現代貨幣理論 (げんだいかへいりろん、 英語 : Modern Monetary Theory, Modern Money Theory 、略称: MMT [ 1 ] )とは、 ケインズ経済学 ・ ポスト・ケインズ派経済学 の流れを汲む理論の一つである [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] 。 変動相場制 で自国 通貨 を有している 国家 では、 政府 が国家の債務を通貨として流通させているため、政府の収支あるいは資産負債のポジションには政府や国家の財政状態の良しあしを判断する基準としての意味がなく、国民や海外部門に対する影響だけを基準として考えるべきである、という主張をしている [ 6 ] 。MMTは「現代貨幣理論」という名称にもかかわらず、必ずしも「現代」の話ではないし、「貨幣」に限った話でもなければ、通常の経済学で言う「理論」とも違う、という。過去の歴史において、「貨幣」とは常に「信用貨幣」だった、とし、そしてその背後には常に支配/従属関係があったこと、貨幣関係の背後には暴力関係、階級関係があることを強調する一方で、バーターから貨幣取引が生まれてきた、という主流派経済学のみならず今日の社会においてしばしば語られるナラティブを歴史的事実に反すると同時に理論的にも破綻しているとして、否定する。 MMTは、貨幣とは、国家や植民地支配者たちが地域住民たちから貢納・租税を徴収することから始まる、という。政府が 法定通貨 での納税義務を 家計 や 企業 に課すことによって、家計や企業は法定通貨を入手せざるを得ない立場に置かれる。そのため国内居住者たちは政府が発行する法定通貨を入手するために生産物や労働サービスを国家に提供するようになる。つまり法定通貨とは、本来貢納や徴税に際して納めればいいはずの生産物や労働サービスを、事前に国家に提供したことを示す一種の債務証書である。そして地域の居住者たちは、貢納や納税に際して生産物や労働サービスではなく、この法定通貨を国家に渡すことで租税債務から解放される。すなわち法定通貨とは国家の債務であある。地域住民たちの国家に対する租税債務と相殺されることで、償還される。つまり法定通貨とは国家が支出することによって生まれ、徴税によって消滅する国家債務である。貨幣とは、この国家債務の「大きさ」を表示するための手段である。法定通貨に納税手段として基盤的な価値が付与されて流通するという 表券主義 が基軸である [ 7 ] 。 さらに主権通貨国の 財政政策 について、「真の 完全雇用 」(「働く意欲と能力のあるすべての人に、まともな労働条件のもとでの複数の就業機会が提供されている状態」のことであり、自然失業率仮説に基づく「インフレ率が安定する失業率」のことではないし、働く意欲と能力のあるすべての人が必ず働かなくてはならないわけでもない。働くか働かないかは、本人の自由である)の達成・ 格差 の是正・適正な物価上昇率の維持等、財政の均衡ではなく経済の均衡 [ * 1 ] を目的として実行すべきであると主張している。そして インフレーション の抑制は、 ビルト・イン・スタビライザー を中心に、政府の支出抑制および増税で対処できるとしている [ 8 ] 。 MMTは 新古典派経済学 の枠組みで構築されている 主流派経済学 と対立しているため、政策的効果やリスクについては論争となっており、活発な議論がなされている [ 9 ] 。 MMTの特に大きな特徴は、貨幣の起源や制度に焦点を当てている点である。 国家に租税義務を国内居住者に強いる能力があれば、国家債務発行で支出ができる。国家が自らの債務を通貨として流通させることができ、そしてその償還は、国内居住者に敷いた租税債務との相殺だけであるなら、政府が自国通貨財源の不足や枯渇に直面する経済的金融的必然性はない。したがって、徴税が必要なのは資金調達のためではない。MMTは税の役割を財源として捉えておらず、これは主流派経済学の見方に挑戦するものである [ 10 ] [ 11 ] [ 9 ] 。MMTにおける税の役割は、国家の債務による税納付を国内居住者に強制することで、国家債務を 法定通貨 として誰もが受け取る状態を確保することがまず第一であるが、政策面で言えば、国内居住者から購買力を奪う(純資産を減らす)ことによって「財政スペース」を確保することでインフレを抑制すること、および、資産・所得格差を是正すること、さらに社会的に望ましくない経済活動に課税し、望ましい経済活動の税負担を軽減することで、社会全体の構成を高めることとされる [ 12 ] 。つまり税の役割は金銭的な意味での財源調達の手段ではなく、国家が経済活動を営むために利用可能な物質的余剰を生み出すと同時に、国内居住者の経済的物質的厚生を拡大するための積極的な手段である。 また、MMTによるなら、今日の主要国においては、自国通貨を発行している政府は、金利を払って民間から資金を調達する必要性はない。かつて国王が金貨や銀貨など貴金属通貨を発行していた時代には、金銀といった素材を調達するため、国王が商人や地主から貴金属でできた硬貨を借り入れることが必要だった。国債金利はその時代(あるいはその後の金本位制の時代)の名残である。そもそも中央銀行がインーターバンク市場の翌日もの金利をプラスに維持しているばあい、付利制度がない限り、政府が新規に国債を発行しても、民間銀行の手もとには国債購入代金を支払うための準備通貨は存在しないはずである。従って中央銀行は、国債が新規発行されるときにはその都度、ほぼ同額の買い介入をすることが必要になる。これは実質的に中央銀行による直接融資であった、とMMT では考えている。付利制度がない限り、インーターバンク市場の金利が正であるなら準備はその時点で銀行が必要とする量しか供給されていないはずである。従って中央銀行は銀行が決済あるいは所要準備積み金として必要とする準備通貨を常に柔軟に供給しなければならない。つまり、民間銀行は普段は過剰な手持ち準備を国債に変えることで金利収入を獲得し、資金決済の繁忙期には必要な分だけ準備通貨に取り替えることができなくてはならない。国債と準備通貨の違いとは、単に金利が払われるか払われないかだけである。これは事実上、準備通貨に金利が支払われているのと同じことである。この事から、MMT では、国債を、政府の資金調達手段ではなく、金利を支払うことそれ自体を目的とする「インーターバンク市場金利をコントロールする手段」として位置づけている。ただし、金利コントロール手段を国債売買といった迂遠なやり方に依存することは、現代の金融市場では不都合が多く、また、国債という形式が「国の借金」という誤解を産み出すことが無用な論争を引き起こし、さらには国債発行を制限する法律が制定されれば、逆にそれが原因となって「デフォルト」を引き起こす可能性がある、とする。 また自国通貨建てであれば、そもそも政府は国債を発行する理由がない上、国債がどれだけ増加しても、その償還手段である通貨も結局のところ別の形態の国家の債務でしかない。したがって、自縄自縛的な法的制約がない限
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