あっけらかんとくたばって ⑧
厚い雲に覆われた空を見上げる、このところ日の光を浴びた覚えがない。
相変わらずこの場所は酷く息苦しくて……とても寒い。
「……お兄ちゃん、おかえり。 また魔物を倒してたんだ?」
「ああ、こっちの気も知らないで好き勝手湧いて来る……そっちも何体か片付けていたみたいだな」
真冬と錯覚するほどの極寒の中、並び立った氷像の一つに腰かけたスノーフレイクが俺を見下ろす。
氷像の中にはすでに息絶えている魔物が冷凍保存されている、もうじきすべて魔石に還る運命だ。
「大丈夫、自然発生した雑魚ばかりだよ。 もしかして心配してくれた?」
「いいや、お前の実力はここ三日で充分知ってるよ。 それよりハクは?」
スノーフレイクは不機嫌に頬を膨らまし、黙ったまま指先だけの案内を示す。
ピンと伸びた人差し指の先に見えるのは、奇跡的に未だ原型の残っている建物。
元は古本屋だったのだろう、既に商品の殆どが風化した店内に足を踏み入れると、レジ台の前で蹲ったハクがいた。
「相も変わらずだよ、ずっと動かないし喋らない。 ただそこにいるだけでしかない」
「……よう、ハク。 腹減らないか? 食いたいものがあれば軽く作るぞ」
「…………いら、ないです」
顔を上げないまま、くぐもった声が聞こえる。 ひとまず生存確認は出来た。
これでも三日前に比べればだいぶ進歩している、何せ当初は隙あれば自殺を目論んでいたのだから。
ハクの腕にはガラス片で切りつけた痛痛しい傷跡が残っている。 ただし、その傷はどれも彼女の命を奪うには至らなかった。
「言っておくけど、餓死しようとしても無駄だよ。 人間じゃないんだから」
「おい……」
「ごめん、でも本当の事だから。 それに万が一あなたが死ぬとお兄ちゃんも困るんだ」
咎めたところでスノーフレイクは悪びれもせずに言い切る。
確かにハクはこのところ何も口にしていないが、その割に衰弱している様子は見られない。
ハクだけじゃない、俺もこのところ食事をした覚えはないがいたって健康だ。 これも賢者の石の影響なのだろう。
……もっとも、何か食べたところで味がしないガムを噛んでるようなものだが。
「お兄ちゃん、少し休んだほうがいいよ。 私が見張りをしておくから」
「大丈夫だよ、どうせ寝なくても問題ない体なんだ」
「身体は大丈夫でも心が摩耗する、本当はご飯も食べたほうがいいんだけどね」
「……大丈夫だ、俺は大丈夫だよ」
確かにこの3日間で精神は大分すり減っているかもしれないが、それでも休むわけにはいかない。
スノーフレイクは確かに俺のことを心配しているのだろう、ただし彼女の優先順位は常に俺が最上位だ。
現状目的は一致しているが、スノーフレイクは俺と他者を天秤に掛ければ迷わず前者を選ぶ相手だ。 全幅の信頼を寄せて休むような真似は出来ない。
「…………わかった、ならせめて周りの雑魚だけでも散らしてくるよ。 その子の事をお願い」
俺たちを残し、スノーフレイクの姿が消える。
存在希釈を利用した目くらましだ、移動の痕跡が残らないため追跡は難しい。
仕事を取られて後も追えないとなると何もやることがない、手持ち無沙汰なままにハクの隣に腰かける。
「あー、気にするなよハク。 こうなったのはお前のせいじゃない、俺が選んだからだ」
「でも、マスターだって後悔してます」
「……そんなことはない、賢者の石の力がなければ俺はあの場で死んでいたんだ。 むしろ感謝したいぐらいだよ」
後悔の念が全くない、といえばウソになる。 だがそれを正直に話したところでハクを余計に傷つけるだけだ。
しかし返事が詰まったのは失態だ、おそらくハクにも気づかれている。
「……賢者の石は、周囲に致死量の魔力を振り撒きます。 際限なく、どこまでも広がる魔力は世界を侵略します」
「ああ、だからこうして隔離された場所に閉じこもっている訳だな」
「私のせいです、私があの日にこちらの世界へ来てしまったから……私がマスターを、皆を……」
「落ち着け、ゆっくり深呼吸するんだ。 ……大丈夫、大丈夫だから」
縮こまって震えるハクの背中をさすって落ち着かせる。
酷く冷たい、死体のような体温だ。 きっと気温のせいばかりじゃない。
「ハク、無理なら無理しなくていい。 だけど話せるなら聞かせてほしい、“あの日”ってのは……」
「――――10年前」
予想と違わない言葉がハクの口から零れる。
この世界で10年前に起きた魔力に関わる事件、といえば一つしか思いつく当てがない。
「10年前、あの日、に……私は、この世界に仕組まれた……兵器だったんです……」