不登校の長女はあの日、大人になった 五味太郎さんから子どもたちへ

田渕紫織

 夏休み明けは、学校に行くのが苦しくなる子どもが多くいます。絵本作家の五味太郎さんは、長女が不登校になり、夏休み明けに学校に行かなくなったとき、大きな成長を感じたといいます。「学校に行っても行かなくても、どちらにしても大変かもしれないけど」と前置きして送るメッセージとは。

夏休み明けに「気づいてしまった」時

 ――夏休みの終わりや9月は、学校に行くのが苦しくなる子がいます。

 コロナ禍で、授業も仕事もリモートでもいいという選択肢がせっかくできたのに、戻そう戻そうという力が働くんだよね。

 俺から見ると不思議で、なんでそんなに無駄でマイナスなエネルギーを使わされているのかな、と思う。

 何十年も前からゴールデンウィークや夏休み明けに「学校に行きたくない」と訴える子どもはたくさんいるのに、国としての反応が本当に鈍いと思う。

 ――五味さんの娘さんも不登校だったとお聞きしました。

 そうそう。夏休み明けに、高2だった長女が「学校をやめたい」と言い始めて。

 「先生がいろいろ心配してくれるんだけど……」と言いながら、「学校ってさ、先生のためのもんだよね。先生は動けないから私が動いた」って言うんだよ。

 先生は長女のことを心配しているようで、実際は自分のことを心配してるんだってことを、彼女は見抜いてた。

 学校に行って退学手続きをした日、一緒に街に出て、ごはんを食べて、買い物をして、その日から彼女は大人になったよ。そして、今に至る。

 なにしろだいぶ前の話だから、今とは事情もだいぶ違うと思うけれど。本質は変わっていないのかなあ。

 学校生活の不条理にハッと気づくタイミングは人によって違う。たまたま彼女がその時だっただけ。

 ――夏休みなどで長期の休みを挟むと、気づきやすいということはあるかもしれません。

 でも、「気づいてしまった」という事実を絶対に一般化させないというしかけが、教育現場にも会社にもあるよね。よってたかってみんなで元に戻してしまう。

「出入り自由」だったら

 ――五味さんご自身は、子どものころ、学校に行かなかった時期はありましたか。

 すごく昔の話になっちゃうけどね。戦後まもなくだったから今と全然違っていたよ。大人も生きて行くのに必死で子どもを構う余裕がなかったから、学校も「出入り自由」だったよ。まあ、校舎もボロだったしね。

 暴力的な教師もいたけれど、こっちも授業が面白くなかったら出ていっちゃったりしてさ。「タローはどこ行った」「ウチでメシ食ってるみたいです」みたいに。

 ある程度マイペースでやれるなら、学校って悪い所じゃない。今でもやろうとすればできると思うんだけどね。

 子ども自身が自分の人生を組み立てようとするのを認めない学校って、一体何なんだろうね。

友達なんて1人もいないよ

 ――友達との関係が苦しい子も多いと思います。

 人間関係がわずらわしくて参っちゃう子はたくさんいるよね。特に、付き合い過ぎちゃうタイプの子は本当に苦しくなっちゃうだろうな。つまり、友達に対して気をつかいすぎるということだよね。

 それなのにもっと幼い頃から「友達100人できるかな」なんていう歌を能天気に歌わされてさ、子どもの心の文化が非常に雑に扱われていると思う。

 俺は77年生きてるけど、友達なんて一人もいないよ。

 ――えっ、そうなんですか?

 「気の合う知り合い」はたくさんいるよ。でも、友達というのをそう重要視していないな。むしろ、いらないとは思ってる。

 ちょっとかっこよく言えば、親友は自分だけでたくさんっていう感じかな。

信頼をまず自分に求める

 ――自分を好きになれない人が多いのかもしれません。

 つまり、自分が信用できないということだよね、それは。自分のサポート要員としての友達をSNSなんかで周りにいっぱい集めようとするから、逆に苦しくなってくるんじゃないかな。

 でも、例えば信じること、信頼することを他者には求めず、まずは自分に求めないといけないと思う。

 人生でどっちに行くか迷うとき、標識があるわけじゃないから、自分で決めなければいけないし、やばいと思ったら引き返すのは、自分の判断でしかないものね。

 子どもの頃から自分をゆっくり見つめられていないから、なかなか大人になっても充足できないんじゃないかな。

いろんなパターンがあるはず

 ――自分を責め続けてしまう子に対しては、どんなメッセージを届けられるでしょうか。

 自分を責め続けなくてはいけない元のプレッシャーが一体どこから来ているのか、少し落ち着いて考えてみる必要があるよね。そのプレッシャーの原因はほぼ、学校や社会の側にあるはずだけれど、その学校や社会は変わる気がないんだということに気づいた方がいいと思う。

 ――おっしゃる通り、その子の心持ちの問題ではないですね……。こういう場でどうしても、「当事者へのメッセージを」と聞いてしまっていました。

 まぁでも、俺も取材慣れしているから(笑)、あえて言うならば、どっちに転んでもしんどい部分はある、ということ。学校を休み続けても、行き続けても。

 でも、しんどくて休んでいるうちに、何か風景が見えてくることもあるんじゃないかと思う。

 楽になんかなれないよ人生って。ミミズだって、ライオンだって、生命を維持するのは大変なんだから、当たり前。

 でも、選択肢を増やして、ムードとして楽にしてくことはできるかもしれない。

 そのためにはいろんなパターンがあるはずなのに、この国にはなさすぎると思う。

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この記事を書いた人
田渕紫織
東京社会部
専門・関心分野
災害復興、子ども
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    島沢優子
    (ジャーナリスト・チームコンサルタント)
    2022年8月28日8時37分 投稿
    【視点】

    「学校ってさ、先生のためのもんだよね」 五味さんの言葉に、うなずく親子は少なくないと思います。 小学生だった娘は、少し個性的な男児の言動を「みんな嫌だと思ってるよ」と言った男性の担任に「先生はなぜ『みんな』だとわかるのですか?」と意見し、廊下に出されたことがあります。 先生は電話で「娘さんはいつも反抗する。僕の授業が成立しない」と苦情を伝えてきました。が、私は「先生の授業を成立させるために娘たちは学校にいるわけではない」と“反抗”。先生を泣かせてしまいました。 「〇〇ちゃんのため」といいながら自分の保身を考える大人の世界は、ダブルメッセージに満ちています。 教師のパワハラに悩んでいた生徒に、親御さんは「先生もあなたのためを思って言ってくれているのではないか」と伝えてしまう。翌日、生徒は自ら命を絶ちました。親御さんからすれば、わが子が教師に良くない感情を持ち続ければ余計に苦しむと考えた末のことでした。 ダブルメッセージは「ダブルバインド(二重拘束)」です。2つの異なる価値観、ダブルバインドに気づいた子どもは「一体どっちなの?」とぐらぐら揺れる。絶望する。 私たちの想像以上に、子どもたちは大人の矛盾に気づき苦しんでいます。 記事に「退学手続きをした日、一緒に街に出て、ごはんを食べて、買い物をして、その日から彼女は大人になった」とあります。なかには素敵な先生もいるけれど、学校はすぐには変わらない。みんなが五味さんのようになれたらと思います。

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    おおたとしまさ
    (教育ジャーナリスト)
    2022年8月28日9時20分 投稿
    【視点】

    「ある程度マイペースでやれるなら、学校って悪い所じゃない。今でもやろうとすればできると思うんだけどね」 と、五味さんがおっしゃる通り、学校がすごく利用価値の高いところであることは間違いないんです。 拙著『不登校でも学べる』執筆のために現場を取材してわかったことは、学校ってちゃんとしすぎちゃうと途端にダメになるということです。 ある程度のいい加減さというか、さじ加減というか、センスというか、「間」のようなものが、学校関係者には求められるのだと思います。 子どもの教育に関するあらゆることを抱え込み、しかもルールや慣習でがんじがらめにして、要するに、学校が「間抜け」になっちゃったからいまの子どもたちは息苦しくて喘いでいるわけです。 「間」が大きいと、そこにハマってしまったり、落ちてしまったりする子も出てくるのも問題なのですが、いまは学校が「間抜け」な状態に傾き過ぎていると私は感じています。

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