「火蓋が切って落とされる」はあやまりで、
「火蓋が切られる」という言い方が正しい


この指摘聞いたことないですか?


私が子供の頃、クイズ番組ブームで、「言葉の正しい言い回し」や「間違いやすい漢字の正しい読み方」がよく出題されていました。

あと、『問題な日本語』という本もめちゃくちゃ売れていて、家にありました





テレビっ子だった私はかぶりつきでクイズ番組を見て、せっせと「正しい使い方」を自分にしみこませていました。


そのうちの一つが「火蓋が切って落とされる」は誤用、「火蓋が切られる」が正しいという題目です。「幕が切って落とされる」と混ざってしまってるというのです。


その正誤表が頭に入ってしまっているので、今でも「火蓋が切って落とされる」という表現を見ると、「あ、『切られる』じゃない」と気になってしまいます。


最近、そんな自分に
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こう思ってしまいます。


「火蓋が切られる」は、火縄銃からきた表現だそう。


昔見たクイズ番組で、

「火縄銃を撃つとき、『火蓋』という部分を開けて火皿に点火する


火蓋は開けるだけで切らないから、『切って落とす』は間違いだ」


と、解説がありました。(わざわざ火縄銃の映像付きで。)




当時は純なので、「へえ〜!間違えないように気をつけるぞ✌️」と素直に受け取っていましたが、


今は「火縄銃を使ってる人ほぼおらんのに、いまだに火縄銃準拠で言葉を守ってるのなんやねんな」と感じてしまいます。


正直、「火蓋が切って落とされる」で言いたいことはわかります。ちゃんと言葉のおつとめは果たしていますよね


なのに、撃ったこともない火縄銃のしくみを考えて「切って落とされる」を律儀に誤りとしているのです。


「火蓋が切って落とされる」を目にした私は瞬時に、「戦を知らない令和の火縄銃警察」に早変わり。

このジレンマから抜け出すには、「火蓋を切って落とす」も「火蓋を切る」も同じだと大同団結決め込むか、一度火縄銃撃つしかないんすよねえ~