「神谷宗幣」は、“使われた”のか、“染まった”のか?──参政党の起源と“思想買収”の構造
参政党のはじまりは、美しかったかもしれない。
教育・農業・憲法・命──
「日本の原点を取り戻そう」と語る神谷宗幣の声は、
多くの人々の“希望”に共振していた。
だが、急速すぎた。
参政党はあまりにも早く、大きな議席を得てしまった。
そして、“本当の正念場”は、その後に訪れる。
組織化・資金・演出──急拡大の代償
街頭演説、SNSショート動画、クラウドファンディング、
神谷のCGIチャンネル(YouTube)を起点に、
参政党は爆発的に拡大した。
実際、奈良の講演会に足を運んだ時、
地方講演とは思えない人数が集まり、小口献金が促された。
この時点では「民意のうねり」に見えた。
※ここから先は「“食べる”が誰かの支配手段になる構造」を暴きます。
しかし、急成長には、必ず“供物”が必要だ。
人か、理念か、組織か──
何かが、どこかで差し出された。
“保守”と“宗教”の結びつき
参政党には、古事記や神道を重視する保守的価値観が根付いていた。
だが、そこに入り込む“別の宗教性”があった。
統一教会、キリストの幕屋、メシアニック・ジュー。
いずれもキリスト教由来の新興宗教であり、
「保守」ではなく、「新世界秩序」に親和性の高い布教手法を持つ。
神谷自身が直接関係している証拠はない。
だが、あまりにも“都合の良い思想融合”が進みすぎている。
日本古来とキリストの再臨が、なぜ同じ地平で語られているのか?
*Podcastでも配信しています。よろしければ是非、聞いてみてください。
それは“思想の買収”ではなかったか?
おそらく、当初の神谷には純粋な理念があった。
しかし、政治は理想だけでは続かない。
資金、戦略、勝ち方──
そのすべてが、“支配者のオファー”に魅力を感じさせる。
理念を守るために、理念を売る。
この構造は、あらゆる政党における“最終局面”だ。
神谷は、「使われた」のか、「染まった」のか?
どちらであっても、
その時点で、参政党は“純粋な民意の器”ではなくなった。
問い:その理念は、誰の手に渡ったのか?
理想は、人を動かす。
だが、理想を他者に“演出”される時、
その運動は、支配のツールに変わっていく。
理念は買える。思想は演出できる。
私たちは、どの段階で“すり替わったのか”を見極めねばならない。
この世界の“当たり前”が、もし、どこかおかしいと感じたなら──「黙示録ノ回路」で、その違和感の正体を、静かに見つめなおしてみてほしい。



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