そんな話を覚えていてくれたとは。。。

やるでねーか、なおとくん。


嬉しいでねーか、小林の旦那。



この灯火が消えないよーに

あんちゃんち潰れないよーに


おじさん頑張る💪



本当に改装費に金かけすぎた 


仕入れも入れたら合計1000万以上


やりすぎただぁ



そして、再来週から大量に秋物一気に入荷します



また金かけすぎただぁ


そして、嫁が飼っていた猫が瀕死の話



これは俺個人はあまり触れないでおこうと思う



ただ、去年と偶然同じ日にアウトレットに来てるじゃんとか、アウトレットついた瞬間らへんは楽しそうな顔をしていた嫁の顔が急に曇りだした


なんか涙目みたいな顔になっている


なんでやねんと思っていたら猫が瀕死という連絡が来たからだ


まじか




こーゆー時はなんと声をかけていいのか分からない


正論や様々な角度から客観的にものを言っても、やっぱりそれは客観的であって、どこか冷たくもあり他人事のように感じるだろう。



人間と猫の命の重さを秤にかける事はしないが、死を見届ける人間の心の苦しさは尋常ではない事を俺は知っている   

だから尚更言葉は自分なりに選ぶ


そんな情報が入ってからはそっからは買い物しててもどこか上の空の嫁



当たり前か



俺もペットの死に目にはあった事はあるが本当に辛い



しかも、2週間前にお盆で実家に帰って会った時には割と元気だったらしい。



それが突然。




でも、そんなもんだ。


俺の婆さんもそうだった。


俺の誕生日に普通に電話で会話をしていたら、翌日脳梗塞かなにか忘れたけど突然倒れて、そのまま亡くなった。



今思えばある意味、それはまだ幸せな方だったのかもしれないと思う。

死の恐怖を準備する期間や死を待つ心苦しさの時間はなかったからだ。


その分、あの時こうしていればという後悔は募ったが、死を待つという苦痛の時間はなかった。


あの時間は俺にとっては拷問だ。

常に不安は途切れないし、生きている心地はしない。



どんなに愛していても、どんなに可愛がっていても、必ず後悔がある。



だからこそ、本当に辛いのはこれからだ。



美味い事数ヶ月延命できたとして、峠は乗り切ったとしても、寿命は決まっている。


治るという希望がない。


希望がない中、毎日怯え耐えるという事はこの上ない拷問だ。


病になった当事者、それを見届ける人


少しでも長く生きて欲しいと願う他人

早くこの苦しみから解放してくれと思う本人


色々なパターンがある



頑張る事が正しい

俺は生死に関してはあまりそうは思わない

希望がない未来なのであれば、俺はそれが一概に正しいとは思わない



俺自身が病気だとしたら、俺は耐えて頑張って死を待ちたくないからだ。



幸せの絶頂の中、終わりたい。


そう思った事が多々ある。


醜く衰え、体が不自由になり、心はネガティブになり、周りに迷惑をかけ、死ぬ直前にまで人様に迷惑をかけるのかよ。こんな気持ちのまま死んでいくのかとか思うくらいなら、1番幸せな時にそのまま終わりたい


例えば、俺が余命宣告されたら、そうなったらと考えると、俺は数日以内でやってみたかった事をやるので、そこで終わらせてください。

とか思っている。


独身時代はずっとその考えだった。

だから不眠の事や糖尿など自分の体に何かしらの不具合が起きていても、家族には一言も言わなかった。


誰にも迷惑をかけずに、あーもう無理だな。人様に迷惑をかける前に終わろう。

そーゆう考えの人間なんです俺は。



今は家族がいるので、そーはあまり思いませんが、根本はでもきっと変わらない。



苦しいまま耐えて終わるのではなく、楽に穏やかに心幸せに終わりたい


もし俺が大病になったら、俺はすかさず嫁にこう言うと思う。

治らないなら、痛い思いをしないで最後は戦わないで、楽に終わりたいと。

どうか戦わせないで欲しいし、嫁も怯えて耐えて戦わないで欲しいと。



この考えが正しいとも思わないし、共感してくれとも思わない。

ただ俺が望む事だ



生死に関しては日本では安楽死は認められていないけど、批判や批評をする前に俺はこう思う。

苦しいのは誰なのか。

辛い思いをする人は誰なのか。


個人的に思う事は何が正しいのかではなくて、何を望んでいるのかだと思う



その正解は、その当事者たちにしか分からない



俺はたった半年しか一緒に住んでいなかったから今更横からとやかくいう事はできない。


ただペットの死に目を見届けた事がある身として、思う事は、希望や未来が見えない中延命を続ける事は、飼い主にとってもとても心が疲弊する事。


本当の戦いはこれから。



そして、どんな結末になっても誰も悪くはない。


病気とはそーゆーもので、それが運命なのだ。

これまでの共に過ごした時間の中で、少しでも一緒にいられて楽しさや喜びがあったら、それだけで俺は意義があったと思いたい。


残された時間があとどれくらいあるのか分からないけど、これからは幸せだなと感じる時間はきっと少ない。むしろほっておくとどんどん自分を責めてしまうかもしれない。


病気なんてものは誰のせいでもなくて、全部寿命であったり運命である。

これは誰にも変えられない。

医者にできる事は本来ちっぽけだ。

医者を馬鹿にしてるわけではなく、生死については本当にそう思う。寿命を変えられることなんて本当に奇跡の確率だ。

本来は無理だ。


だから、誰も悪くないんだから、ごめんねと感じる必要もない。


どうかありがとうって気持ちだけを持って、嫁にも義理母にもこれからを過ごしてもらいたいと願う。


考え方は人それぞれだからこそ、当事者の気持ちや状況を最優先して、そこに尊重がある温かい環境が欲しい。


安藤翼のプロフィール
食卓にあると嬉しいスタメン
安藤翼
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