なぜ、怒りは“用意された祭壇”に捧げられるのか?──参政党という装置の“神聖なる演出”
怒りは、感情の中でも最も“操作しやすい”感情だ。
とくに「裏切られた」と感じるとき、
人は理性よりも、“新たな正義”を探し始める。
自民党への失望、岸田や石破への憤り、財務省への不信──
その先に用意されていたのが、「参政党」という受け皿だった。
神聖さの演出
参政党は、他の政党とは“異質”な匂いを放っていた。
党員は「同志」と呼ばれ、
講演会は“布教”のような熱を持ち、
SNSではショート動画によって情動が増幅された。
神谷宗幣というカリスマは、
“救済者”のように語りかける。
「この国を、もう一度立て直す。」
「あなたが主役になる時代だ。」
その言葉に、涙する人がいた。
だが、その神聖さは、演出だった可能性がある。
仕組まれた“布陣”
参政党の初期メンバーには、
元維新、自民、地方議員、元官僚、宗教関係者が名を連ねる。
しかも、創設当初から“統一教会”や“キリストの幕屋”など、
宗教色の強い団体との親和性が指摘されていた。
あの異様なほど統率されたSNS戦略、
ショート動画の連続投入、
そして、資金調達における“会員献金システム”。
これらは偶然ではない。
マーケティングと宗教心理学のハイブリッド構造だった。
ゴレンジャーの“崩壊”と沈黙
初期メンバーの「ゴレンジャー」は次々と離脱。
一部は神谷の“私物化”や“内部宗教性”に疑問を呈し、
公に語ることもなく、消えていった。
なぜ、語られないのか。
なぜ、批判の声が出てこないのか。
それは、言えば終わる構造が、最初から設計されていたからかもしれない。
問い:「怒りの着地点」は、誰が決めたのか?
あなたの怒りは、あまりに“正しい方向”に導かれすぎてはいないか?
“変革”や“希望”という言葉は、
支配者が最も好んで使う装置でもある。
問おう。
その怒りは、誰の計画の中で、燃やされたのか?
この世界の“当たり前”が、もし、どこかおかしいと感じたなら──「黙示録ノ回路」で、その違和感の正体を、静かに見つめなおしてみてほしい。


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