『古代ギリシャのリアル』より 「ギリシャ史」1000年の空白を超えて
なぜ「中世ギリシャ人」はひとりもいないのか
2009年の経済破綻以降、一躍世界のニュースのトップに躍り出たギリシャ。
「古代ギリシャにはソクラテスとかアリストテレスとか偉い人がたくさんいたのに、なんで今のギリシャは経済破綻するくらいダメになっちやったの?」
--こんな感想もよく聞かれます。しかしこれは、縄文時代から現在まで、約1万6500年間を途切れることなく「通史」として自分の国の歴史を語ることができる私たち日本人だから出る感想かもしれません。
「古代ギリシャ人」「現代ギリシャ人」という単語はよく聞きますが、「中世ギリシャ人」という表現は聞きません。これは中世~近世の約1000年間、自らをギリシャ人と名乗る人はひとりもいなかったからです。ギリシャ史には1000年間の空白があり、古代ギリシャ人は一度完全に滅んでいるため、現代のギリシャ人と直接的な血の繋がり、歴史の繋がりがありません。
古代ギリシャ人はなぜひとりもいなくなったのか……。これは古代ローマの中に吸収されてしまったからです。紀元前2世紀ごろからローマの支配を受けるようになった古代ギリシャ人たちは、次第に自分たちを「ロマイオイ(ローマ人)」と称するようになります。そのほうが政治的に得だったからです。
すると次第に「ギリシャ人」という言葉は「野蛮人」を指す言葉へと変わっていきます。こうしてギリシャ人はアイデンティティを喪失し、6世紀には「ギリシャ人」を名乗る人はひとりもいなくなってしまったのです。
そして次にギリシャ人を名乗る人が現れるのは19世紀、ギリシャ独立戦争の時なので、実質1000年間ギリシャ人は地球上にいなかった計算になります。
こういった歴史上の断絶にくわえ、現代ギリシャと古代ギリシャには宗教面でも大きな違いがあります。現代ギリシャ人は一神教のキリスト教徒(東方正教徒)なので、ギリシャ神話(ご存じの通り多神教!)を信じていた古代ギリシャ人に対しては、「異教徒で自分だちとはまったく違う連中」と考えていました。
そのため、19世紀のギリシャ独立後に、周りの勝手なイメージで町が古代ギリシャっぽく作り変えられた時は、「古代とやらが俺たちに一体なんの意味があるんだ?」「なんで遺跡の保護で今生きてる我々の土地を奪うんだ?」とのブーイングが続出でした。
しかし「なんか実際にギリシャ来てみたらイメージ違うなあ……」と気づき始めた西洋人が去り、ギリシャブームが下火になると、そこで改めて現代ギリシャ人は「俺たちのギリシャ」を作り始めます。自分のたちの中にある、相反する〈古代ギリシャ〉と〈キリスト教〉、〈東洋〉と〈西洋〉の要素を融合し、「西洋文明の起源」という立場を逆手にとって、「ヨーロッパ人どもを相手にひと儲けしてやろうぜ!」とたくましく生きる、今の魅力的な「ギリシャ」を!
だから、宗教も血も違い、ここまでさんざんイメージに引っ掻き回されたとはいえ、現代ギリシャ人は精神的に古代ギリシャを誇りに思っています。
それはこの言葉によく表れています--
「我々ギリシャ人が哲学や天文学や民主主義を発明した時、貴様らヨーロッパ人はまだ森の中の猿だったのだ!」
「古代ギリシャ」は存在しない
さあ、現代から時代をさかのぼって、いよいよ古代ギリシャまでやってきました。まず、勘違いしやすい部分ではありますが、古代には「ギリシャ」という一つの国は一度たりとも存在したことかありません。……というのも、紀元前8世紀以降、古代ギリシャは大小1500個の都市国家(ポリス)という共同体ごとに独立していて、統一されたことはないからです。古代ギリシャは絶対者な力を持つ王がいない世界で、貴族や平民などの身分差はあれど、すべての階級の人々が土地を持ち、社会的に自立していました。
しかし、「現実の古代ギリシャには王がいないのに、なぜギリシャ神話の中にはたくさんの王が出てくるのか?」というと、これは古代ギリシャの時代が始まる以前、ミケーネ時代には王がいたからです。神話は古代ギリシャ人にとって「遥かな過去」の話ですから、この世界観を反映しています。
さて、「ギリシャ」という一つの国ができあがらなかったのは、土地が山がちで平野がほとんどない本土と小さな島々で成り立っていたことも大きな原因のひとつです。
平野が少なく島が多い、という点では日本の国土も似ているかもしれませんが、決定的に違うのは、ギリシャは今も昔も雨の少ない痩せた土地だということ。よくこんな岩だらけの土地で人類の英知が花開いたなあ、と驚きますが、古代ギリシャ人自身は「土地が豊かだと逆に人間が貧弱になるんだよ! アジア人みたいにな!」と言っているので、当のアジア人としては複雑な気分ではあります。
しかし、一つの統一された国家がないのだとしたら、「古代ギリシャ人」をどう定義したらよいのでしょうか? この疑問については当の古代ギリシャ人が自分の口でこんな風に説明してくれています。
「我々は同じギリシャ人だ。同じ血を持ち、同じ言葉を話し、同じ神々を信仰し、同じ生活習慣を持っている」(ヘロドトス『歴史』)
--つまり祖先を同じくし、ギリシャ語を喋り、ギリシャ神話を信じ、同じ生活サイクルで人生を送っている人々が「古代ギリシャ人」。そしてこれから本書でお話しするのも彼らの神話、彼らの日常生活になります。
17/03/26