緊張強いられた〝人食い人種〟の存在 、「考えないようにしたが」 激務の地ナイジェリア

国際舞台駆けた外交官 荒船清彦氏(5)

ナイジェリアのフェスティバルで、頭に乗せられた女性のフィギュア=2025年5月(ロイター)
ナイジェリアのフェスティバルで、頭に乗せられた女性のフィギュア=2025年5月(ロイター)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。1960年代から、激動の世界を見てきた荒船清彦元スペイン大使に外交官人生を振り返ってもらった。

時事通信、アフリカに進出

《1964年からのナイジェリア赴任中、時事通信社の記者が日本大使館をたずねてきた》

日本の通信社として初めて、ナイジェリアにアフリカの拠点を置くことになったそうです。

〝親分〟のような彼と一緒に外で昼飯を食べ、また大使館に戻ってきた。「どこに泊まるの」と聞くと、まだ決めていないとのこと。「僕の家にいらっしゃい」と言い、自宅に泊め、翌朝まで話し込みました。

家には寝室が2つあった。このため、僕の家が時事通信社の支局になったのです。でも、本当はそんなこと、やっちゃいけない。外務省にも知らせていません。〝時効〟だから、今、言ってもいいでしょう(笑)。

機密情報、暗号かけ電報で

《60年代は、電子メールやLINEなど便利なツールはなく、外交関連の情報は、電報局から送った》

僕は受付の人と仲良くなり、僕が持って行った電報はいつも、優先して扱ってもらった。その秘訣は、〝愛想〟だったかもしれませんね。

ちなみに、電報の内容は機密情報であるため、文章をタイプライターで書いた後、暗号転換器にかけた。文章をアルファベットで打ち込むと、訳のわからない文字が5字ごとに出てくるのです。文章が繋がっているかどうかも分からない。各国、そうしていたのです。

「敵の人肉を食えば…」の迷信

ナイジェリアのフェスティバルで、怪しげに仮装する参加者(中央)=2025年5月(ロイター)
ナイジェリアのフェスティバルで、怪しげに仮装する参加者(中央)=2025年5月(ロイター)

《ナイジェリアでは、〝人食い人種〟の存在が知られており、当時の日本などに衝撃を与えていた》

つい最近まで、みんなが闘争で殺し合っていた。そして、「敵の人肉を食えば、強くなる。精力がつく」などと、迷信のようなものが行き渡っていました。

彼らは「〇歳代の人肉は駄目だ、酸っぱい」とか、「〇歳代半ばぐらいがちょうどいい」「その上はもうダメだ、スジっぽい」などと言っていた。日本の新聞でもよく、報道されていました。

アフリカ全土で、人肉を食す風習があった。しかし、西欧文明の流入に伴い、徐々に消滅していったようです。

腕立て伏せ560回、の強者

《とはいえ、ナイジェリアでの地方出張では緊張を強いられた》

北部で暴動が起き、邦人の無事を確認しようと赴いた際、〝人食い人種〟の存在を考えないようにしていました。考えていたら邦人保護なんて、できるわけがない。完全にそんな考えを遮断していましたね。

僕は体力に自信を持っていました。中学1年の時には、講堂にみんな集まり、体操の先生が笛を吹きながら一斉に腕立て伏せをした。四百数十回に達した時、体操部のキャプテンがぶっ倒れました。僕が560回くらいまでやったとき、先生が「もういい」と言って制止したほどです。

それでも、ナイジェリアで危険な状況の時には、何かを携行していたように思います。だって、素手じゃねぇ…。彼らは太鼓や槍を持っている。かなわないですよ。2人、3人来れば、うまく避けた。目つきの怪しい男が来れば、一目散に逃げるのです(笑)。

家畜を売りに出すナイジェリアの男性たち=2025年6月(ロイター)
家畜を売りに出すナイジェリアの男性たち=2025年6月(ロイター)

〝人食い人種〟出身の大蔵次官

《ナイジェリア大蔵省に、〝人食い人種〟出身の次官がいた。日本からの円借款の話で両国関係がもめたとき、日本側と接点を持つことになった》

ナイジェリアは当時、米国に次ぐ日本の繊維産業の輸出先でした。その関係を強化しようと、円借款の話が持ち上がりました。

日本大使が大変な実力を持つ通商大臣にこの話を持ち出したところ、大蔵次官が「それは俺の所管だ」と主張。大蔵省と通商省との間で大げんかになったのです。実際、所管は大蔵省であり、両大臣はライバル関係でもありました。

これに、気の弱い日本大使が巻き込まれたわけです。ナイジェリアは感謝するどころか、対日全面輸入禁止宣言を出しました。

〝若造〟外交官に意見聞く

「荒船君、どうする?」。大使は若造の僕に、こう聞いてきました。

在ナイジェリア日本大使館は、ブラック・アフリカにある日本大使館の中で最多の館員を擁していたとはいえ、わずか6人、という事情もあった。頼ったのが、〝人食い人種〟出身の大蔵次官でした。

大蔵次官は、通商大臣に最初、話が持っていかれたことに怒っていて、日本との会議を「キャンセルする」と息巻きました。僕が「俺はみんなが顔を出すまで、何日でも一人で会議室に座ってる」とタンカを切ると、次官以下、みんな来てくれた。東京の本省から課長が来る事態にまで発展したものの、最終的には、丸く収まりました。

経済産業省(旧通産産業省)
経済産業省(旧通産産業省)

〝べらぼう〟に良かった

《円借款問題で多忙を極める中、現役バリバリの通産官僚が日本大使館に派遣されてきた》

通産省もよく見ていたと思いますよ。ナイジェリアは、ブラック・アフリカで最大の国であり、「絶対に目を離すことのできない大国」という認識をちゃんと持っていたのです。米国に次いで、世界第2位の繊維の輸出国でもある、という実態を通産省はよく分かっていた。

彼は、奥さんを伴ってナイジェリアにやって来た。とても活躍してくださいましたよ。

ちなみに、彼らを空港に出迎えるのは命懸けでしたね。ナイジェリアの夜は真っ暗で、空港までの途中、いくらでも強盗がいるからです。道路に木を倒して待ち構え、車を止めたりする。まあ、僕は運がいい方で、うまく逃げられました。

オックスフォード大留学後、ロンドン(在英日本大使館)に残り、上司の言う通りにやっていれば、つまらん毎日だったでしょう…。初任地のナイジェリアでは色々ありましたが、何でもかんでも、〝べらぼう〟に良かったですよ。(聞き手 黒沢潤)

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<あらふね・きよひこ> 1938年、大阪府出身。東大法学部卒。62年に外務省入省。在ナイジェリア、在米大使館勤務などを経て78年、西欧第二課長。88年に外務大臣官房審議官(文化交流)、90年に在ロサンゼルス総領事。ニカラグア大使、中南米局長を経て95年にアルゼンチン大使。98年にスペイン大使。退官後、国際経済研究所理事長や書美術振興会会長を歴任。

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