CTO / 川中 真耶
プロダクトも組織も、未だ世界にないものを創るために。
プロダクトも組織も、未だ世界にないものを創るために。
撮影場所:WeWork 日比谷FORT TOWER
CTO 川中 真耶
ex-Google
2006年、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻修士課程修了。日本IBM東京基礎研究所入社。2011年、グーグル合同会社入社。Chrome browserの開発に関わった。2020年、当社を共同創業し、CTOを務める。ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト世界大会出場。「王様達のヴァイキング」(週刊ビッグコミックスピリッツ)技術監修。
高校時代に感じた「ナレッジ」の大切さ
愛媛県、宇和島。漁師の家で育ち、放課後は家の前の海で釣りばっかりしている少年でした。宿題だけはきちんとやっていましたが、学校の勉強以外の勉強をすることはほぼありませんでした。高校は、宿題の量が一気に増えて、毎日3〜4時間ぐらい机に向かわないと終わらないほどでした。毎日毎日わからないことに対峙するのはしんどいな、と思った自分は、ちょっと気合いを入れて、高校一年の2学期にまず高校一年の数学を全部知っている状態にしようと思いました。毎日初めての宿題だとしんどいけれど、先に知っていたら楽になるはず。それが自分には合っていたようで、それからは毎日の宿題が楽にできるようになっていきました。
3学期の時にたまたま、学校で教科書のサンプルを廃棄するための手伝いをする機会があり、2年生と3年生の教科書を何冊かもらいました。その教科書で2年と3年の勉強も進めて、2年生の1学期には、高校時代の数学に関しては、基本的なことができるという状況をつくることができました。数学に余裕ができると、他の教科に回す時間ができ、これは効率がいいぞ、と感じました。
受験も、たまたま本屋で合格体験記を何冊か読んで、自分の知らない勉強方法や良いと言われている参考書を知ることができました。インターネットも普及していない時代でしたので、効率の良いやり方は田舎の学校にはまだ届いていなかったのです。参考になったやり方を真似してみると、途端に成果が上がる。当時「ナレッジ」という概念は自分の中にありませんでしたが、今思うとあの時の「先人から学ぶ」「知恵が巡る」という経験が、今のナレッジワークの事業に繋がる自分の原体験なのだと思います。
エンジニアとして働く中で感じた「イネーブルメント」の重要性
高校にプログラミングを趣味にしている同級生がいて、その影響もあってC言語を少しだけやってみました。せっかくなので英単語を覚えるためのプログラムを作ろうと思ったのですが、デバッグをしているうちに覚えようとしていた英単語を全て覚えてしまって、結局役に立つものは作れませんでした(笑)。そんな経験もあって、コンピューターやプログラミングに興味を持っていたので、大学では情報科学科を選択しました。ラッキーだったのは、すごく優秀な学生が当時の情報科学科に集まっていたこと。あの頃にコンピュターやプログラミングを選んだ人たちというのは、どこか特殊で尖っていたのかもしれません。大学を超えたコミュニティがあって、合宿をして仲間をつくって、切磋琢磨して。結果、国際大学対抗プログラミングコンテスト(ICPC)の世界大会にも出場することができました。
新卒でIBMに就職して、修士の時から携わっていたXMLについての研究を約4年行いました。大学に入学して以来ずっと研究所にいたので、事業会社での仕事も経験したいと思って、大手ソフト開発の会社にも転職しました。そこで目にしたのは、大学時代やIBMと違って、プログラミング未経験の人たちが、会社に入って学びながら何とかしてプログラムを書いている、ということでした。自分は1年で転職してしまうのですが、日本の大手企業でもエンジニアの育成はまだまだ発展途上であるということ、逆に言えば伸びしろがあるということを感じた経験でした。
その後Googleに転職して、Chromeの開発を行いました。Googleには8年間在籍しました。開発環境はすごく整っていて、とても居心地のいい環境でした。ただ、自分の中で、果たしてここで評価されていくことを、心から嬉しいと感じているのだろうか、というモヤモヤした気持ちが湧いてきたのは事実です。Googleがつくっているものは本当に社会に大きなインパクトを与えていると思います。ただ、自分がそれを生み出したかというと、そうではない。1から10に、10から100にすることの一部には貢献したかもしれないけれど、0から1を生み出したわけではない。自分は何かを0から生み出した人を評価するようなところがあったため、自分自身の現状は評価できるものではなかったのです。モヤモヤした気持ちを晴らすには、この居心地のいい場所から離れて挑戦するしかない、と思うようになりました。
自分のテーマとして選んだのが、「イネーブルメント」でした。高校時代に自分自身が経験した「できないことができるようになる喜び」の尊さ。誰もが一度は経験したあの喜びを、「仕事」という領域では感じる機会が少ないのではないだろうか。「できる喜び」を仕事の中でもっと生み出したい。仕事を苦行ではなく、学ぶ喜びに変えていきたい。
どんな世界を、どんなチームで、どんなスタイルで実現するのか。
その後、自分が考える「イネーブルメント」に近いことをやろうとしている会社を紹介してもらったのですが、自分が実現したい世界観とのギャップを感じ、自分自身で会社をつくることにしました。ちょうどそのタイミングで、ベンチャーキャピタルの方から「おもしろい人がいるよ」と紹介されたのが、麻野さんでした。
麻野さんと話をして驚いたのは、「イネーブルメント」によって実現した世界のイメージが、同じだったということ。「労働は苦役なり、という考え方を変えたい」という麻野さんの言葉が、自分の心と共鳴するような感覚でした。お互いの専門分野がビジネス側と開発側と違うことで、相互補完できる。そして何より、話していく中で「在りたい姿」が重なっていることを感じました。まがい物ではなく、本物をつくりたい。嘘や卑怯さを一切排除して、同じ思いで仕事に向き合えるチームを創りたい。いろんな会社を見てきた中で、事業戦略も組織戦略も、経営者のエゴが働くと働く人の心を押しつぶし、会社は瓦解していく。麻野さんの中にはきっともっと純粋な想いがあったと思うのですが、自分の中には正直を貫く方が合理的だ、という考えもありました。正直を貫く、それが結果的には一番得るものが多くなるはずだ、と。
開発をしていて、すごく面白かったのは、初期の段階から素晴らしいクライアントと出会えたことです。麻野さんが築いてきた関係性やセールス力によって、プロダクトの姿かたちもない時から、「導入します!」と言ってくれているクライアントがたくさんいました。実現したい世界に共感してくれているクライアントに対して、開発段階のプロダクトを試してもらい、あたたかくて実効性の高いフィードバックをもらえる。その試行を短期間で繰り返せたことで、プロダクトを磨いていくことができました。
誠実で正直であることを貫き通した先に、目指すプロダクトと組織がある。
エンジニアとしての楽しさとは別に、経営者としての喜びを感じたのは、正式リリース前の出来事です。13社15テナントに対してトライアルとして利用して頂いていたのですが、有償提供へと切り替えるタイミングが来たのです。そこで1社も解約がでなかったことが、自分にとって最も印象的な出来事です。ビジネス部門、開発部門、コーポレート部門、どの人が欠けても実現できなかった。全員で乗り越え、全員で喜びを分かち合えた。会社を創ってよかったと心から思えた瞬間でした。
改めて、自分はナレッジワークの仲間たちと一緒に、未だ世界に無い2つのものを創ろうとしているのだと思います。1つは、プロダクト。イネーブルメントによって仕事を変革していくプロダクトを創ること。今は「セールス」という領域で挑戦をしていますが、「エンジニア」や「コーポレート」など、様々な領域に展開していきたいと思います。特に「エンジニア」の領域は、今最もその人口が増えている職種のうちの一つです。初級者が増えていく中で、中級者が上級者になる壁を越えられないという課題があります。この壁をイネーブルメントの力で突破することができれば、勤勉な日本人のエンジニアリング力は、急成長を遂げるポテンシャルを持っています。
もう1つは、組織。ナレッジワークのミッションである「できる喜びが巡る日々を届ける」、スタイルである「Act for people」「Be true」「Craftsmanship」。このミッションとスタイルを体現し続ける組織を創ること。規模が拡大して、社員が増えれば、そんな組織を維持し続けることは不可能だと、誰もが思うと思います。でも、私だけでなく、ナレッジワークにいる社員みんなが、手応えを感じているはずです。愚直に、大切に、ミッションとスタイルを体現してきたから。麻野さんや自分が創ってきたのではなく、ひとりひとりが創ってきたから。経営については、自分もまだ2年半しか経験していないので、大きなことを言える立場ではありません。ただ、麻野さんとともに経営者として、顧客や仲間に誠実に正直であることを貫き通すこと。それだけは必ず、やり遂げたいと思っています。
撮影場所:WeWork 日比谷FORT TOWER
インタビュー・記事制作:林慎一(株式会社まなざす)
写真:石橋雅人(Studio Function)
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