卒業論文で歴史ある京都大学吉田寮を研究対象とした寮生の上原雄大さん(22)。明治期の他大学の寮と比べて交流の場所が多く、面積も広く造られていることを吉田寮の魅力の一つに挙げる。
当時の吉田寮には新聞が置かれた「閲覧室」や談話室などもあり、それらの部屋は現在も交流の起点として使用されている。
さらに、寮に隣接する学生集会所も造られ、南寮と廊下でつながれていたなど、生活の延長に交流スペースがあったことがわかる。
長い歴史の中で寮生の「新陳代謝」を繰り返しながら、吉田寮ではさまざまな文化が生まれて根付いてきた。それを支えているのは、こうした誰でも使うことができる共有空間の存在だ。
※同時公開の前編記事あります
卒業論文で京大吉田寮を研究 部屋に残る文化、設計に刻まれた歴史
京大は2017年、耐震性などを理由にして寮生らに立ち退きと新入寮生募集停止を一方的に通知。代替宿舎を提案したが、吉田寮に住み続けた寮生も多数いた。
その背景の一つにも共有空間の存在がある。それは、代替宿舎が交流スペースのない単なるアパートで、人間関係を育むための「代替にはならない」ためだった。共同生活を通して成長を促す考えは100年以上経過した今も変わらず、脈々と息づいていることが感じられる。
1889年に京大の前身である旧制第三高等学校の寄宿舎食堂として建てられ、2015年に補修された現在の食堂は寮外の人にも開かれている。演劇などの会場としても利用され、片隅にはピアノやドラム、DJセットなどもあり、入寮後に興味を持って手にした寮生が、今では音楽イベントの主催を行っている。
明治後期、寄宿舎では「茶話会」という集まりが開かれていた。招いた大学教授と寮生が活発に議論や交流をする場だったという。今では学生だけにとどまらず、地域の人たちとも交流できるようになっている。
「どこで聞いたか思い出せないが」と前置きし、上原さんが教えてくれた言葉がある。
「建築空間は、その中で目を覚ましてこそ初めて理解できる」
言葉の通り、暮らしてわかった寮の重要性。「吉田寮を無くしてほしくない」という言葉には、その空間で生活する寮生だからこその重みが宿っている。【山崎一輝】