疾走する思春期のパラノイア
神秘とは希望であるべきだった。まだ暴かれていない深海の領域に思いを馳せて俺が年甲斐もなくはしゃぎ、未知の生物を夢想するように。
先生、俺死にたいんですよ。
先生、俺JUMP作品楽しめないんですよ。
先生、俺クラスTシャツに2800円払いたくないんですよ。
先生、俺任意の教科の〇〇先生が結婚したとか別にどうでもいいんですよ。
先生、俺人と話せないんですよ…。
Angel Beats!≒インターネット
Twitterもといインターネットに毒された、いや“救済“された人は現実コミュニティを上手に過ごすことができない。そもそも逆説的に現実コミュニティで健常者擬態ができなかったからインターネットでレスバや馴れ合い、
成人男性たち『あうーさんだよ😈』『あうーさんなんだねー😈』
といった会話が成立する。ここは地獄ですか天国ですかまたはAngel Beats!ですか。
とにかく私はこのTwitterというSNSが好きだ。Instagramを見ると脳内でゼクノヴァが起き原義脳破壊。TikTok、YouTube shortの類はドーパミン中毒に合っているかのように思えるが、実際は中身のないただ時間を溶かすだけの内容に飽きショート動画を見ることもできない。
Twitterという文字を武器とする特性上、言語優位の素敵なFFが揃ったいるところが好きだ。お願いだからハールメンやpixivにある官能小説でやることをやっていてほしい。
もはやここが実家のため私自身はAngel Beats!する(Twitter垢消しという意味)ことができないのだがそれとは別に確実に影響していることがある。それが冒頭の先生、俺死にたいんですよ構文だ。
2年4組教室内でお話しをすることができません。健常者擬態ができません。インターネットを介したコミュニケーションしか取れません。
雫、その話は勉強より大事なことなのかい?
前提としてこのnoteを読む人はノンフェイカーとしよう。(フェイカーはたどり着くはずがないので)
小中と学校で話しかけてくれる人となにを話したか覚えているだろうか?〇〇先生は△△先生と付き合っているだとかのゴシップネタや教室1番のあっくんを生物本能的にいじめている話、顔も知らぬ同級生の悪口愚痴などの雑談がメインコンテンツだがそれを楽しめなかった。いや、“適応できなかった“と言ったほうが正しいだろう。
「大きく吸って せーの!…(笑い声)(笑顔)(自然な角度の広角)(共感)」
をすることができない。あ・え・い・う・え・お・あお‼︎ができない🤓くんは次第に周りから人がいなくなる、または人がいなくならずそれなりにうまく順応できたとしても内心つまらない、退屈だというクネクネ成分が蓄積していきまたこれがゼクノヴァとなってしまうだろう。
ほんとうに論議したいのは
「学歴序列、愛国心高めの右翼雑談、攻殻機動隊の少佐のファッションセンスはどうなっているのか」
といった話題だとメタ認知ミニ自我人間くんが頭の片隅で発狂しているのではないか。
にゃんこ大戦争やApex、原神の話を一緒にできる友達を求めた12歳。ごと脱げゆかりさんの太鼓の達人実況を再生速度を落としスクショ保存をしたあのころの私たちが求めた高校生活は明らかにこれじゃない、同年代との馴れ合いを退屈と捉えた私たちは馴れ合いを拷問と認識し思春期症候群を引き起こしてしまう。
コンプレックスこんぐらっちゅれーしょん
なりたい自分になれなかった自分。だから諦めて周りに合わせた自分になろうとしたがそれすらなれない自分。
ただ事務的会話、無機的な会話を学校で繰り広げばいいだけなのにそれができない自分。”救済”してくれたのは梓川咲太ではなくFF、Twitterだ。
脳死共感で頭を振る生活からの解放、メシヤ。
鬱憤を不法投棄した140字にいいねがつき承認欲求が満たされる感覚にハマるとAngel Beats!できない。FFとの馴れ合いが楽しくてAngel Beats!できない。というかAngel Beats!する気がない。
現実コミュニティに戻ったら興味もないゴシップや愚痴、アナルセックスコンテンツの布教に脳死で頷き肯定。かといい、もし青チャートでも開いて勉強しようとしたら周りは肯定してくれない。みんこう偏差値が10違うと会話に支障が出てくるがみんこう偏差値が同じでも会話が成立するとは限らないのだ。
この素晴らしい生産性のない、だが青春という思い出形成ができる学校に祝福を!したい。仲の良い友人と空き時間に駄弁る雑談が楽しいのだろう、教師が読み上げる教科書音読を聞いているときでさえ彼らにとってそれは青い春の1コマとして記憶されるのだろう。それを退屈で意味のないことだと認識してしまったら学校へ行く意味が消滅するのだろう。だから祝福をしたい。
学校行事準備時などに友達とする会話が楽しめればきっと今頃インターネットではなく謎地方高校での生活を謳歌できたのだろう。文化祭の準備を楽しめたらよかったのだろう。「これは搾取だ…!」と思わずやりがいを楽しめたらよかったのだろう。
勉強を教えてほしいという頼みやウマ娘のランダムコースター当てるために友人と近場のイオンに遊びに行けたらよかったのだろう。
「いやGemini使えばいいですやん‼️」「メルカリ最低金額で狙いのコースター買えばいいですやん‼️」とメタ認知ミニ自我人間くんが登場しない世界線で生きていければ休日の移動半径4畳半にならずに済んだだろう、平日の学校生活を楽しめただろう。
最近日常系アニメや学園モノを見るのだが、それで学んだことがある。
学校とは勉強するところじゃないのだ、青春の1ページを増やすための機械なのだ。彼らは製紙工場に毎日勤務していただけで学校の学の部分は求めていないのだ。
私は製紙工場に向いていなかった、それだけの事実、たかだかその程度の事実が学校生活を苦しめていたのだ。だから私はAngel Beats!しない。製紙工場以外の選択肢はここしかない。
私はインターネットがやめられない。


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