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学校に行けなかった私たちの“もうひとつの卒業式”

桜の季節、仲間との思い出とともに学びやを卒業する―。
そんな当たり前に思われそうなことが、できなかった人たちがいます。

「あの日の体育館に置き去りになっている小学生の私をもう1度卒業させてあげたい」
「『卒業』をもう1度やり直せたら、心の底流にずっとある後悔を解消できそうに思う」

過去と向き合おうと“もうひとつの卒業式”に臨んだ人たちの思いです。

(社会部記者 勝又千重子)

小学6年生“学校の卒業式には出られないけれど…”

この春、卒業を迎えた埼玉県のココさん(仮名)、小学6年生です。

不登校となっています。

ココさんが学校を休みがちになったのは、小学校1年生のころに親友が転校したことがきっかけでした。

その後も一部の同級生や教員との関係に悩み、去年6月から学校に行っていません。

なんとか学校に行こうと、母親に連れられて学校の昇降口までいくこともありましたが、手と足が震えて中に入れなくなる日も。

夜になると涙がこらえられず、手や足を爪でひっかいて自分を傷つけることもありました。

小学校低学年のころから気持ちを書いてきたノートには「がっこういきたくない」「ともだちつくれない」といったことばがつづられています。

学校に行けないことや周囲になじめない自分を責め続けたというココさん。

その後、物事の捉え方や自分の気持ちを少しでも変えようと書いていたのが「感謝ノート」です。

「クラスのみんな私を迎えてくれてありがとう」とか「先生ありがとう」などと周囲への感謝の気持ちをつづり、向き合った日々もありました。

ココさん
「学校に行けないことが嫌で、落ちこぼれた感じがして自分を認められなかった。何もできない自分が悔しくて、暗い気持ちから抜け出したくて『学校に楽しく通えますように』と願いながら書いていました」

いまでは、通信制のフリースクールに通いはじめ、大好きな歴史の話ができる友達に出会って歴史研究のクラブを立ち上げるなど、安心できる居場所を見つけられました。

それでも在籍する小学校の式に出ないまま卒業することに複雑な気持ちがありました。

ココさん
「今でも学校に行こうとすると体が震えだして拒絶しているみたいな感じになってしまうので、卒業式も無理だと考えていました。けれど、やっぱり自分の大切な門出だってことは分かっていたし、晴れて卒業したい気持ちがありました。6年間、葛藤と戦いながら生きてきたので『おめでとう』とか『頑張ったね』と自分に言いたいです」

不登校生だけが参加できる卒業式?

そんなココさんのような人のために、今月都内である“卒業式”が開かれました。

不登校の人たちを支援してきたタレントや専門家、企業などが、学校の卒業式に思うような形で参加できなかった人たちに新たな門出にしてもらおうと、初めて企画。

不登校の小中学生が34万人を超え過去最多となる中、複雑な思いで卒業の日を迎える人も少なくないといい、「過去に起きたことは変えられなくても、『過去の捉え方は変えられる』」というメッセージを込めて開かれたといいます。

全国およそ380人から応募があり、ココさんを含む12歳から60歳までの29人が参加しました。

寄せられた参加動機には、それぞれの思いが記されていました。

体育館に置き去りになった私を卒業させてあげたい(19歳・女性)
「いまは教員を目指して大学で学んでいますが、小学校での苦い思いから前を向けず、あの日の卒業式の体育館に置き去りになっている小学生の私をもう1度卒業させてあげたいです。そうすれば卒業という区切りがはっきりして自分のかなえたい夢に向かって1人の私として歩めるのではないかと思っています」

パパになった今こそ成長したい(26歳・男性)
「中学の2年間、不登校でした。卒業アルバムにも自分の姿はほとんどありません。今は結婚して子どもも生まれ、家庭を守る立場になりました。ただ、子どもが大きくなったときに『パパは学校ではどんなだったの?』と聞かれるたびに、僕は中学時代を思い出しモヤモヤするんだろうなと考えてしまいます。それを解消して、人として親として一歩成長したいと思っています」

30年の時を経て卒業式へ“伝えたいことが”

「自分の経験はひとつも無駄はないと感じています。でもそこに何かひとつ経験をプラスするなら、卒業式かもしれない、そんな思いで申し込みます」

そうつづって応募したのは高校時代に不登校となった長野県の永井あゆみさん(48)。

10代から20代の参加者が大半を占める中、30年の時を経て卒業式への参加を決めました。

准看護師の養成課程があった高校に通っていましたが、クラスの雰囲気になじめず、ある日、教室の前まで行くと急に体調が悪くなって入れなくなり、その後、徐々に学校に行けなくなりました。

結局、病気による手術も重なって出席日数が足りなくなり留年。

退学を選びました。

准看護師の資格を取った卒業生がナースキャップを授与される戴帽式に憧れていましたが、その同級生の姿を保護者席から泣きながら見送った記憶が、卒業式の思い出だといいます。

永井さん
「やっぱりそこに自分がいられなかったことが本当に悲しくてびっくりするぐらい1人で号泣しました。今回の企画を知った時、あの時のあの光の中に入れなかった思いが一番先に浮かび、『参加したかった』という思いが残っていたんだと気づきました」

事前の“空色スクール”で人生を振り返る機会も

今回の企画では、卒業式を前に期間限定のフリースクール、「空色スクール」の授業がオンラインで3回行われました。

全員の自己紹介に始まり、グループに分かれて自分の人生を振り返る授業も行われました。

その中で永井さんは不登校だった当時、命を絶とうとしたほどつらかったこと、自信を無くしたまま社会人として働いていた20代から30代の間、自分を認められず職を転々とした苦しい時期が続いたこと。

そうした中で自分の心に向き合いたいと38歳でカウンセリングの勉強を始め仕事にしたことで、不登校の経験が生きていると実感できるようになったことを話しました。

永井さん
「10代の時は自分の人生が終わったと思っていたけれど、世界は本当に広くてやれることはたくさんあって、大丈夫だよと当時の自分に言いたい。過去の経験がないと、いまの私がいないから、いまは自分を認められています」

参加した中には還暦を迎えた男性もいて、不登校のあとの人生を知ってもらうことで誰かの役に立てるかもしれないと語っていました。

参加者の60歳男性
「どこかで挫折したり、世間で言う失敗したりしてもそこから先に楽しいことあるよ、と。人生詰んだとか終わりだと思う瞬間はあっても生きていればその先があって、そこからでも楽しくなれると伝えたい」

“もうひとつの卒業式”を新たなスタートラインに

そうして交流をしてきたメンバーが初めて一堂に会した卒業式当日。

参加者たちは壇上でひとりひとり今の思いを語りました。

そして、自身も不登校の経験があり、今回の企画で「校長」を務めたタレントの中川翔子さんから、卒業証書を受け取りました。

壇上に上がった永井さん。

30年の時を経て、伝えたかった思いがありました。

永井さん
「私は今、カウンセラーとして働いていて、過去の経験がすべて役にたっています。昔は普通になりたいととても思っていました。でもいまはちょっと普通ではない人生を思いっきり楽しんでいます。みんなもきっと、これから先も大丈夫です。みんなと出会えてうれしいです。本当にありがとうございました」

会場には写真撮影をするココさんの姿も。

ヘアアレンジが得意な神奈川県の17歳の参加者に髪型をセットしてもらったといいます。

小学校では教室の隅で、1人で読書をすることが多かったというココさん。

休み時間に同級生たちが髪を結び合う姿を羨ましく感じていたため、「こんな形で実現できて本当にうれしい」と笑顔を見せていました。

4月からは地元の中学校に在籍しながらフリースクールに通うことにしています。

ココさん
「教育の仕事やカウンセラーの仕事をしている人もいて、私自身ずっと苦しい時期があったから、前向きなことばに元気をもらいました。きょうは私の人生の中でターニングポイントとなり、不登校だけど新しく一歩踏み出していくスタートラインに立てた日になりました。努力やつらかったことをひっくるめて自分におめでとうと心から祝福できたのですごくうれしいです。今後は仲間がいると思うと頑張れる気がします。ありがたい門出になりました」

取材後記

取材中、参加者たちが「こんなに短い間の関わりなのに仲間だと感じる」と話していたのが印象的でした。

今回の“卒業生”たちは、来年ももし不登校生たちのための卒業式が開かれるならば、今度はボランティアで運営をサポートしたいと話していると言うことです。

(3月23日 ニュース7で放送)

社会部記者
勝又千重子
2010年入局
山口局、仙台局を経て現所属
教育や子どもに関する取材を幅広く行っています

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