誰が、“新しい与党”を演出したのか?──参政党・国民民主・そして“支配者の脚本”
参政党の急成長。
国民民主の“都合の良すぎる立ち位置”。
これらは偶然ではなく、
**「次の政権交代に備えた、支配者の布石」**である可能性が高い。
自民党の“終わり”は予定されていた
日本の政権中枢を支えてきた自民党。
だがその支持率は下がり続け、
もはや政権与党としての正当性を、
国民からの信任で維持できなくなりつつある。
しかし、支配者層は慌てない。
なぜなら──
「代わりとなる野党」も、すでに確保済みだからだ。
国民民主──グローバリストの用意した“中庸”
国民民主の玉木代表は財務省出身。
彼の主張は、まるで「庶民の味方」を装っているが、
実際にはグローバル資本との調整を見事にこなす“交渉人”。
財務省、経団連、官僚ネットワーク──
すべてと繋がりながら、
表向きは「改革派」「野党」として登場する。
これほど、都合の良いキャスティングが他にあるだろうか?
“新しい与党”の役割
国民民主は“建設的野党”を名乗り、
参政党は“草の根の声”を集め、
維新は“改革”を演出し、
そして、自民党は“責任政党”として
最後まで法案処理を担う──
この脚本には、「敵」がいない。
すべてが“グラデーション”で繋がっている。
参政党は“怒りの移譲”装置
自民党ではもう収まらない怒りを、
「正義」の仮面をつけた参政党に委ね、
怒りのガス抜きをしながら、次の連立候補として台頭させる。
NHKのニュースで好意的に取り上げられた時点で、
その“裏の手”は露骨だった。
「抵抗勢力の皮をかぶった、次なる“与党の器”」
問い:「野党」とは、本当に“敵”なのか?
敵に見える者が、敵とは限らない。
むしろ、敵を装う者こそが、
もっとも“統治に適した存在”だった──という可能性はないか?
問おう。
与党と野党の役割は、誰が配役したのか?
この世界の“当たり前”が、もし、どこかおかしいと感じたなら──「黙示録ノ回路」で、その違和感の正体を、静かに見つめなおしてみてほしい。



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