裁判ごっこの黒幕──法知識をひけらかす配信者が今やっていること
裁判というのは本来、最後の切り札であり、人生を賭けるシリアスな場です。ところがSNS界隈には、それをまるで口癖のように振りかざし、「訴える!」「開示だ!」と連呼しては周囲を白けさせる人物がいます。
しかも彼自身が被害者というわけではありません。むしろ当事者でもないのに便乗して、「これは手伝うよ!」「勝てるよ!裁判だ!」と持ちかけ、火種をさらに大きくしていく。法律知識を盾に、まるで黒幕のように振る舞うのです。
しかもこの人物、毎年予備試験を受験するほど法律資格の取得を目指しているというのだから驚きです。法を志す姿勢と、SNSでの言動の落差は、ある種のコントにすら見えてしまいます。
今回の主役は、法学の知識を背景に相手やリスナーに説教を垂れ、かつては敵だったK山を「K山姉さん」と呼び、必要以上に擁護するようになった男性配信者。女性同士の口論にまでしゃしゃり出て、火に油を注ぐその姿は、もはや法廷ドラマの悪役にしか見えません。
しかしこれはフィクションではなく現実。「裁判ごっこ」を楽しむ黒幕が、SNSをどれだけ息苦しい場所に変えているかを考えれば、笑ってばかりもいられません。
本稿では、その言動の軌跡をたどりながら、「法律知識は本当に正義の武器なのか?」という問いを突きつけていきます。
第1章 アンチとしての活動と情報収集
「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」
🐻は当初、Oサイドに立ち、Oを批判する人々と対抗して戦っていました。Oアンチとして名前が挙げられていたのはB、R、M、S、K、C、Z、Pらであり、さらにOの裁判相手にはOh、T、Ka、Ko、N、Kuといった人物がいました。
この頃、Oは🐻に相談を持ちかけ、🐻はOアンチ相手の裁判を手伝うようになりました。契約書作成や法務に携わった経験、そして法学の知識を背景に、裁判書面の作成などをサポートしたことで、🐻は界隈で「法律に詳しい人物」として存在感を強めていったのです。
一方で🐻は、ある時期にはR・M・Sらと組み、K山に対するバッシングを強めていました。その頃には「12名の調査団をつくってK山についてのレポートを毎日提出させている」と語り、個人情報や実家の家族情報、職歴、過去の裁判記録などを収集・共有していたのです。さらに、K山の配信中の音声や外部の生活音を手がかりに、住まい情報や居住地域を特定したと匂わせる発言まで行っていました。
問題は、こうして知り得た情報の多くが未確定の断片にすぎなかったことです。調べるだけならまだしも、それを鵜呑みにし、あたかも事実であるかのように配信で拡散し、脅しの材料に用いたことが最大の問題でした。「全部捲ってやったからな!」といった言葉は、その姿勢を象徴しています。これは「真実を尊重し、誠実かつ公正に」という条文の理念とは正反対の姿勢です。
こうした発言を受け、K山が「🐻を訴訟対象として検討する」と宣言したのも無理はありません。むしろ、K山の感情を考えれば自然な流れでしょう。被害を受け続けた本人から見れば、法的措置を視野に入れるのは当然の判断だったのです。
第2章 謝罪と寝返り
「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。」
🐻はその後、謝罪や反省を示す配信を行い、「これまでK山やそのリスナーに対して酷いことをしてきた。本当に反省している」と発言しました。
この言葉自体は、過去の攻撃を振り返り、誤りを認める姿勢として受け止められました。表面的なものにすぎないと感じた人もいたかもしれませんが、少なくともその時点で「誤りを認めて謝る」という行動に出たことは、一歩前進だったと評価する声もありました。倫理的に見ても、反省の姿勢を示した点は肯定的に捉えられるでしょう。
また🐻は、K山から「私、🐻さんに何かしましたか?」と問われてハッとした、と語っています。自分は彼女から直接の被害を受けていないにもかかわらず、人づてに聞いた情報だけで「悪人だ」と決めつけ、彼女を攻撃していた──その事実に気づかされたことで、強い反省の念を抱いたのです。
さらに、この謝罪の背景には、K山が自ら作成した裁判記録を読んだ経験も影響していたと見られます。実際、🐻は自分の配信で「彼女の書面を見ましたが、僕以上に書ける人です」と語っており、K山を単なる攻撃対象ではなく、自分を凌ぐ力を持つ人物として意識せざるを得なかったのではないか──そう推測されます。
一方で、この謝罪は今まで情報共有をしていたRやBらK山アンチの人々からは、強い反発を招きました。仲間と歩調を合わせるのではなく、一人だけK山に謝罪して“寝返った”形になったためです。
その後、かつて「12名の調査団」として共に情報共有やレポート提出を行っていた協力者たちを、🐻が逆に敵視するようになったと受け止められました。謝罪と反省は本来評価されるべき行為でしたが、態度の変化があまりに急激だったため、周囲からは「裏切り」と映り、関係の破綻や新たな対立を生むことになったのです。
🐻にとっては「反省からの転向」だったのかもしれませんが、仲間からすれば「突然の寝返り」。そして残念ながら、その後の言動を見る限りでは、謝罪が真の成長につながったとは言い難いのです。このギャップこそが、以後の炎上の大きな火種になったと考えられます。
第3章 攻撃の継続
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
謝罪と反省の姿勢を見せた🐻でしたが、その後の行動は大きく変わりませんでした。謝罪によって過去の行為が帳消しになるわけでもなく、むしろ標的を入れ替えて攻撃を続けたのです。
ここで重要なのは、🐻が攻撃している相手の多くが「彼自身に何かをした人」ではないという点です。現在彼が矛先を向けているのは、直接的な加害者ではなく、K山に批判的な人々や、かつて共に行動していた元仲間です。つまり「自分に被害を与えたから」ではなく、「K山の敵だから」という理由で攻撃しているに過ぎません。
K山を敵視する人々──Ke、Aki、Hi、Na、P、Ad、R、SそしてMらに対して、🐻は次々と反論を超える口喧嘩に近い言葉を投げつけました。特にKeに対する開示恫喝は過激で、「やりすぎではないか」との声が周囲から上がるほどでした。そして、それを指摘したTに対しても敵意を露わにし、ブロックで遮断。「K山のためにやっているのに邪魔するな」という態度を示しました。
また過去には、SやMに対しても「絶対訴えてやるからな、もうすでに訴訟準備をしている」とまで宣言しましたが、いまだ動く気配はないところを見ると、訴訟恫喝だったのではないかと思わざるを得ません。
問題なのは、表現の自由を行使して批判を述べる権利を持つ相手に対し、訴訟を仄めかすことで萎縮を招いている点です。憲法21条が保障する「表現の自由」とは、支持的な意見だけでなく、批判的な意見をも含めて守られるべきものです。しかし🐻の態度は、反対者を「消し去る対象」として扱い、法的措置をちらつかせることで言論を封じ込める方向に働いていました。
謝罪と反省が評価されるべき一面を持っていたにもかかわらず、その後の姿勢は結局「攻撃の持続」に帰結しました。これは倫理的な改善とは言えず、むしろ立場を変えただけで攻撃性を温存した行動だったと言えるでしょう。
第4章 裏方としての「訴訟支援」
「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。」
🐻は、自らが訴訟当事者となることはほとんどありません。その代わりに、K山に行動させるための開示請求のノウハウや訴状作成を、裏でサポートしているように見えました。このスタイルは、以前Oの裁判を手助けしていた時期から続いているものとされています。
この「訴訟支援」は、一見すると助け舟のようにも映ります。しかし実際には、ターゲットと定めた相手を法の場で叩き潰すこと自体が目的になっているように感じられる場面もありました。裁判に勝てば「自分のおかげ」と誇示でき、負けても当事者ではないため痛みを負わずに済む。まるで訴訟に関わること自体が趣味のように映ったのです。
さらに問題なのは、🐻が裁判を手伝うことで、当事者でもないのにいち早く内情を知りえ、それを当事者よりも先に配信で匂わせるような行動です。本来なら守秘や配慮が求められるはずの事柄を、優越感やマウントの材料として利用しているように受け止められました。
かつて🐻は「裁判はすすめない主義、話し合いで解決を」と語っていたにもかかわらず、実は裏で訴訟を支えながら、表では得意げに語っているように見える。この言葉と行動の矛盾は、彼に対する信頼を大きく揺るがす要因となっていました。
そして何よりも、弁護士職務基本規程第1条が掲げる「基本的人権の擁護と社会正義の実現」という使命に照らすと、こうした態度は大きな疑問を呼びます。🐻は弁護士ではありませんが、それを目指す者として、この理念をどこまで自覚しているのか──そこには首をかしげざるを得ない部分があったのです。
こうした「匂わせ」や矛盾した語り口は、結果的にSNS上での炎上を煽る一因となっているように映りました。
第5章 炎上を煽る存在
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
また、国民は、これを濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
最近の🐻は、K山と頻繁にコラボ配信を行い、Akiに対して「対抗言論」と称するやり取りを仕掛けているように見えました。しかしその実態は、冷静な議論というよりも、当事者ではない🐻が必要以上に介入し、場をかき乱す行為に映ったのです。
もともとK山とAkiのやりとりは、直接のコラボではなく、それぞれの配信で互いを批判するという形で続いてきました。その意味では、これは当事者同士による「対抗言論」として捉えられる余地がありました。
しかし、そこに外野である🐻が加わると事情は変わります。🐻の参加は、本人同士の応酬を横からかき回す形になり、「対抗言論」を成立させるどころか邪魔をしている、あるいは炎上を拡大させているように映ったのです。
一方、TTTやAdといったK山アンチの配信者も、自分の枠でK山批判を繰り返すにとどまり、当事者の場に直接入り込むことはほとんどありません。AdがAkiの配信に現れることはあっても、相槌程度にとどまることが多く、積極的に論戦に加わることはありませんでした。
確かにAdは、自身の配信で誹謗中傷を繰り返してきたという問題を抱えています。しかし、誹謗中傷はないにせよ、🐻のやっていることはそのAd以上です。本人同士の対抗言論に外野として入り込み、「訴えるべきだ」「法的に問題だ」といった言葉で場を煽り続けている点では、単なる悪口以上に状況を悪化させる効果を持っていました。
さらに🐻は、自分の配信を開いてはK山を「K山姉さん」と呼び、K山の配信にコラボで上がりK山に便乗する形でAkiやHを執拗に批判。その後にK山を自身の枠へ招き、同じ話題を蒸し返す──最近はこの繰り返しが頻繁にあり、それが争いを拡大させ、炎上を長引かせているように見えました。
しかも、この過剰な擁護が結果的にK山へのアンチの憎悪をさらに燃え上がらせているのは明らかです。守っているつもりが、実際には火種を増やしている。🐻自身がそれに気づいていないのか、それとも炎上を持続させることで自分のフィールドを確保しているのか──その点は大きな疑問として残ります。
結局のところ、本人同士の応酬であれば「対抗言論」として成立し得るものが、外野である🐻の介入によって、ただの炎上劇へと変質してしまったのです。
もちろん、🐻自身の「表現の自由」も担保されるべきです。しかし、憲法12条が示すとおり、自由は乱用すれば混乱を招きます。🐻の言動は、K山を守るつもりでありながら、むしろアンチの憎悪を増幅させ、炎上を長引かせる結果を招いていました。
結局のところ、自由をどのように行使するかが問われています。知識や言論を建設的に使うのではなく、火種を拡大させるために使えば、それは「公共の福祉」にも反し、周囲にとって害悪でしかありません。──このことを、私たちは改めて心に刻むべきでしょう。
第6章 常套句としての恫喝
「弁護士は、名誉を重んじ、信用を維持するとともに、廉潔を保持し、常に品位を高めるように努める。」
🐻の常套句には、「訴える」「開示する」といった言葉があります。問題なのは、それを口にしているのが当事者本人ではなく、あくまで外野としての立場だという点です。彼自身が直接の被害を受けているわけではないにもかかわらず、「これは手伝うよ!」「勝てるよ!裁判だ!」と持ちかけ、訴訟をそそのかすような場面が繰り返されてきました。
本来であれば、こうした法的知識や学びはSNSの争いごとに利用されるべきではありません。過去にOの裁判を手助けした際に、🐻が開示請求や訴訟のノウハウを持っていることはすでに明らかになっています。そのため、彼を相手に意見を述べること自体に恐怖を覚え、発言を控える人も少なくありません。彼の存在によって委縮している人が一定数いるのです。
さらに問題なのは、反対意見を述べただけの相手に対して放たれる言葉です。
「不愉快だ」「消えろ」「ブロックするからな」──これらは一配信者としての感情的な拒絶に過ぎないものの、「訴える」「開示する」といった常套句と組み合わさることで、強い威圧感を与えてしまいます。
言葉の自由は憲法21条によって保障されています。批判や反対意見を述べる権利もまた、その一部です。しかし、当事者でもない人物が「裁判だ!」と便乗し、周囲を脅すような言動は、その自由を萎縮させる効果を持ちかねません。
🐻は弁護士ではありませんが、法律家を志す者としての態度を考えれば、こうした振る舞いは求められる品位から程遠く見えました。
第7章 読者への教訓
ここまで見てきたように、🐻の行動には「立場を変えながらも攻撃性を持続させる」「訴訟や開示を常套句にする」「当事者でもないのに必要以上に介入する」といった特徴がありました。その言動は一時的に味方にとって心強く映ることもありますが、同時に人を遠ざけ、言論空間を委縮させる原因にもなっています。
もちろん、🐻自身の「表現の自由」も尊重されるべきです。しかし、その自由の行使が争いを拡大させ、火種を長引かせているとすれば、やはり使い方が問われるべきでしょう。自由には責任が伴うという当たり前の原則が、ここで改めて浮き彫りになります。
この事例から学べる教訓は少なくありません。
法的知識は武器ではなく秩序を守るために使うべき
知識そのものは価値あるものですが、他者を脅したりマウントを取るために使ってはならない。当事者同士の言い争いに外野が過剰に介入すべきではない
価値観の違いから生じる対立は本人たちの問題であり、外野が煽るほど炎上は長引いてしまう。表現の自由は守られるべきもの
憲法が保障する自由は、意見が違う相手にも等しく与えられている。ただし、その自由を乱用して萎縮や分断を生むようでは本末転倒である。
さらに、以前の記事(法テラスは“無料の武器”?名誉裁判ビジネスの裏側)でも触れたように、「勝てば収入、負けても痛みなし」という形で司法をエンタメ化する人々も存在します。🐻の振る舞いは、その縮図のように映る部分がありました。
結局のところ大切なのは、「知識と自由をどう使うか」という姿勢です。法律の知識は人を守るためにこそ活かされるべきであり、萎縮や分断を生むために使われてはなりません。
そして何より、「過ちを繰り返さない」という理念を忘れてはなりません。過去に誤った振る舞いを反省するだけでは不十分であり、その後の行動で同じ過ちを繰り返さないこと──それこそが法を学ぶ者、そして社会に生きる者に求められる最低限の姿勢です。
──こうした人物に近寄らないことこそ、SNSを安心して利用するための第一歩だと言えるでしょう。
そして驚くべきことに、そんな人が、毎年予備試験を受験している受験生なのです。
📌 追記:寄せられた声
この記事を公開する前後に、複数の読者から次のような声が届いていました。
一部はDMで、また一部は公開コメントとして。ここにその要約と実際の声を残しておきます。
💬 公開コメントで寄せられた声
📩 DMで寄せられた声
表でコメントすると🐻の怒りを買うのが怖い──だからこそ、裏でこのような声が寄せられました。
📌 補足
こうした声は私ひとりの見方ではなく、界隈の中で共有されている違和感の一部です。
「裁判ごっこ」がもたらす萎縮や不安をどう受け止めるか──この記事がその問いを考えるきっかけになれば幸いです。
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コメント
2残念ながら、弁護士職務基本規程を遵守している弁護士はいかに少ないです。
a rareさん、コメントありがとうございます。
確かに司法制度改革以降、弁護士数が増えたことで「質の低下」と言われる場面も目立つようになったように思います。だからこそ、「現実には守れていないから仕方ない」と流すのではなく、規程や理念をあらためて理想として問い直す姿勢が必要だと思っています。