日本有数の極寒地走った「深名線」廃止から30年 最終日はどんな様子だったのか

鉄道乗蔵鉄道ライター
深名線朱鞠内駅で交換する列車(PublicDomain)

 1995年9月3日のJR北海道深名線の最終運行から本日で30年となった。JR北海道の深名線は、深川―幌加内―朱鞠内―名寄間の121.8kmを結ぶ長大ローカル線であった。国鉄時代から、赤字額が過大であるということが問題視され、すでに1968年に持ち上がった国鉄赤字83線問題のときから、廃止が取り沙汰され続けてきた路線であった。しかし、1980年に施行された国鉄再建法による特定地方交通線の廃線問題の際も、代替道路が未整備であることを理由として廃止が見送られ、1995年まで生き延びることができた路線だった。沿線は、北海道有数の豪雪地帯でもあり、北母子里駅のあった幌加内町母子里地区は1978年2月に氷点下41.2度という日本最低気温を記録した極寒地だ。

 そんなJR深名線であるが、筆者も1995年9月3日の最終日に深川―名寄間を往復している。当時の時刻表を改めて見返すと、深名線の廃止が近づいた7月25日からは、通常3往復の列車が運行されていた朱鞠内―名寄間に午後に1往復の列車が増発され4往復体制とされたほか、8月27日と9月2日・3日の3日間は、深川駅を9時48分に発車する名寄行の臨時列車と名寄発朱鞠内行の最終列車に接続する朱鞠内20時07分発幌加内行の臨時列車も運行された。

 特に、深川駅を9時48分に発車する臨時列車の存在は、青春18きっぷユーザーにとってはありがたい列車であった。午前中に深川駅を発車する深名線の列車は、5時10分発の名寄行と11時10分発の朱鞠内行のみで、札幌駅から始発の旭川行の普通列車に乗車した場合、深川駅到着は8時半ころとなり、深名線の列車に乗車するためには2時間半以上の待ち時間が必要だったためだ。

 深名線運行最終日となった1995年9月3日は日曜日であり、筆者は、青春18きっぷを握りしめて札幌発旭川行の始発の普通列車に乗車。この列車は全区間で電化区間を走行するにもかかわらず、キハ40形気動車2両編成による運行で車掌も乗務していた。深川駅に到着すると、深名線のホームには9時48分の臨時列車に乗車するために大勢の乗客がホームに列をなしており、ここで待つこと約1時間強。最終日の臨時列車はお別れヘッドマーク付きの5両編成だった。筆者は8時半頃に深川駅に到着後、早々に列に並んでいたことから、臨時列車の座席の窓側を確保。深川駅から名寄駅までを乗り通した。

 名寄駅には13時5分に到着し、13時15分に折り返して深川駅へと発車。筆者はこの列車には幌加内駅まで乗車し15時15分に到着。ホーム上は人で溢れかえっていた。幌加内駅では、お別れセレモニーの様子も見ることができた。幌加内駅では、次の17時59分発の深川行まで2時間44分の待ち時間があったので駅周辺を散策。夕暮れ時に赤いランプを照らした幌加内駅の腕木式信号機を眺めながら、この駅の賑わいもあと数時間で終焉を迎えてしまうのかと切ない気持ちになった。

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鉄道ライター

鉄道に乗りすぎて頭の中が時刻表になりました。日本の鉄道全路線の乗りつぶしに挑戦中です。学生時代はお金がなかったので青春18きっぷで日本列島縦断修行をしてましたが、社会人になってからは新幹線で日本列島縦断修行ができるようになりました。ステッカーやTシャツなど鉄道乗蔵グッズを作りました。

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