ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 人物
  6. >
  7. 政治家
  8. >
  9. 国内外の政治家
  10. >
  11. ヒトラー

ヒトラー

ジャパンナレッジで閲覧できる『ヒトラー』の日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

ヒトラー
ひとらー
Adolf Hitler
[1889―1945]

ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。

[村瀬興雄]

青壮年期

オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿として、絵を描いて売ったり、両親の遺産に頼ったりして生活した。その間に下層社会や大衆の心理について体験したことが、のちに政治活動をするうえで役だった。オーストリア・ハンガリー帝国内の民族闘争に巻き込まれてドイツ民族至上主義者となり、国際主義的なマルクス主義を憎み、ユダヤ人とスラブ民族を憎むようになった。オーストリアで兵役につくことを嫌って1913年春にドイツのミュンヘンに逃れ、第一次世界大戦が始まるとドイツ軍に志願兵として入隊し、とくに伝令兵として功をたてて一級鉄十字章を受けた。軍隊内の戦友愛や規律、団結の精神が人生の規範となるべきだと考えるようになった。ドイツ革命(1918~1919)ののちにミュンヘンの軍隊内で、軍人のための政治思想講習会に出席して民族主義思想を固め、1919年9月、ドイツ労働者党(後の国家社会主義ドイツ労働者党、すなわちナチス)という国家主義と社会改良主義を結び付ける小党に入党した。

[村瀬興雄]

ナチス党首

雄弁の才能をもっており、いつも演説会で聴衆を熱狂させた。そして精力的に宣伝活動を行って党の勢力を拡張し、1920年3月末には軍隊を退いて政治活動に専念した。1921年7月には党内独裁者となり、軍部や保守派と結んで強大なドイツの再建、ベルサイユ条約の打破、民主共和制の打倒と独裁政治の確立、ユダヤ人排斥を説いたが、そのほかに中産階級の保護、社会政策の充実、民族共同体の樹立を訴えて、中産階級を中心とする国民各層の支持を確保し、大衆集会を頻繁に開いて党勢を急速に拡大した。1923年11月8日から9日にかけて、ミュンヘンで一揆 (いっき)を起こした(ヒトラー一揆)。しかし、頼みとしていたバイエルン軍部と官僚の支持を得られずに失敗し、翌1924年12月20日までランツベルク獄中にいた。

 出獄後、党を再建し、合法運動によって民主共和制を内部から征服しようとした。『わが闘争』(1925~1926)を出版して、東ヨーロッパを征服して生存圏を東方に大拡張するプランを示した。また党内のいろいろな傾向を巧みにまとめ上げて、国民の各階層、とくに中産階級の支持を確保し、1930年9月の総選挙に大勝してナチスを第二党に躍進させた。連立内閣への誘いを断ってナチスの独裁支配を要求し、1932年春の大統領選挙では36.8%(1340万票)の支持を得たが、ヒンデンブルクに敗れた。しかし同年7月の総選挙ではナチスが37.3%を得て第一党となり、支配勢力各層の有力者が彼を支持するようになったので、1933年1月30日、首相に任命された。保守派と一般国民の支持の下に反対派を弾圧し、一党独裁体制を確立した(第三帝国)。

[村瀬興雄]

総統

1934年8月にはヒンデンブルクの死とともに大統領を兼ねて「総統兼首相(総統と略す)」Führer und Reichskanzlerと称した。民主共和制時代に蓄えられたドイツの生産力や技術をフルに活用し、支配勢力の支持を得て国力を発展させた。失業者に職を与え、工業を再建して繁栄をもたらし、軍備を大拡張し、国力を発展させたので、外交上で矢つぎばやに成功を収める基礎ができた。ドイツはヨーロッパ第一の強国となった。「ドイツ労働戦線」「歓喜力行団」その他の勤労者団体の努力によって国民の生活水準もいちおう向上し、社会習慣の近代化も行われたので、国民の広範な支持が生まれた。しかし厳しい弾圧と統制、各種の奉仕活動、準軍事訓練、絶え間ない募金活動が日常生活を圧迫し、重苦しい不快感を与えたため、政府に対する民衆の小さな反抗が至る所で起こり、政治的無関心と個人生活への退却などの現象もまた広がった。

 第三帝国の前期には、保守帝政派を外相に任じて、支配勢力主流の要求する比較的協調的な外交政策を展開したが、国力が強化されるにつれて強硬外交を主張する者が国内で増大し、ついに1939年9月ドイツ軍をポーランドに侵入させて、第二次世界大戦に突入した。彼は作戦に干渉し、その指令は対フランス戦においては効果をあげた。独ソ戦では、1941年末にソ連軍の反撃を受けて戦線が混乱したとき、退却を禁ずることによって敗北を小規模にとどめたが、1942年11月~1943年1月のスターリングラードの戦いにおける敗北の前後から、現実を無視した指令を出して敗戦を重ねた。1944年7月20日に将軍たちや保守政治家が反乱を起こしたが、大戦末期に至るまで、一般民衆の個人的人気はいちおう保っていた。1945年4月30日、ベルリン陥落直前に自殺した。

[村瀬興雄]

人物

長く独身であったが、姪 (めい)のアンゲラ・ラウバルAngela Raubal(1908―1931)を愛し、彼女が自殺したあとでは、エバ・ブラウンEva Braun(1912―1945)を愛して、自殺の前日に結婚したが、エバもともに自殺した。菜食主義を実行し、酒とたばこを飲まず、夜は明け方の3時か4時ごろまで起きていて、側近と談笑した。したがって朝は正午近くまでベッドにいた。生涯を通じて芸術の保護者と自認したが、現代文学や絵画などは「ユダヤ的」「ニグロ的」と断定して、19世紀的芸術を推賞した。各種の政策決定には迷い抜いて、多くの決断は専門家(支配勢力の主流)にゆだねたので、独断で決定した政策は世上で考えられているよりもはるかに少ない。いろいろな圧力団体や利益団体からは独立した立場にいたので、「ドイツ労働戦線」の労働者本位の活動をある程度は許すなどの政策をとり、「公平な」指導者として国民に信頼された。狂気でも、性的異常者でもなかったと、いまでは説かれている。

[村瀬興雄]



世界大百科事典

ヒトラー
Adolf Hitler
1889-1945

ドイツの政治家。ナチス(ナチ党)党首(1921-45),第三帝国の総統(1934-45)。オーストリアのブラウナウに税関吏の息子として生まれる。小学校卒業後,実科学校に進学,成績不良のため中退。1908年ウィーンに居住し,その前後に2度,造形美術大学を受験して失敗する。定職につかず,両親の遺産や孤児年金を支えに芸術家気どりの生活を送り,のち肉体労働や絵葉書を描いて生計をたてる。13年ミュンヘンに移住。14年第1次世界大戦が勃発すると,バイエルン軍に志願して従軍。戦功により,第1級鉄十字勲章を授与される。大戦後も,バイエルン軍にひきつづいて勤務し,兵士に反社会主義的,国粋的な政治思想を注入する任務に従事した。1919年ドイツ労働者党(ナチスの前身)に入党。21年党首に就任し,党指導の全権を掌握する。ベルサイユ条約の廃棄,激烈な反ユダヤ主義を唱えて注目をひく。23年11月ミュンヘン一揆を企てて失敗,党は解散され,自身は禁固刑に処せられる。24年末に釈放。25年2月ナチスを再建し,あらたに北部・西部ドイツに党勢を拡大する。経済恐慌が深刻化する中で30年9月の国会選挙で107議席を獲得し,一躍第二党の地位に進出。31年ブリューニング内閣に反対し,右派勢力とハルツブルク戦線を結成。32年7月の国会選挙で第一党の地位を確保したが,ヒトラーは,パーペン内閣への入閣を拒否。32年12月シュライヒャー首相によるG.シュトラッサー入閣の画策の失敗後,33年1月30日大統領ヒンデンブルクにより首相に任命される。

 1933年3月5日の国会選挙でナチスは647議席のうち288議席を獲得し,同年3月23日の授権法により議会政治を排除,5月以降,政党,労働組合の解散を強行し,ナチスによる一党支配を確立した。34年6月レーム,シュライヒャー,G.シュトラッサーなど潜在的な敵対者を粛清(レーム事件)。同年8月大統領ヒンデンブルクの死後,〈総統にしてドイツ国首相〉として,党首,政府首領,国家元首の地位を一身に結合,また国防軍の最高指揮官として軍からの忠誠の宣誓をうける。35年一般兵役義務を再び導入,また軍拡経済により大量失業の克服に成功する。対外政策ではヨーロッパ東部にドイツ民族の〈生存圏〉樹立の政策に邁進し,その手はじめに38年オーストリア,ズデーテン地方を併合,39年3月チェコスロバキアを軍事占領する。同年8月独ソ不可侵条約締結後,9月ポーランドへ侵攻。40年6月フランスを征服,41年6月ソ連と開戦しウクライナの広大な地域を占領し,彼の〈生存圏〉構想は一時,成功したかにみえた。だが43年2月スターリングラード攻防戦,5月北アフリカ戦線での敗北後,戦況は悪化。この間,占領地で残虐な民族抑圧政策を実施,ユダヤ人絶滅に着手。44年7月20日ヒトラー暗殺の陰謀がおきるが,奇跡的に助かった。45年4月29日ソ連軍包囲下のベルリンでエバ・ブラウンEva Braunと結婚,翌30日ともに自殺。その遺言においても,反ユダヤ主義と〈生存圏〉樹立の必要を強調した。

思想,性格

《わが闘争》(1925-26)から《第二の書》(1928年夏執筆完了。ただし刊行されず,第2次大戦後に草稿が発見され,61年に公刊)の執筆の間に世界観を確立した。その根底に〈自然〉の意志をすえ,この意志は生物界に普遍的に働くとみなした。ヒトラーは,生物の〈自己保存衝動〉をもっとも根源的な欲求ととらえ,この衝動にもとづく闘い,強者による弱者の支配・駆逐を〈自然〉の摂理として肯定し,この論理を人間界の個人と人種の双方に適用した。このような社会ダーウィニズムの世界観から,個人・民族間の平等,民主主義,議会主義,人道主義,国際平和を否認し,卓越した個人による独裁的統治,反ユダヤ主義を唱え,また人種の〈自己保存衝動〉を充足する基盤として〈生存圏〉の樹立を主張した。ヒトラーは,友人との親密な交際,家庭生活での団欒の体験を欠き,個人生活の内容は貧弱であったが,自己の目標達成のための緻密な策略と聴衆を酔わせる演説の才能をもちあわせていた。
→第三帝国 →ナチス
[中村 幹雄]

[索引語]
Hitler,A. 反ユダヤ主義 授権法 レーム,E. シュライヒャー,K.von シュトラッサー,G. レーム事件 ヒンデンブルク,P.von B.und von 生存圏 ブラウン,E. Braun,E. わが闘争 第二の書(ヒトラー) 社会ダーウィニズム


岩波 世界人名大辞典

ヒトラー
Hitler, Adolf
1889.4.20~1945.4.30

ナチス・ドイツの指導者.

オーストリアのブラウナウの税関吏の家に生まれ,画家を志してウィーンに出るが美術学校入学に失敗.定職に就かず,遺族年金と自作の絵を売った金で暮らし,後に兵役を逃れてドイツのミュンヘンに移った [1913].第一次大戦勃発時にバイエルン軍に志願,西部戦線に出征して鉄十字勲章を受勲,毒ガスの負傷治療中に敗戦と革命にあう.ミュンヘンに戻って軍の情報活動に協力中,ドイツ労働者党(後の国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党))に入党,演説・扇動能力を認められて党の指導権を得た [20].バイエルン州で党勢を拡大,ヴァイマル共和国打倒を目指すミュンヘン一揆を起こすが失敗し [23]逮捕されたが,寛大な判決を受け,獄中で《わが闘争:Mein Kampf》を執筆した.釈放後,非合法化されていたナチ党を再建,20年代後半に中堅活動家層の育成と組織基盤の拡充に成功し,大恐慌期には徹底した現状否定と民族共同体建設を掲げて躍進,共和国末期には党を国会第一党に成長させた.大統領選挙には敗北した [32]が,一貫して首相の地位を要求して,保守派との連立政権の首相に任命された [33].総選挙後,閣内の保守派を屈服させ,短期間でナチ党単独支配を確立し,党内の批判派をレーム事件で一掃した [34].以後国内では軍需経済によって失業者を吸収しつつ,軍備拡大政策を推進.ヒンデンブルク大統領死後,大統領権限も掌握し,独裁者の地位を固めた.35年から外交攻勢に出て,ヴェルサイユ条約,ロカルノ条約を事実上無効化し,オーストリアとチェコのズデーテン地方の併合によって大ドイツを実現した [38].ヒトラーの目標は第一次大戦前の領土回復に留まらず,ヨーロッパの覇権獲得,ドイツの純ゲルマン民族社会への改造,ソ連での領土・資源確保にあり,引き続いてチェコスロバキア解体,ポーランドへの領土要求に進んだ.独ソ不可侵条約締結後,ポーランドに侵攻.イギリス,フランスも宥和政策を放棄して対決し,第二次大戦となった [39].イギリスを除く北欧・西欧諸国に勝利し [40],翌年ソ連に侵入したが,年末にはモスクワ攻略に失敗,スターリングラードでの敗北以後は後退を重ね,連合国に本国を占領された.この間,国内での障害者殺害を命じ,占領地・支配地では人種主義に基づく収奪・強制労働をともなう過酷な支配を実施,またユダヤ人に対するジェノサイド,スラブ諸民族の大量殺害を実行させた.ドイツ降伏直前,ベルリンでブラウン(Eva Braun 1912~45)と結婚し,直後に彼女とともに自殺した.

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


ヒトラーの関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1315
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. ヒトラー
日本大百科全書
頻繁に開いて党勢を急速に拡大した。1923年11月8日から9日にかけて、ミュンヘンで一揆いっきを起こした(ヒトラー一揆)。しかし、頼みとしていたバイエルン軍部と
2. ヒトラー(Adolf Hitler)
世界大百科事典
に反対し,右派勢力とハルツブルク戦線を結成。32年7月の国会選挙で第一党の地位を確保したが,ヒトラーは,パーペン内閣への入閣を拒否。32年12月シュライヒャー首
3. ヒトラー
日本国語大辞典
(Adolf Hitler アドルフ─)《ヒットラー》ドイツの政治家。ナチスの指導者。オーストリアの生まれ。一九一九年ナチスに入党し、二一年党首、三三年政権を掌
4. ヒトラー(Hitler, Adolf)
世界人名大辞典
事実上無効化し,オーストリアとチェコのズデーテン地方の併合によって大ドイツを実現した[38].ヒトラーの目標は第一次大戦前の領土回復に留まらず,ヨーロッパの覇権
5. ヒトラー アードルフ
世界文学大事典
外亡命者の2つに分裂し,極めて不幸な運命にさらされることになる。第二次大戦後のドイツ文学も,ヒトラーおよびナチズムとの関わりを除いては考えられない。
6. ヒトラー
日本史年表
1945年〈昭和20 乙酉〉 4・30 ヒトラー 、ベルリンの総統官邸で自殺。
7. ヒトラー暗殺未遂事件
日本大百科全書
東プロイセン州ラステンブルク(現、ポーランド、ケントシン)の総統本部で起こったヒトラーの暗殺未遂事件、およびここで頂点に達した反ヒトラー・クーデターの試みをさす
8. ヒトラー一揆
日本大百科全書
、ドイツに独裁政権をたてようとして、ヒトラーらの極右派を陰謀実行の行動部隊として利用していた。最後の瞬間になって、カールらが実行計画を延期したので、ヒトラーらが
9. ヒトラーとナチズム
文庫クセジュ
狂気の政治家ヒトラーの世界史への登場はドイツと世界の運命を激変させ、人類に多くの課題を残した。ナチズム研究はいまや多方面で主要な研究テーマとなっている。本書は、
10. ヒトラー・ユーゲント
日本大百科全書
)など党の青年組織を統合した。33年ヒトラー政権が成立すると、シーラッハは「ドイツ国青年指導者」としてナチス党以外のあらゆる青年組織を解体・再編し、ヒトラー・ユ
11. ヒトラー・ユーゲント
世界大百科事典
なされ,若者たちの熱狂的な支持を獲得し,36年のヒトラー・ユーゲント法によりすべての青少年の参加を義務づけた。37年ユーゲントの一部にヒトラー学校を設立してエリ
12. ヒトラー‐ユーゲント
日本国語大辞典
({ドイツ}Hitlerjugend )ナチスの青少年組織。一九二六年に発足。ヒトラーが政権獲得後、他の青少年組織を吸収、三六年の法律で一五~一八歳の男子を強制
13. ハイル‐ヒトラー
日本国語大辞典
Hitler〓ヒトラー万歳」の意)ヒトラー政権下のドイツで、ナチス党員および信奉者が挨拶に用いた語。
14. アイスラー(Eisler, Hanns)
世界人名大辞典
シェーンベルクに師事.マルクス主義に傾倒し[1925頃-],プロパガンダ作品を多く手がける.ヒトラー政権樹立後アメリカに亡命[33].ハリウッドで映画監督に携わ
15. アインシュタイン(Albert Einstein)
日本大百科全書
別の形で受け継いだものともいえよう。大野陽朗自由な創造者として、平和の闘士として1933年ナチスのヒトラーが政権をとり、侵略政策とユダヤ人迫害を始めると、身の危
16. アインシュタイン(年譜)
日本大百科全書
日本各地を訪問。12月19日離日1927量子力学に関しボーアと論争1929統一場理論を提唱1933ヒトラー首相となり、名誉市民権を剥奪し財産を没収。アメリカ、プ
17. アウトバーン
世界大百科事典
ドイツ語で〈自動車道路〉の意。ドイツのアウトバーンの最初の区間ボン~ケルン線は,1932年に完成した。ヒトラー政権は翌年に1万4000kmの建設計画を立て,〈ラ
18. アウトバーン
日本国語大辞典
({ドイツ}Autobahn )ドイツの自動車専用高速道路。正しくはライヒス‐アウトバーン。一九三三年ヒトラーが起工。*新西洋事情〔1975〕〈深田祐介〉植民都
19. アカデミー賞(第80回、2008年)[イミダス編 文化・スポーツ]
情報・知識 imidas
メンタリー賞「『闇』へ」◇長編アニメーション賞「レミーのおいしいレストラン」◇外国語映画賞「ヒトラーの贋札」◇名誉賞ロバート・ボイルイミダス編2008.03
20. アジテーション
日本大百科全書
え、後者には学問的な教化が適当とみた。しかし両者はともに政治闘争に不可欠の戦略であるとした。ヒトラーにとっては、宣伝は「大衆に対してだけ向けられる」もの、そして
21. アデナウアー
日本大百科全書
もった。1933年ナチ政権成立とともにケルン市長職およびいっさいの官職を奪われ、1944年には、ヒトラー暗殺未遂事件(七月二〇日事件)との関連で短期間投獄された
22. アバンギャルド
世界大百科事典
リド,パステルナーク,エイゼンシテイン,マレービチらは粛清されるか,沈黙を強いられた。他方,ヒトラー政権下のドイツでは,前衛芸術を文化ボリシェビキ,ユダヤ的毒性
23. アビッシュ ウォルター
世界文学大事典
れた作家が故郷のドイツの町を再訪し,昔の妻の姿をひそかに求めるという物語を軸に,1944年にヒトラーへ反逆し処刑された父,今は大成功している兄,兄の友人の市長の
24. アプス(Abs, Hermann Josef)
世界人名大辞典
ムステルダム,ロンドン,アメリカ,南米を渡り歩く.個人銀行の支配人となり[1929-37],ヒトラー政権成立後はユダヤ系資産の没収(アーリア化)に携わる.ドイツ
25. アムステルダム画像
世界大百科事典
したもの。後者は1879年の創立,現在は市南部の総合キャンパスに移った。国際社会史研究所は,ヒトラーによる没収を恐れてドイツ社会民主党がオランダの労働党に譲った
26. アムラー[新語流行語]
情報・知識 imidas
飯島直子のマネはナオラー、ダウンタウンの浜田雅功ならハマダー。ほかにもカハラー(華原朋美)、ヒトラー(hitomi)などがあり、総称してマネラーという。極端にマ
27. アメリカの黒人 53ページ
文庫クセジュ
新興諸国の一部の代表たちは、ワシントンのレストランやホテルでまっさきに人種差別の犠牲になった。結局、ヒトラー流の人種主義を打ち負かしても、同じような人種主義がこ
28. 嵐の中の青春
世界大百科事典
,〈奇々怪々ともみえる現実をドキュメンタリーでとらえた〉(花田清輝)異色の青春映画。原作は,ヒトラー政権出現前夜のワイマール・ドイツを外国人の目で描いたC.イシ
29. アルザス・ロレーヌ
日本大百科全書
取り戻し、その後マジノ線を敷いてドイツの復讐ふくしゅうに備えたが、第二次世界大戦が始まると、ヒトラーのドイツ軍はこの地に侵攻、占領した。連合軍は戦争末期に奪回に
30. アルザス・ロレーヌ問題
日本大百科全書
アルザス・ロレーヌはドイツ占領地区とされ(したがって法的にはフランス領)、民政が敷かれたが、ヒトラーはさらにビシー政権の反抗を排して、アルザスをバーデンに、ロレ
31. アンネの日記画像
日本大百科全書
アンネはフランクフルト・アム・マインのユダヤ系ドイツ人実業家の家庭に2人姉妹の次女として生まれた。ヒトラーが政権をとってユダヤ人迫害政策を開始するとともに、一家
32. イェスナー
日本大百科全書
簡素化して、戯曲が意図する主張を強く浮かび上がらせようと努めた。高い知性をもつ共和主義者であった彼は、ヒトラー支配下のドイツに安住できずに亡命して、アメリカのロ
33. イギリス史画像
日本大百科全書
ら台頭してきたヒトラーのファシズムに対してイギリスは強硬な態度をとることができず、宥和ゆうわ政策で事態の収拾を図ろうと努め、1938年首相チェンバレンはミュンヘ
34. イギリス・ドイツ海軍協定
日本大百科全書
1935年6月ナチス・ドイツとイギリスとの間で結ばれた海軍軍備の制限協定。同年3月ヒトラーは、ベルサイユ条約の軍備制限条項を一方的に破棄し、再軍備を宣言した。4
35. いしかわ-じゅんじゅうろう【石川準十郎】
日本人名大辞典
ルクス主義を攻撃した。戦後,早大教授。昭和55年2月22日死去。80歳。岩手県出身。著作に「ヒトラー「マイン・カンプ」研究」など。
36. イシャウッド
日本大百科全書
イギリスの小説家。1930年代の「オーデン・グループ」に属する唯一の散文作家。代表作にはヒトラー政権出現前のベルリンを舞台にした『ベルリン物語』の名でよばれる三
37. イシャウッド(Christopher William Bradshaw Isherwood)
世界大百科事典
オーデンと知り合う。ケンブリッジ大学を中退して職を転々とし,28年処女作《陰謀家たち》を発表,翌年からヒトラー政権成立直前までベルリンに滞在した。33-37年に
38. イシャウッド(Isherwood, Christopher William Bradshaw)
世界人名大辞典
があった.大戦間期のベルリンで英語教師として過ごし[1929-33],その経験をもとにして,ヒトラーの台頭を待つ時代の雰囲気を冷めた筆致で描いた《ノリス氏の処世
39. イタリア画像
日本大百科全書
ムッソリーニの個人独裁へと変貌へんぼうした。公選の議会は廃止され、憲法は有名無実の存在となった。1940年にヒトラーの後を追って英仏に宣戦したが、敗色が濃くなる
40. イディッシュ語 82ページ
文庫クセジュ
ショーアー〔ホロコースト〕の文学  イディッシュ語で書かれたおびただしい作品は、ヒトラーのあたえる恐怖や混乱のただなかにあって、ナチスによって死のキャンプへ移送
41. イディッシュ語 83ページ
文庫クセジュ
と収容所の歌』(リーデル・フン・ディ・ゲットース・ウン・ラーゲルン、一九四八)を集める。またヒトラー主義と闘うユダヤ人闘士の賛歌となったヴィルナのゲットーのパル
42. イディッシュ語 126ページ
文庫クセジュ
 ヒトラーによるユダヤ文化抹殺の意志によって、かえって、根絶やしにされたイディッシュ語の世界の生きた軌跡をたどることが重要になった。これは忘却が勝ちを占めてしま
43. 医の倫理 6ページ
文庫クセジュ
本書においては、三つの主軸をめぐって、医の倫理の問題を論考する。すなわち、第一に、実験医学の発展、第二に、ヒトラー・ドイツの犯罪まで含めた実験医学の流れから生じ
44. 医の倫理 69ページ
文庫クセジュ
内での医療の開業をはっきり禁止した。このときは、まさにドイツ系ユダヤ人の医師が、台頭してきたヒトラー体制から逃れようとしはじめていた時期であった。
45. 医の倫理 77ページ
文庫クセジュ
ス(医学的人間)は、このような提案を理解することができるのである。  一九三九年九月一日に、ヒトラーは第二次世界大戦を開戦と、日を遡ぼらせたが、同じ日、「安楽死
46. 医の倫理 79ページ
文庫クセジュ
第四章 ドイツ  ヒトラーのドイツが登場したとき、そこで用いられる医療政策の土台はすでに準備されており、一九二四年に出版された『わが闘争』において構想されていた
47. 医の倫理 85ページ
文庫クセジュ
II 安楽死  ヒトラーが、「人間に判断できる限界内で、かつその病気の精密な検査に基づいて」、治る見込みがないと見なされた病人に、「慈悲による死」(Gnaden
48. 医の倫理 86ページ
文庫クセジュ
一九三三年以前の状況  ヒトラーが政権につく以前からすでに、社会内の準備は充分にととのっていた。同じ一八九五年に出版されたA・ヨストの『死の権利』(Recht
49. 医の倫理 87ページ
文庫クセジュ
多様な反対が可能であったにもかかわらず、思想はひとりで歩きつづける。一九二九年の国家社会党の閉会演説で、ヒトラーはこう宣言している。「ドイツでは毎年百万人もの子
50. 医の倫理 88ページ
文庫クセジュ
一九三三年以降の計画  一九三三年には、すでに長い道のりを経ていた。一九三九年には制度的にも整えられた。ヒトラーはこの問題に関する法律制定には抵抗を伴うことを承
「ヒトラー」の情報だけではなく、「ヒトラー」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

ヒトラーと同じ国内外の政治家カテゴリの記事
ゲバラ(改訂新版・世界大百科事典)
ラテン・アメリカが生んだ傑出した革命家の一人で,その理論と実践はラテン・アメリカのみならず世界中に大きな影響を及ぼした。アルゼンチンのロサリオ市で中流家庭に生まれ,1945年,ブエノス・アイレス大学の医学部に入学,53年に学位を得た。子どものときから喘息の発作に苦しめられ,それは死ぬまで続いた。
カストロ(日本大百科全書(ニッポニカ))
革命キューバの最高指導者で、ラテンアメリカが生んだもっとも傑出した革命家、政治家の一人。オリエンテ州北部のビランの近郊で生まれる。父親はスペインのガリシアからの移民で、砂糖と木材で成功した比較的富裕な砂糖農園主。幼少から恵まれた環境で育ち、イエズス会派の学校で初等・中等教育を受けたのち
ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。[村瀬興雄]▲青壮年期オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿と
プーチン(岩波 世界人名大辞典)
ロシアの政治家.レニングラード生まれ.祖父はレーニン家など要人の料理人を務めた.レニングラード大学法学部卒業[1975].国家保安委員会(KGB)職員として東ドイツのドレスデンに勤務[80-].その後,サンクトペテルブルク市で大学の恩師ソプチャーク市
スターリン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本名ジュガシビリДжугашвили/Dzhugashvili。ソ連の政治家。12月21日ジョージア(グルジア)のゴリという町の靴屋の子に生まれる。チフリス(現、ジョージア・トビリシ市)の神学校在学中にマルクス主義の洗礼を受け、職業革命家の道に入った
国内外の政治家と同じカテゴリの記事をもっと見る


「ヒトラー」は戦争に関連のある記事です。
その他の戦争に関連する記事
日独伊三国同盟(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1940年(昭和15)9月27日、ベルリンで調印された日本、ドイツ、イタリアの間の軍事同盟。三国同盟締結交渉は、最初、1937年に結ばれた日独伊三国防共協定を強化しようという目的で、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の末期に始まったが、1939年
満州事変(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1931年(昭和6)9月18日の柳条湖(りゅうじょうこ)事件に始まった日本軍の満州(中国東北地域)侵略戦争。[君島和彦]▲前史満州、とくに南満州は、日本が日露戦争後に長春(ちょうしゅん)(寛城子)―旅順(りょじゅん)間の鉄道およびその付属の利権を獲得
乃木希典(日本大百科全書・世界大百科事典)
陸軍大将。嘉永(かえい)2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(はぎ)(山口県萩市)の明倫館(めいりんかん)に学び、報国隊に属し、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け
サンフランシスコ講和条約(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
太平洋戦争開始以来の戦争状態を終結させるために、日本政府が英米をはじめとする四十八ヵ国と締結した講和条約。公式名は「日本国との平和条約」。「対日平和条約」とも呼ばれている。締結の相手国は、アルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・ボリビア・ブラジル
盧溝橋事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1937年(昭和12)7月7日夜に始まる盧溝橋一帯での日中両軍の軍事衝突で、日中全面戦争の発端となった事件。中国では、「七・七事変」ともいい、日本政府は当時「北支事変」と称した。1935年、華北分離工作に本格的に乗り出した日本は、やがて支那(しな)
戦争に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

Use of Cookies in the JapanKnowledge Website

JapanKnowledge (https://japanknowledge.com/) uses cookies. In addition to the cookies that are necessary to use the service, we also use these functions to analyze visitor data, improve the website, and display personalized content. If you agree to accept cookies, please click "Accept All." If you wish to set cookie preferences in detail or individually, please click "Cookie Settings."

The Privacy Policy and Cookie Policy apply to the Japan Knowledge Service.