純烈酒井一圭、A.B.C-Zファンに語った「コンサートの遺影」

聞き手・照井琢見

 歌謡コーラスグループ「純烈」を追ったドキュメンタリー映画が5日、TOHOシネマズ日比谷ほか全国で公開された。題は「純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか」。推してくれるファンとの距離、グループの未来……。リーダーの酒井一圭さんに聞いた。

癒やしを求められている?

 ――映画は2024年11月の日本武道館公演の舞台裏だけでなく、公演を訪れるファンの姿まで映していますね。ファンとの距離の近さをひしひしと感じます。

 他のアーティストさんよりも、僕が人に興味がありすぎるんだと思います。一度会った人は、コンサート後にハイタッチ会や写真撮影会もある距離感だから、ちょっとした変化にも気づくんですね。

 例えば様子がガラリと変わった女性がいると、「なんや、離婚でもしたんかい」と、こちらからお客さんにぶつけちゃうんですよ。そうしたら「なんで分かんの?」「えっ離婚したん?!」みたいに話が流れていく。人の暮らしが気になっちゃうんですね。

 そんなことをやっていると、来てくれる人それぞれの蓄積が分かってくる。この人看護師さんで、この人保育士さんで、介護されてる人もいる。あれっ、純烈を気に入ってくれてる人って、ヘビーでタフな仕事をされている人が、癒やしでも求めに来てんのかな。そうしたら、こういう歌を歌おう。

 そんなキャッチボールが15年続いている感じですね。

 ――結成当初から、近すぎるほどの距離感だったのでしょうか。

 というより、生まれつき。例えば、俺は親に、「俺はどこでエッチしてできた子どもなん?」って聞いてしまうのよ。

 純烈を「ワーッ」「キャーッ」と応援してくれているけど、実は裏側でめっちゃ傷ついていて、死のうと思うぐらい悩んでいる人もいる。やっぱり顔とか服とかから、にじみ出るじゃないですか。そういうときに、ファッと「がんばらなあかんけど、がんばらんでもええんちゃう?」と俺は言う。すると、後から手紙で「ありがたかった」といただいて、「やっぱりそうか」と思うこともありますよ。

 でもね、これがカラー映像の映画になると、見てドキッとしたね。グロい。エグい。やっぱりそれぞれいろいろあるよなと。

 映画に出演してくださった皆さんのライブでの表情を思い出すと、それよりもシリアスでヤバい人もまだまだいっぱいいるんです。どないなっとんねん。

 冗談のように言ってますけどね、「人生最後に応援するのが純烈や」って方は、結構いらっしゃる。年齢層的にもね。それは腹くくってやらなあかんよなと思います。

 あとは、お風呂屋さんで活動したのがデカかったかもしれないです。

 お風呂には、しんどいから行く、ってこともやっぱりあるやん。それにパーソナルでプライベートな雰囲気にもなる。服脱いで、お湯につかって、アタマ乾かした状態でいると、素が出やすいんやと思います。

 こっちも着飾ってステージの上から歌うよりは、同じような目線で、ある程度脱いだんやと思うんすよね。今だってコンサート会場であっても、お風呂屋さんのテイで、俺らもファンの皆さんもハードルを下げてやってるからね。

 ――背負うものが大きく、重たく感じることはありませんか。

 重たくない重たくない。でもね、僕もこの映画を事前に見た後に、A.B.C-Zのライブに呼ばれたんです。

 7月24日、完全アウェーのパシフィコ横浜。

 やっぱり、彼らを応援するような若い人たちには、これから就職や転職、結婚、出産……いろんなことが山ほどあるじゃないですか。どうやったら応援し続けられるかな、とか考えているかもしれない。

 だから、純烈を呼んでくれたんちゃうかな、って勝手に思ったんです。

 で、ステージに立ったときにMCで、「人生最後に応援してくれるグループとして純烈を考えてくれる人が多いねん」って話をしました。20代、30代の人に語りかけるみたいになってしまってね。

 「みんな客席にびっしり入ってるけど、僕らの客席は時々ぽこんと空いていて、そこにちっちゃい写真が置いてある時がある。それは遺影やねん。その客席に握手しに行って、サインして。そういうのを最近、色々な会場でやるのね。A.B.C-Zもファンのみんなも、いろいろなことあるやろうけど、30年、40年経っても応援できたらええよね」

 そんな話をしました。そうしたら、SNSは純烈の歌やダンスじゃなくて、そのトークのポストばっかりになったんよね(笑)。

 でも、僕が思ったのはね、人生ほんまにびっくりするようなことが起こるけど、人を応援していると、自分も元気が出てくる。そんなことがこの映画には思いっきり描かれている。

 純烈に興味がなくても、自分の未来が見えなかったり、でも誰かを応援していたり、そんな人に見て欲しいと思います。

 ――タイトルには「死ぬまで推すのか」とありました。純烈は「終わり」を見据えているのでしょうか。

 そうねえ。こういう表現はどうかと思うけど、俺たちはお客さんとのデスマッチよね。「どっちが先に死ぬねん、行くぞ!」ってね。互いに鎖でつながりながら、こんなに明るく楽しいデスマッチはないよねってぐらいのやりとりをしている気がするな。

 確実に言えるのは、純烈というグループは、メンバーやスタッフじゃなくて、ファンの熱量で生きてるってことです。純烈のファンがみんなこの世からほんまに去ってしまって、誰もいなくなるところまで見送ってみたいよね。

 で、生き残ったのは俺です。デスマッチ勝ったぞ!

 いや、ちゃうな……みんなのおかげやったな。

 そうやって一礼してこの世を去るのがベストです。

 ――最後まで続けるには、変革も必要だと思うときはありますか。

 確かに、3人でメンバーも入れずに頑張ります、夢は紅白、「THE ALFEE」――なんて言ってますけど、「モーニング娘。」も気になってます。「純烈」という入れ物を入学したり、卒業したりというあり方ね。何がいいか分からんのよね。

 でも変えてはならない部分もあると思っています。一つはお風呂屋さん。もう一つはファンとの距離感。そして、お年寄りたちを徹底的に意識して、全国に映るように努力する。そういう純烈的真心さえあれば、のれん分けもできるよなって思います。

 ――そこに酒井さんは必要ですか。

 そこがね、分からんねん。1人でトークイベントに参加することもありますけど、それは風向きを知るための市場調査のようなところもあります。

 純烈は、味変を続けるラーメン屋のようでもあると思ってます。「変わってない」と言いながら、めちゃくちゃ変えている。でもお客さんも、関係者も「純烈は変わってない」と言ってくれる。これが大事なんですよね。

 でも何かを変えないと維持なんてできない。この仕事をやるからにはずっと考え続けることなんだと思います。

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