欲という名の“善人”──誰が得をし、誰が滅びるのか?
あなたは「欲求」と聞いて、どんな絵を想像するだろうか?
金を欲しがる人。
セックスを欲しがる人。
酒や博打をほしがる人。
しかし、欲の本質はもっと深い。
それは、自己の不足感から来る「他者利用」の行為だ。
「神求め」とするその行為でさえ、一見敬虔のように見えて、背後には「利益義」が隠れている。
欲はつまり、「自我」の利益のための行動だ。
そして、その自我は弱さゆえの要求に満ちており、しばしば善意や善意の表情を装って現れる。
「神への祈り」と「献身」の名を借りながら、自分の得したいことのために動く宗教家。
「あなたのためね」と言いながら、未回収の夢を子どもに押し付ける親。
がむしゃらに働く、またはまったく働かない、どちらでも「心」を無視した生き方。
愛を商売や駆け引きの道具にする男女。
これらはすべて、自我の形をしている。
見栄、執着、承認欲求、競争心、見返りを期待する謙虚さ……
それらはすべて「自我」という名の仮面を装着している。
しかし、この自我に執着して生きるなら、あなたは本当の自分を失い、誰かの動作令や快楽を補充するためだけの
「欲しがる空白なシナリオ」のようなものだ。
本当の救いは、この自我を認識することで始まる。
そしてその側に、真に温もりある、この世のどこにも存在しない「真の依り所」が現れ始める。



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