第3条に基づく「自衛隊の任務」――「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」から定められている。
つまり、現在のところ、自衛官は、「日本への直接・間接侵略からの防衛のため」にのみ、「賭命義務」のある宣誓を求められているということだ。言い換えると、今夏、安倍内閣が決定した集団的自衛権行使=「他国等の防衛」という項目の「主要任務」(本来任務)への追加は、現在の自衛隊法が定める自衛隊の任務ではない。もちろん、これは自衛隊法第3条2項の1号・2号が掲げる「周辺事態」でも「国際社会の平和」でもない。
したがって、もしも、安倍内閣が集団的自衛権行使を自衛隊の任務とするなら、安倍内閣は、自衛隊法第3条の自衛隊の任務規定を改定するだけでなく、それに基づく自衛官の「宣誓」を改めて求めなければならない。だが、安倍内閣には、その覚悟はあるのか?
ここで重要な1つの歴史的事実を紹介しよう。
1954年7月1日、自衛隊の前身の保安隊(←警察予備隊)は、これまでの「治安維持」だけが任務であった全組織を自衛隊へ大幅に改変するにあたって、「賭命義務」のある「宣誓」を全隊員に求めた(これまでは賭命義務はなかった)。
その結果、全国で約6千300人の隊員たちが宣誓を拒否し退職した。その内訳は、おおよそ以下のとおりだ(1954年6月23日付「毎日新聞」)。
第1管区隊1200人、第3管区隊1400人、第4管区隊1100人、長官直轄部隊1200人、警備隊(現海自50人)、保安大学(現防衛大学校)6人など。
同紙によると、宣誓拒否者の多くが「乱闘国会の代議士が決めた自衛隊はいやだ」とか「いまはまだ自衛隊に変わるべきではない」などと、拒否の理由に「軍隊」にひとしい改変に異議を唱えたという。幹部自衛官を養成する保安大学からも拒否者が出たことに驚いた政府は、急遽当時の首相・吉田茂を派遣し、以下のような訓示を行った。
「戦争中は軍部に迎合し、占領中は米軍に迎合し、最近は民主主義に迎合する。個人個人が自由の名によって、勝手なことをしている。この気分が諸君に感染していないかと心配になってやってきたのであります。……校長は私をこの学校の生みの親といわれたが、生みの親であるわたくしの責任も重大だが、親の子として、諸君が国を双肩にになう決意がなければ、諸君は不肖の子となるのであります」(「週刊朝日」1954年7月)
この保安大学を始め、6千300人という宣誓拒否者の数は半端な数ではない。この時点での、おおよそ13万人前後の自衛隊の中から、5%に近い辞退者―退職者が生じたのだ。これは発足したばかりの自衛隊にとり大変な危機であった。
だが、当時の吉田政府は、この重大な任務変更を伴う自衛官のあり方について、当然にも「再宣誓」という「契約更新」義務を果たそうとしたのだ。
繰り返すが、現在、安倍内閣が強行しようとしている、「集団的自衛権行使」による「多国などの防衛」は、明らかに今の自衛隊法が規定する「自衛隊の任務」ではない。自衛隊の任務は、あくまで「日本への直接・間接侵略からの防衛」であり、この主任務(本務)を変えて「他国の防衛」を含む任務へ大幅に変更するのなら、当然、それに基づく「国と自衛官との職業上の再契約」をも改めて行うべきだ。つまり、「再契約」=「再宣誓」が絶対的条件であるということだ。
安倍内閣は、集団的自衛権行使の閣議決定をした後、自衛隊法などの大幅改定を行うことを予定している。実際に報道の一部でも、閣議決定後の来春の通常国会あたりで、およそ10数本の法律の改定を予定するという。
だが、この法律の大幅な改定と並行して、その集団的自衛権行使によって、大きな任務変更を迫られる自衛官たちに、何をどのようにするのか、という説明は一切ない。いわんや「再契約=再宣誓」の提起もなされていない。報道で漏れ伝えられているのは、石破自民幹事長(当時)の「軍法会議が必要」だの、「自衛官に300年の懲役刑罰」が必要だのという、おぞましい考えだけだ。この発言には、自衛官を国民の一員として(一市民として)扱おうという姿勢は、微塵も見られない。
このように安倍内閣は、集団的自衛権の行使を媒介に、いよいよ自衛隊の本格的な海外派兵を常態化しようとしている。だがしかし、戦後、戦争を常に行ってきた米軍でさえも、見てきたように膨大な兵士たちが、自殺とPTSDに苦しめられている。だから、戦後まったく実戦を経験したこともない自衛隊が、これらの戦場に立たされたとき(戦死の現実を目前にしたとき)、米軍と同様に、いやそれ以上に隊員たちがPTSDや自殺者の爆発的増大に苦しむことは疑いない。
このリアルな「戦争の現実」を真剣に考えることもなく(安倍総理は、国会答弁で口をにごした)、集団的自衛権行使を口にする政府・自衛隊首脳を、隊員とその家族は厳しい目で見つめている。
防衛省・自衛隊を訴える隊員家族ら
自衛隊内での、いじめ・パワハラの増大による自殺者の増加という状況に対して、辛うじて歯止めとなっているのが、ここ10数年前から自衛官とその家族が裁判所へその被害を訴え(賠償請求)始めたことだ。つまり、自衛隊内の密室の出来事が、裁判という形を通してであれ、社会的にさらけ出されたということである。
この隊員とその家族の提起する裁判(損害賠償請求事件)は、最近、裁判で完璧に敗訴した自衛隊側(海幕長)が、遺族宅を訪れて全面的に謝罪するという状況にまで至った「たちかぜ事件」などの一部を除いてほとんど知られていない。
これらの事件は、おそらく戦後何十件にもわたって闘われてきたと思うが、このおおよそ10年前後が、もっとも頻発しているのでその期間に限り紹介してみよう。なお、ここでの紹介は、2013年の「衆議院・照屋寛徳議員への政府答弁書」をもとに作っているが、場合によっては抜け落ちているものもあるかも知れない(また、筆者が知る限りの原告の裁判事件名で記述する。()内は提訴日)。
①護衛艦「さわぎり」いじめ自殺事件(2001年6月7日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が自殺したのは当該自衛官の上司らによる侮辱的な言動等の構造的ないじめが原因であるなどとして、合計1億円の損害賠償、謝罪及び国民が参加する『軍事オンブズマン制度』の創設を請求」。2008年9月9日、福岡高裁で判決確定。当該自衛官の直属の上司による侮辱的な言動と自殺との因果関係を認めて合計350万円の支払を命じ、原告の主張する構造的ないじめ等は認めず、その余の請求を棄却。
②海自学校いじめ・損害賠償請求事件(2002年6月24日)、原告父1名。
請求原因「自衛官がビルから転落死した際、その原因は当該自衛官が所属していた海上自衛隊の学校でのいじめであると疑われたのに、同学校がその遺品を短時間で片付けるなどしたため当該自衛官の死亡の原因を知る権利等を害されたなどとして、600万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2003年12月2日、確定(裁判所不明)。原告が侵害されたと主張する権利は、法律上保護されるものではないなどとして請求を棄却。
③東京・損害賠償請求事件(2006年6月6日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が転落死したのは、退職の意思を表明していた当該自衛官に対する上司による暴力的で強引な指導が原因であるなどとして、国に対し、合計7千836万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2009年5月18日、東京地方裁判所で国との和解成立。
④静岡・損害賠償請求事件(2008年7月16日)、原告本人1名。
請求原因「原告が負傷したのは、上司による暴行が原因であるなどとして、国に対し、5千744万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2011年3月22日、静岡地方裁判所浜松支部で国、当該上司等が和解金を支払う。
⑤仙台・損害賠償請求事件(2009年8月3日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が自殺したのは、同僚によるいじめが原因であるなどとして、国に対し、合計9千110万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2011年8月25日、仙台地方裁判所で、国が和解金を支払う。
⑥長崎・損害賠償請求事件(2009年11月4日)、原告妻及び子2名。
請求原因「自衛官が自殺したのは、上司の言動により精神疾患にり患したことが原因であるなどとして、国に対し、合計1億1千41万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2012年2月21日、長崎地方裁判所佐世保支部で、国が和解金を支払い、謝罪するとともに、隊員の自殺防止に取り組むとした。
⑦海自特別警備隊・損害賠償請求事件(2010年3月5日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が死亡したのは、格闘訓練の名目での同僚による暴行が原因であるなどとして、国、指導教官等に対し、合計7千947万2千724円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2013年3月19日、松山地方裁判所で国が和解金を支払い、当該指導教官等が謝罪。
⑧札幌女性自衛官人権裁判(2007年5月8日)、原告本人1名。
請求原因「女性自衛官が勤務時間中であった同僚により性的暴行を受け、さらに、被害者である当該自衛官への配慮を欠いた上司の言動や退職の強要により精神的苦痛を受けたなどとして、1千115万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2010年8月13日、札幌地裁で判決が確定。当該自衛官が勤務時間中であった当該同僚に性的暴行を受け、さらに、当該上司がその後適切な対応をとらず、当該自衛官に退職を強要したことを認めて580万円及び遅延損害金の支払を命じ、その余の請求を棄却。
⑨空自浜松基地人権裁判(2008年4月14日)、原告妻、長男、父及び母4名。
請求原因「自衛官が自殺したのは同僚による暴力、暴言等のいじめが原因であり、また、国は安全配慮義務を怠ったなどとして、国及び当該同僚に対し、合計1億千89万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2011年7月26日、浜松地裁で判決確定。当該同僚による暴言等と当該自衛官の自殺との因果関係を認めて国に対し、8千15万円及び遅延損害金の支払を命じ、国の安全配慮義務違反は認めず、当該同僚に対するものも含めてその余の請求を棄却。
⑩「命の雫」裁判(2010年8月3日)、原告父及び母2名。
請求原因「徒手による格闘の訓練中に自衛官が死亡したのは指導教官等による訓練を逸脱した有形力の行使及び安全配慮義務違反が原因であるなどとして、合計9千200万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。札幌地裁で2013年4月13日判決確定。当該自衛官の死亡と当該指導教官による注意義務違反との因果関係を認めて6千495万円及び遅延損害金の支払を命じ、当該指導教官等による訓練を逸脱した有形力の行使は認めず、その余の請求を棄却。
⑪護衛艦「たちかぜ」いじめ自殺事件(2006年4月5日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が自殺したのは上司によるいじめが原因であるなどとして、国及び当該上司に対し、合計1億3千287万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。2014年、東京高裁で判決確定。男性1等海士が自殺したのは、いじめが原因とし約7千350万円の支払いを命じた。また、いじめと自殺の間には相当な因果関係があり、自殺は予測可能であったとした。
⑫陸自前橋少年自衛官自殺事件(2010年7月12日)、原告父及び母2名。
請求原因「自衛官が自殺したのは、上司による暴行により精神疾患にり患したことが原因であり、また、国は安全配慮義務を怠ったなどとして、合計9千439万の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。前橋地裁は2013年10月16日、暴行による慰謝料として国に220万円の支払いを命じる。
⑬札幌・損害賠償請求事件(2008年5月30日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が護衛艦に乗艦中、教育係の自衛官等による暴行が原因で精神疾患にり患したなどとして、3千405万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。札幌高等裁判所で継続中。
⑭名古屋・損害賠償請求事件(2009年7月27日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が上司等による差別的取扱いや嫌がらせ等により精神的苦痛を受けたなどとして、訴訟に至った事実の公表並びに901万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。名古屋地方裁判所で継続中。
⑮京都・損害賠償請求事件(2011年6月17日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が上司からの嫌がらせにより精神疾患にり患し、さらに国が安全配慮義務を怠ったことによりこれが悪化したなどとして、1千532万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。京都地方裁判所で継続中。
⑯札幌損害賠償請求事件(2011年12月27日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が上司らによりセクシュアル・ハラスメント行為をねつ造されるなどのパワー・ハラスメントを受けたことにより精神疾患にり患した上、その意思に反して退職を強要されたなどとして、1千126万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。札幌地方裁判所で継続中。
⑰イラク派兵池田元自衛官裁判(2012年9月26日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が海外に派遣されていた際に交通事故により負傷したのに適切な治療を施されず、後遺障害を負うとともに、帰国後も、自衛隊内でパワー・ハラスメント及びいじめを受けた上、退職を強要されたなどとして、1億2千352万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。名古屋地方裁判所で継続中。
⑱神戸・国家賠償請求事件(2013年1月29日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が、自己の妻がカウンセリングを職務とする隊員によるカウンセリングを受けた際に当該隊員から職務を逸脱する行為を受けたことを上司に相談をしても適切な対応がなされなかったため精神疾患にり患したなどとして、1千361万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。神戸地方裁判所姫路支部で継続中。
⑲秋田・損害賠償請求事件(2013年3月7日)、原告本人1名。
請求原因「自衛官が、自己の妻の体調が急激に悪化した際に上司により帰宅の許可を受けられず、それが原因で精神疾患にり患したなどとして、1千876万円の損害賠償及び遅延損害金の支払を請求」。秋田地方裁判所で継続中。
この他にも防衛省・自衛隊ではなく、いじめの相手の幹部自衛官(同僚)を訴えた、「海自幹部候補生暴行事件(2007年、宇都宮地裁で継続中)や、今年に入っての陸自高等工科学校いじめ事件などが、裁判所で継続中である(後述)。
この広がるばかりの隊員とその家族からの訴え―賠償要求を、防衛省・自衛隊当局はどのように考えているのか。例えば、大企業においてこのような自殺に至る事件の訴訟が頻繁に起こったら、その社会的評判は地に落ち、その企業の商品は完全に信用を失墜するだろう。今、自衛隊で起きている事態は、こういうブラック企業と同様の出来事である。
だが、自衛隊は、こういう社会的評価を真正面から受け止めようともせず、ふんだんに与えられている「防衛費」という税金を湯水のように使い、誇大広告(というか詐欺に近い騙し)で、新隊員たちをかき集めようとしている。
しかし、このような防衛省・自衛隊のあり方が、いつまでも通用するはずはない。筆者が「自衛官人権ホットライン」の経験から強く意識してきたのは、ここ10数年、自衛官、とりわけその家族が、創設以来初めて自衛隊のあり方に異議を唱え始めてきたことだ。もちろん、ここでの異議は、彼らの家族(隊員)が理不尽にもいじめやパワハラの被害に遭い、あるいは、それによって死に追い込まれるということに関してである。
このような、家族の異議申し立てに呼応するように、もちろん、現役自衛官たちも自らの声を上げ始めている。今までは、「自衛官人権ホットライン」に寄せられる声は「辞めたい、死にたい」という後ろ向きの声ばかりであった。だがここに来て、彼らはこの不当なあり方、理不尽なあり方に、憤怒を現し始めたのだ。
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私は現地取材を重視し、この間、与那国島から石垣島・宮古島・沖縄島・奄美大島・種子島ー南西諸島の島々を駆け巡っています。この現地取材にぜひご協力をお願いします!

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