霊界物語 第四巻 霊主体従 寅の巻 第二篇 天地暗雲
常世彦(トコヨヒコ)をはじめ八百八十八柱の神司(カミガミ)は、
天地の大神(オホカミ)の神慮に反し、律法を軽視し、
この大会議を開催し又は参列し、大神の神慮を怒らせたてまつり、
意外の失敗を招きたるに悔悟の心を起し、
ここに諸神司(シヨシン)は大会議の開催に先だち、
まづ天地の大元霊(ダイゲンレイ)たる天之御中主(アメノミナカヌシ)の大神
一名大国治立尊(オホカミオホクニハルタチノミコト)を奉祀(ホウシ)し、
山野河海の珍し物を献じ、大神の守護のもとに、
至誠至実の神聖なる大会議を開催せむことを期せずして感得し、
天地の大神の畏(オソ)るべきを自覚したり。
天地の律法には、
『省(カヘリ)みよ。
恥(ハ)ぢよ。
畏(オソ)れよ。
悔(ク)い改(アラタ)めよ。
克(ヨ)く覚(サト)れよ』
との五ケ条の内面的戒律あり。
これを的確に遵守せざるべからざることを自覚したり。
これぞまつたく大慈大悲の大神の、
甚深微妙なる恩恵の鞭なりにける。
諸神人はここに翻然として前非を悔い改め、
わが心胸(シンキヨウ)に手をあてて反省し、
各自の思慮の浅薄にして無智なりしを恥(ハ)ぢ、
天地主宰の大神の威厳の犯すべからざるを畏(カシコ)み、
邪は正に敵しがたき大真理をおのづから覚り得たりけり。
八王大神は、
ここに地(チ)の高天原(タカアマハラ)なるエルサレムの聖地を蹂躙し、
あはよくば漸進的に国祖の大神までも退去せしめ、
みづから国治立命の職権を奪はむとする方法手段として、
盤古大神(バンコダイジン)を擁立し、時をまつて盤古大神を押しこめ、
万古不易的に八王大神(ヤツワウダイジン)の神政を
樹立せむことを企てゐたるに、
今回の失敗に八王大神常世彦(トコヨヒコ)は本心に立復り、
常世姫(トコヨヒメ)もまた夫とともに「悔い改め」の心をおこしける。
ここに八王大神は、
国祖の地位を奪はむとするの大陰謀のみは断念したれども、
国祖を奉じてみづから聖地の宰相神たらむとするの目的のみは、
夢寐(ムビ)にも忘れざりける。
第二回の議席に現はれ、侃々諤々(カンカンガクガク)の雄弁を振ひ、
満座の神人(カミ)をして舌を捲(マ)かしめたる
春日姫(カスガヒメ)と八島姫(ヤシマヒメ)の二女性は、
その実は白狐の高倉(タカクラ)と旭(アサヒ)なりき。
二女に化したる白狐は、
大道別(オホミチワケ)の周到なる妙策に出でたるものにして、
いはば邪神の野望を破壊せむための反間苦肉の神策にして、
敵本主義の謀略に出でたるものなりき。
この白狐の今後の行動こそ、実に面白き見ものなるべし。
いよいよ第三回の会議を開かむと、
まづ第一に常世城(トコヨジヤウ)の大広間に荘厳なる祭壇は設けられ、
海川山野(ヤマヌ)の種々(クサグサ)の神饌(シンセン)を供進せむと衆議の結果、
宮比彦(ミヤビヒコ)を斎主とし、
美山彦(ミヤマヒコ)その他は斎官として神事に奉仕し、
目出度く祭典は執行されたるが、
このとき天空澄み渡りて一点の雲片もなく、
微風おもむろに吹ききたつて温かに、
鳥は艶声をあげて樹木の枝にうたひ、
得もいはれぬ芳香四辺をつつみ、
常世(トコヨ)の春(ハル)の長閑(ノドカ)な景色は、
さながら五六七(ミロク)の神政を地上に
移写(イシヤ)されたるかと疑はるるばかりなり。
南瓜(カボチヤ)に目鼻をつけたるごとき、
不景気な神人(カミ)の顔も、
蕪(カブラ)や、瓢箪(ヘウタン)や、茄子(ナスビ)、長瓜(ナガウリ)、
田芋(タイモ)などに目鼻をつけたるごとき、
醜悪なる八百八十八柱の神人の面色も、
この時のみは、実に勇気と希望にみち、華やかなりけり。
神人は心の奥底より、無限の愉快と喜悦とを感得したりける。
大本神諭(オホモトシンユ)に、
『心の持ちやう一つによりて顔の相好までが変るから、
心の持ちやうが一番大切であるぞよ』
と喝破されたるは、実に至言といふべし。
いよいよ第三回目の会議は、
諸神人(シヨシン)喜悦歓呼のうちに
もつとも荘厳に静粛に開かれける。
諸神人は各自設けの席に着きぬ。
この度は前回のごとき野天泥田(ノテンドロタ)の会議にあらずして、
真の常世城(トコヨジヤウ)内の大広間なり。
神人(カミガミ)らのうちには、前日の泥田に懲(コ)りてか、
足をもつて座席を念いりに踏みてみるもの、
手を伸ばして議席を撫(ナ)でまはし、
議場の真偽を試(タメ)しみるものありき。
中には吾と吾が身をつめりて痛さを感じ、
やつと安心の胸を撫でおろすもあり。
どうやら今度は、
真正の会議場であるらしいと自語するもありぬ。
羹(アツモノ)に懲(コ)りて鱠(ナマス)を吹くといふ譬(タト)へは、
かかる時のことを指したるものなるべし。
神諭に、
『国会開きは、
人民が何時(イツ)までかかりても開けは致さぬぞよ。
神が開かな開けぬぞよ。
神が開いて見せうぞよ。改心なされ』
とあるは実に千古不易の至言なり。
太古の神人さへも、国祖の御許しなくしては、
かくのごとき失敗を演出するものを。
いはんや罪悪の淵に沈みたる、
体主霊従(タイシユレイジユウ)の人間の開く会議においては、
なほさらのことなりといふべし。
常世彦は、まづ神前に進み、
恭(ウヤウヤ)しく拝跪して神言(カミゴト)を奏上し、
静かに中央の高座に登り、
謹厳の態度にて諸神人(シヨシン)の席に眼(マナコ)をくばりていふ。
『吾らは成功を急ぐのあまり、神に祈願したてまつり、
神助のもとに神聖なる議案を討究することを
忘却したるがために、大神の神怒(シンド)にふれ、
議場はたちまち混乱に混乱の惨状を現出し、
四離滅裂の苦しき経験をなめたり。
いまより吾らは諸神人とともに悔悟して、
世界平和のため誠心誠意をもつて終始せざるべからず。
今日までの二回の会議は怪事頻々として湧きおこり、
一つも決定にいたらずして幕を閉ぢたり。
これ全く神慮に叶はざるがための結果にほかならざれば、
今より改めて神聖なる会議を神助のもとに開かむ』
と宣示し、諸神人は拍手して八王大神の宣示を迎へたり。
このとき、天井には微妙の音楽聞え、
天男天女は天(アマ)の羽衣(ハゴロモ)を春風になびかせながら、
舞ひ遊び、以前のすさまじき猛虎、悪狐、
獅子の咆哮、怒号の悪声や、
天(アマ)の鳥船(トリフネ)の轟(トドロ)きわたる示威的光景にくらぶれば、
天地霄壤(セウジヤウ)の差あることを覚えしめける。
(大正十年十二月十七日、旧十一月十九日、出口瑞月)
08/08/24 22:18