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市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

教学談義 『病って?』

2007-02-04 12:49:31 | Weblog
 『南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神十羅刹女法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。
                      経王殿御返事 1124頁』

 この世に全く病気のない人が、一体何人いるのだろうか? 当然金欠病も家庭不和も、対人関係も、病気の内に入ると思うから、ほとんどが何らかの病気にかかっていると見た方が正解だろう。
 では、その病気によって、生活の上にどのような障害が出ているというのだろうか。
 
 あるブログを読んでいて、創価学会に入ったことによって、病気が増えた、とあったので、この記事を書く気になった。

 主人も私も病気持ちである。私は、病気とは縁のない子供の時に入会しているので、当然信心していく中で、病気になった。主人は金欠病以外は全く健康体で入会し、約十四年後に倒れた。
 創価学会の信心をしているからと言って、病気にならないはずがない。なった時は、医者にかかれば良い。これは常識だ。そうだろう、虫歯一本だって、痛む限りはとてつもない病気なのだ。それをあたかも信心が悪いみたいな言い方をするのは、どこから来た判断なのだろう。
 そういえば、大聖人だって、四条金吾の処方した薬を服用してあった。
 
 そのブログ主が、どんな病気か知らないが、信心をした。病気になった。あるいは病気が増えた。だから創価学会は信用ならない。こんな無茶苦茶な理屈を考え付く前に、もっと深く自分の宿業に思い至らなかったのだろうかと、気の毒になってしまう。この方の考え方が、どうもどこか間違っていたように感じてしまうのは、私だけ?

 病気とは、本来、自分の宿業の最も深い部分に起因しているものだとして、必死に宿命の転換を祈っていくのが、本来の道ではないのだろうか。そうすれば、絶対に結果は出る。そこまでやらないで、途中で逃げ出すような事をするから、病気がひどくなったように取ってしまうのだ。
 誰のせいでもない、病気も含め、すべての宿業は、自分自身の責任において、解決していくべき筈のものだ。
 この簡単な理屈が、事、生命次元に入っていくと、どうも分らなくなってしまうらしい。

 分るまで、やってみないからだ。

 今、主人も私も、病気だと言っても、誰にも分からない。
 全く日常の生活に障害がない。
 これはもう、病気とはいえない。

 冒頭に上げた御書の一節は、微塵も疑う事の出来ない真実である。どんな病気であっても、信心する者の生活に、障害を為す事はないのだから。

 今、生きている事そのものが、信仰の実証を示し続けているようなものだ。