神は山でつくられる【荒川岳キャンプ記】
■ プロローグ:火をともしたのは、誰だった?
「お前たち、ただサービスを受けに来たんじゃないんだぞ!見ろ、お兄ちゃんたちが片付けしてるぞ!」
──あの一言から、すべてが始まった。
小学◯年、夏のある日。僕らは“市の企画”でキャンプ合宿へ出かけた。行き先は、荒川岳。そこは、ただの山じゃなかった。
そこには「神をつくる構造」があったのだ。
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■ 1日目:ただの遊びじゃなかった体育館
初日、みんなで体育館で遊んだ。はしゃいで、笑って、汗をかいて、それだけで最高だった。
でも、遊び終わって部屋に戻ろうとした時――“喝”が飛んできた。
「なにやってんだ!片付けは?ただサービスを受けに来たんじゃないぞ!」
それは、「受け身の子ども」から、「自立する人間」への一撃だった。
あの一言がなかったら、ただの楽しいキャンプで終わっていたかもしれない。
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■ 荒川岳には“宇宙”があった
不思議だった。
学校では感じたことのない解放感と新しい出会いが、ここにはあった。
普段の学校では、友達は基本的に増えない。
だけどキャンプでは、「あの子気になるな」って好奇心と、「声かけてもらえた!」って安心感が重なって、自然に輪が広がっていく。
しかも、これは「ここだけの宇宙」だ。
数日間の共同生活、でも最後には解散して元の学校に戻る。
この“限定感”が、人の心を開いていた。
恋すらも、自然と芽生えるほどに。
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■ 構造を見ていた少年
僕は観察していた。
• 全体を率いるボス(Te)
• 子どもたちをまとめるリーダー(Fe)
• 無邪気についていく子どもたち
• そして、ずっとふざけてるけど何でも知ってる白髭の山神(Ne)
たぶん僕は、そこで初めて「構造を持って世界を見る力」を使っていた。
それが、今のMy Harmonic Cognitive OSにもつながっている。
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■ 子どもは全視点だった
今、放課後等デイサービスの仕事をしていて気づいた。
子どもたちは、全視点(Fi, Fe, Te, Ti)を元々持っている。
でも、偏った大人に合わせるようにして“変化”していく。
つまり、子どもは相手のズレを見て補填している。
大人の偏りにぴったりハマるように、
子どもが“依存”として変化していくんだ。
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■ それでもいい。だって、神はそこから生まれる。
偏りがある大人。
それにフィットして変化する子ども。
でも、そこに「喝」がある。
そこに「火」がある。
それが、神をつくるシステムだった。
僕は、荒川岳でそのプロトタイプを見た。
だから、今でも信じてる。
教育は、構造だ。
出会いは、火だ。
そして、神は…山でつくられる。
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■ エピローグ:また、どこかの山で。
このキャンプで出会ったあの子たちは、どこへ行ったのか分からない。
でも、僕は今も山を登り続けてる。
リアルで、認知で、魂で。
またどこかの山で出会おう。
そのとき、君の中にも**“火”**が宿っていることを、願っている。


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