第2章|何もなかった春に、すべてが始まった。
何も持たずに飛び込んだ、あの春。
農業をやりたい――
そう心に決めたのは、たった3ヶ月前の冬のことだった。
作りたい作物も、目指したいやり方も、
場所すら決めていなかった。
ただ、確信だけは胸にあった。
「この手で、誰かを笑顔にできる。農業なら、それができる。」
その直感に従い、私は長野県宮田村へたどり着いた。
初めて出会った、伊那谷の朝焼け。
ここで生きていく、そんな予感がした。
―――――
けれど現実は、想像以上に厳しかった。
新規就農のためには、
「前年の夏ごろまでに研修先を決め、認定を受けなければならない」――
そんな仕組みすら知らなかった私は、
もうすべての枠が埋まった後で、ここに来てしまった。
新規就農者向けの融資や支援は受けられない。
現実的には認定を取ることが不可欠だった。
それでも、私は今この瞬間から歩き出したかった。
―――――
探し回った末に出会ったのは、
駒ヶ根市にある、あるネギ農家さんだった。
本来、認定を出せる研修先ではなかった。
でも役場に直談判して、認めてもらった。
「ネギを中心にやるなら」という条件付きだったが、
私はその場で、迷わず腹を括った。
本当は、ブルーベリー観光農園も少し考えていた。
けれど、そんなことを選んでいる余裕はなかった。
まずはここから。
まずは、何があってもこの地に根を下ろすこと。
―――――
当然、生活は厳しかった。
東京に家族を残しての単身赴任。
アルバイトをいくつも掛け持ちしながら、
それでも必死に畑に立ち続けた。
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遠くに見える山々、
土の匂い、
無数の小さな命の鼓動。
どこまでも続く道。
小さな一歩を、確かに踏み出した場所。
それに触れるたびに、
小さな頃に出会った風景、人、感情、匂い、音――
忘れていたはずの情景たちが、
細胞の奥からふわりとよみがえってきた。
頭で考える暇もない。
ただ、細胞が震えるように、喜んでいた。
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ただ、人間らしく生きるために。
私は、この手を、土に伸ばし続けた。
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