歌手 橋幸夫さん死去 82歳「潮来笠」「いつでも夢を」がヒット

「潮来笠」や「いつでも夢を」など数多くのヒット曲で知られ、長年にわたり日本の歌謡界をけん引してきた歌手の橋幸夫さんが4日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。82歳でした。

橋幸夫さんは東京都の出身で、高校1年生でレコード会社のオーディションに合格し、1960年、17歳の時に「潮来笠」でデビューしました。

この曲が大ヒットし、日本レコード大賞の新人賞を受賞。その年の紅白歌合戦にも初出場するなど一躍、人気歌手となりました。

戦後を代表する作曲家の吉田正さんに師事し、その後も、吉永小百合さんとデュエットした「いつでも夢を」や「恋のメキシカン・ロック」などのヒット曲を連発しました。

同じ時期にデビューした舟木一夫さん、西郷輝彦さんとともに歌謡界の「御三家」と呼ばれ、一世をふうびしました。

紅白歌合戦には通算19回出場するなど長年にわたって日本の歌謡界をけん引しました。

また、橋さんは俳優としても吉永さんとのデュエット曲を映画化した「いつでも夢を」などの映画やドラマに出演し、2013年にはNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」に本人役で登場したことで話題となりました。

橋さんは声の衰えなどを理由におととし歌手を引退しましたが、去年、引退を撤回し、ステージに復帰していました。

所属事務所によりますと、ことし5月、認知症と診断されたことを公表したあとも6月には京都市でステージに立ちましたが、その直後に入院し、4日、都内の病院で肺炎のため亡くなったということです。82歳でした。

8月までSNSのXに投稿も…

所属事務所によりますと、橋さんは、認知症と診断されたあとも、ことし8月まで近況について妻の協力を得てSNSのXに投稿していました。

このうち、6月には、京都での公演に新幹線で向かう様子や、公演の後に俳優の大村崑さんたちと撮影した写真を投稿していました。

また、7月5日には、ケーキの写真とともに「65年目のデビュー日を皆様のおかげで迎える事が出来ました。感謝です」と投稿していました。

そして8月14日には「今日も暑いですね来年3月の京都芸術大学卒業に向けて…頑張ります」と、3年前から書などを学んでいる大学の卒業に向けた決意を、筆を手にしたようすとともに発信していました。

《芸能界から悼む声》

吉永小百合さん「私の宝物です」

「いつでも夢を」で橋幸夫さんとデュエットした吉永小百合さんは「残念です。とても残念です。橋さんは、いつまでも歌い続けようと思っていらしたことでしょう。二人で歌った『いつでも夢を』は私の宝物です。橋さん、ありがとうございました」とコメントしています。

五木ひろしさん「寂しく言葉もありません」

歌番組で何度も共演してきた歌手の五木ひろしさんは「訃報を聞きとても残念に思いました。憧れの歌手としてずっと歌を聴き、姿を見てきましたので、とうとうこの日が来たのかと思うと寂しく言葉もありません。長い間お疲れ様でした。ゆっくりお休みください」とコメントしています。

倍賞千恵子さん「ことばもない」

映画『若いやつ』や『舞妓はん』などで共演した俳優の倍賞千恵子さんは「びっくりしてことばもありません。テレビで歌っている姿を見たばかりなのに。映画『舞妓はん』シリーズなどでいつもご一緒させていただき2人ともあのころ、とても忙しかったけど、本当に楽しい撮影の毎日でした。京都でおいしいものを食べに連れて行っていただいたことを思い出します」とコメントしています。

三田明さん「突然のことで頭が真っ白」

橋幸夫さんが亡くなったことを受けて、同じ戦後を代表する作曲家の吉田正さんに師事した弟弟子で歌手の三田明さんは「突然のことで、頭が真っ白です。芸能界に入り、兄のように慕っていた橋幸夫先輩ともうお会いできないとは。いまだ整理もできておらず、言葉も見つかりません。心よりお悔やみ申し上げます」とコメントしています。

《街の人から惜しむ声》

歌手の橋幸夫さんが亡くなったことについて、JR新橋駅前で聞きました。

60代の男性は「吉永小百合さんとデュエットした『いつでも夢を』は今の時代にももっと聴かれていい名曲だと思います。『御三家』は誰でも知っている存在で、みんなが歌える歌がたくさんあります。橋さんが亡くなったのは本当に残念です」と話していました。

また、50代の女性は「橋幸夫さんはきれいな声で歌う歌謡曲のプリンスでした。メロディーや歌詞が耳と心に残っていて、今も口ずさんでしまいます。亡くなって残念ですが記憶に残るものがたくさんあります」と話していました。

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