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ニコニコ動画でちょっと前に投稿された、オウム真理教の解説動画がかなり面白かった。公安、日本政府に全力で喧嘩を売る内容だが、オウムの行き当たりばったりで突っ込みどころ満載の犯罪行動や、それに振り回される各地方自治体や警察たち。基本的に面白おかしく茶化す内容ですが、最初はみんな笑いながら徐々に統合失調の如く犯罪大規模テロに突き進んでいく、狂乱の1990年代が伝わってくる内容でした。











たった25年前の出来事で、まだまだ過去の物とは思えない凄惨な事件と人々の意識の底にありますが、歴史を紐解いてみると、オウムに匹敵するそれ以上のカルト宗教って非常に多いことが分かります。



まぁ宗教は人生に対する処方箋。人を救う薬にもなれば人を殺す毒にもなります。それが個人レベルか家族やコミュニティレベルで影響に与えるだけかの差です。とはいえ、個人やや家族にとってはそれまでの人生を大きく揺るがす凄惨な事件が起き続けているのも事実。今回は管理人が独断と偏見で選んだオウム真理教以上にヤバーい宗教事件かつ人民寺院やヘヴンズゲート、ライフスペースのようなメジャーでないものに関して解説していきます。

1死のう団

 

 

まず最初に紹介するのが、第二次世界大戦に突き進む日本で起きたカルト宗教「死のう団」です。死のう団の正式名称は「日蓮会殉教衆青年党」といい、仏教の中でも特に他宗派への過激な攻撃活動で有名な日蓮宗のそのまた、他宗派批判色を強めた分派「日蓮会」の一グループにあたります。その教義は既存宗教の退廃を嘆き、日蓮宗の教義の一切を否定し、日蓮上人に直接教えを乞うことを目的として日蓮の遺文そのものを研究しようというのが目的になります。

 

 

江川桜堂によって1927年に創立され、最盛期は500人の信者を擁するにまで至りました。まぁ過激な宗派のそのまた過激な信者たちが集まったものですから、その思想も急速的に煮詰まっていったものとなり、19331月には、日蓮会の若者たちが先鋭的な考えをまとめ、法華経の神髄である不惜身命の思想を広めようと全国各地に説法してまわる度を計画します。

 

 

が、その説法が問題で

 

 

 

宣言

我が祖国の為めに、死なう!!!

我が主義の為めに、死なう!!!

我が宗教の為めに、死なう!!!

我が盟主の為めに、死なう!!!

我が同志の為めに、死なう!!!     日蓮会青年部 (原文ママ)

 

 

(引用:Wikipediaより)

 

と見るからにアレなもの。流石に日本中で自殺を殉教の思想を広められてはかなわないと

特高(特別高等警察)に目をつけられ連行されることになります。当時は五・一五事件、血盟団事件等、過激な右翼思想によるテロ事件が相次いでおり特高の迫害もそれだけ高圧的なものになります。一方で、捕縛された信者も取り調べに応えるどころか特高を説伏させようと説法をし始めるなど対抗し、業を煮やした特高は凄惨な暴行、女性信者に対しては強姦まで行うなど激しい拷問を加えたのです。

 

 

 

結局、「死のう団」は宗教組織ではなく暴徒の集まりだと特高の誤認として全員が釈放されたものの、団員は数十人程度にまで減少しており、常時的に組織に帰属するのは十数人にまで減らしていました。メディアの報道でも血盟団のようなテロ組織と関連付け、またリーダーの江川は多くの女性信者と関係したうえ、金銭を搾取しているなど個人攻撃に及ぶものまで社会的には全く認められていなかったことが分かります。しかし、10人ちょっとで彼らが逆転の一手を打つことも能わないことも事実。江川や残っていた団員は「死のう」の理念を実行すべく、本当に自決を試みたのです(もっとも江川本人は自分たちが自決してしまうと残った者は自殺幇助に問われ組織が崩壊する。今はその時期でなくパフォーマンスに留めるべきと考えたようですが・・・)。

 

 

1937年、217日。皇居に現れた一人の男が「死のう」とビラを大量にばらまき、短刀で割腹を試みます。それと同時多発的に都内5か所で死のう団の残党は次々と割腹。もっとも江川の指示で刀には細工がされており、致命傷には至らなかったものの、この同時多発自殺未遂事件は再び衝撃で不気味な事件として新聞各社の報道のなされるところとなったのです。

 





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戦争に突き進む不安定な政治情勢の中、大本教、創価学会等、少なくない新宗教が弾圧が続きました。江川は死のう団の自殺未遂事件の後、翌年に結核で死去。これに前後する形で残された団員が「殉死」(中には今度こそ本当に割腹自殺を遂げた人物もいる)し死のう団はついに痕跡も残らず大日本帝国の亡霊と共に消え去ります。思想を突き詰めた挙句に自己完結し自害という形で終わったため、他人へ危害を加えることはありませんでしたが、軍国主義の下、不安な時代がこのような教団を生み出したのでしょう。

 




 

 

 

2白白教

 

 

 

さて、日本でカルト宗教が死のう死のうと行進をしていた時、朝鮮半島ではより凶悪なカルト宗教が幅をきかせていました。

 

 

奇しくも同時割腹自殺事件が起きた217日、京畿道に設けられた官憲は京城(現在のソウル)にあるカルト宗教のアジトを襲撃しその幹部80名を検挙します。同月26日にさらに多数の幹部を逮捕しますが、そこで明らかになったのは朝鮮史、いや世界史に残るほどの大量虐殺事件が明るみになったのです。

 

 

 

そのカルト宗教は「白白教」と呼び、1902年に全庭云が開いた白道教を源流とします。日本に併合され自治権を失った朝鮮の人々は独立を目指して様々な抗日運動を展開してきたことはここで言うまでもない話ですが、思想面でも強力なバックアップがありました。

 

 

幕末~明治維新に至りて日本でも尊王攘夷派・開国派・公武合体派の対立があったのと同様、朝鮮でも衛正斥邪(ちょうど日本の尊王攘夷派にあたる)や開化思想が存在しましたが、それとは別に民間思想の中で西洋からやってきたキリスト教思想に対抗するため、これまで朝鮮で支持されてきた儒教や仏教、そして民間思想を織り交ぜた「東学」が誕生します。白道教はこの東学をさらに発展させた類派にあたり、20世紀前半の東アジアでありがちな「経文を唱えれば、たちどころに病気が治る」ことを触れ込みで最盛期は1万人の信者を獲得しました。全庭云の死後、次男・全龍海が二代目教祖に就任するのですがこの全龍海が朝鮮史上でも最悪レベルの人間だったのです。

 

 

 




元は父・全庭云の時代にも逃げ出そうとする信者を相次いで殺したことで官憲に目をつけられていたのですが、全龍海は恐怖支配と暴虐の限りを尽くし、信者を人里離れた山間部へ強制移住させ、原始的な生活を強制します。自らはソウルに居を構え、信者の娘たちを妾として差し出させたのです。


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少しでも彼に異を唱えるものあれば処刑、たとえイエスマンであっても全龍海が気に入らなければ処刑。
60人を超える愛人たちも犯すだけ犯して興味を失えば口封じのために処刑!親族の娘を殺された信者の裏切りとなって明るみとなったのですが、ついに口を割った信者の供述によると、あまりにも手際の良さから日常的に殺害を行っていたのでは?と日本政府や警察は訝しみ、徹底的に追及していったところたった5年で600人以上の殺人、そして遺体が発見されたものだけでも314人というとんでもない数字が判明したのです。カルト宗教が単独で起こした大量虐殺事件では世界最大の集団自殺として名高い人民寺院に次いで2番目に多い数です。東学って本来は侵略者大日本帝国に対抗するイメージが多いのに全龍海は祖国の尊厳を奪われ苦しむ朝鮮人民を助けると表向きには良いことを言いながら何もかもを弱者から搾取しておりおぞましいと言う他ありません。

 

 

 

1937年の大量検挙にも関わらず、全龍海は取り逃し、その後、山間部に逃れ信者の家を転々としていたようですが、その後始まった日本政府の徹底的な山狩りにより逃れられないと考えたのか47日に自殺死体が発見され、白白教は壊滅に至ります。

 

 

 

あまりにも凄惨な事件として、朝鮮の歴史でも世界の宗教史でもタブーとされているような気がしますが、これも国民が困窮しさらに政治的にも不安定を通り越して亡国の中で起きた事件として何らかの戒めとして大々的に語られる日は来るのでしょうか。
















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