走れないなら、どいてくれ
──止まる自由と、譲る責任の話
人混みの中を歩いていて、改札で、電車の出口で。
立ち止まってもいい。ゆっくり歩いてもいい。
けれど──先頭に立つな。どいてくれ。
これは、単なる日常のイライラの話ではない。
組織でも、社会でも、国の運営でも、同じ構造が起きている。
1. ボトルネックは、人
システムがどれだけ精密でも、技術がどれだけ進んでも、
それを使いこなすのは「人」。
そして、人こそが最大のボトルネックになる。
「現状維持でいい」「大きな失敗は避けたい」
──そんな意志のまま、上に立ち、流れをせき止めてしまう。
一人が止まれば、その背後の何十人、何百人が足止めを食らう。
2. 「倫理」という耳障りのいい壁
止まっている人を責めると、決まって返ってくるのは「倫理」の話だ。
「年長者に失礼だ」「無理をさせるな」「みんなで支え合おう」
──それは一見、正論に聞こえる。
でも、倫理という言葉で流れの停滞を覆い隠すのは、構造的な罪だ。
社会は流れ続けなければ、腐る。
そして、後進の道を塞ぐというのは、次世代の可能性を奪うことに等しい。
3. 能力じゃなくて、覚悟の問題
もちろん、すべての人が走れるわけじゃない。
それでいい。誰もが全力で走る必要はない。
でも──走る「つもり」がないなら、前に立ってはいけない。
リーダーに求められるのは、「完璧な実行」ではない。
「自分が詰まりになるかもしれない」という自覚と、譲る意志だ。
4. 「譲る」というリーダーシップ
先頭を譲るのは、敗北ではない。
むしろ、誰よりも自分の役割を理解している者だけができる選択だ。
そのとき、流れは生まれる。
そのとき、若い力が発揮される。
そのとき、社会は息を吹き返す。
5. 日銀、為替、そして“詰まり”の正体
最近、日銀総裁の発言で円が全面安になった。
「理解不能」「日本売り」「守るべきものは何か」──SNS上には怒りがあふれた。
でも、これは一人の発言の問題じゃない。
構造的に、走る意志のない人たちが前に立ってしまっているという現実の象徴なのだ。
6. まとめ:走れないなら、どいてくれ
この言葉には、苛立ちと、願いと、祈りが込められている。
怠惰に甘んじたリーダーへ:その位置にいるなら、走れ。
本気で走れないなら:責任を持ってどいてくれ。
後ろにいる若い力へ:走る準備は、できているか?
「譲る」という勇気が、次の流れをつくる。
「どく」という覚悟が、社会を前に進める。
そして、走るつもりで立つことが、リーダーとしての最低条件だ。
7. 補足:「どいてくれ」は他力本願か?
「走れないなら、どいてくれ」という言葉は、
一見すると、他人に行動を求める受け身の態度に見えるかもしれない。
しかし、これは単なる願望や他力本願ではなく、
「自分は進む意思がある」という、前提の覚悟が込められた言葉だ。
この言葉の裏には、こうした気持ちがある:
「止まっていること自体を責めたいわけじゃない。
でも、先頭に立ち続けることで流れを塞ぐのなら、それは問題だ。
自分は走りたい。だからその道を開けてくれ。」
退くかどうかは相手の選択だが、それを促すのは自分の行動と意思の力である。
そしてもし退かないなら、回り道をするのか、別の道を作るのか、あるいは構造を変えるのか、
選択は自分の中にある。
つまり「どいてくれ」とは、責任の放棄ではなく、責任を引き受ける者の宣言でもある。
「どいてくれ」と言うことは、
「自分が進むつもりだ」と表明することなのだ。
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