男と女――金子と森の場合(ⅩⅤ)
そして彼らの計画を耳にした詩人仲間の井上康之や尾崎喜八が、洋行記念のアンソロジーを出す企画をたて、予約募集のチラシをつくってくれた。金子がそれを持ってきてくれて、三千代はベッドの枕許の壁に貼った。回診に来た医師はそれを見て、「ヨーロッパ行きですか。全快にごほうびですな」と言った。
金子光晴・森三千代渡欧記念詩華集『篝火(TORCHE)』は、七月一日に素人社から出版された。執筆したのは、井上康文、金子光晴、勝承夫、中西悟堂、尾崎喜八、陶山篤太郎の六人で、定価は一円二十五銭だった。金子の作品は「航海」をはじめとした詩十五篇で、いずれも海外をテーマにしたものだった。
詩「展望より」では、「私は、ある晩、彼女を恋したが故にすべての美しい地獄(プロフォンジス)を一夜で下った!」と詠われている。明らかに三千代との間の苦悩の反映であった。
七月下旬、三千代が退院する日が来た。入院から四十六日目だった。荷物は金子が先に家に持って帰っていたので、退院すると二人で新宿に出て、その後神田へ行き洋食屋でカクテルを一杯飲んだ。するとその酔いが日本橋三越に着いたころにまわってきて、急に貧血を起こして車道にへなへなと崩れ落ちてしまった。とりあえず日本銀行のわきの芝生まで連れて行かれたが、意識が朦朧としていた。通りかかった紳士が仁丹を飲ませてくれ、タクシーで鰻屋の二階へ連れて帰られた。
夕方にはすっかり元気になり、家主の鰻屋の夫婦をはじめ近所の人たちが、病院帰りの三千代を温かく迎えてくれた。伝染病患者を出して、消毒やなにかで迷惑がかかったにもかかわらず、そんなことはおくびにも出さず、市井の人たちの人情が身にしみた。一方で、気になるのは土方のことだった。彼女が伝える先に、知人の噂からヨーロッパ行きの計画を知ってしまうのではないか。三千代は夕方に近くの郵便局から電報をうち、翌日の三時に神楽坂の喫茶店の紅屋で会いたいと知らせた。
翌日、喫茶店に向かって坂を上っていると、途中にある本屋から土方が出て来て、黙って横に並んだ。
「「ヨーロッパへ行くんだってね」
定一は、えっと私が聞き返すほど平常な調子で言った。
「止める?」
定一はそれに答えず、「向うへ行ったら、向こうの『リューマニテ』〔フランスで出ていた左翼系の新聞〕を送ってくれないか」と、他人事のような平静さで言った。定一の冷淡さのなかに、私のおそれていた誤解がのぞいてみえたので、私は矢継早やに、私が考えていた、ヨーロッパで定一と出会うという虫のいい計画の一くさりを述べ立てた。定一は、そんなことはおめでたい三文芝居のすじがきだといわんばかりな顔付きで、私が真剣になる程わざといいかげんに聞き流すふりをした。」(「青春の放浪」)
金子と森の間で出発の日は九月初めと決めた。長崎の両親はヨーロッパ行きを喜び、留守中は乾を手許で養育することを引き受けてくれた。金子の仲間の詩人たちが主催して、はやばやと山水楼で送別会を開いてくれた。また別のグループは、四谷にある白十字の二階で送別会を開いた。こうして三千代の外堀は次第に埋められていき、土方との関係をどうするかで追いつめられた気持だった。金子とは、ヨーロッパ行きに同意する条件として、出発までの間は自由にさせてほしいという約束ができた。九月一日まではあと一カ月少々しかなく、土方は残された時間を一緒に茨城県の海岸で過ごそうといい出した。
「「なんでもない、つまらない海岸なんだ。君が考えているような花やかな避暑地とはちがうよ」と、ことわりを言う定一の心では、私がぜいたくな、小ブルジョアの家の妻のつもりでそれを征服していることに、イデオロギー的な勝利感をさえおぼえているようだった。「金子氏は、それは金をつくることはうまいだろうさ」などと、揶揄的に言うのも、金子の実情を知らないからだった。が私は、弁解もしなかった。」(「青春の放浪」)
土方は目当ての茨城県高萩の知り合いに手紙をだしたが、返事はなかなか来なかった。そんな折、神楽坂を歩いていると、女性作家の先輩である生田花世と出会った。話は『女人芸術』のことになり、間もなく第二号の締め切りだという。翌日、彼女が編集発行人の長谷川時雨(写真)の許へ連れて行ったくれることになった。
翌日は四谷にあった長谷川邸に行き、前に書いた「青幣党〔チンバンタン〕の息子」の原稿を置いてきた。帰りがけに長谷川が、「ヨーロッパへ行く途中から原稿をどしどし送ってくださいよ」と、声をかけてくれた。三千代はいつになく張り切った心地になった。ヨーロッパ行きに一つ張り合いができた思いだった。
鰻屋の二階へ帰ってくると、ちょうど旅券が届いたところだった。濃いオリーブ色の厚紙の表紙で、それを開くと金子と二人の写真が並んで貼られており、日本帝国外務省の印が捺してあった。三千代の写真は、どうでもいい気持で金子に渡したもので、口紅が黒々とあくどく映っていた。
この日の夕方、同郷の女友だちで、国民新聞の記者をしている吉田一子が、ヨーロッパ行の話を聞きつけて訪ねてきた。(続)