人でごった返す鹿児島駅に落ちた爆弾、無数の遺体…かろうじて残った6畳の防空壕で女学生の私は母の遺言を胸に暮らした【証言・語り継ぐ戦争】
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警報が解除され、上町に住む親友の安否を確認しに行った養父が、泣きながら帰ってきた。列車の発着でごった返す鹿児島駅に爆弾が落ち、足の踏み場もないほど無数の遺体が横たわっていたという。遺体をまたいで進むしかなかったのだろう。むごい光景はどれだけ怖かったか。 養父は47年に事故で亡くなり、養母は私が61年にみとった。亡くなってすぐ夢に現れ、「お前は偉かったよ」と言葉をかけられた。実母の遺言を守ってよかったと救われた思いだった。 岡部家の家族に再会できたのは戦後になってから。大連に残った父と次兄が高知の親戚宅に身を寄せていた。戦争に負けたとはいえ、平和になったのだと実感した。 海外で続く戦争のニュースを見るたび、家族と離れ離れになり、不安と寂しさを抱えたあのころの記憶と重なる。一日も早い平和を願ってやまない。 (2025年8月30日付け紙面掲載)
南日本新聞 | 鹿児島
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