台湾で鳥を探す
台湾に行っていた。
先日、友人の一人がフジロックのライブレポを書いており、これに感銘を受けたのでぼくも何か書いてみることにする。彼の記事はここから読むことができる。ぜひ読んでみてほしい。飾らない文体と、音楽に対する豊かな感受性の表現が魅力だ。ぼくは音楽については
・低音が聞こえると、良い
・VTuberの歌は、良い
・ドビュッシーは、良い
ぐらいの好みしかないので、彼のように音楽を楽しめることを羨ましく思う。
ところで、前書きは短いほど良い。
東京が綿密に設計されたソフトウェアだとするなら、台南は臓器だ。人間は中華民国という巨大な生物を動かす一つの都市という器官の、一組織上の一細胞であり、街に溢れるモーターバイクは血液のように道を流れる。住空間と商業空間。内と外。それぞれの要素は他の要素と分割不可能な形で結合し合い、相互に影響しながら総体として複雑で有機的な動きを生み出していく。
アメリカの都市学者ジェイン・ジェイコブズは、コルビュジエなどに代表される近代的な建築設計・都市計画において、機能によって街区をシステマチックに分割する機能主義の方法を批判し、有機的で多様性のある都市のあり方を説いた。アメリカ大都市の死と生。密に相互作用する安定的な動的システムは、生命のように振る舞う?
時系列に沿って話そう。
台湾には鳥を探しに来た。
初日(2025/08/13)
成田から3時間ぐらいで台湾の桃園国際空港に着いた。移動中は参加予定の学会のアブストラクトを書いたりA24の不倫の映画(かなりエロい)を見たりしていた。着陸時、悪天候により着陸できないトラブルがあったが(この日は台風11号が台湾を直撃しており、フライトの中止も懸念されていた)、30分後ぐらいに再トライしてなんとか成功。乗客から拍手が上がる。ぼくも拍手に参加した。30分の間に映画ではいよいよ敏腕女社長と若いインターン生の情動的な関係が始まろうとしていたのだが、残念ながらここで終了。
空港線に乗って一時間ぐらいで台湾の首都である台北に到着した。
いい街だ。駅前は開発が進み高層ビルが立ち並んでいるのだが、道は広く、緑に溢れた広い都市公園もいくつか設けられている。伝統に倣い、街中でアニメ絵の女の子を発見するたびに「萌えを発見」というキャプションと共にTwitterに投稿するアクティビティに興じたかったけど、わざわざ発見するまでもなく、東京と同じぐらい街中にアニメガールが溢れている。これはいちいち投稿していてはきりがない。
広い道路が映えるのだろうか、歩道橋の上で夜の街を背景に写真を撮っているコスプレイヤーがいっぱいいて、オタク文化の豊かさを感じられた。
この日は適当に西門夜市(観光客に人気の夜市で、日本の原宿っぽい場所)に行って謎の食べ物を食べたり(抽象的な「焼き」みたいな感じの食べ物だった。謎の食べ物が本当に多いので、自分が何を食べているのか逐一管理しておきたい方々には苦しい旅になるだろう。栄養管理アプリだって「豚の血を米と混ぜ合わせてパクチーをまぶしたもの」とかを何と分類していいか首を傾げるはずだから)、それから書店に行ったりした。書店には日本語の本や雑誌がそのまま売られているものも結構多く、文化の近さを感じる。物珍しさから『負けヒロインが多すぎる!』の中国語(繁体)版『敗北女角太多了!』などを適当に選んで購入した。
中国語には、伝統的スタイルで字が複雑な繁体字と、簡略化された簡体字の二種類がある。中国全域では簡体字が標準的に使われているのに対し、台湾や中国の特別行政区である香港・マカオなど一部地域では繁体字が使われている。めずらしいバージョンってことだ。これは今度フォロワーに会ったときにあげようと思う。
明日は台湾南部の都市、台南に移動する。台北駅近くのホテルを取っていたのでチェックインして寝る。安ホテルというのはどの国でもだいたい同じような環境を提供してくれる。ベッドとシャワーの普遍性だ。
二日目(2025/08/14)
台南は名前の通り、台湾の南部に位置する町だ。台北から島の西側を南下して300kmほどの距離があり、台湾高鉄(いわゆる新幹線)で移動する必要があった。
余談だが、台湾高鉄の予約サイトは役割の異なる大量の番号を発行して惑わせてくる(バウチャー番号、登録コード、オーダー番号、予約番号等)上に、自分がどの時間で予約したか確認する方法が存在しないので手続きにけっこう苦労した。これから予約するみなさんは便を選択する際にスクリーンショットを取っておくことをおすすめする(台湾高鉄さん、どうにかしてください)
地球の自転軸は公転面に対して約23.4度傾いている。台湾は北緯22度から26度にまたがる島国であり、したがって夏至(公転軌道上で地軸の傾きが太陽の方向を向く点)において太陽が真上に来る線、すなわち北回帰線が国を跨ぐように通過している。急に天文学のレクチャーを始めて申し訳ないが、面白いのは、この北回帰線が通る嘉義県を境にして気候が亜熱帯から熱帯に変化することだ。
植生が亜熱帯から熱帯のものに変化する。ここを境に作物も変わるらしく、稲作ができなくなったりパイナップル畑が現れ始めたりするらしい。旅行の醍醐味を感じる。
それと、南側のほうが暑く感じた。直射日光が痛い。もはや東京のが暑い?とか正直思っていたのだが、全然そんなことはなかった。
台南に着く。
最強も集結しちゃってんじゃん
台北や、『千と千尋の神隠し』のモデルとなったと噂される九份、ランタン飛ばしで有名な十份ほど分かりやすく観光地化されてはいないものの、台南は日本統治時代以前の首都であり、今も古い建物が残る趣ある街並みは人気の訪問地の一つとなっている。個人的には、想像していたカッコつきの“台湾”は台北よりもこちらのほうが実感に近く、高密度な建物や看板、複数の時代が混じり合うようなつぎはぎな街並みと、混沌としたディープなアジアの町の雰囲気でテンションが上がった。
ここでは共同研究者である国立成功大学、米コーネル大学のメンバーと合流することになっていた。駅で待っていた向こうの研究者たちと挨拶を交わし、駅付近の店で昼食をとった。いずれの方々とも何度かオンラインでやりとりしているものの、面と向かって話すとやはりかしこまってしまう。台南の名物らしきチマキのようなものをご馳走していただいたけど、これは台湾で食べたものの中でも上位に入るぐらい美味しかった。
街では「シュウアンピエンタントーファ」や、
「擦の」などを見つけた。
その後、車に乗り込んで大学の鳥類学研究所に向かう。
さて、ようやくこの旅の目的を明かすことになる。
今回探しに来たのは、ミナミアカハシ(Taiwan Red-billed Chough)と呼ばれるカラス科の鳥類だ。台湾固有種で、カラスの仲間だけあって日本のカラスぐらいの中型のサイズをしている。名前は和名だが、統治時代に日本人の生物学者が命名した鳥ということもあり、現地でもそのまま南红喙鵲(南の赤い嘴の鳥)として定着していたりする。
なぜこの鳥を調査する必要があるのか?
ぼくも研究者の卵のはしくれとして、ちゃんと説明しておく責任があるだろう。
鳥がものまねをすることはよく知られている。ペットとしても人気のインコやオウムなどはその代表例だ。
映画『ジュラシックパーク3』ではヴェロキラプトルの共鳴腔を用いたコミュニケーションがフィーチャーされたが、恐竜からさらに進化した鳥類は、「鳴管」と呼ばれる、人間における声帯の役割を果たす発声器官を持っている。コミュニケーションを行う鳥類はこの鳴管に付随する鳴管筋が高度に発展しており、これを使って鳴管の膜を細かく調整することにより、歌にも例えられる(実際に歌なのかもしれない)多様な鳴き声を操ることを可能にしている。
ところで、インコは人間と同様、地域ごとに異なる方言を持つ。また、異なる方言の個体に遭遇した際、互いの方言を真似て発声することが知られている(これも人間と同様)。これらの研究から、一部の鳥類は、音を真似することによって互いのシグナルを共有し、互いを仲間だと認識するように進化してきたと考えられている。鳥類の対話手続きってところだ。
興味深いのは、その特性が及ぶ範囲が、仲間の鳥の声や人間の言葉のような生物の発する音に限らない点だ。ひっかき音や金属音、スマホの通知音や木を切り倒すチェーンソーの音、自動車のエンジン音など、機械的・人工的なものを含む多様な音をコピーしてしまう。
この分野で有名な種類として、オーストラリアに生息するコトドリという鳥がいる。この鳥は森で聞くあらゆる音をコピーしてしまい、それを芸として求愛行動に使う。以下のナショジオの動画ではカメラのシャッター音やノコギリの音を真似している(カメラがフィルム式なのは時代を感じさせて面白い)。鳥の口からそのままの機械音が聞こえてくるのは結構不思議だ。
台湾固有種のミナミアカハシが特徴的なのは、このような「音声模倣(vocal mimicry)」を集団で行う点だ。森に住むミナミアカハシは通常数十から数百羽の群を形成し、それぞれの個体が個別の役割をもって声真似を行う(この一群を形成する個体数については様々だが、複数個体による模倣行動については最低でも2羽から行うことがある)。この複数個体による連携した音声模倣は世界的にも例が少なく、ミナミアカハシの他にはオーストラリア、南米のコスタリカでそれぞれ一種ずつ報告されているに過ぎない。中でも数百羽に及ぶ“大連携”が確認されている種は本種のみだ。
群行動を行う生物はたくさんいる。
社会的昆虫のアリやハチは巨大な巣を形成し、それぞれの個体が分業で異なる役割を果たすことで栄養を集め、巣を固め、外敵から身を守っている。アジなどの魚は捕食者の攻撃を受けるリスクを最小化するため、ベイト・ボールと呼ばれる巨大で高密度な球状の魚群を形成する。ガンや白鳥などの水鳥はV字の飛行隊形を取ることで飛行にかかるエネルギーを最小化している。
ミナミアカハシが集団で連携して音声模倣を行うのはなぜだろうか?これはまだ明らかになっていない。役割を分担して声真似を行うことが、彼らに生存上どのような利点をもたらしてきたのだろうか。求愛行動の芸という説も、他の集団とのコミュニケーションという説もこれを説明するには不十分だ。したがって、この行動の適応的意義を明らかにすることは、鳥類における声真似行動そのものの進化的背景をより明確に理解することに繋がる。
それが、台湾までこの鳥を探しに来た理由だ。
どのような音声模倣が、どの群集で、どの地域分布において観察されるのか。役割分担はどうやって行われているのか?それを明らかにすることで、声真似を行う目的はおのずと明らかになると考えている。
野鳥の研究だが、ひとつには森に音センサーを設置することで行われてきた。観測データと鳥の鳴き声データベースと比較することで特定の種の要素を抽出し、そのデシベルで生息数を見積もるというものだ。これは受動的な方法で、映像と比較してデータサイズが小さいことから長期的な観測を行うことができるというメリットがある。
一方で、ノイズの問題がある。
他の鳥種の鳴き声が混ざり合うことや、季節によって変化する虫の鳴き声、他の野生動物も音源になる。上空を飛ぶ航空機の音など、不定期に訪れる人為起源の音も無視できない。このような多数のノイズから対象となる鳥の声のみを抽出することは非常に難しく、音観測の課題となっている。
加えて、ぼくたちが観測しようとしているのは声真似を行う鳥群だ。ヤイロチョウの鳴き声と、ヤイロチョウを完璧にコピーしたミナミアカハシの鳴き声は区別することができない。
あなたがもし、透明人間の生息分布かなにかを研究しているとしよう。探している透明人間は周囲の色をコピーして完璧に風景に溶け込んでしまう。この場合、可視光センサーを使うことはあんまりいい選択肢とは言えない。
そこで、ぼくたちはGPSタグを使う。群れの中から代表的な個体を数羽捕まえて、脚の先にGPSタグを括りつける。あとは自然に返し、GPSタグの場所を追跡すれば、彼らの群れの生息分布が特定できるというわけだ。バンディングと呼ばれるこの方法は侵略的でリスクも大きいけど、一番確実でもある。誤差は数メートル、生息域の調査としては理想的と言ってもいい。
車に乗って数十分ほどで、大学の鳥類学研究所に着く。
成功大学は台湾でも最大級のバード・サンクチュアリである深坑自然保全区を有しており、その傍に設立された鳥類学研究所は台湾における鳥類学の拠点となっている。
車を降りてみると、古めかしいフォントの金文字で「臺南鳥類學研究所」と書かれた入り口が見える。かなり立派な建物だ。ビジターセンターも兼ねた研究所の天井は高く吹き抜けになっており、背後に広がる森林によく調和するよう、木材を取り入れた自然を感じさせるデザインになっている。広大な敷地内に建設されたたくさんのアヴィアリー(対応する日本語がないのだが、要するに中で鳥が放し飼いにされたドーム状の巨大な鳥かごのことだ)の一部は施設の外側からも眺めることができ、時折、多様多様な鳥たちの鳴き声が響き渡る。
グレートホーンビルを発見。
見た目こそ熱帯の鳥として有名なトーカン(オオハシ)に似ているが、サイズは全く異なる。体長1メートルを超える大型の鳥類だ。巨大な嘴をバシバシと打ち鳴らし、空気を震撼させる管楽器のような鳴き声で鳴く。以前マレーシアの密林を訪れた際にも同じ響きを聞いたことがあるが、この鳥は恐竜を思わせる圧倒的な存在感がある。
研究所の中に入ると、今回の調査の主導者である劉(リュウ)教授が出迎えてくれた。
劉教授はこの鳥類学研究所に研究室を持つ応用物理学者で、専門は鳥類・魚類の群れを対象としたアクティブマター物理学。アクティブマターというのは、生物のような自発的に運動する要素の集合、すなわち群れの振る舞いを、コロイドや高分子を扱うソフトマター物理と同じようにモデル化して統計的なふるまいを調べる研究分野のこと。物理学と生物学の境界に位置している学問分野だ。劉教授はこのアクティブマターの観点からミナミアカハシの集団音声模倣に興味を持っている。
研究室に招かれたぼくたちは、あらかじめメールで打ち合わせていた通り、互いに研究発表を行うことで情報交換を行なった。一人30分程度で簡単に話をして、それに各々が質問をしたり意見を言ったりする。研究者が行うコミュニケーションは主に二種類ある。セミナーを行うか、酒を飲み交わすか。大昔には三種類目があって、主に剣と白手袋を使用して行なっていたようだけど、ぼくは幸運にもお目にかかったことがない。
ぼくも用意していた研究成果と行き詰まっているところについて話し、アイデアをもらった。
劉教授の話は興味深かった。ミナミアカハシの群知能について。
鳥や魚、昆虫の群れにおいて、各個体は全体における位置や役割を意識しながら動いているわけではない。各個体が近くの個体との相互作用によって自律的に行動した結果、創発が起こることで自然に全体の秩序あるパターンが形成されていく。中央集権的な指令系統の存在しないままに、局所ルールのみによって集団がひとつの意志を持つような同期を見せるこの現象は、コンピュータシミュレーションの普及とともに群知能として研究されてきた。
「興味深いのは、ミナミアカハシの場合では、鳥群が環境音を記憶し、学習するという点です。このとき、群の記憶は個体寿命をはるかに超える。生物群が環境をアーカイブすると言ってもいい」
先に説明したように、ミナミアカハシ群は、ある環境における音を役割分担して音声模倣する。この際、厳密には各個体が担うのは単一の音(たとえばカメラのシャッター音や車のエンジン音)ではなく、群全体が記憶する音の情報量が最大となるように分割された音なのだという。これによって、ミナミアカハシ群の音声模倣は精度とロバストネスを確保している。
どういうことか?
ある鳥が、カメラのシャッター音を担当するとしよう。もしその個体が死んだり記憶が薄れたりすることがあれば、その音は群れから完全に失われてしまう。ここで、群れ全体がシャッター音を符号化して分担することを考えてみる。メラニーは高周波成分を、ミッチは低周波成分を担当、アルフレッドはタイミングをコントロールする。このように各個体が音の特徴を分散して保持することで、仮に一つのノードが失われても全体のパターンが残り、残りの個体が持つ冗長性のバックアップから復元できる。一個体が任されるシャッター音の情報量は、群れの個体数に反比例して小さくなる。また、群れが大きくなるほど分担できる周波数成分や時間分解能は細かくなり、より精密な模倣が可能になっていく。ミナミアカハシはこの驚くべき分散記憶システムを進化によって獲得しているらしい。
加えて、彼らは継承を行う。
「彼らは雛鳥や迷い鳥など、群れの新しいメンバーに情報を継承します。このプロセスがどのように行われているのかは明らかになっていないのですが、その結果、群れの新たなメンバーは最適化された分散情報を保持するようになります」
情報が継承されることにより、老いた個体が死んでも群れに音が残る。その結果、群れの持つ記憶は、ミナミアカハシの個体寿命である6~8年を超えて保持され続けるのだという。どことなく、人間の言語や文化を想起させる話だ。
「初期のコンピュータにおいて、ハードウェアとソフトウェアの区別は存在しませんでした。コンピュータに別の計算を行わせるには真空管の配列ごと変える必要があったのです……(中略)……どこで発生したアジの群れもベイト・ボールを形成するように、どの群れのセイヨウミツバチも同じハニカムを作るように、それぞれの集団は、個体の遺伝子配列に規定された一様な振る舞いを見せます。一方でミナミアカハシの群れは、長期的な記憶を安定して保持することが、経験を通じた群れの行動規則の変更────すなわち学習を可能にしました。鳥群はその振る舞いを動的に変更し、目的に応じて模倣する音を変化させていきます。これは、ハードウェアとソフトウェアの区別を持ったコンピュータのように、振る舞いのルールを書き換えるためのメタルールが実装されていると言ってもいい」
スライドに示された鳥たちが線で結ばれていくアニメーションが入った。鳥ネットワークはフェードインしてきた脳の画像に矢印で結ばれる。
「これを私は、生物群そのものが持つ知性の萌芽であると考えています」
教授はそう言って発表を終えた。
「世代を超えた鳥群の学習は、進化とはまた異なるのでしょうか」
コーネルから来ていた学生の一人が質問した。
「群が持つ知識は遺伝せず、学習や記憶はあくまでも群の振る舞いとしてのみ現れます。その証拠に、ミナミアカハシ個体を一羽ずつ交換しても鳥群の模倣する音は保存されるのです。比喩的な言い方が許されるなら、彼らの一羽一羽は、自分がどのような音を構成する群の一部であるかなど、意識すらしないでしょう」
ぼくも思ったことを口にする。
「いま鳥群が出している音色が長い年月の"学習"による結果だとするなら、それは何を目的とした学習なのでしょうか。より簡潔に、鳥群は、何を模倣しようとするのでしょう?」
ミナミアカハシは進化の過程で集団音声模倣の特性を身につけた。副次的に生じた分散記憶システムの進化的帰結として、鳥群は学習能力を得た。鳥たちが作るニューラルネットワーク。何らかの目的によって、その相互作用を可塑的に変化させていくような動的プロセス。ならばその向かう先には何があるのだろうか。
劉教授はしばらく考え込むように顎を撫でてから、思い至ったように口を開いた。
「実際に見ていただいたほうが早いかもしれません。実を言うと、私がこのような考えを抱くようになったのも、最近発見されたとあるミナミアカハシのコロニー──我々はK5と呼んでいます──が原因なのです」
そう言うと、劉教授はプロジェクターの電源を落として突然踵を返した。電気がついて、セミナー室が明るくなる。ぼくたちは慌てて、こちらに目をくれずにセミナー室を出ていく教授の後を追った。しばらく教授を追って廊下を歩く。何か怒らせてしまっただろうか?と思っていると、心を読んだように研究所の学生が耳打ちしてくれる。「気にしなくていい。こういう人なんだよ」
エレベータに乗って階を移動し、一台数千万円はしそうな次世代シーケンサやPCR装置が並ぶ実験室を横目にしばらく施設内を歩いたのち、教授が職員証で厳重な扉をひとつずつ開けていく。どうやら、この先に研究対象の鳥類を飼育するエリアがあるらしい。研究所の外から見える飼育設備よりも機密レベルが高いのは明らかだ。
K5、と書かれた扉を通ると、電車の車両を二両ぶん横にくっつけたぐらいの大きさの暗い部屋に入った。一面がガラス張りになっている。ガラスの向こうには森が見えた。いや、違う。木々の奥に見える空には、鳥を逃さないためのネットが張りめぐらされている。これは台湾の森の環境を精巧に再現した巨大な鳥籠だ。ぼくたちはちょうど、球場に備え付けられたVIPルームから試合を眺めるような形で、鳥籠の中を観察していることになる。この規模の施設は世界的にも類を見ない。ぼくたちは思わずおお、と声を上げる。
「ここは観察室です。我々の声が鳥たちに影響を与えすぎないよう、ガラスで仕切られていますが。この鳥籠では台南の原生林奥部で発見されたミナミアカハシのコロニーK5から捕獲された鳥群の一部が飼育されています。そして我々は、この一群の発見が、鳥類学の歴史に残るものになると確信しています」
そう言うと、教授は鳥籠の内部にいる職員にハンドサインで合図を出した。
「始めてください」
やがて、職員はカットしたフルーツをいっぱいに詰めたバケツを持ってきた。ミナミアカハシの主食は木の実やフルーツだ。大きな鳥籠の中央に渡された金網の橋を渡り、トングでバケツのフルーツをつかむ。
木々が揺れる。鳥群が反応した証だ。コーネル大学の研究者が何か尋ねようとしたが、教授はそれを人差し指で制する。
その瞬間、バァン、という音が響いた。
続くように、バァン、という音が連続して聞こえる。これに応じるように、別の方向からも同じ音が聞こえてくる。破裂音のようだ。乾いた何かが破裂するような、体の芯に響く音。いや、これはまるで……
その時、鳥籠の中に野太い男の叫び声が響き渡った。言葉はわからないが、強烈な怒気を伴うその声は、威勢を示すための掛け声のように聞こえる。続いて、今度は明確に、人間の悲鳴が響いた。絶叫。ぼくとコーネル大学の研究者たちは思わず怯んでしまう。教授と研究所の面々はガラスの向こうを無表情で見つめ続けている。いまや、ガラスの向こう側はカオスだ。複数の方向から響く破裂音と、痛みに耐えるために叫ばずにはいられないような悲痛な絶叫。怒号にも感じられる異言語の叫び。五人、六人、七人……ここにはいったい何人いるんだ?
続いて聞こえた声に、ぼくの頭は真っ白になってしまった。
「怯むなぁ!撃ち続けえ!」
流暢な日本語だった。このガラスの向こう側には、日本人がいる。
思わず教授に話しかける。
「教授……この中にいるのは……」
言いかけたその瞬間、ぼくは全てを理解した。
集団で音声模倣する鳥群。経験し、学習する群知能。生物群による環境のアーカイブ。
台湾の歴史については、移動中にWikipediaで読んでいた。
でも本当にそんなことが?
驚きを隠せないぼくの顔を見て、教授はゆっくりと頷く。
「先ほどから響いている銃声を波形解析にかけたところ、三十八式歩兵銃の銃声と完全に一致しました。聞こえる人間の声のうち、一種類は台湾の先住民族であるセデック族の言語です。もう一種類は……君にはわかると思います。日本語です」
教授はぼくたちの方に振り返った。暗い部屋の中、鳥籠から差し込む光で教授の姿は逆光になる。ポケットに手を突っ込み、一人一人の顔を眺めながら語りかけるように言う。
「K5は、戦争に擬態する鳥群です」
ガラスの前に飛んできた一羽のミナミアカハシが、銃声で鳴いた。
三日目(2025/08/15)
ぼくたちを乗せたトラックは、まだ夜明け前の暗い山道を進んでいく。
フクロウやミミズクなど一部の夜行性鳥類を除き、ほとんどの鳥は夜明けとともに活動を開始し、餌を求めて飛び回る。この時間は行動量が多く、警戒心が薄れているので捕獲するにはもってこいだ。逆に、昼を過ぎると気温が上がり、亜熱帯や熱帯の鳥は日陰に潜んでしまう。つまり、夜が明けてから気温が上がりきるまでの数時間が野鳥観察のゴールデンタイムだ。だからこんなに早くから動き出す必要がある。
あまり快適とは言えないトラックの座席で揺られながら、昨日見たものについて考える。環境に適応して学習し、世界を記憶する鳥群。アーカイブされた戦争のミニチュア。
日本統治下の台湾では日本による同化政策、産業開発、教育制度の導入が進められ、先住民族への支配強化も行われた。それらの支配の中での文化・風習の制限や差別的な待遇は、彼らの中に鬱屈とした不満を募らせていった。1930年、先住民族セデック族の頭目モーナ・ルダオを中心とした大規模な武装蜂起が発生。日本軍は鎮圧部隊を派遣し、航空機による偵察や爆撃も実施された。これが、ぼくの知る台湾先住民による抗日抵抗、霧社事件の概要だ。
ミナミアカハシの群れは全てを見ていた。そして鳥群の学習アルゴリズムは、これを何か役に立つものと学習して、記憶した。
ぼくは窓の外の山々に目をやる。夜明け前の山肌はまだ影に沈んでいて、木々の黒い輪郭が闇の中に浮かんでいる。あの闇の奥で、約百年前に起きた銃声と悲鳴が、いまも鳥たちの喉の奥で反響し続けているのだ。
「まさか、」
コーネルの学生が口を開く。
「分散ストレージにニューラルネットワークとはね。100年後には量子もつれで同期通信でもしてるんじゃないかしら」
トラックの中に微かな笑いが漏れる。
量子通信はできないかもしれないが、今後、今よりもっと変なものが発生する可能性は十分にある。
400倍です、と、昨日教授は言った。
「鳥籠の中にいるミナミアカハシは20羽。これは我々がかつて野生のK5群から捕獲してきたものです。オリジナルのK5を構成する個体数は、400羽以上と推定されています」
全結合型ネットワーク、すなわち、N羽の鳥がそれぞれ残りの(N-1)羽の鳥すべてと相互に作用し合うようなケースを考える。この組み合わせの取り方はN(N-1)/2で、Nの増加に合わせてだいたいNの二乗のスケールで潜在的な相互作用ペア数が増していく。おおざっぱな見積もりとして、昨日見た鳥籠の中の鳥群の20倍以上の羽数で構成されたオリジナルのK5は、400倍以上複雑に振る舞うと推測できる。ただしこれが具体的に何を意味するのか、ぼくにはよくわからない。
トラックが止まる。深坑原生林の入り口に着いた。ここからは徒歩でエリアK5を目指すことになる。
エリアK5は5キロメートルかける5キロメートルの正方形をなす深坑原生林の一区画だ。一つのミナミアカハシ群のテリトリーはだいたいこの範囲よりも広いので、鳥群は発見された座標の名称で機械的に命名されている。したがって、今もミナミアカハシがエリアK5にいるとは限らないのだが、とりあえずの目的地にはなる。
トラックを降り、捕獲調査のための機材を下ろす。
鳥を捕らえるためにはミストネットと呼ばれる専用の網を使う。木々の間にたわみを持たせながら仕掛けることで、ミストネットの細くて黒い糸は光を吸収してほとんど見えなくなって、飛んでいる鳥を比較的安全に捕らえることができる。これを森の中のいくつかのポイントに仕掛けて、待つ。これがぼくたちの任務だ。鳥が網にかかったらすぐに駆けつけて、体重や雌雄、正確な座標と時間を手早く記録して、GPSタグを慎重に取り付けた上で逃さなければならない。なるべく鳥に負担を与えないこと。何もなかったかのように自然に戻すこと。それなりの技術を要するので、訓練を受けていない人間が行うことは禁じられている。
K5を目指し、しばらく朝霞のかかる薄暗い密林の中を歩き続ける。
二時間ほど歩いただろうか。
湿った泥に足を沈めながら進んでいると、赤い血溜まりをぬかるみに垂れ流す同胞の死体を見つける。目を見開いたまま、顔を真っ白にして事切れている。遠くから乾いた発砲音が響いて反射的に頭を伏せた。銃弾が木の繊維を割く音が頭上で響く。霧のように立ち込めていた朝靄は、いつの間にか火薬の硝煙と機銃掃射による土煙に姿を変えていて、銃を携えた兵士たちが隊列を組んで後ろからぼくを追い越していく。
エリアK5に入ったことを理解するのに時間はかからなかった。
上空から戦闘機のプロペラ音が聞こえる。
視界の先で地面が跳ね上がり、木が悲鳴のような音をあげて倒れた。大砲による攻撃が始まったみたいだ。こんな前線じゃ一瞬の判断が命取りになる。あちこちで爆発が起こって、怒号と銃弾はどこからでも飛んでくる。ぼくはとにかく息を潜めて走り続けるしかなかった。血と泥の雨が降る戦場。敵と仲間の腕や、歯や、その他の肉片が一緒にミンチになってぼくの靴を汚す。ぼくは涙が止まらなくなってしまう。
ミラーニューロンとかクロスモーダル現象とか、ぼくもいくつかこの状況を説明できそうな理論を知っていた。つまり、これは非常に良くできた音の錯覚で、それがあまりにもリアルなのでぼくの脳は勘違いを起こしてしまっているというものだ。でも理論は実感を止めてはくれない。ぼくの全部の脳細胞がノンストップで死の恐怖を訴えかけてくる。
やがて、飛んできた銃弾に体のどこかを撃たれてぼくは崩れ落ちる。銃の一撃は強力だ。地面の湿った感触を掴んで立ちあがろうとすると、木に止まったミナミアカハシと目が合う。その瞬間、ぼくは理解した。
劉教授も、他のみんなも、ぼくだって薄々分かっていたはずだ。ただその結論があまりにも荒唐無稽に思われたために言い出せなかったのだと思う。
小型の鳥類の中には、小動物や蛇などの天敵に襲われたときに、タカやフクロウなどの上位の捕食者の音を真似ることで攻撃を回避するものがいる。天敵のさらに上位の天敵を演じる三角関係の防衛的擬態。「スイミー」みたいなやつだ。
約100年前、森のミナミアカハシたちはたくさんの銃声と人間の悲鳴を聞いた。頭に穴をあけて山積みになったたくさんの死体を見た。
人間が危険であることはわかっていた。でも人間には天敵がいなかった。
だから、鳥群は、戦争を、人間の天敵として学習した。
ぼくはミストネットに足を取られた敵部隊の男を発見する。男はぼくに気づくと網から抜け出そうと必死にもがく。無理だ。その網は細くて柔らかいナイロンモノフィラメントと意図的なたわみで確実にきみの足をとらえるように設計されている。
助けてくれ。
男が泣きながら呟く。
歩兵銃を持ったぼくが、敵部隊の男に歩み寄っていく。その後ろ姿を鳥たちは木の上からじっと眺めている。まるで親鳥に獲物の獲り方を習う雛みたいに。100年残そうとするみたいに。
助けてくれ。
網に捕らえられたミナミアカハシが人間の言葉で呟く。無理だ。ぼくがきみの足にくくりつけるGPSタグと衛星の観測網は、きみが死ぬまでその足取りを追跡し続けることになる。
自分が、何かもっと大きなシステムの意志に動かされているのを感じ始めている。あるいはぼくという存在も、鳥群ネットワークの空気振動の中で繰り返しリプレイされている一瞬の夢に過ぎないのだろうか?
ぼくは動けない男に向かって銃を構える。懐中電灯が男を照らして、手で顔を隠しながら縮こまる男の姿を浮かび上がらせる。ミナミアカハシがミストネットの中でばたばたと暴れる。なるべく負担を与えないこと。まるで何もなかったかのように。
助けてくれ。
そう呟いたのが誰だったのか、ぼくにはもう分からない。
余談
台湾高鉄に揺られながら、テッド・チャンの短編集「息吹」を読んでいた。『大いなる沈黙』という掌編がある。
宇宙は果てしなく広大で、果てしなく古いため、知的種族はその歴史の中で何度も誕生しているはずだ。にもかかわらず、我々はそのどんなしるしも見つけることができない。宇宙はあまりにも静かすぎる。この問題はフェルミのパラドックスと呼ばれ、長らく研究者たちの議論の対象となってきた。人類は地球外知的生命体とのコンタクトを求めてアレシボ天文台の大型電波望遠鏡を作った。しかし、物語の語り手であるオウムは、我々こそがまさに人類とコミュニケートできる非人類種族ではないかと語る。もうすぐ絶滅する我々は宇宙の大いなる沈黙に加わる。オウムは人類の想像力を称賛し、この世界から消え去る前にメッセージを送る。アレシボの望遠鏡に聞こえるように。
これはかなりいい掌編だ。
ところで、ぼくも探していた鳥を見ることができた。台湾固有種のヤマムスメ。美しい色をしているけど、台湾ではそれなりにありふれた鳥で、繁殖期に凶暴化して人を襲うことがあるので疎まれてもいるらしい。いい子でね。



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