両親の死に直面して抱いた恐怖――ひきこもり歴30年を経て得た気づき #老いる社会
父の死期が近づいて
母が亡くなり、さらに父の死期が近づいていた頃、勝山さんは恐怖におののいていた。その様子が、その頃の日記に残っている。 「ダディーの体調がすぐれない。死んじゃうかもと思うと、あわわわわとなり、手がぷるぷる震える」 「心が焦る、あーあーあーと叫びたくなる。でも叫んだら人としておしまいだ。しっかりしろ。でもひょっとしたら、もうすでに叫んでいて、ただそのことに気づいていないだけかもしれない」 ただ、この恐怖の原因は経済面での不安ではなかった。 「死んだ後の煩わしい手続きが待っていることが怖かった。役所の手続き、名義変更、自治会とのかかわり。葬式も大変だ。会いたくない親戚に会って『何してるの』『いや特に何も』なんてやりとりをしなければいけない、と思うと……」 結果的には、勝山さんの父は余命6カ月と言われた後、「ほぼ完璧」(勝山さん)なエンディングノートを作っていたため、亡くなった後の手続きは大きな混乱なく、無事に進めることができた。 「父が余命あとわずかと分かって行動したように、結局、『親が死んだ後、どうする?』なんてことを言っている間は、実は、真剣にそのことを考えているわけではないんです。にもかかわらず、8050問題をことさら叫ぶのは、ただ単に不安感や恐怖心をあおることで、ひきこもりを働かせようとしているから。そこにはあるのは『働けるか、働けないか』で人間を判断する価値観です」
生産性がないと価値がないのか
具体的な進路がまだ決まっていないなら、高校、大学に行って選択肢の幅を広げたほうがいい――。 進路に悩んだ中学生や高校生の頃、こんなことを言われた経験がある人も多いのではないだろうか。 勝山さんもかつてはこうした仕組みに適応しないといけないと考えていた。それは国や企業、世間などが築き上げた「社会の規範」や「価値観」を内面化させていたためだという。しかし今は、「生産性がないと価値がない」と言わんばかりの社会の価値観のほうがおかしいと考えられるようになったという。「ひきこもりの多くが『自分が悪い』と思わされている」と勝山さんは言う。 「最近は最終的に社会的自立を目指すことを前提とした上で『いまは行政がつくる居場所にいてもいい、休んでてもいい』みたいな言葉が発せられるようになってきました。社会的自立を目指すということは、つまり『休んでもいい』とひきこもりでいることを認めるように見せつつ、『社会はおかしくない、おかしいのはあなたたちなんですよ、それが絶対的な価値観ですよ』という意識を社会が持ち続けていることにほかならないと私は思います。つまり、かつての自分がそうだったように、社会に適応できないことに対して焦りや罪悪感を抱きながら生きてほしい、謙虚な当事者であってほしいわけです」