腕飾りがティアラに「ブローチ」は帯留めに…皇室の宝冠を手掛ける工房の切なる願い
2025/01/01/ 10:00
元日に皇居・宮殿で執り行われる「新年祝賀の儀」では、皇后雅子さまをはじめとする女性皇族は、
ローブデコルテとティアラ(宝冠)の正装で臨む。見る人のため息を誘う、ダイヤと真珠が煌めく宝冠。
女性皇族のティアラを手掛けてきた工房のひとつ「アトリエマイエドール」は、
皇室のティアラの製作には技術の継承という役目もあると話す。
首飾りや腕飾り(ブレスレット)が顔の上で煌めくティアラに、
そして宝冠がブローチや帯留めへと華麗に形を変えるーー
「皇室のティアラには独自の工夫が凝らされています」
そう語るのは、女性皇族のティアラと宝飾品を製作してきた1969年創業の宝飾工房
「アトリエマイエドール」代表の大倉仁さんだ。
都内にある同社の工房のドアを開くと、使い込まれて飴色になった木製の作業机や作業台の上で、
ジュエリーを加工する熟練の職人の姿がある。
同じ空間には、指輪やネックレスなどのジュエリーのデザインや設計図を3Dモデルで作製するための
パソコンが数台と、3Dプリンターも並ぶ。明治以降の皇室において、
宮殿行事など公式な場における正装は洋装とされ、ローブデコルテに宝冠の「ティアラ」と首飾りなど5種の宝飾品と、
勲章が女性皇族の正装とされている。
宮妃は結婚、内親王や女王方は成年を迎えるタイミングでティアラとイヤリング、首飾り、
左右の腕飾り(ブレスレット)、勲章をつける大綬(だいじゅ)留めのブローチを合わせた5種類の宝飾品をそろえる。
腕輪飾りがティアラ、ブローチは帯留めに 大倉さんによると、この宝冠と宝飾品は、
分解したり組み合わせたりすることで、別のアクセサリーになる仕様なのだという。
左右のブレスレットをつなぐとティアラへと変わる仕様や、大綬留めのブローチが帯留めに、
宝冠が複数のブローチへと「変身」するパターンも多い。
たとえば、高円宮家の守谷絢子さんが18年10月にホテルニューオータニで開いた結婚を祝う晩さん会では、
久子さまがお持ちの首飾りを絢子さんがティアラとして着用。母娘の愛情が伝わる場面だった。
「帯留めも日本の小物ですし、ここまで細やかに分解したり、組み立てるティアラや宝飾品の設計は、
日本独特かもしれませんね」(大倉さん)
歴代5人の皇后が着けてきたティアラは、天皇が代々受け継ぐ「由緒物」で、皇后に「お貸し下げ」されてきた
皇后雅子さまが、2019年の天皇陛下の即位に伴う一連の宮殿での儀式やパレードで着用されていたのが、
「皇后の第一ティアラ」だ。
明治時代にドイツの職人の手によって造られたブリリアント型の宝冠。60個のダイヤモンドがちりばめられ、
トップには9つのダイヤの星飾りを戴くデザインだ。中央の星飾りのダイヤは、21カラットの大きさだという。
星飾りは取り外して花簪にもなる。首飾り、純金のブレスレットとあわせて140個もの宝石が使われた豪奢な宝冠だ。
自然の造形美を体現した日本のティアラ
皇后のティアラが日本製になったのは、大正時代に製作された「皇后の第二ティアラ」からだ。
皇室に納めたのは、宝飾大手の御木本(現・ミキモト)
24年6月の英国訪問での晩餐会で雅子さまの頭上で輝いていた、菊をモチーフに
日本の職人らしい自然の造形美が表現された宝冠だ。
また、上皇后美智子さまと雅子さまが、それぞれご結婚のときに着けていたのが「皇太子妃の第一ティアラ」。
こちらもミキモトの手によるものだ。
平成に入ると、ミキモト以外の工房も製作に加わるようになった。それまで随意契約だったティアラの発注が、
2003年に成年を迎えた三笠宮家の次女の瑶子さまから、和光とミキモトを中心とした指名競争入札に変わった。
和光が受注したティアラ(宝冠)と首飾りなどの宝飾品の製作を担当したのが「アトリエマイエドール」だ。
同工房が初めて皇族のティアラを手掛けたのは、瑶子さまの成年のときだった。
11年には、秋篠宮家の長女、小室眞子さんのティアラも手掛けている。
ティアラを着ける場面は、皇居・宮殿での行事や両陛下主催の晩餐会など、さまざまだ。
皇居だけではなく、訪問する国での歓迎晩餐会や王族の結婚式で着用することもある。
あらゆるシチュエーションでの使用を想定し、どのような髪型やシチュエーションにあっても
女性皇族の頭にぴったりとはまり、疲れさせず、そして女性皇族を美しく輝かせる宝冠でなければならない。
ひとつひとつの宝石が大きく、金属部分も重厚感のある外国のティアラに比べて、
日本の職人の手によるティアラは、日本の自然美を表現したような繊細なデザインと細工に定評があると、
大倉さんは話す。
「欧州のティアラは、とくに横から見たときに、宝冠の土台からトップまでを
直線で美しさを体現したデザインが多い。一方で、特にわれわれの工房では、宝冠の土台から上にかけて、
ふんわりと弧を描くような優美さを意識して作ります」
限界ギリギリまでのティアラの軽量化と強度
透明感のある繊細な細工も日本の宝飾品の特徴だ。花や唐草文様などを透かし彫りで仕上げていくが、
裏にも細工をいれることもあるという。
透かし彫りはエレガントな装飾であると同時に、素材の金属を彫り抜くことで宝冠の重量を軽くすることができる。
「表だけでなく裏からも彫りを施すのは、皇族方が重いと感じないよう、
ご負担を軽減するためでもあります。ただし、華奢になってはいけない。
強度を保つことができるギリギリのラインをミクロン単位で見極めながら、細工を施していきます」(大倉さん)
通常の宝飾品ではできない細工や装飾、デザインが施される皇室の宝冠と宝飾品の製作は、緊張の連続だ。
一方で、それは工房にとっても貴重なチャンスで、職人たちへの技術の伝承という意味合いも大きいという。
秋篠宮家の長男の悠仁さまが結婚すれば、お妃のティアラを新調することになるが、
悠仁さまはまだ18歳と、当分先の話になりそうだ。
皇位継承順位の状況によっては、雅子さまから紀子さまへ受け継がれた皇太子妃(皇嗣妃)のティアラを
多少のリフォームで悠仁さまの「妃」がお使いになる可能性もある。
愛子さまのティアラ新調は、技術の伝承の最後の機会
となれば、日本の職人が皇室のティアラ製作に携われる現実的なチャンスは、
叔母の黒田清子さんからお借りしている愛子さまが、ティアラを新調するときだ。
ただ、この25年度予算案にも製作の経費は計上されておらず目途は立っていないが、
大倉さんはその日が来るのを切に願っている。
「高度でかつ繊細な技術を要する皇室のティアラは、日本の宝飾職人にとっても学ぶことが多く、
次の世代の職人に技術を伝えるチャンスです。
ぜひ愛子さまには、新しいティアラを作っていただきたいと思っています」
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/245711
佳子さま方は「百合」の宝冠 「フェニックス」のティアラをご希望の女性皇族は?
製作した工房が明かすプリンセスの宝冠
2025/01/01/ 10:00
元日に皇居・宮殿で執り行われる「新年祝賀の儀」では、皇后雅子さまら女性皇族は、
ローブデコルテとティアラ(宝冠)の正装で臨む。ダイヤと真珠で装飾されたティアラの輝きは、
見る人のため息を誘う。皇族として生まれた女性は成年のタイミングでお好きな意匠や
デザインを取り入れてティアラを製作する。天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまも新調する際には、
ご一家で仲睦まじくご相談するのだろうか。皇室のティアラを製作してきた日本の宝飾工房が、
プリンセスの宝冠について知られざる製作秘話を明かす。
1969年創業の宝飾工房「アトリエマイエドール」は、女性皇族のティアラを製作する工房のひとつ。
2003年に成年を迎えた三笠宮家の次女、瑶子さまのティアラから、高円宮家の承子さま、
秋篠宮家の小室眞子さんなどのティアラを手掛けてきたという。
内親王や女王が成年を迎える1年数カ月ほど前に、ティアラを製作する業者が入札で決まる。
そこから、ご本人のご希望やお好きなデザインなどを伺い、打ち合わせに入っていく、と話すのは
「アトリエマイエドール」代表の大倉仁さんだ。
「そうはいっても、この段階での内親王さまや女王さまは18、19歳とまだ、お若い。
打ち合わせは、宝飾品について深い知識をお持ちのお母さま、つまり妃殿下が主導なさる形で進みます」
瑶子さまは、星のモチーフをやわらかな曲線でつつみこんだ愛らしいデザインで製作することになった。
06年には高円宮家の長女、承子さまが成年を迎えられた。エキゾチックで個性的なファッションが人気の承子さま。
そのティアラは、フェニックスの羽をモチーフにしたデザインだった。
母の久子さまは、宝飾品の知識も深い。一般的にティアラはきっちりと左右対称のデザインをイメージするが、
承子さまはアンシンメトリー(左右非対称)のデザインを選ばれたという。
「宝飾品にも造詣の深い、お母さまの久子さまならではのご提案でした」
と、大倉さんは振り返る。
よくみると次女の千家典子さんと、三女の守谷絢子さんのティアラや首飾りも
優美なアンシンメトリーのデザインで、久子さまの美意識と造詣の深さが伝わってくる。
「アトリエマイエドール」は、11年に成年を迎えた、小室眞子さんのティアラの製作も手掛けている。
このときは、和光がティアラと宝飾品5点の製作を2856万円で受注し、大倉さんの工房が担当することになった。
秋篠宮家は、紀子さまとおふたりの姉妹ともに、デザインのモチーフは百合の花だ。
三方とも同じイメージでそろえることを希望されたという。
眞子さんのティアラで活躍した3Dプリンター
眞子さんのティアラ製作は、宝飾職人にとっても大きな「転換期」となった。
それまでの皇室のティアラは、職人による昔ながらの手作業の世界だった。
ところが眞子さんのティアラ製作からCADソフトを使い、パソコン上でデザインを構築していった。
「なんといっても画期的だったのは、3Dプリンターの存在です」
そう話すのは、工房の室長を務める手鹿正博さん(43)。
デザインが決まったら3Dプリンターで樹脂製のティアラや宝飾品などのパーツを出力することで、
部品を手にデザインを宮家サイドと確認し、試着もできる。
「宝飾品を製作にあたっては、数ミリからミクロン単位で修正をかけていくこともあります。
サイズやデザインがイメージと違うとなれば、これまでは金属をいったん溶かすなどして
手作業で作り直さなければなりませんでしたが、ソフト上で修正が可能で、劇的に工程が変わりました」
と振り返る手鹿さん。3Dプリンターで製作した眞子さんの宝冠と宝飾品一式の部品は、239個におよんだという。
製作にあたっては、イメージに合わせてデザインを組み、あらゆるシチュエ―ションでの着用を想定して、
打ち合わせを重ねていく。
それは、昔ながらの職人による手作業の時代でも、CADなどの最新技術を取り入れたいまでも変わらない。
ティアラを着ける場面は、皇居・宮殿での行事や両陛下主催の晩餐会のほかに、
訪問した国での歓迎晩餐会や王族の結婚式で着用することもある。
どのような場面でも、頭にぴったりとはまり、女性皇族を美しく輝かせるのが職人の役目だ。
佳子さま、承子さまら若い世代や、久子さまなど妃殿下方のティアラの重さは、およそ150~180グラム。
何十個ものダイヤモンドや真珠で装飾された重量感のある、皇后さまのティアラならば250グラムほどだという。
大切なのは、ご本人に負担がなく疲れなど感じない冠に仕上げることだという。
ティアラの大きさや宝石も「ご身位順」
ティアラによって重さが異なるのは、ある「慣習」によるものだと、大倉さんは説明する。
「皇后のティアラがもっとも大きく装飾のダイヤや真珠の数も多い。
そして皇太子妃、宮妃とご身位の順に装飾も控えめになってゆきます」
宮家でも同じように宮妃が結婚した際に新調するティアラのグレードを頂点に、
娘である内親王や女王方は、姉妹の順に高さも装飾も抑えてゆく。
そのため、皇室の正装が洋装となった明治期から大正、昭和、平成と年代を追うごとに
新調する宝冠は控えめになってゆく。
たとえば、1930(昭和5)年に高松宮妃の喜久子さまが結婚の儀式で着用されていたティアラは、
いまの宝冠と比べるとかなり大きく重厚感がある。
土台が分解できるつくりのティアラもある上に、女性皇族の髪型や装着する角度によって
高さや大きさの印象はかなり変わってくるが、原則としてこうした「慣習」に沿ってつくられるのだという。
次の世代に受け継がれているティアラもある。
秩父宮妃の勢津子さまが結婚の際にお使いだったティアラは、平成の時代に美智子さまがお召しであったことから、
皇后雅子さまの顔の上で輝く機会もありそうだ。
三笠宮崇仁さまと百合子さまの長女の近衞甯子さんが着用していたティアラは、
久子さまがスウェーデン王子の結婚式でお使いになっており、
それぞれの宮妃に受け継がれる宝冠もいくつかあるようだ。
愛子さま着用の可憐な細工のティアラ
天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまは21年12月に成年の儀を迎えたが、ティアラの新調を控えており、
叔母の黒田清子さんから借りたティアラと宝飾品一式をお使いだ。
清子さんの「内親王のティアラ」は、重厚感のある皇后や皇太子妃のティアラとも違う魅力がある。
地金の唐草文様は細く繊細なラインで表現され、カスミソウなどの小花が咲くような可憐なデザイン。
日本の職人らしい優雅さにあふれるこのティアラは、花のようにほほ笑む愛子さまによくお似合いだ。
愛子さまは新調を控えているが、日本の職人が皇室の宝冠と宝飾品一式を作ることができる最も近い機会は、
愛子さまのティアラだ。
高度でかつ繊細な技術を要する皇室のティアラは、日本の宝飾職人にとっても学ぶことが多く、
次の世代の職人に技術を伝えるチャンスでもある。
大倉さんは、どうか近い未来に愛子さまにもご自身のティアラを製作していただきたい、と願っている。
愛子さまが母の皇后雅子さまと笑顔でソファに腰をかけて、お好きな意匠やデザインについて
受注した工房や宝飾の企業と打ち合わせを進めるーー。
そこには、天皇陛下も優しいまなざしで見つめていらっしゃる。そんな日が、巡ってくるかもしれない。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/245674
愛子さま(23)遅刻連発で迫る“母娘シンクロ”の悪夢 「公務選り好み」にも心配の声が
2025/01/06
(元記事 週刊文春 2024年8月8日号)
(一部抜粋)
「勤務態度は至って真面目で、ほぼ連日出勤されています。常勤とはいえ公務と両立できるように
嘱託職員の形態をとられているので、こんなに連日いらっしゃるのかと驚くほど。
4月10日には昭憲皇太后百十年祭で明治神宮を参拝され、勤務はお休みされるのかと思いきや、
午後から出勤されたこともありました」(日赤関係者)
「社員は昼食に仕出し弁当を頼む人が多いのですが、愛子さまも一緒に注文されているそうです」(同前)
別の日赤関係者が明かす。
「愛子さまについては、ある特殊なルールが徹底されている。ご本人不在の場ではお名前を出さずに
『彼女』と呼ぶよう指令が出ているのです。例えば、愛子さまに資料を渡すよう伝えるには
『彼女に渡しておいて』という具合です。外部の人に聞かれても良いようにという配慮なのかもしれません」
「4月に母校・学習院大学で開催された『オール学習院の集い』では、ご友人やその妹、
あわせて4人と一緒にブースを回られていた。愛子さまはご友人に恵まれており、
女子中・高等科の頃も、ご友人に囲まれてカラオケボックスに行ったり、プリクラを撮っておられました。
そうしたご友人付き合いが社会人になっても続いているようです」(宮内庁関係者)
「3月上旬にはご友人と、ピアニストの岡崎ゆみさんのリサイタルをご鑑賞。
4月末には、夭逝した学習院初等科の同級生のチェリストの山本栞かん路ちさんの追悼コンサートを
ご一家で鑑賞されました。また、7月下旬には学習院大学で開催されたOB管弦楽団の演奏会に
ご友人と足を運ばれています」(同前)
クラシックコンサートだけではない。じつは3月には、
ある“紅白歌姫”のコンサートにも参戦を予定しておられたという。
「MISIAです。3月初旬、都内でのコンサートを鑑賞されるご予定でしたが、
ご都合が悪くなったそうで、直前で取りやめになりました」(前出・宮内庁関係者)
「とくに旧ジャニーズがお好き。ある年の夏のご静養の際、愛子さまがiPodで音楽を聴いておられたのですが、
このときも旧ジャニーズの楽曲でした。10代のころの“推し”は木村拓哉。
愛子さまは個人的にインスタのアカウントをお持ちですが、
アカウント名はキムタクにちなんでいるそうです」(同前)
インスタには“推し活”の様子を頻繁にアップしておられたという。
「一時はジャニーズWEST(現・WEST.)の藤井流星と重岡大毅を推していて、
彼らの誕生日にお祝いをする様子を投稿しておられた。
一方、嵐のファンだと報じられたこともありましたが、これは否定しておられた」(学習院関係者)
愛子さまはこう仰っていたという。
「嫌いじゃないけど、とくに推しているわけじゃない。ちょっと『いいですね』と言うと、
すぐに『好きだ』って報道されちゃうんだよね」
非ジャニーズのイケメン俳優にも“推し”が。
「福士蒼汰です。2018年、愛子さまはご一家で福士主演の映画『旅猫リポート』の試写会にお出ましになった。
猫とその飼い主の旅を描いた映画で、猫好きで動物愛護にも熱心なご一家にピッタリな映画でしたが、
鑑賞された最大の理由は、愛子さまが福士のファンだったから。
愛子さまは福士の隣の席で映画を鑑賞され、終了後には懇談もされて、
こぼれんばかりの笑顔を見せておられた」(前出・宮内庁関係者)
だが――。別の宮内庁関係者はこう危惧する。
「最近の愛子さまには、危うい兆候が見られる。このままではかつての“雅子さまバッシング”のように、
批判の矛先が向きかねません」
過去、ご一家には厳しい逆風が吹き荒れたことがあった。04年に雅子さまが適応障害を公表。
昼夜逆転の生活が始まり、それに愛子さまも影響されて、初等科を遅刻したり欠席されるようになった。
こうした状況は「母娘シンクロ」と報じられ、激しいバッシングの対象となった。
その“悪夢”が再び迫りつつあるというのだ。一体、何が起きているのか。
「愛子さまの危うい兆候の一例が、遅刻です。じつは新社会人生活がスタートする前後で、
愛子さまは遅刻を連発してしまったのです」(同前)
宮内庁は4月2日、日赤ご就職にあたって愛子さまがお気持ちを綴られた文書を公開した。
宮内記者会の全4問の質問に回答したものだったが、
「本来この文書は、3月に公表された学習院大卒業にあたっての文書と同時期に提出される予定でした。
それが、就職文書だけ提出期限に遅れ、初出勤の日に提出されたのです。
愛子さまは大学時代にも、授業の課題を締め切り直前の午後11時59分に送信したことがあったそうです。
就職文書も、推敲を重ねたあまり期限を過ぎてしまったのかもしれません」(皇室ジャーナリスト)
その次の遅刻が5月11日。冒頭の、初めての単独公務の場面だ。
「この日、愛子さまは到着予定時刻の午後6時から少し遅れて到着されたのです。
会場の国立公文書館は、お住まいの皇居から目と鼻の先。愛子さまご自身も、お帰りの際に館長に
『近くて、すぐ来られます』と仰っていたほどなのですが……」(同前)
新社会人生活に影を落とす“遅刻連発”騒動。前出の宮内庁関係者は、「雅子さまの影響」を指摘する。
「雅子さまご自身にも“遅刻癖”がおあり。雅子さまはいまも、いわゆる夜型生活を送っておられます。
そのため、展示会のご覧など時間に融通の利くお出ましは、基本的に午後の時間帯で調整されているのですが、
それでも遅刻してしまうことがあるのです」
昨年5月にご一家でお出ましになった「ウィーン少年合唱団」の公演や、
同10月にご覧になった熊川哲也主宰のバレエ団による「眠れる森の美女」でも到着時間が遅れ、
開演時間も後ろ倒しになった。さらに、「今年6月の訪英の際も、皇居からの出発が遅れました」(同前)
こうした遅刻の背景には、ご病気を抱えた雅子さまに周囲が気遣いをするあまり、
出発時刻になっても女官らがお声がけできない事情があるという。
「そのため、周囲は雅子さまがお時間になって自発的に部屋から出てこられるのを待つしかない。
出発の直前になって、いわゆるヘアメイクを担当する“髪結い”が入ることもしばしばです。
お出ましの休憩中に髪結いが入ることもある。こうして出発が遅くなってしまうのです。
愛子さまもこうしたお姿をご覧になっていて、お出ましの際には定刻を守らなければならないという
お気持ちが薄くなっているように見受けられるのです」(同前)
初等科時代以来、再びの遅刻騒動を招いた「母娘シンクロ」。だが、愛子さまの危うい兆候はまだある。
「愛子さまは学生時代、『学業優先』を理由に、あまり公務をされませんでした。
そのため、社会人になってからは本格的に公務に励まれると見られてきた。
しかし、社会人デビューから4カ月の間で、単独公務は『光源氏』の展示鑑賞の一度きり。
公務といっても、愛子さまが大学で学ばれた関心の高い分野です。このことから、
『公務を選り好みしている』という批判にいつさらされてもおかしくない状況なのです」(同前)
内親王で本格的に単独公務を行ったのは上皇の長女、黒田清子さん(55)が初めて。
1992年に大学を卒業し、山階鳥類研究所の非常勤研究助手となった。
ご結婚までに公式の外国単独訪問は8回にのぼる。盲導犬育成など福祉活動にも熱心に取り組んだ。
秋篠宮家の長女、小室眞子さん(32)も、精力的に公務をこなす内親王だった。
15年に英レスター大学大学院への留学を終えて帰国した翌月には、
日本テニス協会の名誉総裁を秋篠宮から引き継いだ。
そんな眞子さんが新社会人となった16年4月からの4カ月と、
愛子さまの新社会人生活の4カ月を比較してみると、公務回数の差が浮かび上がる。
眞子さんの公務を見てみると、「みどりの感謝祭」式典への単独でのご臨席や
秋篠宮との広島ご訪問といったお出ましは9回、ご進講を含めた接見は11回にのぼる。
一方の愛子さまは、上皇上皇后の卒寿奉祝音楽会のようなお身内の催しはあるものの、
対外的な公務は4回。ご進講も、天皇ご夫妻に同席された3回きり。
つまり、眞子さんの約3分の1しか公務をされていないのだ。
愛子さまの公務の少なさは、ご両親の方針も大きく影響しているという。宮内庁幹部が語る。
「秋篠宮家は皇族としての活動を重視され、早いうちからお子さま方をご夫妻の公務に同行させてこられた。
対して、天皇ご夫妻は愛子さまを“普通の子ども”としてお育てになりました。
そうして愛子さまは、アイドルやJ-POPに親しんだり、インスタの投稿を楽しまれるなど、
伸び伸びと成長されました。いまも天皇ご夫妻は、愛子さまがご興味を持たれたことには背中を押されますが、
一方で『皇族として公務をさせたい』とは一切考えておられないのです」
雅子さまはこれまで、出席の必要を感じない公務は毅然と断ってこられたとされる。
「愛子さまも女子高等科時代、数学の試験を受けないことがあった。
これも『必要ない』というお考えからでした。
自分にとって必要のないものには行かないというご姿勢は、雅子さま譲り。
ここでも『母娘シンクロ』が見られます」(同前)
だが、こうした状況には、かつての“悪夢”がちらついて見える。
「13年、雅子さまが国王の即位式のためオランダを訪問された直後に東日本大震災の被災地訪問を延期され、
“公務を選り好みしている”との批判にさらされたことがありました。
公務の回数が少なく、ご興味がある分野にしかお出ましにならない愛子さまも、
かつてのようなバッシングがいつ起こってもおかしくありません」(同前)
https://bunshun.jp/articles/-/75982
「佳子さまは、伝統工芸のインフルエンサー」職人はそう呼んだ
被災地と地方から届いた「アクセサリー公務」へのメッセージ
2025/01/12/ 09:00
秋篠宮家の次女、佳子さまは、昨年12月に30歳の誕生日を迎えられた。
少子高齢化が進む皇室で多くの公務を担い、天皇陛下を支える皇族として存在感を高めている。
日本工芸会の総裁も務めている佳子さま。この一年の公務では、
積極的に各地の伝統工芸品のアクセサリーを身に着け、「佳子さま流」の公務がたびたび話題になった。
佳子さまが着けたアクセサリーと、工芸を支える職人たちの思いをたどった。
職人が引退したり、亡くなったりした後に技術を承継する人がおらず、
やむなく廃業することになった伝統工芸は珍しくない――。
日本各地の伝統工芸の業界の現状をそう話すのは、佐賀市の重要無形文化財に指定されている
「肥前びーどろ」をつくる副島硝子工業の副島隆男さんだ。
昨年10月、「全国障害者スポーツ大会」のために佳子さまは佐賀県を訪問。
滞在2日目に、国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統の祭り
「唐津くんち」の曳山(ひきやま)の展示場を訪ねた。
この日の佳子さまは、ギリシャ訪問でもお召しだった藍色のロングワンピースと紺のジャケット、
そして耳元には青いガラスのイヤリングを合わせていた。
このイヤリングは、「肥前びーどろ」が手掛ける「terasu(照らす)」シリーズの
「びーどろイヤリング」(税込み8800円)だった。
「お客さんから知らされましたが、まさかうちの品とは……」
公務で各地を訪問している佳子さまが、伝統工芸のアクセサリーをよく身に着けていることは、
副島さんも知っていた。しかし、まさか自分の品とは信じられなかったという。
「佳子さまは伝統工芸のインフルエンサー」
日本工芸会の総裁を務める佳子さまは、特にこの1年、各地の伝統工芸品のアクセサリーを
積極的に身に着けて、公務に臨んでいる。地域の伝統工芸品や小物を装いに採り入れて、
ささやかな応援をするのも皇族方の慣習のひとつになっている。
型を用いずにガラスの成形をする「宙吹き」(ちゅうぶき)製法を用いる「肥前びーどろ」は、
江戸時代から100年以上続く伝統技法。しかし、一人前になるのに8年かかるほど習得が難しく、
県内で「肥前びーどろ」をつくれるのは、いまや副島硝子工業だけになっているという。
「専門の職人は4人と小規模ではあるが、コツコツとできることを続けています」(副島さん)
佐賀県で昨年に開催された国民スポーツ大会(国スポ、旧・国体)の入賞者らに贈られたメダルの表面には、
「SAGA2024」の「0」の部分に「肥前びーどろ」がはめ込まれ、知名度がすこし上がったという。
「経済的にも厳しい世の中ですから、食器にお金をかける余力が家庭になくなっているように感じます。
しかし、8000円の器には手が伸びづらくても、アクセサリーならばお客さまの心理的なハードルも下がるようで、
購入してくださる方も増えました」
「佳子さま効果」は永続するものではないが、それでも職人にとっては「次に進むきかっけをもらった」と話す。
誤解を恐れずに言えばと前置きしつつ、副島さんは
「佳子さまは、われわれ伝統工芸業界のインフルエンサーです」と言って、ほほ笑んだ。
「皇室が気にかけてくれる」
昨年10月、国スポのために同県を訪問した佳子さまがつけていたことで、
やはり話題になったのが、有田焼のイヤリングだ。
磁器の発祥の地として知られる有田。町内にある陶磁文化館を訪問した佳子さまの耳には、
白い磁器に手描きの絵付けで薔薇などを描いた有田焼のイヤリングがあった。
金が華やかな彩りを添えたこの品は、町内に工房を構える「器とデザイン」が製作する品。
工房代表の宮崎雄太さんは、この日をこう振り返る。
「佳子さまが訪問された日から、『eb2(いびつ)』シリーズのこのイヤリングだけが、北
海道や東京、大阪などバラバラな地域で売れ始めた。
不思議だなと思ったら佳子さまがつけてくださっていたのを、ネットニュースで知りました」
有田焼は、染めて焼き、絵を描いてまた焼いて、と手間のかかる工芸品だ。
宮崎さんが有田焼のアクセサリーを販売する前にリサーチしたところ、有田焼では数点しかないうえに、
2万~3万円の値段がついていた。
「私は今、6000円を切る値段でこのイヤリングを販売しています。
確かに手描きで何度も焼いて手間がかかるので、割に合わないかもしれない。
でも、初めて有田焼を知ったという人も手に取ってもらえる値段にしたいと思った」
目標の値段で販売するために、協力してくれる絵付け職人などを探し回ったという。
宮崎さんは、佳子さまが伝統工芸品のアクセサリーを積極的に身に着けていることを知り、
どのような工芸品なのか調べてみたという。
「それほど有名ではない若手作家や、技術はあるが小さな工房などの品が多い印象です」
佳子さまは、地元の素材や伝統技術を継承して頑張ろうとしている作家や職人を気にかけ、
応援してくださっているのだと感じたという。
寄木細工や美濃焼のアクセサリー
佳子さまのそうした姿勢は、身に着けた品をたどると、おのずから伝わってくる。
9月に鳥取県を訪れた際には、県内の山あいにある小さな工房である「白谷(しろいたに)工房」が製作した
寄木細工のイヤリングとバレッタが話題を呼んだ。
佳子さまの耳元と髪を飾ったのは「寄木のダイヤイヤリング」(税込み4950円)と
「寄木のストライプバレッタ」(税込み3850円)だった。
10月に岐阜県であった「国際陶磁器フェスティバル美濃」に出席された際には、
岐阜県の陶器アクセサリーブランド「MIKELO」による美濃焼の陶磁器のイヤリングをつけていた。
「六角形 星屑」の作品名で、価格は税込み2640円の品だった。
「僕の描いたバレッタがテレビに」73歳の蒔絵師
10月末には、自身が総裁を務める日本工芸会が主催する「日本伝統工芸展金沢展」などを訪ねるために
石川県を訪問。金沢市の県立美術館では、能登半島地震によって自宅や仕事場を失った輪島塗の作家で
人間国宝の前史雄さんらと懇談した。
この日の佳子さまは、まとめ髪に朱色の輪島塗の髪飾りとイヤリングをつけていた。
手掛けたのは、輪島市で輪島塗の漆器を扱っていた「八井浄(やついきよし)漆器本店」。
夫婦で店を経営する八井フク子さんは、こう話す。
「能登半島地震でお店も全壊して、展示していた輪島の品もすべてダメになってしまいました。
ただ、蔵に置いていた在庫だけは助かったのです」
八井さん夫婦は拠点を金沢市に移し、オンラインのみで輪島塗の工芸品の販売を続けていた。
佳子さまが訪問した日、店の工芸品を手掛ける輪島塗の蒔絵師から八井さんに電話があった。
「僕の描いたバレッタがテレビに出ているよ」
73歳の蒔絵師は、ふだんから口数が少なく、「またテレビでやるから見てね」と言ってサッと電話を切った。
しかし、とても嬉しそうな声だったという。
内親王の「アクセサリー公務」
佳子さまがつけていたバレッタもイヤリングも、同じ蒔絵師の作品。
「とても美しい弧を描く蒔絵師さんなんですよ」と八井さんは言う。
佳子さまがつけていたのは、朱の漆に金や銀粉を蒔き、絵を描いた蒔絵のイヤリング。
アワビ貝を散りばめた螺鈿(らでん)と、小さな金片を埋め込んだ「切り金(きん)」
の細工が施された美しい品で、価格は税込み39600円。
同じ蒔絵師による朱色の蒔絵のバレッタは品切れ状態だという。
「朱は見る人を元気にしてくれる色。また朱の漆は、あたる光によって落ち着いた色味に感じたり、
逆に鮮やかな赤に見えたりと表情を変える奥の深い色です」(八井さん)
輪島塗は、デザインとなる意匠を決めてから、器のベースとなる「木地」を「木地師」が作り、
塗師による「下地」の工程、「中塗り」、塗りの最終工程である「上塗り」、
そして蒔絵や沈金といった優美な装飾を施す「加飾」など、複雑な工程を経て作られる。
それぞれの段階にはたくさんの職人が携わるため、ひとつの工芸品が仕上がるのに1年ほどかかるという。
「こうした伝統工芸品がまだまだあることに、世間の関心を向けていただくきっかけとなった。
職人たちも工芸の世界にいる人間も感謝しています」(八井さん)
訪れた先で根を張って奮闘する人たちと会って言葉を交わす天皇陛下。
先の園遊会で皇后雅子さまや長女の愛子さまは京友禅に西陣織の帯を締め、
他の皇族方は友禅染や手刺繍の着物をお召しになり、和装の優美さと繊細さを見る人に伝えた。
そして、佳子さまは地方の伝統工芸品を身に着けて公務に臨む。
それぞれのアプローチは異なるが、「佳子さま流」の次の公務でどんな伝統工芸品にスポットが当たるのか、
楽しみにしている人たちは少なくなさそうだ。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/246601?page=1
2025.01.20
皇室の恒例行事「歌会始」がまさかの後ろ倒しに…背後に隠された「驚きのウラ事情」
毎年1月中旬に行われるはずが
まさかの後ろ倒し
皇室恒例の新年行事である「歌会始の儀」。
例年ならば1月中旬に行われるはずだが、今年は下旬にずれ込んで22日に開催される予定だ。
「両陛下は16日から神戸に入り、17日には阪神・淡路大震災30年追悼式典に臨席されます。
おそらく行事が連続するのを避けるため、歌会始の日程を変更したのでしょう」(宮内庁関係者)
後ろ倒しになったワケ
歌会始の起源は、鎌倉時代の中期にまでさかのぼることができる。
700年以上の伝統がある宮中行事を後ろ倒しにすると決断したのは、雅子さまの体調が理由だろう。
「今の雅子さまにとって、歌会始の数日後に式典に参加されるのは、お体への負担が大きくて難しいのでしょう。
しかし両陛下とも被災地に寄せる思いは非常に強いため、
歌会始よりも追悼式典の日程を優先されたのだと思われます」(同前)
2015年1月、上皇ご夫妻は14日に歌会始を終えてから20年追悼式典に参加されている。
体調を優先して無理しない――皇室もいよいよ令和らしくなってきたのだろうか。
「週刊現代」2025年1月25日号より
https://gendai.media/articles/-/145094
「講書始の儀」の雅子さま「愛子も一緒に」と大きなテーブルに
厳粛な宮殿でも「クサくてシミだらけ奈良時代の制服」に思わずニコッ
2025/01/25/ 09:00
新年の皇室行事のひとつ、天皇、皇后両陛下と皇族方が学問の第一人者の講義を受ける「講書始の儀」が、
1月10日に皇居・宮殿であった。服装史学が専門の武田佐知子・大阪大学名誉教授は
「古代の衣服と社会・国家・国際関係」について説明。儀式は厳粛な雰囲気のなかで進んだが、
ユニークな解説に皇后雅子さまや両陛下の愛子さまが思わず笑みをこぼす場面もあった。
「正倉院には、東大寺の写経生が着た、麻で出来た袍と袴(上着とズボン)が残っています」
宮殿「松の間」に、講義をする武田さんの声が響いた。
ふと、雅子さまの口元が緩んだのは、8世紀の東大寺で写経をしていた下級官人の制服、
「浄衣(じょうえ)」について武田さんが説明していたときだった。
「汗と汚れにまみれた彼らの衣服は、1年以上も着たきりで、臭くて仕方がないが、替えがなく、
洗濯もままならず、みんなで交換要求を出したという史料も確認されています」
それまで真剣な表情で講義に耳を傾けていた雅子さまだったが、資料をめくっていた手を止めて、
ほほ笑みながら武田さんを興味深そうに見つめた。
天皇陛下も何度も深くうなずき、すこし離れて着席していた愛子さまも、わずかにほほ笑んだ。
厳粛な儀式ではあるが、ユニークな描写を交えた武田さんの講義に、
雅子さまや愛子さまも思わず口元が緩んでしまったようだった。
「臭い衣服」に、雅子さまも思わず笑顔
「講書始の儀」では毎年3人の専門家が講師を務め、それぞれの持ち時間はおよそ15分。
宮殿での講義では触れる時間がなかったが、雅子さまたちの興味を引いた下級役人の
「制服」のエピソードには続きがあるという。
「冬の寒い時期に、車座で酒を飲んでぼやいていた下級役人らは、
臭くてシミだらけの衣服の交換や食料のランクアップ、休暇や酒の給付などを要求した書状をしたためます。
それは、本邦初めての労働争議資料とも言われており、
正倉院にはその汚れてボロボロの衣服や書状が保管されています」(武田さん)
また、武田さんは講義のなかで、ある時代まで日本人の服装には男女の性差がなかった、とも説明した。
邪馬台国の時代、女性の王を認めていなかった中国の皇帝は、
卑弥呼に金印と共に男性の官僚服を賜与したともされる。邪馬台国では男女が同じ衣服を着ていたため、
卑弥呼は自らの権威の象徴とするために、贈られてきた男性の服を違和感なく受け入れただろう、
と武田さんは解説した。
さらに講義は、衣服と女性天皇の関係についても進んだ。
「奈良時代にあった東大寺の大仏開眼会では、天皇の冠こそひとり、女性の孝謙天皇の頭上にありましたが、
臨席した聖武太上天皇(譲位した天皇。上皇のこと)、光明皇太后も含めて、お三方とも同じ白の礼服です。
古代に8代6人の女帝が出現したのは、この男女同形の礼服の存在が大きいと私は思っております、
とご説明をいたしました」(武田さん)
この性差のない衣服と女性天皇のくだりは、SNSなどで「愛子さま天皇論」と紐づけられるなどして、
ちょっとした話題になった。
しかし、当の武田さんは、あくまで研究としてご説明しただけで意図はない、と首を振る。
「知人から、一部の人たちの間で騒がれていると教えられてびっくりしました」
「愛子も一緒に」と雅子さま
儀式の後は、両陛下と講義を務めた研究者らが懇談する場がある。
武田さんのほか、「産業革命サイクルと市場の質」について講義をした京都大学の矢野誠・名誉教授、
そして「サイトカインによる免疫応答の概要と科学・技術のこれから」について講義をした
東京大学の谷口維紹・名誉教授の3人が、大きなテーブルのある宮殿の別室で待っていると、
陛下と雅子さまが愛子さまと一緒に入室された。
「愛子も一緒にお願いいたします」
雅子さまは、武田さんらにそう断りを入れると、ご一家でテーブルについた。
懇談は終始和やかな空気で続き、陛下が武田さんにスポーツについて話題を振ると、
愛子さまも「私も運動をしたいです」と加わる場面もあったという。
武田さんは講義のなかで、性差のない古代日本の衣服は、男女間の境界線があいまいな日本の美意識に影響した、
と話した。たとえば、神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)の男装や
日本武尊(やまとたけるのみこと)の女装、姫君と若君が入れ替わる平安時代の『
とりかえばや物語』などの例を挙げた。
愛子さまは武田さんに、
「大学時代に『とりかえばや物語』は、読みました」
と、懐かしそうに話したという。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/248006
歌会始 高円宮妃久子さまは「マウス(ねずみ)がいますから」と機転 皇族方も苦戦した「夢」のお題
2025/01/26/ 09:00
新年恒例の「歌会始の儀」が1月22日、皇居の宮殿「松の間」であった。今年の題は「夢」で、
国内外から寄せられた和歌は1万6000首余り。天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方が詠まれた歌も披露された。
皇族方の歌の御用掛を務める永田和宏さん(77)は、皇族方の和歌からも、それぞれの人柄がうかがえるという。
天皇や皇族は、なぜ歌を詠むのか。
永田さんによると、天皇が訪れた土地の川や山の名前を詠み込んで和歌を作るのは、
その土地の暮らしへの祝福の意味を持つのだという。
かつては天皇や皇族方に加えて、女官や侍従も参加した月次歌会(つきなみのうたかい)も盛んだった。
そしてその文化は受け継がれ、今でも宮妃の方々は毎月、和歌を寄せているという。
なかでも、エネルギッシュで、気さくな人柄で人気のある高円宮妃の久子さまは、
多忙にもかかわらず、たくさんの和歌を詠まれるという。
久子さまは今回、「夢」というお題に対して、2023年に長女の承子さまと訪れたヨルダンの
パレスチナ難民キャンプでの人びととの触れ合いを詠んだ。
ヨルダンの難民キャンプに若きらはこれからの夢を語りをりしが
医者や教師、政治家になりたいと、将来の夢を語っていた若者たちのいまに思いを馳せる内容だ。
永田さんは、「夢を語りをりしが」と結んだ表現が印象に残ったと話す。
「この和歌の優れているところは、結句(けっく)の最後の一字となる『が』にあります。
つまり、2年前に難民キャンプにいた若者たちは将来の夢を語っていたが、一歩を踏み出せただろうか、
いまは無事でいるだろうか――。そう心にかける作者の思いが最後の一文字に凝縮されています」
久子さまと猫とマウス
長女の承子さまは、母の久子さまとの絆を感じさせる和歌だった。
『夢の国のちびっこバク』も三十年(みそとせ)をわが夢食(は)みつつおとなになりしか
承子さまは、「夢」というお題に、母の久子さまが執筆した絵本『夢の国のちびっこバク』を思い出し、
むかし自分の怖い夢を食べてくれた主人公のバックンも大人になっただろうな、と思いを寄せた。
「今回の和歌も表現が瑞々しくこちらもハッとするような、いい和歌をお詠みになる」
永田さんは、そう振り返りつつも苦笑する。
「ぜひもっとたくさん作ってください、といつもお伝えしているのですよ」
母の久子さまは多忙にもかかわらず、メールの返事が驚くほど速いそうで、
「いつお休みになっておられるのか」と永田さんは首をかしげる。
永田さんとは、こんなユニークなやり取りもある。
永田さんは、自宅で2匹の仔猫を飼っている。
あるとき、久子さまと和歌などについてメールでやり取りをしていると、遊んでほしい仔猫たちが
パソコンのキーボードの上に乗ったり、パソコン画面の前に居座ったりし始めてしまった。
困った永田さんが久子さまに「パソコンで仕事をしていると仔猫がジャマをして困る」とメールをすると、
即座に返信メールが届いた。
「マウス(鼠)がいるからですよ」
思わず笑いがこぼれたと、永田さんは振り返る。
「頭の回転の速い方でいつも感心します」
紀子さま「二つ三つ」と花が咲く
今回の歌会始で、秋篠宮家の次女の佳子さまは、
時間を忘れるほど絵を描くのに熱中していた幼い頃の思い出を振り返る歌を詠んだ。
キャンバスに夢中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかに
秋篠宮妃の紀子さまは、昨年12月に訪問したトルコの自然や人びとの暮らしを思いながら、
現地の伝統的な手芸である「オヤ」を編んだことを詠み込んだ。
絲と針夢中にオヤを編む先に二つ三つと野の花が咲く
「オヤ」を編むのに集中している紀子さまの手元で、花の意匠が次々と咲いていく情景が目に浮かぶ和歌だ。
永田さんは、普通であれば「一つ二つ」としがちな場面で、
「二つ三つ」という表現を選ばれたのが印象的だと話す。
「紀子さまは、誠実に和歌に向き合われる方。歌を作ることにも積極的で素材選びも幅広く、
旅先で得たオヤの技術を詠み込まれたところが、この一首の良さになっているのでしょう」
雅子さまも大笑いの理由
今年の題となった「夢」のテーマに対し、一筋縄では行かずに
「難しい……」と苦戦された皇族方も少なくなかったという。
歌会始のあと、宮殿の別室で両陛下が選者らと懇談する場が設けられる。
永田さんは、一般から公募で集まった和歌のなかで、最も多かった「夢」は何だと思われますかと、
陛下と雅子さまにたずねたという。
すこし考えるおふたりに、永田さんが「入選して皇居に来るのが夢、という内容でした」と話すと、
雅子さまは明るい表情で大笑いし、隣の陛下もにっこり。
そのあたたかな光景に、周りからも笑い声が上がったという。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/248069
2025.02.01 07:00
NEWSポストセブン
【歌会始の儀】「佳子さまが絵を描くのがお好きというのは初耳」と驚きの声
初参加で緊張の愛子さまと幼少期の思い出を詠んだ佳子さま、それぞれの歌
新春恒例行事となっている「歌会始の儀」が1月22日に皇居で行なわれた。今年のお題は「夢」。天
皇皇后両陛下、皇族方の歌をはじめ、一般応募の入選者10名の作品も披露された。
注目が集まったのは今年初参加を飾った天皇皇后両陛下の長女・愛子さま。
当日の愛子さまの様子について、宮内庁担当記者はこう語る。
「『歌会始』の間、終始愛子さまは緊張されていた印象が強かったです。硬い表情に、視線はキョロキョロ。
笑顔が少なかったように感じました。初参加される儀式ということから、
愛子さまは皇族として背筋を伸ばして凜としなくてはならないと、所作に戸惑われたのかも知れません。
とにかく間違ってはいけないという一生懸命さが伝わってきました」
そんな愛子さまは去年卒業された大学時代に思いを馳せる歌を詠んだ。
『我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢』
「23歳という若さだからこそ詠める歌であり、大学を卒業して社会人になった葛藤の気持ちが
素直に表れていると感じました。中学時代に百人一首大会でご活躍されたり、
『中世の和歌』を大学の卒業論文のテーマにされたり、愛子さまにとって和歌は身近な存在です。
そのためか『若いながら歌がお上手だ』と歌を高く評価する声があがっていました」(宮内庁担当記者)
幼少期に絵や工作を嗜んでいたというものの…
一方、秋篠宮家の次女・佳子さまの歌は幼少期の思い出を詠んだものだ。
『キャンバスに夢中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかに』
前出・宮内庁担当記者はこの歌に少し驚いたという。
「宮内庁は『ご幼少の頃から絵を描いたり、工作や手芸でさまざまなものを作られたりすることがお好きでした。
いまではそのようにお過ごしされる時間が限られていらしても
以前に描かれた絵をご覧になると描かれたことを鮮やかに思い出すそうです』と歌の背景を説明していました。
佳子さまが絵を描くのがお好きであったり、工作されていたという話は
成年皇族を迎えた記者会見でご本人は語っていたものの、
皇族たちが学校で作った作品なども一部出展される『宮内庁職員組合文化祭美術展』を遡っても、
佳子さまの幼少の時代から絵や工作など印象に残る作品の記憶はありませんでした。
新しい佳子さまの一面を今回の歌会始で垣間見られたように思えます」
来年の歌のお題は「明」。どのような歌が発表されるか待ち遠しい。
https://www.news-postseven.com/archives/20250201_2021568.html?DETAIL
愛子さまのドレスは雅子さまから?
35年前の「おばあ様」のドレスをスタイリッシュに着こなしたのは高円宮家の承子さま
2025/02/09/ 09:00
皇室の新年行事である「歌会始の儀」で、天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまがお召しだったフリルのドレスが、
皇后雅子さまから受け継がれたものではと、注目を集めた。
祖母から孫へ、母から娘へ、皇后から妃へと受け継がれたドレスや着物、小物などを、
大切に身に着けている皇室の方々は珍しくないという。
愛子さまの優しい顔立ちに、淡いクリーム色のローブモンタントはよくお似合いだった。
首元や袖、上着の裾に品のよいフリルがデザインされたドレスと、共布であつらえたドレープの入った帽子は、
2019年に皇太子妃だった雅子さまが、上皇ご夫妻の結婚60年を祝う行事でお召しだったものに
デザインがよく似ていた。そのためSNSでは、「雅子さまから受け継がれたドレスでは」と注目が集まった。
「日中や夜の正装であるローブモンタントやローブデコルテといったロングドレスは、
お召しになる機会も限られます。皆さま、きれいに保管なされていますので、
世代の若い皇族方にお譲りになるのは、そう珍しいことではないとうかがっています」
そう話すのは、皇室の事情に詳しい人物だ。
百合子さまのドレスは孫の女王へ
たとえば、江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜を祖父とし、
昭和天皇の弟である故・高松宮さまの妻である故・高松宮喜久子さま、高木正得子爵の次女として生まれ、
昭和天皇の末弟の故・三笠宮さまの妻の故・三笠宮百合子さま、
そして上皇さまの弟の常陸宮さまの妃の華子さまをはじめとする宮妃のドレスや着物を、
若い世代の女性皇族方が着用して、宮殿行事や園遊会などに臨むことは珍しくないという。
23年6月、高円宮家の長女の承子さまが、母の久子さまとともにヨルダンの皇太子の結婚式に参列された。
その際に承子さまがお召しだったグリーンのドレスは1988年、三笠宮家の次男の故・桂宮さまが
新宮家を創立されたことを祝う宴で、祖母である百合子さまがお召しだったものだ。
35年前に「おばあ様」がお召しだったドレスは、承子さまの身長に合わせて裾丈をリフォームされ、
羽をイメージさせる共布の髪飾りと緑の豪華なジュエリーでスタイリッシュに着こなされた。
「ミミズク」のクラッチバッグもSNSなどで「可愛い!」と注目を集めた。
また、高円宮家の三女の守谷絢子さんも、百合子さまのドレスを大切に受け継いでいる。
2019年の天皇陛下の即位に伴う「饗宴の儀」で、
絢子さんは百合子さまの鮮やかな緑のローブモンタントで出席していた。
宮妃はティアラ(宝冠)も受け継いでいる。
三笠宮さまと百合子さまの長女の近衞甯子さんが着用していたティアラは、
久子さまが15年にあったスウェーデンの王子の結婚式でお使いになっている。
そして、絢子さんが18年10月に都内で開いた結婚を祝う晩さん会では、
久子さまがお持ちの首飾りを絢子さんがティアラとして着用。母娘の愛情が伝わる場面だった。
香淳皇后の帯は、雅子さまへ
皇太后から皇后、皇太子妃へと受け継がれた和装もある。
1993年に当時、皇太子だった陛下と婚約をした雅子さまは、結納にあたる「納采の儀」で
薄黄色の地に瑞雲(ずいうん)と扇の紋様の本振り袖に、七宝(しっぽう)華紋の帯を締めていた。
この帯は、昭和天皇の后の香淳皇后から上皇后美智子さまへ、そして雅子さまへと受け継がれたものだ。
また、2024年の秋の園遊会では、三笠宮家の長女の彬子さまが、
正倉院華文の帯に見事な扇形のべっ甲の帯留めを合わせていた。
べっ甲は、タイマイというウミガメの甲羅から取れる天然素材。ワシントン条約で国際取引が禁止されているため
和装小物としても希少な品だ。
昭和の時代から皇室に着物をつくり、納めてきた「染の聚楽」(京都市)の代表・高橋泰三さんは、
この帯留めについて、以前の取材でこう話していた。
「このような見事な細工には、いまはなかなか出合えません。宮家の方々から受け継いだお品かもしれませんね」
昭和天皇の傘をお使いの皇族は?
母から娘へ、そして姉から妹へと洋服や着物が受け継がれることで、たびたび話題にあがっていたのは秋篠宮家だ。
次女の佳子さまは、姉の小室眞子さんや母の紀子さまの着物やドレスを愛用されている。
佳子さまが29歳の誕生日にあたって公開された映像や、昨秋の園遊会でお召しの空色の友禅染の本振り袖は、
16年に南米パラグアイを訪問した眞子さんがお召しだった着物を譲り受けたものだ。
また、紀子さまから眞子さん、そして佳子さまへと、30年以上にわたって大切に着用されてきた服もある。
昨春の園遊会などで佳子さまが愛用されていた、白から淡いオレンジのグラデーションが美しいワンピースは、
もともとは紀子さまから眞子さん、そして佳子さまへと譲られた品と思われる。
写真をたどると、1993年に映画「REX 恐竜物語」のチャリティー試写会に出席した紀子さまが、
同じ品と思われるワンピースを着用されている。
そして、同じデザインのワンピースを眞子さんが21年に上皇ご夫妻への結婚のあいさつの際に着用し、
いまは佳子さまがお召しになっている。
家族が愛用したものを受け継ぐのは、女性皇族だけではないようだ。
実は秋篠宮さまは、昭和天皇から受け継いだ小物をお持ちだという。
雅子さまや皇族方が愛用する傘を納める「前原光榮商店」(東京都)の代表取締役・前原慎史さんは、
以前の取材でこんな話をしてくれた。
「秋篠宮さまは、公務の際に昭和天皇が愛用されていた黒い雨傘を何度かお使いになっていました。
手元が特殊なつくりですので、映像を目にしてすぐにわかりました」
今年は愛子さまの公務もさらに増えると見られ、雅子さまから受け継がれた装いを目にする機会もありそうだ。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
https://dot.asahi.com/articles/-/249447
2025.02.18 07:00
週刊ポスト
佳子さま、SNSで拡散された「公務ドタキャン説」の真相
昨年中に「多忙のため欠席」と連絡済み、昨年の公務数は134件で皇室屈指
秋篠宮家の次女・佳子さま(30)に、「公務ドタキャン説」が流れている。宮内庁担当記者が語る。
「佳子さまは1月20日に行なわれた『第47回聴覚障害児を育てたお母さんや家族をたたえる会』を
欠席されました。『たたえる会』は紀子さまから眞子さまを経て、佳子さまに引き継がれたもの。
昨年、一昨年と参加されていただけに、欠席は驚きました」
「たたえる会」の欠席について、主催する聴覚障害者教育福祉協会がメディア向けに出したリリースで、
〈佳子内親王殿下は御不参となります。この件につきましての詳しい説明は宮内庁からはございません、
御不参、のみの連絡をいただきました〉と発表したため、一部メディアが「ドタキャン」と報道。
SNSでも、〈説明もないなんて〉〈主催者が気の毒〉といった批判の声が上がった。
「たたえる会」主催者の関係者が語る。
「今回の『たたえる会』では例年通り、昨年夏に佳子さまへの招待状を宮内庁に提出したところ、
昨年11月に『多忙のため御不参となります』との内容のメールが届きました。
なので、佳子さまは急に欠席されたわけではありません」
報道では欠席がクローズアップされたが、佳子さまが公務に後ろ向きなわけではない。
むしろ昨今の佳子さまの公務は過密を極めていると宮内庁関係者は話す。
「もともと秋篠宮家は皇室屈指のご公務数を抱えており、特に佳子さまは昨年1年間で
国内各地の視察や外国訪問など公務の件数が合計134件に達しました。
あまりのご多忙を理由に、非常勤の嘱託職員として働く全日本ろうあ連盟の出勤ペースを
週3日から週2日に落とされたほどです。今後は負担が軽くなるよう公務を減らすことになるかもしれません」
佳子さまの公務欠席について宮内庁に尋ねると、
「そもそもご出席の予定がなかったものです」(総務課報道室)と回答した。
佳子さまを見られる機会が減ってしまうのか。
※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号
https://www.news-postseven.com/archives/20250218_2024191.html
新社会人・愛子さま「朝のルーティン」とは?
犬猫の世話をされ、温かいミルクティーを飲み、出勤時間は…《昼は「天皇陛下の好物」も》
友納 尚子
2025/02/15
文藝春秋 2025年2月号
23歳を迎えられ、皇族としてのご公務と、日本赤十字社の仕事に尽力される愛子さま。
その“社会人”生活はどのようなものか。
愛子さまのロールモデルは…
天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは、昨年12月1日、23歳の誕生日を迎えられた。
同じ23歳になる年、母親の雅子皇后はスペインのエレナ王女歓迎のお茶会で、天皇陛下と初めて出会われた。
愛子さまも結婚へと繋がる運命の出会いがあるのか、と周囲は期待するが、
愛子さまご本人は、結婚よりも公務と仕事の両立でお忙しい毎日を過ごされている。
昨年4月から新社会人となって、日本赤十字社(東京・港区)に就職され、
ボランティア活動推進室青少年・ボランティア課で勤務する。
ボランティア活動に関する情報誌の編集や、イベントの企画・運営などの業務に携わられている。
当初は、週の半分ぐらいの出勤頻度になるのではないかと見られていたが、
実際には、公務がなければ、ほぼ毎日出社なさっている。
「宮さまは、仕事を通じて出会う人たちから信頼を得て尽くしたい、というお気持ちが強いようです。
自主的に残業したり、ご自宅に仕事を持ち帰られることも厭わずに、作業に没頭されています。
時には皇室の行事の後に、着替えてから出社なさることもあります。
ご自分が納得なさるまで仕事をやり遂げたいという責任感が強いのでしょう。
就職するとお決めになる前から、社会人経験がある皇后さまと、働くとはどういうことか、
じっくり話し合われていました。愛子さまにとって、働く女性のロールモデルは、
皇后さまなのだそうです」(宮内庁職)
雅子さまが外務省の北米二課で勤務されていた当時、海外との時差もあり、連日かなり夜遅くまで働かれていた。
深夜12時を過ぎても、さらに仕事をこなすタフな姿から、周囲は深夜12時を、「小和田タイム」と言うほどだった。
就職が決まった際、愛子さまは仕事について、文書でこう述べられている。
「公務と仕事の両立には大変な面もあるかもしれませんが、(略)
多様な活動に携わることができれば有り難く思います。これからも周囲の方々の理解と助けを頂きながら、
それぞれのお務めに誠心誠意取り組んでいきたいと考えております」
「すみませんでした。起きられませんでした」と謝罪
実は、日赤に入社してまもない4月、歓迎会が開かれた翌朝に、愛子さまは遅刻をしてしまった。
「すみませんでした。起きられませんでした」と、出社するなり、謝罪をされたという。
「両陛下は、社会人となった愛子さまを甘やかすことなく、遅刻した日も起こさなかったそうです。
愛子さまがどのように行動して、自分で責任を取るのか、見守られていたそうです」(前出・宮内庁職)
前述したように雅子さまはもともと夜型で、愛子さまもどちらかといえば夜型だと言われる。
職場では、「早く寝るようにしています」「目覚ましは2つぐらい掛けて寝ていますね」と、
同僚に茶目っ気まじりに語っているという。
愛子さまの一日は、朝7時前からはじまる。起床すると両陛下にご挨拶をなさってから、
飼っている猫や犬たちの世話をされる。餌を与えたり、少し遊んだりした後、身支度を整えて、朝食を召し上がる。
御所のダイニングには、両陛下が新婚当時から使われている丸テーブルが置いてあり、
ご家族揃って朝食を召し上がることが多い。クラシック音楽が静かに流れる空間で、
天皇ご一家は洋食を召し上がる。愛子さまのお気に入りは、温かいミルクティー。
召し上がると、すっかり目が覚めるそうだ。
出勤は午前9時前。昼食はお弁当を持参なさるか、日赤の出入り業者の仕出しを注文されるという。
「愛子さまがお好きなのは、幕の内弁当かカレーライス。会話をしながら食事をするのが苦手だそうで、
当初は食べ終わるまでに時間が掛かっていました。
最近は早く召し上がるコツを掴んだとおっしゃっていたので訊ねると、定食などではなく、
カレーライスなどの品数が少ないメニューだと早く食べられるとのことでした。
それだけ同僚たちと早く打ち解けて、仲良くなさりたいと思っていらっしゃるようです」(同僚)
カレーライスと言えば、天皇陛下の好物としても知られている。
まだ皇太子だった新婚当時、雅子さまが手作りして陛下にふるまわれて話題になったこともある。
お二人とも香辛料が強いものは苦手で、フルーティな甘口のカレーをお好みだといわれる。
愛子さまも両陛下と好みが似ているそうだ。
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