福岡伸一「動的平衡」というのは、絶えず⽣命が流れの中、合成と分解の流れの中にあるし、めぐりめぐる流れの中にもある。ある⽣命を⼀瞬形づくるさまざまな要素というのは、全て環境から頂いてきたものですよね。それで⼀瞬⽣命体は成り⽴ちますけれども、そこからまた流れ出ていく。それは呼吸であるとか、排泄であるとか、死んでその体を作っていた様々な要素が、他の⽣物の栄養になったり、環境中に流れ出ていく。その時、絶えず受け取りながら絶えず受け渡すというのは、⾮常に利他的な⾏為であると考えるわけですね。
利他的というのは利⼰の逆で、これまた⼆⼗世紀の⽣物学のパラダイムに「利⼰的遺伝⼦論」というのがあったんですね。
遺伝⼦というのは⾃分⾃⾝が⾃⼰複製する、増えることだけが唯⼀無⼆の⽬的であり、そのためにあらゆるものが最適化されている。その利⼰性の表れが進化の中⼼的なドライブだし、そこには弱⾁強⾷であるとか優勝劣敗、争いの歴史として、最も利⼰的なものが勝ち残ってきたという進化の⼀つの語りの⽅法があったわけです。
でも、やっぱりこれは20世紀型の成⻑⾄上主義のビジョンであって、決して⽣命の本質を⾒ていることにはならない。むしろ、⽣命というのはいつもいつも利他的に振る舞ってきている。
その⼀つは、⾮常に単純な細胞が複雑な細胞になった、原核細胞が真核細胞になったという進化の⾮常に⼤きなジャンプ、最⼤のジャンプと⾔ってもいいんですけれども、それが今から10億年くらい前に起こったんです。
最初の20億年以上はずっと単純な細胞しかいなかったのですが、複雑な細胞が急に現れてきた。
これは利⼰的な振る舞いによって現れたのではなく、利他的な振る舞いによって現れている。しかも、突然変異で⼀朝⼀⼣にできたわけではなく、様々な⽣命体の協⼒によって起きているんですね。それは、⼤きな細胞と⼩さな細胞、いずれも単純な細胞だったのですが、その細胞がある時、共⽣することを選んだわけです。
⼤きな細胞の中に⼩さな細胞が⼊り込む。普通そういうことが起きると、⼤きい細胞は⼩さな細胞を消化してしまって、栄養になって終わるのですけれども、⼤きな細胞はそうしなかった。⼩さな細胞を⾃分の細胞の中に温存したわけです。そうしたら、⼩さな細胞は⼤きな細胞の中で増殖しながら、⾃分の得意なことをし始めたわけです。
⼀つはエネルギーを⽣産して、過剰なエネルギーは⼤きな細胞に与える。
あるいは、光合成ができるクロレラのような細菌がいたんですけれども、その細菌が⼤きな細胞の中に⼊り込むと、⼤きな細胞の中で光合成をするようになり、光合成の産物である有機物を、もちろん⾃分で使う分は⾃分で使うんですけれども、過剰に作り出したものは⼤きい細胞に与えるようになったんです。
それが、実は葉緑体の出発点になって、植物細胞ができました。
エネルギーを⽣産することが得意な⼩さな細胞が、⼤きな細胞の中でミトコンドリアというものの原型になったんです。ですから、今も我々の体を作っている細胞を調べると、⼤きな細胞の中にミトコンドリアがたくさんあるんですけれども、そのミトコンドリアの中には、⾮常に⼩さなDNAの断⽚があります。⼤きな細胞は、当然細胞核にメインのゲノムを持っているのですが、ミトコンドリアの中にも⼩さなDNAがあるんです。
なんでこんなところにDNAがあるのかと⻑らく誰にもわかりませんでしたが、植物細胞の中の葉緑体にも⼩さなDNAの断⽚があることがわかってきて、これはもともと葉緑体やミトコンドリアは⼩さな細胞として独⽴していたものが、⼤きな細胞と協⼒環境を結んで、細胞内共⽣をすることによってできたその痕跡だということが、だんだん分かってきて、複雑な細胞ができたところには利他的な協⼒があって、初めてジャンプが起きている。進化のジャンプが起きているということが分かりました。
単細胞⽣物が多細胞化するのも協⼒ですよね。それから無性⽣殖が有性⽣殖になった。これはオスとメスという違う性をつくって、わざわざ⾯倒くさいんですけれども、その⼆者が出会って協⼒しないと、新しい命ができないという仕組みを作ったんですね。これも協⼒なしには起こらなかった。
でもそのことによって遺伝⼦のシャッフリングが起きて、⾮常に多様性が⽣まれ、⼤きな地球の⽣物の多様性が⽣まれた。
そういうふうに⽣命進化は、利他の歴史であるというふうに⾒ることができるし、現在の地球上でも、互恵的な利他性があらゆるところに張り巡らされているわけです。
私たちの体は腸内細菌によって⽀えられているし、実は植物体にも、樹⽊の中に栄養液が巡る管がたくさんあるんですけれども、そこにもたくさん細菌が⼊り込んでいます。
ですから、植物にも実は腸内細菌がいて、互恵的な環境を結んでいるんです。
それから、植物⾃体は⾃分に必要なだけしか光合成をしなければ、動物が存在する余地はまったくなかったんですけれども、過剰に光合成をして、それを葉っぱとか実とか穀物の形で、他の昆⾍とか⿃とか草⾷動物に与えてくれたおかげで、動物というものができ、あるいは微⽣物というものが繁栄することになったので、利他性のネットワークというのは、時間軸の中にも、進化の軸の中にも、現在のこの地球の多様性の中にも、⾮常に張り巡らされていて、セルフィッシュネス、つまり利⼰的に振る舞っているのは⼈間だけなんですね。
あらゆる⽣物が利他的に振る舞っているので、ここでも、⼈間は地球の⽀配者であるみたいに振る舞うことをやめて、⽣命本来の利他性に⽴ち返らなきゃいけないと、私は思っているわけでして、このメッセージもここに込められているということになります。