バターも使う性暴行シーンを、19歳女優に知らせず本番撮影…で70年代の傑作に。深刻さを改めて訴える
1972年公開(日本は翌1973年公開)の『ラストタンゴ・イン・パリ』は、センセーショナルな性描写が話題になりつつ、アカデミー賞では監督賞・主演男優賞にノミネートを果たし、芸術性が高く評価されるという、映画史に残るアンビバレントな一作。そして評価を超えて「問題」になった作品として知られる。
偶然出会った中年男と若い女性がセックスに溺れていくこの物語で、監督のベルナルド・ベルトルッチは、主演女優に予告ナシで、ある重要なシーンを撮影した。それは……当時48歳で世界的トップスターのマーロン・ブランドが、19歳のマリア・シュナイダーのズボンを脱がし、バターを手に取ってアナルセックスを強要するシーンだ。不意を突かれ、床に倒されたマリアは恐怖のあまり涙を流して抵抗する。ベルトルッチ監督は、彼女が受けた屈辱感、本物の涙を映像に収めたくて、事前に知らせなかったのだ。
50年前とはいえ、こんな撮影が許されるのか?
当然のことながら、この撮影はマリア・シュナイダーにとって大きなトラウマとなる。それだけでなく彼女の俳優としてのイメージも勝手に作られ、極端な役が多くオファーされてキャリアが形成されていく。マリアは2011年、58歳でこの世を去った。
この『ラストランゴ・イン・パリ』での顛末は、現在に至るまで様々な問題を投げかけ続けている。
・撮影現場で、演じる側に精神的ダメージを与える演出
・その後『ラストエンペラー』でアカデミー賞に輝き、巨匠となったベルトリッチへの評価は正しいのか?
・俳優の突発的な反応を引き出すことは、芸術の意義として許されるのか。
などなど。ようやく近年、インティマシー・コーディネーターによって性描写などの撮影にケアが入る流れが作られた。「芸術のため」「新たな表現を求めて」という大義も、個人に深い傷を与えてはいけない……。それを改めて訴えようとしたのが、フランス人監督のジェシカ・パルー。『ラストタンゴ・イン・パリ』の例のシーンの撮影、マリア・シュナイダーの運命を再現した映画『タンゴの後で』を撮り上げた。
「私自身、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた」とパルー監督が語るのは、映画製作のきっかけとなった、マリア・シュナイダーの従姉妹、ヴァネッサ・シュナイダーが書いた一冊の本のこと(「あなたの名はマリア・シュナイダー:「悲劇の女優」の素顔」)。
「今から50年前にマリアはすでに声を上げていたのに、誰も耳を貸そうとしなかった。50年前と現在で、状況は何も変わっていないのです。完全に社会問題。そこで手記と同じように、マリアの視点から事実を描こうと決意しました」
そこからパルー監督はリサーチを開始し、『ラストタンゴ・イン・パリ』の現場を経験したスタッフや、マリアの素顔を知る人から直接話を聞き、真実のドラマを世に送り出す。そして「どの証言者に聞いても、マリアの人生を変えたのは、あの瞬間だったことが一致した」というのが、例のシーンの撮影であった。
若き巨匠に、現場では誰も声を上げることができず…
「脚本を確認したところ、そのシーンの詳細は書かれていませんでした。つまり相手役のマーロン・ブランドにズボンを脱がされ、床に倒されることをマリアは知らなかったのです。映像に収められた彼女の涙、そして『ノン!(やめて)』と拒絶する声は“真実”のものでした。問題は、そのシーンを見ていたスタッフが、カットがかかるまで誰一人、声を上げなかったこと。その沈黙の時間も私は再現しようとしました」
現場で誰も声を上げなかったのは、なぜなのか。パルー監督は次のように想像する。
「監督のベルナルド・ベルトルッチは当時31歳でしたが、すでにその才能が賞賛の的になっていました。現場でのパワーは絶対的で、誰も彼の演出を拒むことができなかった。しかも1970年代は、性の解放が叫ばれ、どんな演出でもかまわないという時代の空気もありました。だからこそベルトルッチは、19歳の未成年の女性を使って、あのようなシーンを撮ってしまったのでしょう」
じつはジェシカ・パルー監督も当時のマリアと同じ19歳の時に、ベルトルッチ監督に出会っている。2003年の彼の作品『ドリーマーズ』に、インターンとして参加したのだ。その素顔を知っている立場もあって「自分の映画で、彼の善悪を裁くことはしていない」とパルー監督は断言する。同時に、「23歳で助監督になって以来、若い女性の視点から“不適切”なものを多く目にしてきた」と語るように、映画業界の闇を追及することが本作の原動力にもなった。
奇しくも2025年、日本では中島哲也監督の最新作『時には懺悔を』が公開延期された。同監督の2014年の映画『渇き。』で性暴力が行われたシーンで、ヌードはNGという女優側の申し出があったにもかかわらず、バストトップが露出された映像が当人の許可なく本編で使われた。その後、彼女は精神的なダメージを受け、女優業を引退する。この問題が解決しないままだったため、中島監督の新作公開に抗議の声が上がったのだ。
この件についてパルー監督に聞いてみると「たしかにそれは複雑な問題ですね」と前置きしつつ、次のように語る。
「問題を抱えた作品の公開を止めるべきか。すべて正しいとは思えません。たとえば最近、パリのシネマテークで『ラストタンゴ・イン・パリ』の上映が決まって、多くの反論が出ました。それは単に上映反対するのではなく、上映前後に同作が抱える問題を観客に解説するべき…というもの。一方的に検閲するのではなく“説明”によって見えてくるものもあるのです」
若い女性たちが声を上げられる環境を作ること
一方で、こうした「業界の闇」を告発する作品を実現させることは難しく、パルー監督は「聖なる巨匠を攻撃し、映画界を震撼させることに反発も強く、資金調達は困難を極めた」と明かす。難産の末に完成した『タンゴの後で』はカンヌ国際映画祭で上映され、そこからの反響は監督の想像を超えたという。
「たとえば本作を観た16歳の少女がインスタグラムに投稿してくれました。映画業界に関係なく、多くの女性たちが関心を持ってくれたのです。本作の公開は、フランスでようやく#MeToo運動が活気を帯びてきた頃だったので、『あなた、このムーブメントを予知したのね?』などと聞かれ、『いいえ偶然です』なんて答えていました。いずれにしても若い女性たちが声を上げられる時代がこれからも続いていけばいい。そんな希望を本作が示したのでしょう」
ジェシカ・パルー監督も「映画を撮る側」として、本作を通して深く考えるものがあったようだ。
「芸術という名の下で、どこまでやっていいのか。そこを私は観客と一緒に考えたかったんです。脚本どおりにやらないことで、真実をキャッチできる可能性もあります。現場のノリで盛り上がってしまうこともあるでしょう。ただ、その場で『こういうことをやる』と演じる側に説明するのは必須。あの時、19歳のマリアも説明があれば応じたかもしれません。『タンゴの後で』のラストで、マリアが放つセリフから、ベルトルッチの演出がいかに過ちだったのか、ぜひ読み取ってほしいと思います」
時として、映画は作られた時代の評価が、社会の変化によって大きく変節することがある。そして後に発覚した事実によって、作品を観る側の「気持ち」が、その印象を左右する。『タンゴの後で』を観てから『ラストタンゴ・イン・パリ』に接した時、何を感じるのか。そんなことも考えさせるという意味で、ジェシカ・バルー監督は大きな仕事を達成したのだと実感する。
タンゴの後で
9月5日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開
配給:トランスフォーマー
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