旋回における当て舵逆操舵
(微細な逆ハン)などは、
走行状況とコーナーによっ
て取捨選択するので、画一
的に「使うか⇔使わないか」
などでは解き明かせないし、
説明などできないよ。
世の中、一様に一面的にし
か判断しようとしないステ
レオ脳のおばかちんが蔓延
跋扈してるけどさぁ。
見ていて、バカじゃね、と
か思う。
使う場面もあれば使わない場
面もあるし、あくまでも操縦
操作技法の一環であるので、
一面的に「YES」か「NO」か
で語れるわきゃないじゃん。
使うか使わないかとかに拘泥
して二輪走行論を展開しよう
としている連中は全員アホち
ゃうか、と正直なところ思う。
アマリングとかいうのにして
もそう。
適性妥当な面圧乗りをしてい
たら、たとえ制限速度や法定
速度以下であろうとタイヤは
端まで使ってしまう。それは
自動二輪だけでなく原付スク
ーターでさえも(オフ車は除
く)。
それをいつまで経っても「タ
イヤの端まで使うのは寝かせ
るから」とか超絶低レベルな
思い込みから脱却できないか
ら、二輪走行のカラクリにつ
いての本質的な核心が見えな
い。
永遠に見えない。永久に理解
不能のままやがて死を迎える。
載り方とサスをガチガチにす
る前に、頭とタイヤを柔らか
くして使えよ(笑
ったくよぉ。
低レベルなところでの論の対
立が発生しているというのは、
真の核心部分や要諦や本質的
二輪走行論とは無縁の事柄な
んだよね。
関係ないとこで関係ない事を
さも関係あるかのように盲信
妄想して拮抗している。
実に詮無き事、くだらなき事
だ。
それに早く気づいて、もっと
高次な領域での現象判断と正
鵠を射る事ができる頭脳と眼
を自ら養ったほうが遥かに良
い。
回転寿司ばっか食ってると、
回転寿司が本物の江戸前握り
鮨かと勘違いしかねないから
ね、人間は。
それって、きちんとしてない。
脳の思考領域と態様が。
これらは「学力」とは一切関
係が無い。
東大や早慶卒もしくは在籍経
験者であろうと、大馬鹿ちゃ
んは現実世界では腐る程いる。
本質を突く事ができる眼と脳
を持つ事は、ガッコの「学力」
などとは別なファクターに拠
る。
あともう一つ決定打。
タイヤは公道であろうと、滑
っている。
それは、GPレースでのコース
におけるド派手なブラックマ
ークのようなドリフト痕を残
す走り方ではないにせよ。
微細ながら特定状況下では二
輪車のタイヤは滑っている。
完全密着グリップ状態である
時のほうが少ない。
ただ、その滑りは極めて微細
であるので、それを繊細に感
知できない運転者は「グリッ
プしている」と思い込んでい
るだけだ。
たとえば富士スピードウェイ
の1コーナーでリアがずりずり
にグニュグニュするように滑
り、フロントもムギューとア
ンダーが出る程滑るのと同じ
現象が公道でも起きるのだ。
その出方が極めて小さい挙動
として出ているだけで。
微細ゆえ運転者が鈍かったら
感知そのものができない。
だが、人的センサーが尋常な
く発達している高度な知覚を
有する二輪乗りたちは、その
現実を深く理解し、その微細
滑りを「スリップ」から「意
図的ドリフト」に変換して自
在に使いこなす。
ドリフトとかいうとサーキッ
トでの派手な動きとか思い込
む時点で、上述の「使うか、
使わないか」の二元論的頭に
なっているので、それは論外。
公道であろうとモーターサイ
クルのタイヤは滑っている。
その微細な滑りが無意識のう
ちに制御範囲内だから「グリ
ップしている」と誤認してい
るだけの事だ。
結果オーライなので問題は一
般的通行上は問題が出ていな
いが、二輪走行原理のカラク
リを直視して、それを正確に
人間が完全制御下に置こうと
する乗り方をする立場に立と
うとするならば、そうした誤
認や「解っていない事」は大
問題となる。
そこなんだよね。
大きくマーキングを残すよう
な方法でなくとも、微細な滑
りを単なるスリップではなく、
スライドからドリフトに置換
して、それを制御下において
マシンをコントロールして回
頭させたりするという走法は、
速度域がレーシングレベルで
なくとも、ごくごく一般的な
走行領域でも多く存在する。
ドリフト=サーキットでのタ
イヤマークを残す乗り方とか、
バリ伝グンちゃんの乗り方と
か、単純に思い込んでいる時
点で、正確で的確な二輪走行
理論の保持確立は難しくなる。