Vol.547「皇位継承は天皇が決めるべきである」
(2025.8.26)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…皇位の安定継承を最も強く望んでいるのは誰か?天皇陛下である!皇位の安定継承なんかどーでもいいと思っているのは誰か?国会議員である!それにも拘わらず、皇位継承資格を男系男子に限定することを規定しているのは「皇室典範」という法律であり、これを改正して女性・女系の皇位継承を可能にして、愛子さまを次の天皇にすることは、国会の議決によってしか実現できない。無知蒙昧な国会議員にしか、皇室典範改正ができない制度になっているということ自体が問題の根本なのである!なぜこんな理不尽がまかり通っているのか!?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…最近、エックスで食品メーカーのミツカンが炎上し、謝罪に追い込まれるという事件があった。経緯を知れば知るほど、なぜ炎上しなければならないのか理解に苦しむが、火だるまになったミツカンは、「不快な思いをさせてしまいました」「深く反省しています」と公式謝罪するハメに追い込まれたのだった。一方、ポリコレやキャンセルカルチャー問題を先導してきたアメリカでは、ちょっとした言葉の使い方によって、企業のCMが大炎上し、マスコミを巻き込んでの大議論にまで発展したものの、日本とはまったく真逆の結末を迎えたのだった。その理由とは?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…よしりん先生は「漫画家」?「評論家」?「思想家」?女性漫画家に週刊少年漫画誌での連載は無理では?韓国で結婚できなかった男(淘汰男(トテナム))が日本へ来て婚活をしているらしい!?日本人が「働きたくない」と言い出す原因は?完璧な少子化対策って存在しないのでは?先生にはいつも元気をもらってばっかりなので、先生に元気を送りたい!…等々、よしりんの回答や如何に!?
1. ゴーマニズム宣言・第576回「皇位継承は天皇が決めるべきである」
皇位の安定継承を最も強く望んでいるのは誰か? 天皇陛下である!
皇位の安定継承なんかどーでもいいと思っているのは誰か? 国会議員である!
それなのに、皇位の安定継承のために必要な法律「皇室典範」の改正は国会の専権事項であり、天皇陛下のご意向は反映されないことになっている。
なぜこんな理不尽がまかり通っているのか!?
国民の大部分は、皇統は男系でも女系でもいい、すなわち「双系」でいいと思っている。
それなのに、なぜ国会議員だけが「男系主義」で一体化するのか?
もちろん国会議員にも双系でいいという議員はいるのだが、党としての方針が「男系」になっていたり、党内に男系主義の勢力が多数まとまっていたりするからあまり目立って主張することはなく、国民の意向との乖離が圧倒的になってしまっている。
国会議員は国民を愚民だと思っていて、自分たち国会議員は選民という意識が強いのだろうか? だったら『愛子天皇論3』の最終章を論破して、「男系男子継承こそが日本の伝統である!」と証明してもらいたい。公論サポーター有志が大々的に「献本運動」を展開しているから、もう本は届いているはずだ。
国民の圧倒的多数は素朴に天皇皇后両陛下を敬愛し、愛子さまのオーラを感じていて、次の天皇は愛子さまがふさわしいと感じているはずだ。
だが問題なのは、国民の多くは、このままでは愛子さまは天皇になれないことも、皇統が断絶してしまう可能性が極めて高いということもよく知らないということだ。ましてやそれが国会議員の怠慢に由来するなんてことは知る由もなく、それが選挙の争点になることもない。
国会議員は票にならないことには興味も関心もないから、皇統問題になど目を向けようともしない。
そのくせ、ただ知ったかぶりして、偉そうな顔だけはしておきたいから「皇統は男系男子に限るのであるぞ」なんてデマにホイホイと飛びついて、それ以上は何も考えもしないのだ。
皇位継承資格を男系男子に限定することを規定しているのは「皇室典範」という法律であり、これを改正して女性・女系の皇位継承を可能にして、愛子さまを次の天皇にすることは、国会の議決によってしか実現できない。
無知蒙昧な国会議員にしか、皇室典範改正ができない制度になっているということ自体が問題の根本なのである。
皇室典範は明治22年(1889)、大日本帝国憲法と同年に制定された後、敗戦後の昭和22年(1947)に改正され、これが現行の法となっている。
ただし明治の皇室典範と戦後の皇室典範は名称こそ同じだが、単に条文が改正されただけではなく、法の性格自体が完全に変えられている。
明治の皇室典範は大日本帝国憲法と同格の欽定法だった。当時の日本は最高法規が2つあったわけで、これを「典範」と「憲法」で「典憲体制」といった。
旧皇室典範は皇室の「家法」として扱われたため、官報に掲載して「公布」するという手続きは採られず、非公式に新聞に掲載された。そしてその改正は天皇大権に属し、国会は関与できないものとされていた。
もっとも、天皇が自ら定めたというのは形式だけで、『愛子天皇論3』に詳述したとおり、実際に条文を作ったのは国会開設前の明治政府であり、特に皇位継承を「男系男子」に限るという規定は、伊藤博文の重要なブレーンだったとはいえ、一法制官僚でしかなかった井上毅が強引に入れたものだった。
明治の皇室典範の条文は戦後まで改正されなかったが、明治40年(1907)には「増補」が行われ、皇族が臣籍降下する規定が加えられた。
それまでは「永世皇族制」だったので皇族が無制限に増えてしまい、国家財政を圧迫する恐れが出てきたためで、それが天皇の意に沿わないものだったわけではないだろうが、実際には天皇自ら行ったのではなく、やはり政府が行った増補だった。
皇室の長い歴史において、皇位継承に男系も女系も関係ないということくらい明治天皇も、大正・昭和天皇もご存じだったに違いないが、皇室の「家法」のはずの皇室典範において、「男系男子限定」とされてしまった。
そして、天皇といえどもこの規定を変えることはできなかった。なぜなら明治憲法の第2条は「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニヨリ皇男子孫之を継承ス」となっており、憲法においても「皇男子孫」と規定されていたからで、国会が憲法改正をしない限り典範の改正もできない状態だったのだ。
大東亜戦争に敗れ、GHQに占領統治された日本は、憲法と共に皇室典範の改正を余儀なくされた。
そしてその際にGHQが特にこだわったのが、皇室典範を憲法の下位に置き、国会の議決によって定められる一般法とすることだった。
日本政府側は「典範制定は皇室の自律権である」と主張し、「国会制定法」とは別の、皇室独自の法体系として存続させようと抵抗したが、GHQは全く受け入れなかった。GHQの最大の方針は、日本に徹底的に「国民主権」を刷り込み、天皇を国民主権に基づく「象徴」とすることだったから、憲法と並立する欽定法の皇室典範なんてものを認めるわけがなかったのだ。
かくしてGHQが作った日本国憲法の第2条は「皇位は、世襲のものであり、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」となった。
わざわざ「国会の議決した」皇室典範と強調しているあたりに、何が何でも皇室を国会の下に置かなければならないというGHQのこだわりがにじんでいる条文である。
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購入者のコメント
80自分は、この問題は歴史的な経緯の話だと、今まで思ってきたので、「観応の擾乱」
とか。「氏姓制度」とか、あるいは「桂宮家では、幕末に淑子内親王という人が、臨時ではあるけれども継承しているから、女性宮家の前例になるのでは」というようなことを述べていましたが、どうも、そんなことよりも、男性と女性が生まれる確率の問題でいいのだと思います。それ以前に、個人的な家のことを、公的なことと拡大解釈されて、好きなようにされて、自分の一族のことなのに、自分たちで決められない理不尽さをこそ、思うべきではないか、と思います。
(男子子孫のみが絶対とする)愚かな人たちに引っかき回されぬよう、国会議員も、そして神道組織も賢くなって欲しい、そう願います。愚かな人たちに、どういう点で愚かかと指摘するのも親切でしょう。
もくれんさんの方ですが。
相変わらず、ツイッターやインターネットでは、下らないことでいちゃもんをつける人がたくさんいるんだな、と思いました。見たくなければ見なければいい、それだけではないのでしょうか?
確かに主張をする人にはそれ相応の信念があるのでしょうが、「自分のいけんを無理矢理押しつけるのはいけない」とか、親などから言われたりしなかったのでしょうか?それとも、その反動なのでしょうか?
他者のことはあまり言えないですが…。「これこれこういう理由で、自分はこのように感じるし、ほかの人もそう感じるのではないだろうか、と想像するが、あなたは私の意見
聞いて、どう思うだろうか?」とか、言えないのでしょうか?
世の中、そんなに甘くはないのかな…?先日、先生のデコピンのことが、TVのヴァラエティでとりあげられていましたが、今、これをやったら、NGなんでしょうね。時代が違う、というのも、分かるけれども。何だかな、と。
今や、自分の気に入らぬものには何でも意見できると思い込んでいる人が多いようですが…言葉って、そんなに「軽い」ものなのでしょうか?
最後に、シドニー・スウィーニーさんのCMですが…別にどうってこと、ないでしょう(多少はどきどきしましたが)。あのレヴェルなら、古今東西のタレントさんがずっと、グラビアとかでやってきていることなのでは、と思います。
案外、そういうのが常識なのではありますまいか?それだって、時代や場合によって、変動するのかも、ですが。
不変でいいものと、変化すべきものの取り違えが、多く鳴りすぎているような、気もします。以上です。
つけ足しですが、ウィリアム・サローヤンの「我が名はアラム」ですが(「My Name is Aram」…だったか?)、大学の一般教養の英語の授業でテキストにしたものです。のちに翻訳本も買い…ともに、どこかに、今もあるはず?
先生の恋愛の話や、アラムの叔父さんが沙漠に果樹園をつくろうと奮闘する話とか…なかなか面白かったですが…アルメニア人のことを語るのだったら、こういう本もよんでみる必要があるのでは、と。
アゼルバイジャン人の作家は…不幸にして、存じ上げませんが、(世界に限らず)同一地名が複数の地域にある理由を考えてみるのも大事かな、ということで、
それでは、次号を期待します、そして、次回のDOJOも。よしりん先生の奇蹟の復活を期待します!