2019年4月-10月雑誌記事

信子さま63歳に 新婚時代は半泣きでキジの羽をむしっていた
記事投稿日:2019/04/09 16:24 最終更新日:2019/04/09 16:28
寛仁親王妃信子さまが4月9日、63歳の誕生日を迎えられた。
麻生太郎副総理の妹としても知られる信子さまは、’80年に“ヒゲの殿下”と呼ばれ国民に親しまれた寛仁さまとご結婚。
『女性自身』の名物企画「シリーズ人間」にも、’92年9月1日号に登場なさっている。
信子さまはお料理の本を執筆されるほどの腕前になられたが、嫁がれた当時は失敗の連続だったという。
ひじきを戻そうと目分量でボウルに入れ、あふれんばかりの量になってしまったことも。
寛仁さまは「プロの料理人の味は一定だが、
ノンチ(信子さま)の味は微妙に毎回違うからいいね」と温かく見守った。
そんな信子さまを驚かせたのが、宮廷独特の正月料理“キジ酒”。 信子さまは当時、こう語っていた。
「キジの羽と皮を剥いで、胸の部分とももの部分をバラします。作り方はうかがっていたのですが、
新婚最初のお正月で、宮家に上がったばかり。最後は半泣きでむしったものです」
半泣きの信子さまを見かねた寛仁さまは、翌年からは知り合いの方にむしってもらうようお願いされたという。
https://jisin.jp/domestic/1727077/

雅子妃たたきから秋篠宮家攻撃へシフトの裏側
2019年04月11日 16:01
八幡 和郎
ここへ来てマスコミの秋篠宮家たたきが燃え上がっている。
週刊新潮 4月18日号 (4月11日発売)のトップ記事は、『「秋篠宮家」が「私」を優先して「愛子天皇」』と激しい。
さすがにこれはおかしいと思う。秋篠宮家に問題があるとしても、悠仁親王自身のことではないのだから、
その皇位継承権を論じる理由にはならない。
せいぜい、秋篠宮殿下の皇嗣としての立場とか、悠仁さまの教育についての議論にとどめるべきだ。
しかし、このあいだまで、雅子さまや東宮家へのバッシング一色だったのがどうして逆転したのか。
その背景について考えてみよう。
日本ではまだまだ皇室に対する批判はある種のタブーであって、それをするのは勇気がいることだ。
雅子さまへの批判にしても、眞子さまの問題にしても、基本的な場は週刊誌とネットであって、
テレビや新聞は沈黙したままだ。最近になって小室氏の問題については論じるようになったが、
これは皇族ではないし、婚約者としての立場も危うくなっているので踏み切ったといったところだ。
そして、週刊誌だが、これも、おそるおそるでへっぴり腰だ。常にカウンターをおそれている。
だから、書いてもたたかれないと自信がないと書かない。
ただ、困ったものなのは、大丈夫かどうかの判断は、あとからみんなついてくるかどうかであることが多い。
つまり、みんなで渡れば怖くないということだ。
だから、まず、弁解の余地がほとんどない小室氏については、安心してたたける。
しかし、いかにも内気そうに見える眞子さまには「目を覚まして」的な論調にとどまる
(私は26歳の大人の女性に対してかえって失礼だと思うが)。
一方、美人で勝ち気な佳子さまのほうは、たたきやすい。
一方、両派に分かれてと言うこともある。ライバル意識とか好き嫌いもあるが、
実のところ、皇族自身やそれに近い人が特定の記者をスポークスマン的に使っていることも多いし、
それに反発するライバル社はその皇族の批判にまわることになる。
それでは、書かれていることが本当かといえば、週刊誌記事の通常のレベルからしたら慎重だし、
そこにもられた感情や推測をべつにすれば事実の指摘はそんな事実無根でもないのが通例だ。
そして、また、皇族方も週刊誌で報じられた内容はよく把握されている。 
というよりは、皇族の方々でもほかに情報源がないのである。
外国なら情報機関が集めた情報を女王などにも報告しているが、
戦後の日本ではそういうことは聞かないから、情報不足に陥っておられるからだ。
そして、いまの状況をどう考えるかだが、マスコミは皇室報道については
一定の自制は必要である一方でアンタッチャブルであってはよくないということと、
上げたり下げたり極端なのはよくないと思う。
むしろ、敬意を持ちつつ、これは問題でないかとか議論すべきなら、もっと普通に報道すべきだ。
自制すべきだとというのは、やはり国の象徴なのであるから、
それなりの敬意をもって言及すべきだ(それは皇室以外の権威とか価値観に対しても同様だが)。
しかし、アンタッチャブルである必要はない。その理由は、批判が許されなければ腐るからだ。
いや、皇室の内部や政府がしっかり対応しているから大丈夫という人もいるだろうが、
そんな実態はないことは小室圭氏の騒動でよくわかったはずだ。
あれだけ、問題がある人物との婚約の約束に至るまでに、
皇族も宮内庁も政府も無為無策で止められなかったのである。
私が早くから問題点指摘をアゴラでしていたときにも、
「相手としてまずければ、宮内庁や警察で情報を殿下に上げて対処しておられるのだから
余計なことをいわないほうがいい」という人がいたが、
そんな対処などしていないことを私は知っているから放っておけなかったのだし、
週刊誌の記者たちもそうだった。
現状では、見るに見かねた週刊誌が報じない限りはどんな間違ったことでもそのまま進んでしまうのが現状だ。
ある意味において、皇族方がどこまでネットをごらんになっているかは未知数だが、
少なくとも週刊誌こそが皇族にとっても頼りなのである。
上げたり下げたりが極端だというのは、やはり、あまりにも批判することが難しいことの裏返しである。
あまりにもひどいと批判される側になるまでは、常によいしょ記事しか出ない。
そこで、ご本人たちも舞い上がってしまうし、国民も虚像をつくってちょっと考えればおかしい話を信じてしまう。
もっとも、逆に噂話として「実は誰それは…」という話がまことしやかに流れるそして、
みんなで渡ればこわくないとなれば、いっせいに襲いかかる。

秋篠宮家の問題は多分にスタッフや予算の不足に起因する。
将来の天皇となるべき悠仁さまを抱えているのにそれにふさわしい予算も人もいない。
その厳しい状況のなかでブラック職場といわれるような状況が生じたり、
眞子さま、佳子さまへ両殿下が必要なフォローをされることが手薄になっていたと見受けられる。
もうひとつは、秋篠宮家への批判には、実は両陛下への批判が隠されている一面もある。
それができないからかわりに秋篠宮家が標的にされているということだ。
平成の世の後半における両陛下へのよいしょぶりはある意味で危険である。
たとえば、皇統断絶の危機とか雅子さまや眞子さまをめぐって起きている様々な状況を考えれば、
手放しで賞賛できる状況であるはずがない。皇族の統制は両陛下の最も大事な仕事の一つである。
象徴天皇制のあり方という観点からも議論すべき問題も多々ある。
また、現在の両陛下のスタイルが普遍的な価値に基づく正しいものとすれば、
たちまち、それとは違う昭和の時代の批判になるし、皇太子ご夫妻にまねができるものでないから、
それへの批判の種になるだろう。それは不幸なことだ。
さらに、一時期は厳しかった東宮家への批判は瞬間風速としてはやわらいでいる。
ご祝儀ムードもあるし、さしあたって雅子妃の体調も以前よりは改善しているということもあるし、
秋篠宮家の問題が大きくなっていることとの相対評価の改善もある。
また、いささか皇太子妃の実家としての自覚に不足すると批判されていた小和田家が
高齢がゆえに目立たなくなったことも寄与している。
そして、新しい両陛下の時代に迎合しようという意図も感じられる。
しかし、雅子妃が皇后陛下としてのつとめを不満足な水準でしか果たせないことは間違いないし、
愛子さまが神童でしっかりしているとかいうなど虚像であって、ご本人にとって迷惑なことだろう。
願わくば、ヨーロッパでのように、十分な敬意を持って、しかし、アンタッチャブルにせず、
虚像もつくらずどうあるべきかは議論されるべきという方向をめざすべきであると私は信じる。
http://agora-web.jp/archives/2038339.html

雅子さま 警備費も光熱費も削減!令和の“職住一体”新生活
記事投稿日:2019/04/11 16:00 最終更新日:2019/04/11 16:00
4月10日にご成婚60周年を迎えられた天皇皇后両陛下。
「夜には、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻と、食卓を囲まれましたが、
昭和・平成の思い出話をされるとともに、きたる令和の御代についても
語り合われたのではないでしょうか」(皇室担当記者)
平成が幕を閉じようとするなか、刻々と迫ってきている新天皇のご即位。
5月1日の「剣璽等承継の儀」の後に行われる「即位後朝見の儀」で、
雅子さまは新天皇とごいっしょに“新皇后”としてお出ましになるのだ。
皇太子さまと雅子さまが静かに温め続けられている“令和スタイル”。
その一端が、新元号が発表された日に明らかにされた。
「4月1日に産経新聞が、従来は皇居・宮殿で行っていたご公務の一部を、新天皇と新皇后は、
お住まい(現在の東宮御所、5月1日以降は赤坂御所と改称)で
実施する方向であることを報じています」(皇室担当記者)
皇居・宮殿が公的施設であるのに対し、天皇皇后両陛下の私邸といえるのが御所。
両陛下が高輪皇族邸に移られた後に、御所は改装され、皇太子ご夫妻が入られるのは’20年春を予定されているという。
皇太子ご夫妻は、それまで赤坂御所(現在の東宮御所)に住まわれることになるが、
いわば“自宅”で多くのご公務に励まれるというのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは言う。
「天皇皇后両陛下は、’93年に竣工した現在の御所に引っ越されるまでの5年間は、
公務のためにお住まいの赤坂御所から頻繁に皇居に通われていました。
様々な受章者や功労者などの拝謁や国公賓関係の行事は宮殿で行われますし、
執務も宮殿でされることが多かったからです」
両陛下のご公務といえば、地方への行幸啓や、式典などへのご出席という印象が強いが、
日本の大使夫妻、外国の駐日大使夫妻たちと会われることも、重要なお役目の1つだ。
ちなみに’18年10月、美智子さまのお誕生日に際して、宮内庁は次のように発表している。
《(この1年間で)今年お招きを受けた大使夫妻は62か国、2組織、110人に及びます。
日本から赴任する37か国と2組織の大使夫妻にも出発前にお会いになり、
同様に帰国した30か国、1組織の大使夫妻をお茶にお招きになって任地の様子をお聴きになりました》
平成初期の両陛下は、ときには1日に何度も、赤坂御所と皇居・宮殿を往復されたので、
そのご負担は想像を絶するものだったという。
「皇太子ご夫妻は現在も東宮御所の公室棟で、外国大使と面会されたり、
外国の賓客と食事会を催されたりしていますが、即位後もそのスタイルを続けられることになるそうです。 
御代替わり以降は、面会されるお客さまも格段に増えます。
そのたびに皇居・宮殿に移動されるのは合理的ではありませんし、
雅子さまにとってもご負担が大きすぎるというご判断なのでしょう」(宮内庁関係者)
数年前から“働き方改革”の必要性が叫ばれるようになっており、この4月1日から関連法案が順次施行されている。
前例主義の宮中にいながら、皇太子ご夫妻があえて決断された「公務は自宅で!」という構想は、
まさに革命的ともいえるだろう。
「赤坂御所と皇居の間は自動車で移動されますが、その都度、警視庁の車両が先導し、
短時間とはいえ道路は規制されます。宮殿は各部屋とも天井が高いため、
行事などで使用する時はかなり前から冷暖房を稼働させます。
天皇皇后両陛下は、東日本大震災後の節電を機に、御所でも可能な公務はできるだけ御所でされるようになりました。
そういった前例もありますし、新天皇皇后が赤坂御所で公務をされることは合理的だとは言えます」(前出・山下さん)
宮中晩さん会や大人数の拝謁など、宮殿でしかできない行事もあるが、
警備費や光熱費などの費用面、部屋の広さなどの物理面、行事の格式などのバランスに留意し、
決めていくことになるという。この“職住一体スタイル”には、
長期療養中の雅子さまにとって、当面は慣れた場所でご公務ができるというメリットもある。
「いずれ赤坂御所から、改装された御所に引っ越しをされるまでに、
皇后というお立場に少しでも慣れていただければと思います」(精神科医の香山リカさん)
令和の幕開けまであと3週間。雅子さまには、ゆっくりであっても着実に“皇后の道”を歩んでいただきたい。
https://jisin.jp/domestic/1727287/

愛子さまと悠仁さま――学習院女子高とお茶中、それぞれの新学期
2019/04/22
(一部抜粋)
皇太子さまがご自身の革財布からお支払いを
4月14日、この日は学習院の目白キャンパスで開催された恒例行事「オール学習院の集い」に、
皇太子ご一家でのお出ましとなった。
ご友人とおしゃべりで盛り上がりながら輪投げや射的などを楽しまれていた。
アイメイト協会による盲導犬体験ブースで、皇太子ご夫妻と合流された愛子さま。
愛子さまは内側にリバティプリントがほどこされた3つ折りの財布から千円札を取り出され、募金されていた。
さらに皇太子ご夫妻がグッズ販売コーナーで、黒地にベージュで型抜きされたラブラドール犬柄のスカーフや、
クリアファイル、メモ帳など2200円分をお買い求めになる場面では、
皇太子さまがジャケットから、ごく一般的な革財布を取り出され「ここは僕が」という雰囲気で、お支払いをされていた。
皇太子さまがお支払いをなさろうとされると、周囲にいる東宮職の職員が近寄って何かを申し上げていたようだったので、
ご自身で現金のお支払いをなさるというのは珍しいことなのかもしれない。
学習院大学史料館の展示をご覧になったあと、ご一家は19時前に目白をあとにされた。

お茶中の新入生代表に選出された悠仁さま
一方、秋篠宮家の長男・悠仁さま(12)はお茶の水女子大学附属中学校の1年生へと進学された。
お茶の水女子大学附属小学校からの内部進学だった。
4月8日には、入学式に臨まれて新入生を代表した「宣誓」を行い、抱負を述べられたという。
「読売新聞」は〈同大によると、新入生代表の宣誓は今年から始まり、悠仁さまが選出された。
悠仁さまは同大付属小時代を振り返った上で、
中学では「広い視点から新たな研究課題について探求したい」と述べられた。〉と報じている(4月9日)。
https://bunshun.jp/articles/-/11583

美智子さま 14年ぶり“母娘旅”で語られた「令和の願い」
記事投稿日:2019/04/26 11:00 最終更新日:2019/04/29 21:49
4月18日、天皇皇后両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。
親謁の儀を終えられた両陛下は18日の夜、志摩観光ホテル・ザ・クラシックにご宿泊。
両陛下は清子さんや伊勢神宮の関係者をお招きになり、夕食をともにされた。
「今年の4月18日は、清子さんの50歳の誕生日でした。
そして60年前の4月18日は、ご成婚8日目の両陛下が伊勢神宮に結婚のご報告をされた日。
そんな由縁のある日、夕食後も清子さんはホテルに残って、両陛下と一緒に泊まったそうです。
親子ご一緒に旅先でお泊りになるのは、御用邸や軽井沢でのご静養に清子さんが合流することを除けば、
清子さんが結婚してから初めてのこと。14年前の’05年8月に長野県・山梨県を訪れて以来です。
退位を前に久しぶりに娘と一夜をともにされて、両陛下にとっても感慨深かったことでしょう」(宮内庁関係者)
また伊勢神宮は41年前の’78年11月、美智子さまと当時9歳の清子さんが2人旅で訪れた思い出の場所でもある。
「そのときは老舗の旅館にお泊りになりました。8畳の和室にお布団を2つ並べてお休みになったそうです。
東宮御所には和室がなく、普段はベッドで眠っていた清子さんは興味津々だったそうです」(前出・宮内庁関係者)
旅館では、伊勢神宮ご参拝のリハーサルも行われた。
仲居さんたちを下がらせて、お座敷でお辞儀の作法などを、美智子さまがマンツーマンで細かくお教えになったという。
皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが当時を懐かしむ。
「美智子さまは、清子さんが学習院の初等科に進学してから、
皇室に縁のある神社や陵墓などをめぐる“母娘旅”を10年間にわたって続けられました。
それは皇族としての教育であると同時に、
いつの日か皇族の身分を離れる清子さんとの思い出作りだったのではないでしょうか」
清子さんが幼いころから、いずれ皇室を離れることを覚悟されていた美智子さまは、
そうして母娘の時間を大切にされ、宮中の外の世界についてお教えになっていた。
https://jisin.jp/domestic/1731391/

「お相手は?」「お答えするつもりはございません」 佳子さまが「回答拒否」に込められた思い
2019/04/28
https://bunshun.jp/articles/-/11652
(一部抜粋)
「お相手はいますか」という質問に答えられ
 2019年3月22日、国際基督教大学(ICU)を卒業するにあたっても、佳子さまの芯の強さがうかがえるご発言があった。
「相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」
記者会見ではなく、あらかじめ出された宮内記者会からの質問への文書回答だった。
「お相手はいますか」という質問に佳子さまは、こう答えられたのだ。
(中略)
念のため書いておくと、「お相手」とはつまり「結婚を意識するような相手」または「交際相手」のことだ。
私なりに翻訳するなら、「その手の質問には未来永劫、答えません」と言ったのだ。
こうした佳子さまの個性が際だったお言葉は、今回だけではない。

2014年12月、成人にあたっての記者会見で
「母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが、
娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」と語られた。
ちょうどメディアの矛先が、皇太子妃雅子さまから秋篠宮妃紀子さまに移りつつある頃だった。
「ご両親はどんな性格か」という質問だったからもっと無難なことを言っても良かったのに、
メディアに異を唱えられたのだ。
24歳の佳子さまは「公開するプライバシー」に線引きをしたのだと思う。

宮内記者会からは「結婚の時期」「理想の男性像」も尋ねられた。
前者への答えは「遅過ぎずできれば良いと考えております」。
後者については「以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております」。
素っ気なさに「答えるのは、ここまで」という意志が感じられる。
(中略)
21歳の誕生日から「結婚」に関する質問をされた清子さま
同様に、若い皇族女性の「結婚」に至る「交際相手」については国民が知りたい。
それもメディアの前提になっている。
天皇家の長女・清子さま(現・黒田清子さん)に対し宮内記者会はそれを聞き続け、
清子さまは根気強く付き合った。
初めての記者会見は90年、21歳の誕生日にあたってだった。
結婚は「まだ実感から遠い感じです」とし、時期は「いついつまでにと申し上げてしまいますと、
皇太子殿下のようなことになると思いますので」と
「30歳までには結婚を」と言いながら果たせなかった兄を引き合いにして、ユーモラスに答えた。
2年後、大学卒業時の記者会見では「結婚というものには実感が薄いようでございます」、
男性との出会いは「あったかもしれないし、なかったかもしれない」。
再び兄の台詞を使って、切り返した。
だがその後、清子さまのお相手をめぐり、報道が過熱する。
25歳の誕生日には「マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され、傷つきました。
とても心苦しく残念に思います」と文書で回答。
だが26歳、27歳の誕生日にも「結婚」「お相手」を質問され、
清子さまは「私なりの足並みで」「理想を描いて考えはしない」などと答え続けた。
31歳の誕生日会見で「結婚」の文字が消えた
27歳になって5カ月後、東欧訪問前の記者会見でも結婚について聞かれた。
清子さまはとうとう「これからは答えを控えたい」と明言した。
だが28歳の誕生日にもまた聞かれ、「事を急ぐだけでなく大切に考えたい」と答えている。
新聞記事を追いかけると、31歳の誕生日会見でやっと「結婚」という文字が消えている。
清子さまは35歳で、都庁勤務の黒田さんと結婚された。
佳子さまは「先手を打った」
佳子さまは清子さまと違い、内親王ではあるが、「天皇の子ども」ではない。
だが、令和になれば、「皇嗣の次女」となる。
宮内記者会が会見を要請する場面が、平成より増えてもおかしくない。
その「お相手」への関心は高く、報道されることからは逃れられないだろう。
だからこそ、「相手がいるかについてですが、このような事項に関する質問は、
今後も含めお答えするつもりはございません」と先手を打ったのだ。
令和という時代を前に、佳子さまはこれまでの皇族女性とまるで違うメディア戦略を示した。
新時代の新しい皇室像につながる、凛々しい第一歩だと思う。

2019/04/29
佐藤 あさ子
受講勝ち取った川嶋さん
学習院大学の学生時代、紀子さまは、沖縄文化研究の第一人者で、
両陛下へご進講していた故・外間守善氏のゼミ生だった。
紀子さまの心理学科とは専攻が異なっていたため、本来受講資格はなかったものの、
大学1年生の時から履修計画を立てていて、とうとう参加できたという。
「沖縄タイムス」の「受講勝ち取った川嶋さん」(2006年9月19日)という記事で、当時のことを外間氏が回想している。
努力を重ねて、夢を実現する。はにかみと共にそんなパワフルさを持ち続けられているのが、紀子さまではないだろうか。
どちらかというと、お召し物は国産派の紀子さま。
ある百貨店の特選品フロアからお持ちする品物を数点ご覧になって、
お選びになったものをお買い求めになることもあると聞く。
2009年12月19日、天皇ご一家や黒田慶樹さん、清子さんご夫妻がお揃いで、足を運ばれたことを懐かしく思い出す。
短い距離を歩いて移動される時、天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまという男性陣3人がまとまって、
先にすたすたと歩いていかれる様子が、普通の家庭と変わらないように思えて、自然な雰囲気だった。
愛子さまはお風邪を召されてその日はいらっしゃらなかったのだが、
雅子さまがお一人にならないように、すーっと歩みのスピードを緩やかにされて、
細やかに気を配られていたのが美智子さまと紀子さまだった。
悠仁さまはまだ本当にお小さい頃で、あちこち動き回られるのを、懸命に紀子さまが追いかけられていた。
カジュアルな洋服をお召しになる時、紀子さまは機能性を重視されているように思う。
お茶の水女子大学附属小学校の運動会では、ブルーで丈が長めのストライプシャツに
ホワイトのパンツという出で立ちだった。
保護者たちの間でとても馴染んでいらして、お茶の水小では「学年委員」を務められていた。
佳子さまの学習院女子高等科の運動会では、3年生だった佳子さまの学年カラーが青だったので、
応援する気持ちを込められて青いイヤリングを身に付けられていた。
https://bunshun.jp/articles/-/11577

2019/04/30 17:00
精神科医・片田珠美氏
小室圭さんの騒動が雅子さまの心を楽にした?
片田氏は、雅子さまご快復を後押しした最大の要因は、
「少々、意地悪な見方かもしれませんが、『小室圭さん』ではないでしょうか」と話す。
小室さんとは、言わずもがな、現在、秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚延期騒動の渦中にいる人物である。
母親の借金トラブルが問題視される中、米大学に留学したことにより、
国民から「本当に眞子さまと結婚する気があるのか」と、懐疑的な目で見られている。
「結婚反対」を強く主張する者も少なくない状況だ。
「雅子さまはこれまでずっと、紀子さまと比較され続けてきたと思います。
紀子さまは、男児である悠仁さまを出産され、娘である眞子さま、佳子さまが不登校になることも、
摂食障害を疑われることもなかった。美智子さまから気に入られているという話もありますよね。
雅子さまは、そんな紀子さまに対して、強いコンプレックスを抱かれていたのではないでしょうか。
特に、『皇室に嫁いだが、男児を産めなかった』という点でのコンプレックスは、
今の時代には見合わないかもしれませんが、払拭しがたいと思います。
しかし、そんな順調にやってきた紀子さま、ひいては秋篠宮家が、小室さんの騒動で揉めに揉めている。
何事も完璧にはいかないものだと、雅子さまはお気持ちが少し楽になられたと思いますよ。
期せずして、小室さんが雅子さまの心を救った面はあるでしょう」
https://www.cyzowoman.com/2019/04/post_230082_1.html

女性皇族はなぜ白いドレス? 実は細かな違いに現れる心遣いを徹底解説
めざましテレビ
2019年5月2日 木曜 午後0:15
女性皇族は白のローブデコルテ姿で
5月1日、沿道の人々ににこやかな表情で手を振り、皇后として初めて皇居に向かわれた雅子さま。
さらに秋篠宮家の長女・眞子さまに次女の佳子さま。 そして紀子さまも皇居に入られた。
天皇陛下が初めて国民にお言葉を 述べられた「即位後朝見の儀」。
気品あふれる白のドレスに華やかな ティアラやネックレスを着用した 女性皇族が勢揃いされた。
街で今回の衣装について聞いてみると
「清純とか新たな気持ちになるための白なのかな?とは思います」などと話していた。

同じように見える衣装にもそれぞれ違いが…
一見すると同じようにも見えるその衣装…しかしよく見てみるとそれぞれに違いが。
そこでめざましテレビでは、女性皇族の衣装へのこだわりに迫ってみた。
「即位後朝見の儀」で女性皇族たちが一様に身につけられている白のドレス。
その理由について皇室ファッション評論家の石原裕子さんは…
皇室ファッション評論家 石原裕子さん:
天皇陛下がホワイトタイをお召しになると、
それに準ずるものとしてはローブデコルテ(というドレス)なんですね。
格の上では。色も白もしくは白に準ずる色を基調にしていて、やはりこだわりがある
と天皇陛下の衣装の格に合わせたものだと説明する。

そこで皇居に到着された際の映像から、それぞれのこだわりを見ていく。
まず紀子さまの衣装やティアラには、皇后さまを立てる配慮が現れているという。

石原裕子さん:
(雅子さまは)日本の中に存在するいちばんゴージャスなティアラをお着けになるので、
それと同じ物をお着けになるのはやりすぎになってしまいますよね…
また眞子さまの半袖にはこんなこだわりが…

石原裕子さん:
眞子さまは20歳のときにお召しになったローブデコルテなんですけれども。
今回、雅子さまが半袖をお召しになるということで、わざわざ(半袖に)リフォームなさったみたいなんですね
一方、佳子さまのポイントは肌の露出にあるという。

石原裕子さん:
佳子さまは前回と全く同じでいらっしゃいます。
やはりローブデコルテって、肌を見せれば見せるほど、正式と言いますけども、
肩の先までお隠しになることで、露出を控えてらっしゃる。
もっと大人な印象を与えたいなという考えをお持ちになったのではないでしょうか

皇后を務める思いをファッションに込めた雅子さま
なかでも雅子さまのファッションには皇后を務める思いが込められているという。

26年前、当時の皇太子さまと雅子さまがご成婚された時も、ローブデコルテを着用したが、
胸元のカットが深いドレスを選ばれていた。
一方、1日雅子さまが着用されたのは胸元のカットが浅いドレスだった。

石原裕子さん:
スポーティーとはいわないけど非常にシンプルで厳かなもの、
清潔感のあるものが今回のドレス。それが前回との差だと思います。
また着用されたティアラもご婚礼の際とはデザインが異なっている。

石原裕子さん:
ティアラは(明治時代の)昭憲皇太后がまずお作りになって、
それから今回の皇后陛下まで五代の皇后さまに引き継がれている。
ネックレスも五代の皇后さまに受け継がれたものなんですね
皇后さまが皇居から赤坂御所に戻られる際には沿道の人たちにこんな気遣いも…
車内で側近の女性と談笑していた皇后さまは、
一度腰を浮かせ沿道の人たちからしっかりとお顔が見えるよう窓のそばに移動し手を振られていた。

そして午後、両陛下は初めて同じ車に乗られふたたび皇居へ。
皇后さまの服装は午前とは異なり、ローブモンタントに白い帽子という装いで、
沿道の人たちにもにこやかな表情で手を振られた。

石原裕子さん:
(ローブモンタントは)宮中の昼間の正装ですね。
今回、白をお召しになったのもやはりご自身が一番、皆さんのご挨拶を受けるときに自分になじんで、
着心地のいいモノで皆様とお会いしたかったんじゃないかと思います

1日午後3時半すぎ、宮殿「松の間」で行われた皇族方による祝賀。
秋篠宮さまから「このたびご即位なされたことを心よりお喜び申し上げます」と祝福された陛下は
「どうもありがとう」と応じられた。
そして秋篠宮ご夫妻に続き、眞子さまそして佳子さまらからもお祝いのあいさつを受けられた。
天皇陛下の即位にともない皇太子妃から皇后となられた雅子さま。街ゆく人たちからこんな声援も…
「ご負担も増えるからご心労もあると思うけど無理なさらずにがんばってほしい」
「国際交流とか日本のいろんな方の心の支えになるような方だと思うので、
ぜひそういう道を歩んでいただきたいと思います 」
(めざましテレビ5月2日放送より)
https://www.fnn.jp/posts/00045001HDK

週刊新潮2019年5月2・9日号
「雅子さんと婚約」スクープを新天皇のお耳に最初に入れたご学友の証言
音楽部での2年後輩に当たる竹内尚子さん
「その日は毎年恒例の安田ゼミOBの新年会でした。
席の最中、自宅の主人から“ニュースで
殿下がオワダナオコさんと婚約したって言ってるよ”と電話が入ったんです。
“雅子さん”を“ナオコさん”と間違えて伝えてきたんですね。
当時、そういう報道はしょっちゅうありましたし、私も名前がナオコですから冗談で
“殿下、ナオコさんと婚約なさったんですね”と申し上げると、殿下も“そうですか、またですか。
ナオコさん……そうですか”と笑っていらっしゃいました」

ところが――。
「続けて殿下が“ナオコさんの苗字は何とおっしゃるんですか”とお聞きになるので、
“オワダさんとか何とか……”と言うと、急に真顔になられて……。
侍従の方も入ってきて何やら耳打ちされますし、外にマスコミも集まってきた。
メンバーの誰もテレビを付けようとしませんでした。
そうこうするうちに皇宮警察の方が次々と来て、殿下は守られるように帰宅されていきました」
おそらく竹内さんはご友人で初めて殿下に祝意を述べた人かもしれない。

幼稚園から中等科まで一緒だった立花眞(しん)氏
「ある席でご一緒した三笠宮寛仁親王から、
べらんめえ調で“彼を生かすも殺すもお前ら次第だぞ”と言われたことがあるんです。
御所の中ではわからない世界を経験させられるのはお前らしかいない、とおっしゃりたかったのでしょう。
その一件以来、食事をご一緒することが多くなった。殿下がいらっしゃるとわかると構えてしまうので、
あえて店には事前に伝えなかった。赤坂の小料理屋でご一緒した時は、
大将が、入ってきた殿下を見て、“今誰が通った? どういうことだ?”と驚いていた。
最初の一杯をお酌してくれる女将さんも、殿下のところではたと気づき、
しどろもどろになって完全に手が止まってしまっていましたよ。
その際には、急に御所まで歩いて帰りたいとおっしゃって、皇宮警察があたふたしていたものです」


雅子さま 小和田家との極秘対面!両親と妹2人が揃って皇居へ
WEB女性自身 / 2019年5月15日 11時0分
「おすべらかし」に結った髪に金色のかんざしを挿し、古式ゆかしい装束を身にまとわれて、
皇居・宮中三殿の回廊をゆっくりと歩まれるお姿は、歴史の世界から抜け出たような優雅なものだった。
5月8日、雅子さまは、天皇陛下に続いて宮中祭祀に臨まれた。宮内庁関係者は感慨深げだ。
「慣れない装束のため、歩を進めるときに多少お体が揺れていましたが、
そのほかの拝礼の所作は完璧なものでした。お帰りの車でも笑顔を見せられました。
ご自身も思い描かれていた理想に近いご参拝だったのではないでしょうか」
翌日の9日、雅子さまは陛下お一人の予定だった中国大使とのご面会に、
“サプライズ同伴”されて30分近く懇談された。
「雅子さまがご一緒だったからでしょうか、陛下は明るいご表情で、大使をねぎらわれていました。
雅子さまも前日のお疲れなどお見せになることもなく、自然な笑顔で歓談されていました」(前出・宮内庁関係者)
上皇陛下が退位された4月30日から、皇室は御代替わりの多忙を極める激動の10日間に直面した。
雅子さまは30日の祭祀こそ欠席されたのだが、陛下が即位された5月1日以降の行事には“フル出席”されたのだ。
雅子さまのご実家である小和田家は、報道各社の取材に答えることはなかったが、
実は雅子さまの晴れ舞台を静かに見守っていたという。小和田家の知人が明かす。
「ご即位当日は雅子さまの両親である小和田恒さん・優美子さん夫妻、妹の礼子さんと節子さんも皇居を訪れ、
儀式に出席しました。ニューヨーク在住の礼子さんは、この日に合わせ帰国したようです。
雅子さまと直接言葉を交わす場面はなかったようですが、久しぶりの“ご対面”となり、
元気なお姿にご家族も安心したそうです」
雅子さまもそばに家族がいるというだけで、心強く感じられたことだろう。皇室担当記者が言う。
「雅子さまは適応障害と診断された直後、軽井沢にある小和田家の別荘で静養されたことがありました。
その後も雅子さまにとって母や妹が療養の支えとなる一方、
『ご実家との距離が近すぎる』といった批判もあったのです。
しかしそれは、陛下とご実家の家族以外に頼れる方がいない状況ゆえのことでした。
雅子さまは今、あのころのようなサポートがなくても問題なく皇后の役目を果たされるほどに、
ご家族も驚く劇的なご回復ぶりをお見せになっています」
https://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_1735648/

上皇さまを絶句させた「雅子新皇后」言行録
週刊新潮 2019年5月16日号掲載
「ご成婚以降、雅子さまはしばしば、ご実家である小和田家との“距離の近さ”が取り沙汰されてきました。
時に正田家と比較され、また実際に帯状疱疹のご静養中は、軽井沢にある小和田家の別荘で過ごされ、
そこに皇太子さま(当時)=以下同=がお見舞いに行かれていたのです」(宮内庁関係者)
ハーバード大を出られて外務省に入られた御身にとって、
皇室がまるで異質の環境だったことは想像に難くない。
何しろ、常にお世継ぎを求められる重圧から、
「95年に陛下(当時)=以下同=が『国民はみな、あなたたちのお世継ぎを期待していますよ』と
お声をかけられたことがありました。
ご懐妊の兆しの見えない雅子さまを陛下が慮って仰ったのですが、
これに雅子さまは『私の周りで、そんなことを言う人は誰もいません』と言い放たれ、
陛下は大いに驚かれていました」(宮内庁関係者)
その後、長期療養に入る直前の04年5月には、
皇太子さまのいわゆる「人格否定発言」によって、世は騒然となった。
「ご発言の真意を測りかねた東宮大夫がご夫妻にお電話し、ご説明をお願い申し上げました。
雅子さまはこれにいたく反発され『それなら私は皇太子妃を辞めます』と電話口で叫び、切ってしまわれた。
そして、お傍にいらっしゃった皇太子さまに向かって
『はっきり申し上げておきましたよ』と口にされたのです」(同)
宮内庁をはじめとする周囲へのご不信がピークに達していたのかもしれない。
ほどなく、激しいご心情を露わにされた肉声も漏れてきた。
公務に出られない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません〉――。
先の関係者が続けて、
「雅子さまはご静養に入られてからしばらく、東宮女官に対して強い不信感を持っておられました。
お振舞いなどについて彼女らが言い触らし、それがメディアの知るところとなって報じられ、
皇室内での確執へと繋がっていると思い込まれていたふしがありました」
実際に“宮内庁は守ってくれない”との思いに囚われていた雅子皇后は、
「当時、お心を許されていたのは皇太子さまとご実家だけという状況でした。
そこでご実家の家族からも『今を耐えれば、ゆくゆくは皇后になる時代が来るのですから』
といった趣旨の励ましを受けていたというのです」(同)
まさしくその御代が到来したわけだが、令和においては、その“励まし”はいかがなるのだろうか。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/05170558/?all=1

選択2019年6月号
悠仁さま「包丁事件」で皇宮警察に見切り 皇嗣家警護は警視庁が主役に
6/1(土) 7:05
皇室を守護する皇宮警察は令和になってもあいかわらず呑気だ。
四月二十六日に秋篠宮家の悠仁さまが通うお茶の水女子大学附属中学校に不審者が侵入。
悠仁さまの机に着色した包丁を置くという事件があったが、
これについても「皇宮警察は『管轄外』という態度」(宮内庁関係者)に終始した。
また、秋篠宮さまが皇嗣になったことで、宮家自体も「内廷」扱いになり、
皇宮警察の側衛官も増員されるはずだった。
しかし秋篠宮さま本人が「警備体制はこれまでどおり」でという希望を漏らしており、
皇宮警察ではこれに唯々諾々と従う方針とみられる。
結果、悠仁さまの警備には今後「警視庁が積極的に関与する」(警視庁関係者)という。
同庁警備部には皇族担当のSPが所属する警衛課がある。
これまで秋篠宮家は内廷外のためほとんど人員を振り分けられなかったが、
「今後は以前の愛子さま以上の五人ほどのSPが配備される見込み」(同前)。
皇宮警察はお株を奪われそうだ。 
https://www.sentaku.co.jp/articles/view/19003

2019.06.10 07:00  女性セブン
雅子さま 将来的にはすべての祭祀に出席、現時点では困難か
皇后となられて約1週間が過ぎた5月8日、雅子さまは御代がわりに伴う宮中祭祀の1つである
「期日奉告の儀」に臨まれた。宮中三殿すべてに参拝されたのは、
病気療養に入る前の2002年以来、実に17年ぶりのことだった。
「雅子さまが無事に祭祀を終えられた姿に胸を打たれた職員も多かったようです。
ですが、“あまり無理をしてほしくない”という思いを抱く職員も少なからずいます」(宮内庁関係者)
雅子さまはトランプ大統領夫妻との宮中晩餐会や「全国植樹祭」などの公務に順調に出席されている。
ただ、今秋に予定される皇位継承に伴う儀式こそ、新皇后としての“本番”ともいえる行事であるという。
元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。
「10月22日の『即位礼正殿の儀』当日の朝、両陛下は賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にて、
即位礼を行うことを奉告する儀式に臨まれます。
また、11月14日から15日にかけて行われる『大嘗宮の儀』は皇位継承に伴う一世一度の最重要儀式です。
皇后陛下は両儀式ともに、白色帛御五衣、白色帛御唐衣、白色帛御裳という白装束で出席されます。
皇后陛下は皇太子妃時代から、“ここ一番”の儀式に合わせて体調を整えられ、出席されてきました。
秋の重要儀式にも出席され、皇后としてのお覚悟を示されると思っています」
そのためには、“本番”までに、さらに慎重に、無理のないようにご調整されることが必要になる。
「直近の宮中祭祀でいえば、6月16日、香淳皇后のご命日に皇霊殿で執り行われる『香淳皇后例祭』があります。
将来的にはすべての祭祀に出席したいというお気持ちはおありでしょうが、現時点では無理でしょう。
今後もその時々のご体調などを勘案して、その都度、判断されていくことになるでしょうが、
まずは今秋の即位関係の儀式・行事に向けて、無理をなさらず、
周囲の協力を得ながら、体調管理に努めていただきたいと思っています」(山下さん)
雅子さまは一歩一歩、名実ともに「日本の国母」への道を歩まれている。
※女性セブン2019年6月20日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190610_1387141.html

2019.07.20 16:00
雅子さま 急遽の「お出まし中止」の背景にあるプレッシャー
『日本書紀』には、古代の雄略天皇が皇后に「養蚕(ようさん)」を奨励したという記述がある。
現在の皇室のご養蚕は、1871年、明治天皇の皇后である昭憲皇太后によって復興された。
それ以降、代々の皇后に受け継がれ、今も春から夏にかけて取り組まれている。
美智子さま(84才)もその歴史の重みを受け止め、皇居内の紅葉山にある御養蚕所へ足繁く通い、
伝統を紡いでこられた。
「御代がわりの行事が立てこむため、雅子さま(55才)が本格的に取り組まれるのは来年からです。
ですが、7月10日には天蚕(てんさん ※:注)の収繭(しゅうけん)作業のため、
御養蚕所を訪ねられる予定でした。美智子さまも毎年この時期に御養蚕所に通われたので、
それに倣われたのだと思います」(宮内庁関係者)
(※:注/日本、朝鮮半島、台湾などに分布する蚕の一種。山繭とも呼ばれる。
屋内飼育ができず、木に網をかけて放し飼いをする)
ところが皇居へ到着予定の30分ほど前、皇居・半蔵門に詰めかけていた報道陣に
「お出ましは取りやめ」の一報が入り、驚きが広がった。
「知らせが直前になったのは、ギリギリまでお出ましを模索されていたからでしょう。
実は翌11日には、東大教授から地球科学の講義を受けられる『ご進講』があり、
さらに12日には離任するベルギー大使夫妻とのご引見が控えていました。
連日の公務を考慮し、大事をとられたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまの御代がわり以降の公務は、順調そのもの。
それだけに、養蚕へも予定通りに取り組まれると期待されていた最中の出来事だった。
「好調が続いているため忘れられてしまいがちですが、雅子さまは今も適応障害を患い、療養中の身です。
そんな状況で皇后という大役を引き継がれただけでなく、
美智子さまという偉大な存在の後継者となったわけですから、
そのプレッシャーは計り知れません」(皇室記者)
そうした状況下でも、雅子さまは十二分にその務めを果たされてきた。
御代がわりに伴う一連の儀式はもちろんのこと、5月にはトランプ米大統領夫妻を接遇され、
続く6月にはマクロン仏大統領夫妻、7月にはトルコのエルドアン大統領夫妻と会見されるなど、
数多くの国際親善をこなされてきた。
6月には愛知県で開催された「全国植樹祭」へ臨席されるなど、まさに八面六臂の活躍といえる。
「雅子さまは元外交官のキャリアウーマンということもあり外国語に堪能で、
英語はもちろんフランス語も通訳が必要ないほどの語学力をお持ちです。
また、各国の国際情勢や文化背景などを充分に理解されていて、その能力をいかんなく発揮されておられます。
しかし一方では、そうした周囲からの高い期待値の中で公務に臨むのは、重圧に違いありません。
相当に気を張った日々が続いています」(前出・宮内庁関係者)

◆ふとお疲れを感じさせる表情が浮かぶ
皇族方が公務などでお出ましになるにあたっては、事前に主催者や報道関係者に対し、連絡が入る。
御代がわり以降、両陛下お出ましの案内には、3つのパターンがあった。
「前もっての連絡は 『両陛下がお出まし』『天皇陛下がお出まし』
『天皇陛下がお出ましで皇后陛下はご体調次第でお出まし』の案内方法があります。
例えば、6月21日に麻布保育園(東京・港区)を両陛下で訪問されたのは、
『皇后陛下はご体調次第』という案内でした」(皇室ジャーナリスト)
実のところ、雅子さまのお出ましが直前の変更になっても、さほど大きな影響はないという。
「ほとんどの場合で、主催者側には天皇陛下をお迎えする準備ができています。
雅子さまがいらした場合でも、椅子を1つ追加するだけという程度の対応で済むので、特に手間はかかりません。
むしろ、直前の決定でもいらっしゃっていただけた方がありがたいという声は多い」(前出・皇室記者)
お迎えする行事やイベントには、雅子さまを一目見たいと心待ちにする参加者は多い。
そうした気持ちを、雅子さまがいちばんよくご存じだ。ある皇室関係者が言う。
「公務に出られ、衆目のあるところでは、決して笑顔を絶やされません。
もちろん賓客の前では、国の代表として気品と気遣いが溢れる応対をされていらっしゃいます。
しかし、裏に入ると、ふと重圧やお疲れを感じる表情を浮かべられることがあります。
フーッと大きく深呼吸をされている場面もありました。 
療養中でありながら、連日のお務めを果たされているのですから、無理はありません。
雅子さまはそうした苦悶の表情をひた隠しにされながら、日々の公務に向かわれているのです」
ただし、いくらそうした強いご覚悟をお持ちでも、15年続いているご病気は簡単には抑え込めるはずがない。
前述の御養蚕所ご訪問もそうだが、多くの人の目に触れない、
私的なお務めは、大事をとって休まれることも少なくない。
例えば、6月16日、香淳皇后のご命日に執り行われる宮中祭祀「香淳皇后例祭」に、雅子さまは出席されなかった。
「宮中祭祀は、伝統的な装いを特殊な方法で身につけるなど、女性皇族に多大な肉体的負担をかけます。
雅子さまにはこれから秋にかけて、ご自身が主役になられる行事や、
多くの人が出席を期待する公務が立て続けに待ち構えています。
限界に近い状態とは思われますが、側近と話し合われながら、薄氷を踏むような調整をされつつ、
“本番”に臨まれるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)
※女性セブン2019年8月1日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190720_1413555.html

英国理髪店でそっけなくされるも…御理髪掛が見た新天皇陛下のお人柄
永井貴子2019.7.26 11:30週刊朝日

理髪室は、徳仁皇太子にとって、身体を解放し心を休める場所である。
1983年から2年間留学していた英オックスフォード大学での思い出や、
公務で訪れた土地の人びととの触れ合いなど、思い出を語るひとときが、そこにあった。
東宮御所の1階にある、新築した理髪室では、ゆったりとした曲のCDが、心地よく流れている。
理髪専用の椅子に座る徳仁皇太子は、御理髪掛の大場隆吉さんに、留学時代の思い出を語りはじめた。
まだ、昭和の時代。浩宮と呼ばれたころの話だ。
1983年の6月。英国に到着してまもなく、ひとりで地元の理髪店を訪れた。
「髪をカットしてほしい」と伝えるが、店の主人はずいぶんそっけない態度で接した。
皇族として生まれて、こうした扱いを受けたのは、あまりない経験だったのだろう。
徳仁皇太子は、ほほ笑みながら、23歳の青年であった当時をこう振り返った。
「オリエンタルな若者がひとりでふらりとやってきたので、いぶかしんだのかもしれませんね」
理髪店を訪れた日からしばらくすると、現地の新聞やニュースが
日本の「Prince Hironomiya」が留学で滞在していると報じはじめた。
こんどは、お付きと一緒に、同じ理髪店を訪れた。
すると、店主は、うやうやしく「sir(サー)」と敬称をつけ、これ以上ないほど丁重にもてなしたという。
徳仁皇太子は、思い出すように笑った。
「なるほど、普通はこういう対応をされるのだな、と思いました。いやあ、いい経験をしました」
印象深い体験であったのだろう。徳仁皇太子は、この体験談を何度か、大場さんに語っている。
「思いもかけない体験をした場所に、もう一度足を運んでみる。
そうした徳仁皇太子さまの行動からは、
ほんの少しのいたずら心と、ご性格の明るさをお持ちの方なのだと感じました」
(中略)
築50年を経て、老朽化した東宮御所は、08年に大規模な改修工事に入る。
理髪室も、新しくつくることになった。
徳仁皇太子は設計図にも目を通し、古くなった理髪の設備を新調するにあたり、
椅子の革張りやカーテンの色も自身で選んだ。
だが、革張りのオーダーは時間がかかる。納期の関係もあり、大場さんは、侍従を通じてこう伝えた。
「椅子は、オーダーによる革張りではなく、すでに仕上がっている品であれば、
同じタイプでも価格が抑えられます。いかがいたしましょうか」
すると徳仁皇太子は迷うことなく、
「では、既製品に変えましょう」
と応じた。
「できる限り、堅実に質素にと、生活をなさる姿勢は、上皇さまも徳仁さまも同じです」(大場さん)
大場さんが御理髪掛に就任した当初、徳仁皇太子の頭皮には、炎症があった。
ご本人は何も言わない。だが、たくさんの人の頭皮に触れてきた大場さんは、
徳仁皇太子が抱えるストレスの強さを感じたという。
※週刊朝日2019年8月2日号
https://dot.asahi.com/wa/2019072400069.html?page=1

眞子さまが愛子さまに特別授業!異例の南米秘話歓談20分間
記事投稿日:2019/08/01 11:00 最終更新日:2019/08/01 11:00
愛子さまの通う学習院女子高等科が夏休みに入って間もない、7月23日。
ペルー、ボリビアご訪問から帰国されたばかりの眞子さまが、天皇皇后両陛下へのご挨拶のために赤坂御所を訪れた。
宮内庁関係者は語る。
「眞子さまは、両国の大統領から預かったメッセージを、両陛下にお伝えするために赤坂御所に来られました。
異例のことですが、実はその場には愛子さまもいらっしゃいました。
20分ほどかけて、眞子さまは南米での出来事をお話しになったそうです」
愛子さまはちょうど夏休み前の地理の授業で、南米について学んでいたという。
「眞子さまが語る現地でのエピソードに、愛子さまはたいへん興味を持たれていたと伺っています。
侍従職は宮内記者たちには、愛子さまがいらした理由を『時間が合ったから』と説明していましたが、
雅子さまが同席を提案されたのではないでしょうか。」(宮内庁関係者)
https://jisin.jp/domestic/1761472/

週刊新潮 2019年7月25日号
世間の目が秋篠宮家問題に注がれ、皇后の体調が回復した。
そして、お世話係のトップである西宮幸子女官長の存在が大きい。
彼女自身が外交官の妻だったこともあってお話も合うようで、4年前に東宮女官長に就任して以降、
皇后陛下とは良好な関係を築いてきた。かつて東宮職から側近が相次いで離任する事態が起きましたが、
そうした中で彼女は厚い信頼を得てきた。
そして、上皇后からの解放
古参の宮内庁職員 「雅子さまのドタキャンは美智子さまのせい」
「美智子さまはひたすらご病気の雅子さまを慮(おもんぱか)って励ましてこられましたが、
それが時に誤ったメッセージとして伝わることがありました。
完璧な形でご公務にあたられるそのお姿は、療養中の雅子さまにとって決して身近ではなく、
お手本にすればかえってご自身へのプレッシャーを増すことになりかねませんでした」
「雅子さまがご公務に備えてご体調を整えておられる時、
御所から美智子さまの『ご病気なのですから、無理をせずお休みになっていればよろしいのでは』
といったおことばが伝わり、ご真意を計りかねた雅子さまが打ち沈み、直前にご出席を断念される。
それがメディアによって“ご公務ドタキャン”と報じられ、落胆されることも少なからずあったというのです」(同)

女性セブン2019年8月22・29日号
安倍官邸は「愛子皇太子は許さない」という方針を実行するため、
すでに水面下で、ある具体的な動きを見せているという。
「安倍官邸といえば、霞が関の省庁の中でも、特に経済産業省と距離が近いことで知られています。
官邸の中心メンバーの多くは、経産省OBや同省からの出向者です。
たとえば、“影の総理”と呼ばれ、多方面で首相の活動を支える
今井尚哉(たかや)政務秘書官も経産省の出身です。
実は最近になって、秋篠宮家の職員に、経産省の現役官僚やOBが次々に採用されているんです。
なぜ皇室と縁が遠いはずの経産省から、人材が送り込まれているのか。
そこには安倍官邸の意思が働いていると見ている関係者は少なくありません」(宮内庁関係者)
なぜ今、安倍官邸に近い経産省の役人が秋篠宮家の周辺に増えているのか。
「大きな理由の1つは、皇位継承順位の第1位である秋篠宮さまと、第2位の悠仁さまを擁していることです。
『将来の天皇』が2人いるご一家ですから、当然、それだけ政府から重視されることになる」
(別の皇室ジャーナリスト)

悠仁さま ブータン国王に「ベリーハンサム」と大絶賛される
記事投稿日:2019/08/28 11:00 最終更新日:2019/08/28 17:10
「すごく似ている感じがします。木とか草とか、そういうところが」
悠仁さまは「ブータンと日本の違いは?」と記者から質問され、はきはきとお答えになった。
さらに秋篠宮さまから「どう違う?」と質問を受けた悠仁さまは
「まだわかんない」と正直におっしゃるおちゃめな面もお見せに。
8月17日、ブータン王国に到着された秋篠宮ご夫妻と悠仁さま。
20日、首都・ティンプーでハイキングをされながら取材に応じられたのだ。
このブータン旅行は、悠仁さまにとって初めての海外ご訪問。
「今回はあくまで“私的訪問”となっていますが、秋篠宮家と親交の深いブータン国王一家からの
招待に応えてのご訪問です。悠仁さまにとっては“皇室外交デビュー”と言っていいでしょう」(皇室担当記者)
19日には、ブータン国王夫妻とご面会。ワンチュク国王は悠仁さまと固く握手を交わし
「ベリーハンサム。ベリーベリーハンサム」と大絶賛した。
20日には、5~16歳の子供たちが通う公立学校へ。悠仁さまは英語で自己紹介をされたという。
「悠仁さまは紀子さまのすすめで、NHKの番組を見る際には英語の副音声を聞かれているそうです。
そうした努力の賜物でしょう。ただ、17日に国立博物館を見学されたときには、
館長による英語の説明をお聞きになった紀子さまが悠仁さまに逐一補足説明をされていたので、
さすがにまだ“通訳なし”というわけにはいかないようですね」(宮内庁関係者)
悠仁さまの“帝王教育”はおもに紀子さまが担当されてきたといわれるが、
今回のブータン旅行は秋篠宮さまが主導されたという。
「秋篠宮さまはブータンに詳しい知人の学者に協力を仰ぎ、10日間にわたる旅をコーディネートされたそうです。
ただ、取材陣には出発当日まで旅程が知らされないなど、前代未聞の事態も生じています。
秋篠宮さまが張り切っていらっしゃる一方で、周囲からは不満の声も上がっていたのです」(前出・皇室担当記者)
しかし25日、紀子さまに付き添われご帰国された悠仁さまは穏やかな笑みを浮かべられていた。
そのご表情は、今回の旅がいかに充実していたかを物語っているようであった。
https://jisin.jp/domestic/1768729/

愛子さまが動物園に!プライベート中でも握手の“神対応”
記事投稿日:2019/09/06 11:00
ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。
8月26日、同王国に足を運ばれた。
あいにく小雨混じりの空模様だったが、
愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して動物たちとの触れ合いを楽しまれた。
“プライベート”なお出かけにもかかわらず、
愛子さまは王国内を歩きながら居合わせた人々に笑顔でお手振りされる“神対応”。
80代の男性は愛子さまと握手をしたという。
190910ten.jpg
https://jisin.jp/domestic/1771963/

女性セブン2019年9月19日号
上皇さま、上皇后さま軽井沢へ
「軽井沢でのご静養は、心身を回復させることも目的の1つでした。
ご年齢や体力の低下もあり、がん手術には合併症など身体的なリスクもありますから。
体力的には、訪問されたテニスコートで旧知の友人らと思い出話に花を咲かせ、
お元気な姿を見せられるなど、充分に回復されてきたようです。
また、手術を控えて精神的にもおつらい状況だったと思われますが、
軽井沢ご静養中のある夜、気の置けない人たちと、
お心がゆっくり休まるようなお時間を設けられ、晴れやかなお気持ちになられたそうです」(皇室記者)
軽井沢高原文庫を訪ねられた翌24日の昼過ぎ、ご夫妻は壬生(みぶ)基博氏の別荘を訪問された。
「壬生氏は、旧宮家出身の東久邇盛厚(ひがしくにもりひろ)氏と、昭和天皇第一皇女成子内親王の次男です。
上皇陛下の甥にあたります。現在は山階鳥類研究所理事長を務められ、
生物学者である陛下との会話も弾まれたでしょう」(前出・皇室記者)
壬生邸で語らいのひとときを過ごされた後、ご夫妻が向かわれたのは
壬生邸から5分ほどの距離にある“特別な場所”だった。
夜7時少し前だった。すっかり暗くなった林道を抜け、生い茂った木々の間でご夫妻を乗せた車が止まると、
おふたりはレンガ造りと木造の家が3軒建ち並ぶ方へ向かわれ、
そのうちの落ち着いた茶色のレンガ造りの別荘の扉をくぐられた。
実はその一帯は、美智子さまのご実家である正田家が所有する別荘地だ。
美智子さまにとっては思い出深い地でもある。
「美智子さまは幼少の頃から、夏休みを軽井沢の別荘で過ごされてきました。
昭和20年の夏、終戦を迎えられた疎開先でもあります。
当時10才だった美智子さまは、別荘の庭の桑の木の実でジャムを作られたり、
飼っていたヤギの乳搾りなどをされたそうです。
都内にあった正田邸(東五反田)が2003年に取り壊される際、
美智子さまが大事にされてきた白樺の木が、その別荘地に移されたとも聞いています」
(前出・皇室ジャーナリスト)
美智子さまは正田家の4人きょうだいの長女として誕生された。
別荘地に建つ3軒の物件は現在、4才年上の長兄・巌氏、6才年下の次女・安西惠美子氏、
8才年下の次男・修氏がそれぞれ所有している。
ご夫妻がその夜に訪ねられたのは、妹の惠美子氏の棟だった。
惠美子氏の夫は、昭和電工専務や2002年サッカーW杯組織委員会理事、
日本ゴルフ協会会長などを歴任した安西孝之氏だ。
「美智子さまと惠美子さんは、父兄らと離れ、姉妹で手に手をとって、
軽井沢で疎開生活を送られたそうです。
終戦後、正田家に招かれ紅茶とクッキーでもてなしをされた知人は、
幼少の美智子さまと惠美子さんがテキパキとお茶を用意される姿に大変感心されたそうです。
美智子さまとは“阿吽の呼吸”の妹さんだそうですよ」(別の皇室ジャーナリスト)
「公に知らされない極秘の訪問でした。きっと、ご自身の近況やご病気についてもお話をされたのでしょう。
手術を前に、信頼する妹さんとゆっくり話すことができ、
美智子さまにとって心安らぐ時間だったのではないでしょうか。
帰路につく美智子さまの表情はとても満足げで、
サングラス越しにでもうれしそうなご様子が伝わってきました」(前出・皇室記者)
ご夫妻は翌日25日、おふたりの出会いの場でもある軽井沢のテニスコートを訪れ、プレーを観戦された。
コートを11時頃に出発されると、あるペンションに向かわれた。
「そこでは黒田清子さんと一緒にランチをされたようです。
清子さんにも、手術の話をされたのでしょう。
清子さんは、手術を控え心配なお気持ちを抱えていらっしゃるだろう美智子さまに、
子供の頃からの合言葉である“ドンマーイン”と励ましの言葉をかけられたのではないでしょうか」
(前出・別の皇室ジャーナリスト)
ご夫妻は14時過ぎにペンションを出発された。
沿道に集まった人たちが手を振ると、ご夫妻は満面の笑みで会釈をされた。

“天皇皇后両陛下のお手振りなし”で騒ぎに 令和流の「お召し列車」事情
週刊新潮 2019年10月10日号掲載
国体開会式ご出席などのため、9月28日から1泊2日の行程で茨城県へ赴かれた天皇皇后両陛下。
現地までは「お召し列車」でのご移動で、特別仕様での運行は令和に入って初ということも手伝い、
鉄道ファンを中心に大きな注目をあつめた。
ところが“お姿が見えなかった”と、これが思わぬ波紋を呼んでしまい……。
東京駅を発ち、常磐線勝田駅までおよそ90分のご乗車となった今回の運行。
沿線の各所では多くの市民や鉄道ファンがカメラを構えていたのだが、
「両陛下の乗られている車両は一部カーテンも下げられ、
お姿が窺えない形になっていたのです」(皇室ジャーナリスト)
平成の時代には、上皇ご夫妻はお召し列車内でほぼ全行程にわたってお手振りをなさっていたゆえ、
ネット上では騒ぎに発展してしまった。
「鉄道ファンを中心に、思っていた写真が撮れなかったことへの不満などが、相次いで投稿されました。
その文言は『人生に一度と思ってお召し列車を撮影に。(中略)カーテン閉まっていて残念』
『今の上皇がしてきた対応と比べると、明らかにドライ過ぎて残念極まりないですよね……』
などといった内容だったのです」(同)
結論からいえば、両陛下がまったくお手振りをされなかったというのは、“誤報”あるいはデマである。
実際、水戸から勝田までの区間で、両陛下がお立ちになって手を振られている写真が、
ネットに投稿されてもいるのだ。
平成流を“標準”と勘違いしたゆえの混乱だが、なぜこのような事態が起きたのか。
同行していた宮内庁担当記者は「両陛下は車内でご昼食をとられる予定になっていました」と明かす。
「といっても、我々が出張で駅弁をかき込むのとはわけが違う。
周りの職員との打ち合わせも兼ね、時間をかけて召し上がるため、
その間は、もちろん立ち上がってお手振りなどはできません」
宮内庁関係者によれば、かつて上皇さまが在来線の車中で食事を召し上がったことは
「記憶にありません」というから、こちらも“令和流”といえるだろう。
背景にあるのは、皇后陛下のご体調事情だ。
上皇ご夫妻が2泊3日のご日程で三大行幸啓などに臨まれてきたのに対し、
御代替わり以降、天皇皇后両陛下は1泊2日のご日程で、宿泊を伴うご公務に臨まれてきた。
「極力、皇后陛下にご負担のかからないスケジュールを組んでいるのです。
ただしその分、一日ごとの行程はタイトになる。
到着後の昼食の時間も削らざるを得ず、今回はやむなくこのような形になったといえます」
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/10021700/?all=1

新天皇即位祭典 嵐の出演決定までの紆余曲折、候補は3組
2019.09.26 16:00  女性セブン
11月9日に行われる「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で嵐が“奉祝ライブ”を行うことが発表された。
「国民祭典は、陛下の即位を祝って超党派の国会議員連盟や政財界の有志が主催するもので、
皇室の行事ではありません。ただ、両陛下には、“国民がお祝いしますのでお出ましいただけませんか”
とお願いをする形になり、陛下からのおことばも予定されています。安倍晋三首相(65才)も出席します。
祭典は2部構成で、午後1時半から第1部の奉祝まつりが、午後5時10分から第2部の祝賀式典が予定されていますが、
詳細は調整中です。嵐は第2部でパフォーマンスを披露することになります」(皇室記者)
明治の遷都以降、皇室の節目のお祝い事などに皇居周辺でしばしば国民的な祝賀行事が行われてきたが、
その形式は平成に入り少し様変わりした。
「20年前、上皇陛下の天皇即位10年を祝う祭典で、
若い世代を含めた国民全体と皇室をつなぐ企画を盛り込みたいと主催者側は考え始めました。
そこで、若者にも親しみやすいということで、
昭和にはなかった有名アーティストによる歌唱が企画されました」(前出・皇室記者)
即位10年を祝う祭典にはYOSHIKIが、即位20年の時にはEXILEが「奉祝曲」を披露した。
今年2月には三浦大知(32才)が即位30年をお祝いする式典で、
上皇上皇后両陛下が作詞作曲された『歌声の響』を歌い上げている。

◆雅子さまも嵐の出演をおよろこび
今回、その大役に嵐が選ばれるまでには紆余曲折があったという。
「出演歌手の選択はかなり厳しい。人気はもちろんのこと、
大舞台の経験があり、目立った政治的発言をしていないなどの細かい条件をクリアしなければなりません。
今回は演歌歌手を含め3組ほど候補に挙がりましたが、
国民の誰もが知り、老若男女から愛されているグループとして満場一致で嵐に決まったそう。
選考では櫻井翔さん(37才)のお父さんが総務省の事務次官まで務めた人物であることも好印象だったとか。
とはいえ、天皇皇后両陛下に出演者をまったくのサプライズにしたままお出ましいただくわけにはいきません。
事前に確認し、ご意向を伺ったところ雅子さま(55才)も快諾され、嵐に決定したそうです」(政治記者)
2020年の大晦日を最後に活動休止を発表している嵐は多忙を極める。
しかも、嵐のパフォーマンスを生で見られる最後の機会になるかもしれないと、
250万人を超えるというファンクラブ会員が皇居前広場に詰めかけたシミュレーションも必要だ。
簡単に決定できるものではなかった。
「嵐の出演に関しては、ジャニー喜多川さん(享年87)の生前から話が進んでいたそうです。
実は、ジャニーさんのお別れ会に、政治家で唯一参列していた山東昭子参院議長(77才)がキーパーソンでした。
山東議員は元女優で、ジャニーさんとは旧知の仲。
その山東議員が嵐の出演交渉を担っていたようです。
安倍首相もジャニーさんのお別れ会に弔電を送ったり、
TOKIOのメンバーと食事に行くなど事務所と親しい関係にあります。
そういった中で、ジャニーさんも快諾されたんでしょう。
嵐はその時期、コンサート中で、10月30日から毎週末、日本各地でライブが行われる予定ですが、
11月9日の国民祭典の週だけライブの予定はありませんでした。
ジャニーさんが遺言として、国民祭典でのパフォーマンスを嵐に託したのかもしれません」(芸能関係者)
愛子さま(17才)も嵐のパフォーマンスを心待ちにされているという。
「嵐の出演が決まり、愛子さまも大喜びされたそうです。
愛子さまは嵐の大ファンで、学校のお友達とカラオケで嵐メドレーを歌われたこともあるそうです。
勉強の合間にも嵐の曲を聴いて、息抜きをされることもあると聞いています。
愛子さまの影響で、雅子さまも嵐の曲をかなりご存じだそう。
ご一家は“楽しみですね”と周囲に話しているそうです」(前出・皇室記者)
※女性セブン2019年10月10日号
https://www.news-postseven.com/archives/20190926_1457775.html

2019.10.07 16:00  週刊ポスト
皇室最大の式典「即位の礼」、その流れと平成との違い
令和元年が幕を開け、5か月が経った。10月22日午後1時、天皇陛下が即位を国内外に宣明する
「即位礼正殿の儀」が、皇居・宮殿で最も格式の高い「松の間」で執り行なわれる。
「即位礼正殿の儀が終わると、11月には即位後初めて国家国民の安寧と五穀豊穣などを感謝、
祈念される大嘗祭が行なわれます。これらは7世紀の天武・持統朝から、
御代替わりの際の重要な儀式として踏襲されてきたものです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
当日は、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という束帯をまとった天皇陛下が、
玉座を意味する高御座(たかみくら)へ、十二単姿の皇后陛下が御帳台(みちょうだい)に上られる。
陛下による即位のおことばの後、安倍首相がお祝いの寿詞(よごと)を述べて万歳三唱し、参列者が唱和する。
令和の即位礼は、平成と異なる点も見られる。最も大きな違いは、両陛下お出ましの経路変更だ。
「平成のときは、参列者が直接お姿を拝見できるように、天皇皇后は中庭側廊下を通って松の間に入室されました。
今回は松の間の側扉から入室され、高御座と御帳台にお上りになります。
京都で行なわれた昭和天皇のときの形に戻した訳ですが、
帳が開いたときに初めて天皇皇后のお姿が現われるというのが、本来の形なのです」(山下氏)
190以上の国や国際機関の代表、約2500人が参列する予定だ。会場内には大小のモニターが複数設置され、
離れた位置からでも御姿を見られるという。
この日の両陛下は忙しい。午前9時(予定)に即位礼当日賢所大前の儀と即位礼当日皇霊殿奉告の儀があり、
午後1時の即位礼正殿の儀が終わると、午後3時半から祝賀パレード「祝賀御列の儀」が始まる。
夜7時20分からは参列者を招いて「饗宴の儀」を開催。祝宴はこの日を含めて、
10月25日、29日、31日の計4回開かれる。
※週刊ポスト2019年10月18・25日号
https://www.news-postseven.com/archives/20191007_1464840.html

週刊女性2019年10月15日号
「 陛下はジョギングを日課とされているのですが、上皇さまの退位が決定してからは、
海外の要人が来日した際に行われる晩餐会以外での飲酒をいっさいやめて、
健康的な身体づくりに励まれているんですよ」(宮内庁関係者)
雅子さまもスポーツ万能で、中学と高校時代にはソフトボールで大活躍されていた。
「田園調布雙葉学園中学には、ソフトボール部がなかったのですが、
雅子さまが中心となってソフトボール部を作ってしまったんです。
夏休みには、雅子さまの提案で、お金をかけないように学校に泊まりこんで合宿したこともありましたね。
当時、巨人ファンで高田繁選手に憧れていらっしゃったので、
同じ“8番”の背番号をつけていらっしゃいましたよ」(中学時代のソフトボール部のチームメート)
愛子さまは
「元プロテニス選手からアドバイスを受けられた際、
飲み込みが早く、すぐにパワフルなフォアハンドを打てるようになったそうです。
身体も柔らかく、スポーツも得意で、御所内では職員を交えてバドミントンやソフトボールを楽しまれているそうです。
ただ、愛子さまのいちばん好きなスポーツは“バスケットボール”なのでは」
そう侍従職関係者が話す理由は、愛子さまの学習院初等科時代に原点があるそうで。

テニスコートで運命の出会いを
一方で、上皇ご夫妻も、お若いころからテニスを愛され続けておられる。
現在はご高齢のため、プレーされることはほとんどないようだが、
思い出深い都内のテニスコートには、たびたびお忍びで足を運ばれている。
「天皇家の方々は、みなさんテニスをおやりになります。
上皇ご夫妻も軽井沢でのテニストーナメントで運命の出会いを果たされましたし、
秋篠宮ご夫妻もやはり、お若いころからテニスをプレーされているイメージは強いですね。
秋篠宮さまは学生時代からお強く、紀子さまは帰国子女だったので、現地でテニスをプレーされていたそうです。
ご結婚当初から、軽井沢でのご静養中に仲睦まじく、おふたりでテニスをされているお姿が思い出されますね」
(渡邉みどりさん)

上皇ご夫妻と同じく「秋篠宮ご夫妻もテニスが達者でいらっしゃる」と話すのは、宮内庁OBのひとり。
「秋篠宮さまが中学生のとき、東京都テニス大会に出場されたのですが、
ベスト8に進出するほどの腕前でいらっしゃいました。
どちらかというと、クセ球で相手を翻弄する戦術でしたね。
スマッシュを決められても、対戦相手には称賛の言葉を送られるなど、
紳士的な姿勢で感心したことを覚えています。
紀子さまは、高校1年生からテニスを始められ、ご結婚後は静養先などで殿下とプレーされていました。
攻撃型というより、美智子さまと同じように、何度打っても必ず打ち返される“粘り”のプレースタイルでしたよ」

眞子さま、スキー検定1級を取得
秋篠宮ご夫妻だけではなく、お子さま方もスポーツに精通されている。
眞子さまは、高校と大学時代にスキーに熱中されていた。
高校時代、同じスキー部に所属していた同級生の女性が、眞子さまの腕前を語る。
「当時のスキー部は、春夏にランニングやドッジボールなどを行って基礎体力をつけ、
クリスマスの時期に群馬県にある『丸沼高原』で、合宿をしていました。
合宿では能力別にクラスが分けられ、眞子さまは最初は普通クラスだったのが、
高校3年生のころにはとても上達されて『全日本スキー連盟(SAJ)』のスキー検定1級を取得されていました。
1級は、高校生で取得できる中でいちばん難しいもので、この上になると準指導員の資格になるんですよ」
別の同級生女性も、眞子さまの運動神経のよさが印象強く残っているという。
「休み時間になると、中庭でバレーボールをおやりになっていたり、全校生徒が闘志を燃やす“運動会”では、
フラフープを縄跳びのようにして走る『わっかでポン』という競技で、
先頭走者やアンカーを任されるなど、運動神経が抜群でいらっしゃいました」
次女の佳子さまは、小学2年生からフィギュアスケートを始められ、
小学5年生時と中学校に進学する直前に出場された大会では、優勝されるほどの実力をお持ちだった。
「当時の佳子さまは、大会に向けて一生懸命に練習に取り組まれ、
早朝の練習に紀子さまが同行されていたこともあり、
優勝された際にはおふたりとも、大きな喜びに包まれていましたね。
しかし、中学3年生のころから徐々にフィギュアの練習時間が減ってしまったそうで、
その後は“ダンス”に夢中になられていきました」(秋篠宮家関係者) 
「学習院大学に進学された際に、『N』というダンスサークルに体験入部されるも、
皇族というお立場上“迷惑がかかるかもしれない”ということを心配されて、入部を断念されました。
その後に編入された国際基督教大学(ICU)のダンスサークル『S』に、
1度は入会されましたが、同じ理由で退会されてしまったのです。
ただ、佳子さまのダンスへの思いはお強く、一時期、東京・町田市内のダンススクールに通われ、
身分を明かさずに大会に出場し、ヒップホップダンスを披露されたこともありましたね」
(同・秋篠宮家関係者)

女性セブン2019年10月17日号
9月28日、愛子さま高等科最後の運動会。ドリブル競争で活躍。
今年は両陛下の観戦はなし。
両陛下は国体でひたちなか市を訪問。
「宿泊先のホテルで28日夕方、国体関係者らとの懇談会。
乾杯の際、いつもはグラスに少し口をつける程度だった雅子さまが、
小さなグラスに注がれた茨城の銘酒『霧筑波・知可良』を
グイっと一気に飲み干されたのです。」(皇室記者)
「茨城訪問では、両陛下は即位後初めて、菊の御紋で飾られた『お召し列車』に乗られました。
茨城に向かう道すがら、沿線の人々に座りながらお手振りをされました。
ただ、思い出されるのは、上皇上皇后両陛下が平成時代、
お召し列車に乗られる際は長距離の移動中も立ったままお手振りをされたことです。
そのお姿の印象が強いので、『何かあったのか』と心配する声も聞かれました」(皇室ジャーナリスト)

2019.10.11 16:00  女性セブン
雅子さま、「馬アレルギー告白」は苦渋の決断と葛藤の末
「アレルギーのために馬車に乗れない」「お召し列車で立ってお手振りをされなかった」。
雅子さま(55才)にとって“逆風”となりかねない報道が相次いでいる。
しかし、その裏にある「皇后としての葛藤」を、私たちはまだ知らない──。
皇居・二重橋前の朝の静謐な空気の中を、銃を携えた隊列が進む。
自衛隊特別儀仗隊約100人の一糸乱れぬ行進に、皇居ランナーたちは立ち止まり、息をのんだ。
10月6日朝7時、天皇陛下の即位に伴う「祝賀御列の儀(パレード)」のリハーサルが始まった。
「整列の訓練後、天皇皇后両陛下のオープンカーを先導する警察車両の動きの確認が行われました。
当日と同じ皇居から赤坂御所までの5km近いコースを30分以上かけ、車両50台以上が並んで進む姿は圧巻です。
目の前を通り過ぎるまで5分以上かかりました」(皇室記者)
パレード当日は19万人を超える人出が見込まれるという。
その日を間近に控え、着々と準備が進む中、意外な情報が飛び出した。
10月2日、宮内庁は11月22、23日に両陛下が即位の奉告のため伊勢神宮を参拝(親謁の儀)される際、
雅子さまが儀装馬車ではなく御料車(自動車)を使われると発表した。
平成の時代、今の上皇上皇后両陛下は馬車を利用されたが、今回は天皇陛下だけが馬車を使われるという。
宮内庁はその理由を、雅子さまに「重度の馬アレルギーがあるため」と説明した。

◆御料牧場で馬に触られたことも
日本アレルギー学会専門医で、秋葉原駅クリニックの佐々木欧医師は次のように解説する。
「そもそも動物アレルギーは、動物の唾液や汗、糞やフケ、これらの付着した毛などが原因で起こります。
くしゃみや鼻水といった花粉症のような症状から、咳や息苦しさ、皮膚のかゆみなど症状はさまざまです。
犬や猫など身近な動物が原因になることが多く、馬アレルギーは滅多にない珍しいものです。
しかし発症すれば、稀にですがアナフィラキシーショックを起こし、命を落とす場合もあります」
雅子さまが馬アレルギーだった――。その報道に、首をかしげた国民が少なからずいたようだ。
「雅子さまの動物好きはよく知られています。
ご一家は犬や猫を飼われ、雅子さまが犬の散歩をされるお姿はよく目にします。
また、動物との触れ合いによってストレスを軽減し、
健康の質を向上させる『アニマルセラピー』に興味を持たれ、ご自身の適応障害への対応として
ホースセラピーを受けられたと報じられたこともありました」(皇室ジャーナリスト)
過去には、御料牧場(栃木県)でオマーン国王から贈られた子馬に触れられる様子も報じられているので、
ネット上には“本当にアレルギーなのか”という声も散見された。
「両陛下は9月28日、『国民体育大会』へ出席されるため茨城県へ向かう途中、
御代がわり後初の『お召し列車』に乗られました。
その際、平成の時代とは異なり、両陛下が椅子に腰を下ろした状態で、
沿線の見送りの人へお手振りをされていました。平成の頃の印象が強いためか、
雅子さまのお姿を残念がる声があったと報じられました。
伊勢神宮での参拝で、皇后陛下がおひとりで儀装馬車に乗られるのは、即位に際しての『親謁の儀』だけ。
もちろん美智子さまも30年前に乗られました。
貴重な機会だけに、今回の発表もまた、惜しむ声が上がっています」(別の皇室記者)
にわかに“逆風”が吹き始めたように思えるが、雅子さまにとっては苦渋の決断だったに違いない。
過去、たしかに雅子さまは、たびたび馬と触れ合う機会を持たれてきたが、
その都度、大変なご苦労があったという。
「雅子さまは、ご結婚前から馬アレルギーをお持ちだったそうです。
それでも動物好きの雅子さまは馬に対しても愛情をお持ちで、
特に幼少期の愛子さまには馬と触れ合う時間を持たせたかったのでしょう。
馬に近づく前にはアレルギー薬をのまれ、マスクを二重にしてつけられるなど、
万全の対策を取られていたそうです。それも、国民に心配をかけないように行われてきました」(宮内庁関係者)
実際に、美智子さまは皇后時代、公務で頻繁に馬車に乗られていた。
しかし、雅子さまが馬車に乗られたのは、確認できる範囲では一度も見当たらない。
馬アレルギーを公にされることはなかったが、常に周囲に相談され、体調管理を徹底されてきたのだろう。
「ご家族で那須どうぶつ王国(栃木県)へ出かけられた際も、馬に近づかれることはあっても、
乗馬はされませんでした。また、にんじんのエサやり体験でも、
馬と距離を保たれ、愛子さまやお友達に自然と場所を譲られていた。
アレルギーを周囲に悟られ、心配をかけることがないよう、
お考えになって動かれていたと感じました」(前出・皇室ジャーナリスト)
伊勢神宮参拝で馬車が使われなければ、異例の事態に大きな騒ぎが予想される。その前に公表したのだろう。
「雅子さまは公務や儀式の際はいつも入念な下調べをされ、
結果として欠席となる場合でも直前まで準備をされます。
それだけ公務に対する責任感は並々ならぬものがあります。
伊勢神宮の親謁の儀にあたっても、行かないという選択はない。
しかし、長い距離を馬車に乗り、マスク姿で心配もかけたくない。
ならば、アレルギーを告白して波紋が広がろうとも、無理なくご自身で務められる手段として、
自動車を選ばれたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)

◆「時代に合わせて」美智子さまが変革
伝統にとらわれることなく、自らに適した最善策を選ばれる。
そうした柔軟な姿勢は、美智子さまから受け継いだスタイルだ。
宮中祭祀の伝統の1つを、美智子さまが変革されたことがあったという。
皇族方は、国家と国民の安寧を祈る「宮中祭祀」に日々取り組まれている。
その祭祀の前には体を清める「潔斎」が行われる。
特に女性皇族が臨むに当たっては、一切を身につけず、全身の清めなどすべてを女官に委ねるものとされてきた。
それが、闘病中の雅子さまにとって、祭祀に参加される「最大のハードル」ともいわれてきた。
しかし、美智子さまの発案もあり、「女官による潔斎」は廃止されたという。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが説明する。
「上皇后陛下のご結婚当時は、たしかに御湯殿での潔斎に女官が介添えしていました。
しかし、昭和後期、上皇后陛下は浩宮殿下に嫁がれる将来の皇太子妃、皇后が
これに耐えられるだろうかと不安を抱かれ、宮中祭祀に奉仕する内掌典の責任者に相談されました。
内掌典は“慎みをもって身を清めることが重要であって、介添えは重要ではない”と答えました。
昔は『おすべらかし』は地毛のため髪が長く、その髪を持つ介添え女官が必要だったそうですが、
現在は地毛ではないためその必要がなくなっていたのです。
以降、介添えはなくなりましたので、皇后陛下はご結婚当時からおひとりで潔斎されています。
上皇后陛下が“将来の妃”のために、改革されたといっていいでしょう」
美智子さまは2009年、ご結婚満50年に際して次のように語られた。
《伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。
私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、
伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています》
緩急剛柔なスタイルは、平成から令和に、しっかりと受け継がれている。
※女性セブン2019年10月24日号
https://www.news-postseven.com/archives/20191011_1467470.html