花は、咲かせてもらうんじゃない。――風の通る場所に、戻っただけだった。
先日、とある場所で
ほんの少しのあいだだけ、静かに言葉を交わした人がいた。
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その人は、特別な紹介も、長い時間も求めず、
ただ「今、自分の声を聞きたかった」みたいに
そっと会いにきてくれた。
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話したのは、ほんの1時間。
でもその時間の中で、
心に張りついていた薄い膜のようなものがふっとほどけて、
その奥から、静かに涙がこぼれた。
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あとになって、その人から、
過去に気づけなかった痛みや、誰かへのやさしさ、
そして、自分自身に対する深い理解の手紙が届いた。
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ぼくは思った。
この出来事は、たまたま起こったものではない。
会いに来ると決めた時点で、
その人の中ではすでに“変化のスイッチ”が入っていた。
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だからこそ、何かがほどけた。
だからこそ、言葉が涙になった。
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たぶん、そういう出来事のあとで
「すごい人だね」とか「特別なことをしたね」と
言ってくれる人がいるかもしれない。
でも、ほんとうはちょっとだけ違う。
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ぼくがしているのは、
“誰かを変えること”じゃない。
“何かを教えること”でもない。
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ぼくがやっているのは、ただ一つ。
その人が本来持っていた“公の役割”が、
自然に芽を出せる場所を用意すること。
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たとえば──
その人の中に「音」があるとしたら、
ぼくは「その音が響ける場所」をつくる。
ぼくが何か“与えた”んじゃない。
ただ、「もう、鳴ってもいいよ」って場所に
そっと“その人自身”を置いただけなんだ。
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そうすると、不思議なことが起こる。
本人が、自分で自分に気づいていく。
言葉がほどけて、涙がこぼれて、
それでも前を向いて、勝手に一歩、踏み出していく。
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それを見た時、毎回思う。
「やっぱり、花って咲かせてもらうんじゃなくて、
“風の通る位置に戻っただけ”なんだな」って。
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だから、今回のことも含めて──
本当にすごかったのは、本人なんだ。
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その場にいたぼくは、ただ
「光が届く配置に戻した」だけ。
ぼくは“育てる人”じゃない。
**「構造を設計する人」**なんだ。
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これからも、誰かを変えることはしない。
ただ、それぞれの人が“本来の場所”に戻ったときに、
ちゃんと咲ける風景を設計し続けていくだけ。
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もし、これを読んでくれている誰かが
「私のことかも」と少しでも感じたなら──
それはきっと、
あなたの中ですでに何かが**“目を覚まし始めてる”**ってことなんだと思う。
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そして、それはもう、十分すぎるくらい美しい。
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