理想という病。教祖・信者・宗教二世。
腐臭がする畜群たちは理想主義者である。理想から著しく遠いように見えても、人間は、他人に理想を託しながら生きている。卑近な事例で言えば、自分は遊んでいても、子どもには勉強しろとか、そういう構造がある。それを露骨にしたのが宗教二世である。信者(親)は教祖に理想を求め、そして、宗教二世(子ども)にも理想を求める。御本人はただの暇人である。教祖とか子どもに理想を求めるよりは、自分が頑張ればどうかと思うが、端から見て暇人でも御本人の主観では推し活を全力で頑張っているのかもしれないし、これも病である。ともかく、宗教二世問題はかなり極端だとしても、人類の多くは、他人に理想を求める病気である。どうすれば解決できる、という話ではなく、病気だから病気なのである。「他人に理想を求めるのではなく、少しは自分で頑張れ」と言うことはできるし、そうした方が良いが、本質的に理想をこじらせる病を拭い去ることはできない。そもそも理想的な人物が本当に実在するのか判然としないし、偉人の伝記は大げさになりがちである。聖徳太子は実在しているが、そのエピソードの大半は作り話と思われる。さすがに聖徳太子は度が過ぎるとしても、理想化された偉人は多かれ少なかれ、そういうところがある。虚無から逃げる行為としてこの病気があるなら、せめて、自分の無力さと向き合うとか、治らないことの自覚、無知の知という姿勢は欲しいものである。