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高い枕(The High pillow)

その日は特別に用事があったわけではない。次の日に用事があった。その用事は朝が早かった。私の家から当日に向かうことはできないわけではないけれど、朝早く、とても朝早く家を出なければ間に合わない用事だった。

荷物も多かった。
朝早く起きて、多くの荷物を持ち、朝の人が多い電車に乗ることは考えるだけで疲れた。十分な睡眠をとり、その用事に挑みたかった。そのための方法はと考えると、前日に用事がある場所の近くのホテルに泊まるという至極真っ当な答えに行き着いた。

首都圏のホテルは最近は高くて、とてもじゃないけれど、泊まることはできない。しかし、その場所はまだ宿泊費高騰の波は来ていないようだった。高くはない。もちろん安くもなかった。普通。最近は普通であることを嬉しく思う。そのような時代だ。

私は前日の昼過ぎに家を出て、その街に出かけた。どこにでもあるような、特徴を記すのが難しい街だった。悪い街ではない。いい街と言ってもいい。住みやすく感じる。住みやすい街は必ずしも、部外者が楽しい街ではない。どこを歩いてもあるのは住宅だ。それもどの地域にもある住宅。知らない街の見慣れた景色が私の視界に広がっていた。

私は夕食を取ると、ホテルにチェックインして、パソコンを立ち上げ仕事をした。ノートパソコンがあれば、重いデータを扱う仕事以外はどうにかなる。別に急ぎの仕事があったわけではない。街を歩いても何か発見があるとは思えず、仕事をしたわけだ。それに次の日は早い。早く寝るべきだろう。ギムレットには遅すぎる、そんな日だってある。

私はパソコンを閉じた。
シャワーを浴びた。どこかの国の安宿とは違い、きちんとお湯が出て、きちんと水量があった。日本の多くの都市にある、特徴のないビジネスホテルだ。全てが平均。最低でも最高でもない。普通なのだ。最近は普通であることを嬉しく思う。そのような時代だ。

チェーンのホテルではなかった。
その街にしかないホテルだった。もしかするとチェーンなのかもしれないけれど、私はその名前のホテルを知らない。この街だけの普通のビジネスホテル。特筆すべきことはない。窓を閉めていると街の音も聞こえなかった。

歯磨きをしてベッドに入る。
そこで確信に変わった。それまで私はなんとなく感じていた違和感を考えないようにしていた。おそらくそうなのだろうけれど、それは私の勘違いで、あるいは実際に使えば、その問題は綺麗にクリアになると信じるようにしていた。だから私は部屋に入ってからベッドには触れなかった。パソコンも小さな備え付けの机の上で使っていた。

私が感じていた違和感は的中した。
アーチェリーの世界的な選手がゴールデンレトリバー一頭分くらいの距離にある的を射抜くような完璧な的中だった。あまりに完璧で私は拍手をしたいくらいだった。同時にそれは辛い夜の到来と、苦しい明日を工場地帯の一本道のように完璧に見通すことができた。

それは枕が高いということ。
部屋に初めて入った時に、ビジネスホテルの狭い部屋だからベッドは当然のこととして目に入る。その時に「枕が高いな」とは思ってはいた。同時にその枕に頭を乗せればフカフカで沈む混んでくれると期待を込めて信じることにしていた。

そんな期待は無勉強で受けた大学入学共通テストのように散った。全然沈み込まない。枕は頭を乗せても高いままだった。もちろんわずかに沈むけれどそれは賞味期限が1年あるものの1日目と2日目くらいの違いしかなかった。

顎が胸に刺さる。
枕が高すぎて、頭の角度が遊園地にある「フリーフォール」の落ち始めみたいな角度になり、顎が胸に刺さるのだ。もちろん実際には刺さってはいない。顎が貫通して、背中に達しているのだ。もはや穴は大きくなり、刺さるという段階は超えて、埋まるという方がいいかもしれない。

それほどに枕が高いのだ。
もちろん高い枕を好む人がいるのは理解している。しかし、私は違う。今となっては低いほど好みと言いたくなる。ホテルによっては枕を選べるサービスがあると思うけれど、このホテルではそのようなサービスは真冬の冷やし中華ぐらい存在しなかった。

頭をもっと枕に乗せればいいんだ、と思った。浅く乗せているつもりはないけれど、もっと枕と頭の設置面を増やせば、顎が胸に刺さることもないだろうと考えた。それがウルトラマンのスペシウム光線のように全てを解決する方法かもしれない。体をモゾモゾと動かし、頭と枕の設置面を増やした。

背中が浮いた。
枕と頭の設置面を増やすと、枕が高く、また沈まないせいで、背中が浮いた。腰のあたりはベッドに接しているいるけれど、肩甲骨のあたりは浮いている。トンネルのようになっている。そのトンネルの噂をどこかで聞きつけたのだろう、やがてそのトンネルには東北新幹線の新たな路線が引かれた。それほどに背中が浮いたのだ。

枕を使わない選択肢も考えた。
しかし、眠れなかった。枕的なものは欲しい。わずかにでも高さが欲しい。部屋を見渡したけれど、使えそうなものはなかった。高い枕を使うしか方法はなかった。顎が胸に刺さる、あるいは背中が浮くを陽が昇るまで私は繰り返した。

次の日の朝、私は寝不足だった。
だって枕が高くて眠れなかったから。朝の日差しがいつもより強く感じた。若干、首が痛かった。うそ、とても首が痛かった。私はすっかり枕に負けた。手強かった。勝ち目を見つけることはできなかった。1ラウンドKOと言ってもいい。枕に頭を乗せた瞬間に私は負けを確信していた。この枕はどこかの階級のチャンピオンなのだろうと思う。

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高い枕(The High pillow)|地主恵亮
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