愛はあるけど甘やかさない。
優しくすることと甘やかすことの違いは何か。甘やかすのは、その時だけ好かれればいいから、お菓子とかあげちゃう。アルコール中毒の人にアルコールをあげちゃう。優しさには「お前は大丈夫だ」という基本姿勢がある。変に心配して先回りしてやらない。おせっかいを焼かない。余計なことをしない。良かれと思ってやったことが裏目裏目に出る人は、甘やかすことを優しさだと勘違いしている。偽りの愛は、人間の自立を阻害する。
北海道在住の女性T様から「会いたい」とご連絡をいただいた。なぜ私に会いたいと思ったのか尋ねたら「なんとなく」「たまたま」「直感で」と言った。何度も言うが、私になんとなく会いたいと思う人間はいない。自分で言語化することをサボり、誰かに言語化してもらおうとする甘えを感じた。こう言う時、私は厳しい。頼まれていないことはやらない。なんとなくと言う人に限って、あとから「本当は◯◯して欲しかった」と言う。話したいことはないと言いながら、質問してくれなかったから話せなかったなどと逆恨みをする。甘えるのが苦手だとか言いながら、人生全体で甘えている。親を憎むことで親に甘え続けている。
T様の重心は頭にあると感じた。頭に重心があるために、腹まで思いが至らない。T様の言葉には心を感じなかった。ジンギスカン屋で会ったのだが、T様は自分で注文したおしんこやナムルに一切手をつけなかった。自分で頼んだのに食べず、丸ごと残す人の神経がわからなかった。もったいないし、無駄にしている。おそらく、会食などの場では「みんなのため」に注文をする人ができる人だと見なされるのだろう。その点において、T様は親切な人なのだろうなと思った。だが、冷たい人だなと思った。心がない人だなと思った。だから、そのことを伝えた。重心は、頭ではなく腹に落とした方がいい。そうじゃないと、何をやるにも頭になる。誰とも心で繋がれない。あなたは常に先回りして、空回りしているように見える。
拒絶される恐怖が、自分の心を拒絶している。感じることを拒んで、考えることで封印している。何がしたいのかのWANTではなく、何をするべきかのMUSTで生きている。だから、窮屈で、息苦しくなるのだと思う。T様は、旦那のことを「いい人」と言った。私は、パートナーを「いい人」と表現する人を信じない。優しいとか、面白いとか、人間として当たり前のことだ。そんなものは価値ではない。本当に愛しているのなら「好き」と言う。最悪な言い方になるが、旦那が最高なら、あなたはこんな風になっていない。だが、一つだけ例外がある。親が支配的な人間だった場合だ。常に親から暴力を受けて育った場合、暴力を振るわないだけで「いい人」と認定される。自分が好きかどうかより、自分に危害を加えない安全性に価値を見出して、インフラとして愛する。便利で使い勝手のいい愛着のある道具として愛する。だから、対等じゃない。失うことを恐れている。自立ではなく、依存する方向に力が使われている。失うことを恐れるほど、自分自身を失う。
自分は恵まれていると言い聞かせる必要のある状態は危険だ。感謝は自然と湧き出すもの。感謝しなきゃと思ってタスクのように行われる感謝は、感謝の牢獄に自分自身を閉じ込める。ありがたいのは事実だが、自分自身が弱くなり、一人で生きていけない人間になる。自分が自分を必要とすることができなくなる。ジンギスカン屋を出る時、T様から「まだお時間はありますか?」と聞かれた。私は「ないです」と言った。実際は無限の時間があったが、本番が終わってから本番をはじめないでくださいと思った。最後の最後で自分の思いを口にするのではなく、一緒にいた時間があったのだから、勇気を出してその時に言ってくださいと思った。だから「ないです」と言った。私はそこまで優しくない。一緒にいてあげることを優しさだとは思わない。一緒にいてあげるのではなく「一緒にいたいから、一緒にいる」時間に、自然に発生するものが優しさであり、愛だと思う。
おおまかな予定
9月2日(火)北海道札幌市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
9月23日(火・祝日)静岡県伊東市伊豆高原
EVENT@チャイニーズオーベルジュ仙豆飯店
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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